新潟市長

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新潟市長(にいがたしちょう)は、新潟市首長である。

概要[編集]

現在の新潟市長は、35代目(公選制では19代目)の中原八一である。2018年就任。

歴史[編集]

1889年(明治22年)、市制の施行によって新潟市が発足とともに設置。1889年5月8日に開かれた第一会新潟市会において元新潟区長で佐賀士族の土橋多四郎、元北蒲原郡長で大垣士族の小倉幸光、鈴木長蔵の三人を市長候補に選定[1]。土橋が辞退し、小倉が初代市長の裁可を得て5月27日に市長に就任した[1]。市制における市長は有給で任期は6年だったが、その市の公民である必要は無かった[1]。その後も、新潟市会で市会議員による投票で市長を決定していた。

第二次世界大戦が終結した後にGHQが地方行政制度の民主化を要求[2]。吉田内閣が市制を改正し1946年(昭和21年)10月4日に施行、公選によって市長が選ばれるようになる[2]1947年(昭和22年)4月5日に市長選挙が行われ、初代公選市長に村田三郎が就任する[3]。以後、地方自治法の施行により、市長の任期は4年となる。

1975年(昭和50年)4月27日に行われた市長選挙で日本社会党日本共産党公明党の推薦を得て立候補した川上喜八郎が当選し、革新勢力による市長が就任[4]。以後、2018年まで革新市長の時代が続くこととなる。

2002年(平成14年)に篠田昭が就任。その後周辺市町村との合併問題に取り組み、2005年(平成17年)に新潟市周辺13市町村と合併。2期目となる2007年(平成19年)には政令指定都市へ移行した。

2010年(平成22年)の市長選挙で再選後、3期目には新潟中国総領事館の万代小学校跡地移転問題が発生する中、2011年(平成23年)に当時の泉田裕彦新潟県知事との共同会見で新潟州構想を発表。2013年(平成25年)には国家戦略特区の構想として「ニューフードバレー特区」、「環日本海ゲートウェイ特区」、「簇業(そうぎょう)特区」の案を安倍内閣に提出。2014年(平成26年)3月28日東京圏などとともに国家戦略特区に決定された。

2015年(平成27年)には新潟交通と共同で「にいがた新バスシステム」、BRT萬代橋ライン」の運行を開始。2018年(平成30年)7月には次期の選挙に出馬しないことを明らかにし、市長の座を退いた。

同年行われた市長選挙では自由民主党本部の支持を受けた中原八一が当選。1975年から43年にわたって続いた革新市長の時代が終わることとなった。

一覧[編集]

官選制市長時代[編集]

氏名 出身 会派 就任年月日 退任年月日 備考
1 小倉幸光 1889年5月27日 1891年6月3日
2 鈴木長蔵 1891年6月30日 1897年6月29日
3 1897年7月8日 1899年5月30日
4 八木朋直 1899年7月24日 1902年9月25日
5 萩野左門 1902年11月4日 1904年2月20日
6 吉田良治郎 1904年4月27日 1910年4月26日
7 1910年5月10日 1916年5月9日
8 桜井市作 1916年12月28日 1919年1月16日
9 渡辺兼二 1919年9月22日 1921年9月10日
職務管掌 村井八郎 1921年9月11日 1922年1月13日
10 柴崎雪次郎 1922年1月14日 1925年5月6日
11 中村淑人 1925年8月26日 1929年8月25日
職務管掌 堀田健男 1929年8月26日 1929年11月15日
12 中村淑人 1929年11月16日 1933年11月15日
職務管掌 稲葉清之助 1933年12月27日 1934年1月29日
13 小柳牧衛 1934年1月30日 1937年7月24日
14 村松武美 1937年12月17日 1938年8月26日
15 井上英 1938年12月5日 1942年12月4日
16 1942年12月5日 1946年11月8日

公選制市長時代[編集]

