浅利三朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
浅利三朗

浅利 三朗(あさり さぶろう、1882年明治15年)11月10日1966年昭和41年)11月3日)は、日本の内務官僚政治家県知事衆議院議員

経歴[編集]

岩手県出身。浅利杏坪の三男として生まれ、兄・浅利寛の養子となる。一関中学第二高等学校を経て、1909年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し三重県属となり、内務部勧業課に配属された。

1910年5月、三重県内務部地方課に配属。以後、山形県事務官、同視学官大阪府視学官、茨城県警察部長、高知県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁警察部長、富山県内務部長などを歴任。

1924年6月、香川県知事に就任。1926年9月、朝鮮総督府警務局長に転じ、1929年11月まで在任。1931年1月、栃木県知事となる。昭和恐慌の対策に尽力するが、同年12月18日に知事を休職し[1]1932年2月に退官した。

その後、東洋セメント取締役日本鋪道社長、満州舗道社長、朝鮮石油取締役などを歴任。

1947年4月の第23回衆議院議員総選挙岩手県第2区日本自由党から出馬し当選。1952年10月の第25回総選挙まで連続三回の当選を果たした。その他、衆議院建設委員長民主自由党総務を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


公職
先代:
三矢宮松
日本の旗 朝鮮総督府警務局長
第5代:1926 - 1929
次代:
森岡二朗