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始関伊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
始関 伊平
しせき いへい
生年月日 1907年4月7日
出生地 千葉県市原郡(現:市原市
没年月日 (1991-11-26) 1991年11月26日(84歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
所属政党分党派自由党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等瑞宝章
日本の旗 第45代 建設大臣
内閣 鈴木善幸改造内閣
在任期間 1981年11月30日 - 1982年11月27日
選挙区 旧千葉1区
当選回数 9回
在任期間 1953年 - 1955年
1958年 - 1969年
1976年 - 1983年
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始関 伊平(始關 伊平[1]、しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚政治家弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。

衆議院議員(9期)、建設大臣などを歴任した。

経歴

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千葉県市原郡(現:市原市)出身。東京帝国大学法学部を卒業後、1930年商工省に入省する。岸信介に引き立てられ、鉱山局長・鉄鋼局長などを歴任、戦後資源庁長官となる。資源庁長官時代の1950年には、進藤武左ヱ門加茂正雄黒川真武と共に第4回世界動力会議に日本代表団として出席している[2]

1953年第26回衆議院議員総選挙では分党派自由党から立候補して初当選。以後、日本民主党自由民主党を経て通算9回当選する(ただし、1955年第27回衆議院議員総選挙1972年第33回衆議院議員総選挙1983年第37回衆議院議員総選挙では落選)。

この間、第2次池田内閣から第1次佐藤内閣にかけて通産労働科学技術の各政務次官を務め、衆議院の建設・内閣両委員長も務めた。1981年鈴木改造内閣では建設大臣として入閣する。

1983年の第37回衆議院議員総選挙で落選し、その後政界から引退、弁護士業に専念した。

1978年11月の秋の叙勲で勲一等に叙され瑞宝章を受章する[3]

1991年11月26日、死去。84歳没。同月29日、特旨を以て位四級を追陞され、死没日付で正五位から正三位に叙された[4]

脚注

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  1. ^ 『官報』第6137号5頁 平成22年7月1日
  2. ^ 『電気協会雑誌 = Journal of the Japan Electric Association』(323)p3、日本電気協会、1950年8月
  3. ^ 『官報』号外第87号1頁 昭和53年11月6日
  4. ^ 『官報』第793号10頁 平成3年12月4日
公職
先代
斉藤滋与史
日本の旗 建設大臣
第45代:1981年 - 1982年
次代
内海英男
議会
先代
正示啓次郎
日本の旗 衆議院内閣委員長
1978年
次代
藏内修治
先代
加藤常太郎
日本の旗 衆議院建設委員長
1968年 - 1970年
次代
金丸信