公選代 氏名 出身 会派 就任年月日 退任年月日 備考
17 1 村田三郎 無所属 1947年4月7日 1951年4月4日 日本自由党日本進歩党推薦
18 2 1951年4月25日 1955年4月14日
19 3 1955年5月2日 1959年5月1日
20 4 渡辺浩太郎 新潟県 自由民主党 1959年5月2日 1963年5月1日
21 5 1963年5月2日 1967年5月1日
22 6 1967年5月2日 1971年5月1日
23 7 1971年5月2日 1975年5月1日
24 8 川上喜八郎 新潟県 1975年5月2日 1979年5月1日 日本社会党、日本共産党、公明党の推薦を得て立候補。
25 9 1979年5月2日 1982年12月14日
26 10 若杉元喜 新潟県 1983年1月30日 1987年1月29日 日本社会党、日本共産党の推薦、公明党が支持。
27 11 1987年1月30日 1990年10月9日
28 12 長谷川義明 新潟県 1990年11月18日 1994年11月17日 日本社会党、日本共産党などが支持。[5]
29 13 1994年11月18日 1998年11月17日
30 14 1998年11月18日 2002年11月17日 民主党推薦。[6]
31 15 篠田昭 新潟県 無所属 2002年11月18日 2006年11月17日 自由民主党、民主党、公明党の推薦を受けて立候補。
32 16 2006年11月18日 2010年11月17日
33 17 2010年11月18日 2014年11月17日
34 18 2014年11月18日 2018年11月17日
35 19 中原八一 新潟県 無所属 2018年11月18日 2022年11月17日(予定) 自由民主党本部が支持。

公選制選挙結果[編集]

日程[編集]

投票日 告示日 有権者数 投票率 備考
1 1947年4月5日 %
2 1951年4月23日 %
3 1955年4月30日 %
4 1959年4月30日 %
5 1963年4月30日 81.14%
6 1967年4月28日 %
7 1971年4月25日 %
8 1975年4月27日 %
9 1979年4月22日 %
10 1983年1月30日 67.8%
11 1987年1月18日 25.9%
12 1990年11月18日 %
13 1994年11月6日 %
14 1998年11月8日 11月1日 383,159人 36.97%
15 2002年11月10日 11月3日 413,521人 39.18%
16 2006年11月12日 11月5日 651,467人 40.71%
17 2010年11月14日 10月31日 656,806人 31.04%
18 2014年11月9日 10月26日 658,862人 40.57% [7]
19 2018年10月29日 10月14日 667,907人 49.83%

結果[編集]

1947年から1971年まで[編集]

1947年4月5日[3][8]

1947年(昭和22年)4月5日の市長選挙には、日本自由党と日本進歩党の推薦を受けた無所属の村田三郎らが立候補[3]。事前予想では村田と長谷川の決戦とみられていたが、村田が他候補者を圧倒して当選[3]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
村田三郎無所属30,832票%
佐藤正男立憲養正會14,195票%
長谷川寛日本社会党13,893票%
新保八十平無所属3,600票%
小島信司無所属3,052票%
1951年4月23日[9][10]

1951年(昭和26年)4月23日、第二回統一地方選挙の前半戦として実施[9]。再選を目指す村田三郎が早くから立候補を表明[9]。村田の独走と予想されたが、告示直前になって新潟日報論説委員の森田甲子三が日本社会党の推薦を受けて出馬[9]。二人による選挙戦となった[9]。結果は、村田が森田を大きく引き離して圧勝した[9]

※当日有権者数:人 最終投票率:91%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
村田三郎無所属76,473票%
森田甲子三日本社会党22,815票%
1955年4月30日[11][12]

1955年(昭和30年)4月30日[11]。三選を目指す村田三郎と、日本社会党の新人笠原貞造の一騎討ちとなったが、村田が笠原に15,000票以上の差をつけて当選[11]。笠原は日本民主党や市議会の反村田派の応援を得て市長選に臨んだが、村田の三選を阻止することはできなかった[11]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
村田三郎無所属68,074票%
笠原貞造日本社会党53,039票%
1959年4月30日[13][14]

