北二郎
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北二郎 きた じろう | |
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生年月日 | 1918年9月13日 |
出生地 | 日本 北海道空知郡奈井江村 |
没年月日 | 1950年1月29日(31歳没) |
死没地 | 日本 東京都港区 |
出身校 |
北海道庁立岩見沢中学校卒業 (現・北海道岩見沢東高等学校) |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(日本農民党→) (農民新党→) 農民協同党 |
親族 |
父・北勝太郎(参議院議員) 叔父・北政清(衆議院議員) 弟・北修二(北海道開発庁長官) 弟・北良治(奈井江町長) |
選挙区 | 旧北海道4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月25日 - 1950年1月29日 |
北 二郎(きた じろう、1918年9月13日[1] - 1950年1月29日[2][3])は、日本の政治家。父は衆議院議員を4期、参議院議員を1期務めた北勝太郎。弟に北海道開発庁長官・開発庁長官を務めた北修二、奈井江町長の北良治がいる。
略歴
[編集]北海道空知郡奈井江村生まれ[4]。1937年旧制北海道庁立岩見沢中学校(現・北海道岩見沢東高等学校)卒業[2]。酪農義塾(現・酪農学園大学)、町村農場で農業・畜産を修得し、その後農業を営む。奈井江村酪農振興会会長[4]。
父・勝太郎が第二次世界大戦後公職追放されると、その身代わりとして1947年の第23回衆議院議員総選挙において北海道4区から立候補し初当選[5]。政界に入り、日本農民党・農民新党・農民協同党に所属した。1949年の第24回衆議院議員総選挙で再選[5]。衆議院当選2回。奈井江村酪農振興会長・日本農民党渉外部長を歴任した[2]。
1950年1月29日午前11時、港区の議員宿舎において心臓麻痺で急死した[3]。前日は本会議で演説して、強制降壇になるなど、元気な様子を見せていた[6]。また、その夜には、辻寛一と麻雀をしていた[6]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、34頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』214頁。
- ^ a b 『国会 3(2)(22)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『衆議院要覧 昭和22年12月現在 乙』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『朝日選挙大観』446頁。
- ^ a b 『議員宿舎 : 随筆』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『日本人名大辞典』(ジャパンナレッジ)
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。