丹羽兵助

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日本の旗 日本の政治家
丹羽 兵助
にわ ひょうすけ
生年月日 1911年5月15日
出生地 愛知県名古屋市
没年月日 (1990-11-02) 1990年11月2日(満79歳没)
出身校 関西学院大学中退
所属政党 自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
親族 弟・丹羽久章
孫・丹羽秀樹

日本の旗 第51代 労働大臣
内閣 竹下改造内閣
在任期間 1988年12月24日 - 1989年6月3日

内閣 第2次田中角榮第2次改造内閣
在任期間 1974年11月11日 - 1974年12月9日

選挙区 愛知県第2区
当選回数 12回
在任期間 1955年2月28日 - 1990年11月2日
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丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 - 1990年11月2日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員。弟は自民党元衆議院議員の丹羽久章、孫に丹羽秀樹自民党衆議院議員がいる。俳優奥田瑛二を私設秘書として雇用していた。

来歴・人物[編集]

愛知県出身。名古屋中学校(現名古屋中学校・高等学校)卒業後、関西学院大学神学部に進むも父である先代丹羽兵助の急逝により中退。家業の土建業を継いだ後、守山町議、愛知県議を経て1955年第27回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から出馬し初当選(当選同期に愛知揆一田村元椎名悦三郎唐沢俊樹高村坂彦渡海元三郎など)。当選12回。自民党内では傍流の三木派→河本派に所属。第2次田中再改造内閣国土庁長官第1次中曽根内閣総理府総務長官沖縄開発庁長官竹下改造内閣労働大臣などを歴任した。1988年勲一等旭日大綬章を受章。

腰の低い人柄から「お辞儀の丹羽兵」、あるいは毛利松平森山欽司らと共に「お辞儀三人衆」と呼ばれたが、1990年10月21日陸上自衛隊守山駐屯地名古屋市守山区)で行われていた記念式典(一般市民にも公開)に来賓として出席していた際、部外者の男(統合失調症で措置入院中。当時は一時退院中であった)に首をナイフで刺された。出血多量により心肺停止状態で近隣の病院に搬送されたが、12日後の11月2日に死去した。享年80(79歳没)。病院に搬送された際、秘書が申告した血液型と秘書が偶然持参していた国会便覧の血液型記載を信用し、通常は行われるクロスマッチテストが行われないまま、異なる型の血液が輸血されると言う医療事故も重なったが[1]、司法解剖の結果、死因は頸部を切られたことによる失血死で、型違い輸血は死因に影響しないと判断されたという[1]。なお、誤った血液型が記載されたのは、当時流行した血液型占いのブームが原因であり、血液型による印象が得票数に繋がると考えたのではないかと推測されている[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 支倉, p. 118.
  2. ^ 支倉, p. 119.

参考文献[編集]

支倉逸人 『検死秘録』 光文社2002年ISBN 4334973523

関連項目[編集]