1959年(昭和34年)4月30日の新潟市長選挙は、村田の引退を受けた自民党の前市議渡辺浩太郎、革新系無所属の松木明、無所属元衆議院議員の玉井祐吉の三者で争われたが、2,000票あまりの小差で渡辺が当選した[13]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
渡辺浩太郎自由民主党65,156票%
松木明無所属63,125票%
玉井祐吉14,729票%
1967年4月28日[15][16]

1967年(昭和42年)4月28日の新潟市長選挙は、三選を目指す現職の渡辺浩太郎に、日本社会党の森田甲子三が挑んだ[15]。渡辺は前回4万票近くの差をつけた森田に、18,000票の差に詰め寄られた[15]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
渡辺浩太郎自由民主党94,359票%
森田甲子三日本社会党75,550票%
1971年4月25日[17][18]

1971年(昭和46年)4月25日の新潟市長選挙は、四選を目指す現職の渡辺浩太郎に対し、社共統一候補として「住みよい革新市政をつくる会」推薦の若槻勉が立候補した[17]

※当日有権者数:人 最終投票率:76%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
渡辺浩太郎自由民主党106,809票%
若槻勉85,126票%

1975年から1987年まで[編集]

1975年4月27日[4][19]

1975年(昭和50年)4月27日の新潟市長選挙で現職・自民党公認の渡辺浩太郎は、福祉政策を基本課題に公害防止など生活環境整備に力点を置くとし、みなと大橋の架橋。流通センターの建設などの大型プロジェクト推進を訴えた[4]。一方で日本社会党、日本共産党、公明党三党の共同推薦候補で、「住みよい革新市政をつくる会」、「学者、文化人の会」などが支持母体となった川上喜八郎は渡辺の政策を批判し、「新潟を人間が大切にされる人間都市につくりかえる」ことを訴えた[4]。結果は4千票あまりの差で川上が当選し、新潟市に初の革新市長が誕生した[4]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
川上喜八郎無所属108,741票%
渡辺浩太郎自由民主党104,361票%
1979年4月22日[20][21]

1979年(昭和54年)4月22日の新潟市長選挙は、再選を目指す川上喜八郎と、自由民主党推薦で前県会議員・長浜泰雄との対決となった[20]

川上は日本社会党、日本共産党、公明党、民社党の推薦を受け、「人間都市にいがたをつくる市民連合」を選挙母体とした[20]。一方で長浜は「新潟市を愛する会」を選挙母体に、交通問題とみなと大橋建設中止に批判の的を絞ったが、9千票あまりの差で及ばなかった[20]

※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
川上喜八郎無所属116,026票%
長浜泰雄107,031票%
1983年1月30日[22][23]

1982年(昭和57年)12月9日。川上喜八郎は病状悪化のため、市議会議長あてに辞表を提出[24]。市議会は12月14日に辞任に同意した[22]。その後川上喜八郎は市長選挙告示の1983年(昭和58年)1月20日に、入院先の新潟市民病院で息を引き取った[22]

1983年(昭和58年)1月30日の新潟市長選挙は、社会党・共産党両党推薦、公明党が支持の前助役・若杉元喜と、自民党推薦の長浜泰雄との間で争われた[22]。若杉は川上市政の継承を掲げ、市民の政治参加による「人間都市」の建設推進を訴えた[22]。長浜は、国・県と一体化した市政の重要性を強調し、市政奪還を訴えた[22]。結果は、若杉が13,000票あまりの差で当選した[22]

※当日有権者数:人 最終投票率:67.8%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
若杉元喜無所属114,433票%
長浜泰雄101,120票%
1987年1月18日[25][26]

1987年(昭和62年)1月18日の新潟市長選挙は、自民党は独自候補の擁立を断念[25]。若杉と、「無投票阻止、保守市政確率」を掲げる無所属の柾木昭伍の二人が立候補した[25]。結果は、圧倒的な大差で若杉が再選した[25]

※当日有権者数:人 最終投票率:25.9%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
若杉元喜無所属79,901票%
柾木昭伍無所属4,927票%

1990年以降[編集]

1998年11月8日[27]

※当日有権者数:383,159人 最終投票率:36.97%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
長谷川義明無所属98,488票%
丸山久明無所属41,403票%
2002年11月10日[28][29]

