吹田あきら

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吹田 愰(ふきだ あきら、1927年昭和2年)2月1日 - )は、日本政治家

衆議院議員(6期)、自治大臣第41代)、国家公安委員会委員長第51代)、山口県議会議員(4期)等を歴任。

来歴・人物[編集]

山口県熊毛郡城南村(現田布施町)生まれ。旧制柳井商業学校(現山口県立柳井商工高等学校)卒業。卒業後、甲種飛行予科練習生防府海軍通信学校に入隊した[1][2]。敗戦後の岸信介の政界復帰に尽力した。 25歳で城南村長に当選。1955年(昭和30年)、新設合併に伴い田布施町長選に出馬して当選し[3]、田布施町長を3期務める。その後山口県議会議員選挙に転じ、県議会議長も務める。県議時代は一貫して岸信介首相に師事し、岸の引退に際しては後継指名を受ける。1979年(昭和54年)、第35回衆議院議員総選挙旧山口県第2区から自由民主党公認で出馬し、当選(当選同期に佐藤信二保利耕輔畑英次郎麻生太郎岸田文武白川勝彦丹羽雄哉亀井静香宮下創平船田元など)。清和政策研究会に所属し、岸の娘婿である安倍晋太郎の首相就任に執念を燃やした(しかし、安倍は首相就任が叶わないまま病死)。1990年平成2年)、第2次海部改造内閣自治大臣国家公安委員会委員長として初入閣した。

安倍晋太郎の死後、安倍派では三塚博加藤六月が熾烈な主導権争いを繰り広げ(三六戦争)、1991年(平成3年)6月に三塚が会長に就任して三塚派に代替わりし、加藤は除名される。加藤を領袖にすべく、多数派工作に奔走していた吹田は三塚派を退会し、田名部匡省倉田寛之山岡賢次らと政眞会(加藤グループ)を結成する。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党に党籍を残しながら無所属で出馬し、当選。その後自民党を離党し、1994年(平成6年)に新生党に入党。同年12月の新進党結党にも参加する。

1996年(平成8年)、衆議院議員を辞職し、非自民勢力の支援を受けて山口県知事選挙に出馬するが、自民党山口県連の推薦を受けた二井関成に敗れた。元自治官僚の二井は、同じ自治省出身の平井龍山口県知事の下、5期20年にわたる平井県政で要職を歴任していたが、6期目の出馬を模索する平井の意向に背いて二井が出馬したため、平井は自民党員でありながら吹田を支持。野中広務自民党幹事長代理も党本部による二井の推薦に反対したため県連の推薦に留まったが、清和政策研究会の塩川正十郎自由民主党総務会長安倍晋三(安倍晋太郎の次男)、河村建夫らは二井を支援した。知事選落選後は自民党に復党し、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙比例中国ブロック単独で出馬したが国政復帰は果たせず、政界を引退した。2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙では自民党の北村経夫を支援した[4]

娘婿は自由民主党衆議院議員の西村康稔[5]

政界には吹田の秘書経験者が多く、結束は吹田の引退後も強い。主な元秘書には山口県岩国市長で元衆議院議員福田良彦や、山口県議会議員の守田宗治、山口市議会議員の俵田祐児らがいる。

1972年(昭和47年)3月28日から40年以上に渡り、山口土地改良事業団体連合会の会長を務めている[6]

著書[編集]

『未来に翔ける : 政策現場からのレポート』 出版開発社、1986年ISBN 4879680206

脚注[編集]

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  1. ^ 阿多田交流館への寄贈 (PDF) 」 、『広報ひらお 平成25年12月号』、平生町2013年12月、 11頁、2014年4月30日閲覧。
  2. ^ 甲飛防通会が記念碑を見学 (PDF) 」 、『ほうふ南新聞』、周防会、2011年9月1日、 3頁、2014年4月30日閲覧。
  3. ^ 田布施町の歩み”. 田布施町ホームページ. 2014年4月30日閲覧。
  4. ^ “「身が引き締まる思い」比例区初当選の自民・北村氏が報告会”. 山口新聞. (2013年7月23日). http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2013/0723/3p.html 2014年4月30日閲覧。 
  5. ^ 第2次安倍内閣ネット選挙力リサーチ Vol.19”. ネット選挙ドットコム (2013年2月27日). 2014年4月30日閲覧。
  6. ^ 山口県土地改良事業団体連合会の概要(役員)”. 山口県土地改良事業団体連合会. 2014年4月30日閲覧。


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