佐藤暢 (栃木県知事)
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佐藤 暢(さとう ちょう / しん、1851年1月(嘉永3年12月)- 1910年(明治43年)9月7日)は、日本の内務官僚、実業家。官選栃木県知事。
経歴[編集]
薩摩藩士・佐藤信行の二男として生まれる。1868年に上京し東京府取締組組頭となる。のち権大警部に就任。明治六年政変により退官し鹿児島県に帰郷したが、再び上京した。西南戦争では警視庁三等少警部として出征。さらに陸軍歩兵少尉兼権少警部に任官し、歩兵中尉兼少警部に昇進した。
その後、富山県射水郡長、函館県収税長、大阪府収税長、大阪府書記官、内閣書記官などを歴任。1894年1月、栃木県知事に就任した。1897年4月、同県知事を非職となり、翌月に退官した。その後、博多湾鉄道社長、川崎造船取締役などを歴任した。
栄典[編集]
脚注[編集]
- ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
参考文献[編集]
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
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