星野行男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

星野 行男(ほしの ゆきお、1932年2月22日 - 2014年4月10日)は、日本弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、民主党元衆議院議員中塚一宏

経歴[編集]

新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年中央大学法学部卒業

1962年司法試験に30歳で合格。1965年司法修習17期修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会入会。

1975年、小千谷市長就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会退会。

1989年保守系無所属新人候補の政策集団自由連合旗揚げ参加、1990年第39回衆議院議員総選挙新潟3区自由民主党経世会から出馬し、初当選。1993年改革フォーラム21の同志と宮澤改造内閣不信任案賛成して、自民党を集団離党し、新生党結成、第40回衆議院議員総選挙で2回目の当選。1994年羽田内閣運輸政務次官就任、新進党結党参加。

1996年10月、第41回衆議院議員総選挙新潟5区にて、師田中角栄の娘である田中真紀子と対決するも敗北し落選。同年11月、弁護士活動再開(新潟弁護士会所属)。1998年第18回参議院議員通常選挙新潟県選挙区から民主党公認で出馬し、同じく衆院からの鞍替え目指す田中直紀の後塵を拝し落選。

2000年第42回衆議院議員総選挙直前に不出馬を表明。2002年4月、勲三等旭日中綬章受章。同年10月、田中真紀子の議員辞職に伴う第42回衆議院議員補欠選挙に無所属で出馬し当選。後に自民党に復党した。2003年1月、自民党新潟県第五選挙区支部長就任。同年8月、第1次小泉内閣第2次改造内閣法務副大臣に就任。同年の第43回衆議院議員総選挙で落選した。

2014年4月10日午前2時17分、膵臓癌のため小千谷総合病院にて死去[1]。82歳没。

主な著書[編集]

  • 『雪国からの提案 新しい時代を開く』
  • 『やればできる』

脚注[編集]

  1. ^ 元衆院議員の星野行男氏が死去 Archived 2014年4月13日, at the Wayback Machine. 新潟日報 2014年4月10日
公職
先代:
増田敏男
日本の旗 法務副大臣
第4代:2002 - 2003
次代:
実川幸夫