奥田建
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| 奥田 建 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1959年1月16日(60歳) |
| 出生地 | 石川県金沢市 |
| 出身校 | 日本大学理工学部 |
| 前職 | 会社員 |
| 現職 |
石川県総支部連合会幹事長 石川県第1区総支部代表 |
| 所属政党 | 民主党(羽田グループ) |
| 称号 | 工学士 |
| 親族 | 父・奥田敬和(元衆議院議員) |
| 選挙区 |
(石川1区→) (比例北陸信越ブロック→) 石川1区 |
| 当選回数 | 4回 |
奥田 建(おくだ けん、1959年1月16日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(4期)、元国土交通副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)。
父の奥田敬和は、運輸大臣や自治大臣、国家公安委員長等を歴任し、竹下派七奉行の一人に名を連ねた元衆議院議員。
来歴[編集]
年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2016年6月) |
石川県金沢市生まれ。金沢市立菊川小学校、金沢市立城南中学校、石川県立金沢泉丘高等学校、日本大学理工学部卒業。
- 1998年、父・奥田敬和が第18回参議院議員通常選挙の直後に死去。衆議院石川県第1区補欠選挙に民主党公認で出馬し初当選。
- 2000年第42回衆議院議員総選挙では自由民主党公認の馳浩に石川1区で敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活当選。
- 2003年の第43回衆議院議員総選挙では自民党の馳浩を破り石川1区で当選(馳も比例復活)。
- 2005年の第44回衆議院議員総選挙では石川1区で馳浩に敗れ、比例復活も叶わず落選。
- 2007年の第21回参議院議員通常選挙に際しては出馬を模索していたが断念。
- 2009年の第45回衆議院議員総選挙では石川1区で馳浩を破り4年ぶり返り咲き。
- 2010年6月安住淳衆議院安全保障委員長の民主党選挙対策委員長就任に伴い、後任の衆議院安全保障委員長に就任する。同年9月、衆議院法務委員長に就任。
- 2011年野田内閣で国土交通副大臣に任命され、野田第1次改造内閣、野田第2次改造内閣でも留任。
- 2012年の第46回衆議院議員総選挙では民主党公認、国民新党推薦で石川1区に立候補したが馳浩に敗れ、比例北陸信越ブロックでの復活叶わず落選。
- 2013年、次回衆議院選挙に出馬しないことを表明[1]。政治引退は否定[1]。
人物[編集]
- 民主党では父・敬和同様かつて竹下派七奉行に名を連ね、最後まで行動を共にした元首相の羽田孜が率いる政権戦略研究会に所属している。
- 初当選以来、石川県議会の奥田系議員が中心の政治団体・新進石川の強力な支持を受けていた。新進石川は2009年に民主党石川県連に合流したが、石川県議会における会派は宇野邦夫の県議辞任まで存続した。
- 石川1区の対立候補である自民党の馳浩は、かつて奥田敬和が旧石川1区で熾烈な争いを繰り広げた森喜朗の側近であり(森奥戦争)、石川1区では2000年の第42回衆議院議員総選挙以降、馳・奥田による激しい選挙戦が繰り広げられている。選挙区における当選回数は奥田の方が多い(馳が出馬していない補欠選挙を含め奥田3、馳1)であるが、対立候補に比例復活を許さず当選したのは馳(05年と12年)のみ。05年と12年の総選挙を除き、馳・奥田の得票数の差は1万票以内である。
政策[編集]
- 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかといえば賛成[2]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入に賛同する[3]。
所属していた団体・議員連盟[編集]
- ホームエンタテイメント議員連盟(副会長)
脚注[編集]
- ^ a b 「奥田・民主前衆院議員:次期衆院選、立候補辞退」、2013年10月9日
- ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
- ^ 第151回国会 請願2176号
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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