渡辺剛二

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渡辺 剛二(わたなべ こうじ、1886年明治14年〉 - 1959年昭和34年〉7月11日)は、日本の実業家医師である。宇部興産初代会長。

略歴[編集]

1886年(明治19年)、山口県厚狭郡宇部村(現宇部市)でのちに沖ノ山炭坑(宇部興産の前身)を創業する渡辺祐策の次男として生まれる[1]熊本医学専門学校を経て京都帝国大学医学部を卒業し、父・祐策が創業した沖ノ山炭鉱の医局設立に携わる[1]

1934年(昭和9年)、祐策の死去に伴い沖ノ山炭坑の社長を引き継ぐ。1942年(昭和17年)、宇部興産設立に伴い同社会長に就任。また、山口県医師会長も兼務し、山口県立医学専門学校(のちの山口県立医科大学、現山口大学医学部)の設立に尽力した[1][2][注釈 1]

1959年(昭和34年)7月11日、死去。同年10月、剛二が遺贈した宇部興産の株式29万株と、現金100万円を元に渡辺記念学術奨励会(現宇部興産学術振興財団)が発足した[1]

家族・親族[編集]

妻としてフミコを迎えるも長女を出産後まもなく死去。三宅宗悦の姉・柔子(なりこ)と再婚している。俳人としての才覚をもった柔子は『ホトトギス同人でもあり、宇部市の俳句会では世話役を務めた。医師の家で育った柔子は父を看病した体験があり、献身的な看護で義父である祐策の最期を看取ったという。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 同校設立にあたって宇部市が寄付した金100万円のうち、50万円は剛二によるものである。また、剛二が設立した宇部興産沖ノ山同仁病院はのちに同校付属病院(現山口大学医学部付属病院)となった。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

ビジネス
先代:
渡辺祐策
Ube Industries logo-1.png 宇部興産社長
第2代:1934年 - 1942年
次代:
俵田明