※当日有権者数:413,521人 最終投票率:39.18%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
篠田昭54無所属74,554票46.6%
渡辺洋65無所属69,381票43.3%自由民主党公明党
高橋弘之62無所属16,200票10.1%共産党
2006年11月12日[30]

※当日有権者数:651,467人 最終投票率:40.71%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
篠田昭58無所属188,028票71.5%
荻荘誠46無所属52,440票19.9%
高橋弘之66共産22,655票8.6%
2010年11月14日[31][32]

※当日有権者数:656,806人 最終投票率:31.04%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
篠田昭62無所属154,880票77.9%
石口徳夫60無所属43,821票22.1%共産党
2014年11月9日[33]

2014年3月21日に、新潟市議会現職議員の吉田孝志が出馬を表明した[34][35]

※当日有権者数:658,862人 最終投票率:40.57%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
篠田昭66無所属95,301票36.2%民主党 社会民主党
吉田孝志52無所属88,206票33.5%自由民主党
斉藤裕40無所属79,851票30.3%日本共産党
2018年10月29日[36]

※当日有権者数:667,907人 最終投票率:49.83%(前回比:+9.26ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中原八一59無所属98,975票30.0%支持:自民
小柳聡31無所属90,902票27.6%支持:立民県連、国民県連、共産、自由、社民
吉田孝志56無所属90,539票27.4%
飯野晋45無所属49,425票15.0%

脚注[編集]

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注釈

出典

  1. ^ a b c 新潟市通3、p.233
  2. ^ a b 新潟市通5、p.25-26
  3. ^ a b c d 新潟市通5、p.26
  4. ^ a b c d e 新潟市通5、p.394
  5. ^ 新潟日報・新潟市長選特集11/6 | 青空市長☆篠田昭さん応援フォーラム
  6. ^ 民主党:地方選候補者の推薦を決定
  7. ^ 市長選挙の期日等を決定しました 新潟市
  8. ^ 新潟市資8、p.46
  9. ^ a b c d e f 新潟市通5、p.110
  10. ^ 新潟市資8、p.88
  11. ^ a b c d 新潟市通5、p.181
  12. ^ 新潟市資8、p.130
  13. ^ a b 新潟市通5、p.185
  14. ^ 新潟市資8、p.154
  15. ^ a b c 新潟市通5、p.289
  16. ^ 新潟市資8、p.214
  17. ^ a b 新潟市通5、p.291
  18. ^ 新潟市資8、p.231
  19. ^ 新潟市資8、p.273
  20. ^ a b c d 新潟市通5、p.397
  21. ^ 新潟市資8、p.296
  22. ^ a b c d e f g 新潟市通5、p.400
  23. ^ 新潟市資8、p.318
  24. ^ 新潟市通5、p.399-400
  25. ^ a b c d 新潟市通5、p.403
  26. ^ 新潟市資8、p.337
  27. ^ 新潟市長選挙(1998/11/08投票)結果 | ザ選挙
  28. ^ 新潟市長選挙(2002/11/10投票)結果 | ザ選挙
  29. ^ 選挙サイトELECTION.-2002年11月全国選挙情報(県知事/市区長選)
  30. ^ 新潟市長選挙(2006/11/12投票)結果 | ザ選挙
  31. ^ 新潟市長選挙(2010/11/14投票)結果 | ザ選挙
  32. ^ 新潟市長に篠田氏が3選 共産推薦の新人破る - 47NEWS(よんななニュース)
  33. ^ 新潟市長選挙(2014/11/09投票)結果 | ザ選挙
  34. ^ 時事ドットコム:自民市議が出馬へ=新潟市長選
  35. ^ 元自民衆院議員の娘婿が出馬表明…新潟市長選:地方選:選挙:読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  36. ^ 新潟市長選挙 開票速報 | 新潟市

参考文献[編集]

  • 『新潟市史 通史編3 近代』新潟市、1996年3月22日。
  • 『新潟市史 通史編5 現代』新潟市、1997年3月31日。
  • 『新潟市史 資料編8 現代I』新潟市、1991年3月16日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]