大野市郎

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大野 市郎
おおの いちろう
生年月日 1910年11月25日
出生地 日本の旗 日本 新潟県長岡市
没年月日 (1988-02-09) 1988年2月9日(77歳没)
出身校 兵庫県立神戸高等商業学校卒業
所属政党自由党→)
自由民主党佐藤派福田派

選挙区 旧新潟3区
当選回数 7回
在任期間 1952年10月1日 - 1953年3月14日
1955年2月27日 - 1963年10月23日
1967年1月29日 - 1976年12月9日
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大野 市郎(おおの いちろう、1910年明治43年)11月25日[1] - 1988年昭和63年)2月9日[1][2])は、昭和期の実業家政治家自由民主党衆議院議員。次男は作曲家でミュージシャンの大野雄二

略歴[編集]

新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた[3]新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業[2]。箱根富士屋ホテルに勤めた[3]

1936年(昭和11年)静岡県熱海市ホテル大野屋を開業した[1]。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した[2][3]熱海市会議員を務め[2]、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した[3]日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]

佐藤栄作議員秘書を経て[1]1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙旧新潟3区から出馬して初当選[4]。以降、何度かの落選を経験しながらも通算当選7回[1][2][3]。この間、第2次岸内閣農林政務次官衆議院運輸委員長、同地方行政委員長、自民党政調会農林部副部長、同産業組織局中小企業部長、同宣伝局報道部長、同産業局次長、同広報委員会副委員長兼出版局長、同長岡支部長、同新潟県支部連合会会長、同総務、同住宅対策特別委員長、同日中国交正常化協議会副会長などを務めた[1][2][3]

佐藤派に所属したが[要出典]田中角栄とは同じ派閥・選挙区だったため、当落を繰り返すなど選挙では毎回苦戦し、入閣も果たせなかった。地元選挙民からの陳情対応でも、獲得票の少なかった市町村出身者を冷たくあしらうなどしたため、田中に票が流れる悪循環を招いた[要出典]

1972年(昭和47年)に保利茂らと福田派に参じるが[要出典]1976年(昭和51年)の第34回総選挙で落選し[5]、政界を引退した。

国政選挙歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』117頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』134頁。
  3. ^ a b c d e f 『長岡歴史事典』47頁。
  4. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。
  5. ^ a b c d 『国政選挙総覧 1947-2016』172頁。
  6. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』170頁。
  7. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』171頁。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『長岡歴史事典』長岡市、2004年。


議会
先代
菅太郎
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1974年 - 1972年
次代
谷垣専一
先代
内藤隆
日本の旗 衆議院運輸委員長
1968年
次代
砂原格