萩野左門
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萩野 左門(はぎの さもん、1851年8月27日(嘉永4年8月1日[1])- 1917年(大正6年)12月30日[2])は、明治期の政治家。新潟県会議員、衆議院議員、官選栃木県知事、新潟市長。
経歴
[編集]越後国西蒲原郡板井村の庄屋、萩野伝衛の長男として生まれる[1]。漢学を修めた。戸長、小区長、副大区長、新潟県会議員、同常置委員、同議長、西蒲原郡会議員、同議長などを歴任[2]。
1984年3月、第3回衆議院議員総選挙に新潟県第一区から出馬して当選。その後、第5回総選挙、第7回から第9回総選挙まで通算5回の当選を果たした[2]。
1898年8月、第1次大隈内閣により栃木県知事に登用され、1899年1月まで在任[1]。その後、1902年11月から1904年2月まで新潟市長を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。