久間章生

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日本の旗 日本の政治家
久間 章生
きゅうま ふみお
Fumio Kyuma in Pentagon.jpg
生年月日 1940年12月4日(75歳)
出生地 日本の旗 日本 長崎県南高来郡加津佐町
(現・南島原市
出身校 東京大学法学部卒業
前職 長崎県庁農林部職員
所属政党 自由民主党
称号 法学士(東京大学・1964年
旭日大綬章

日本の旗 初代 防衛大臣
内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2007年1月9日 - 2007年7月4日

日本の旗 第73代 防衛庁長官
内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年1月8日

日本の旗 第59代 防衛庁長官
内閣 第2次橋本内閣
第2次橋本改造内閣
在任期間 1996年11月7日 - 1998年7月30日

選挙区 旧長崎1区→)
長崎2区
当選回数 9回
在任期間 1980年 - 2009年7月21日

当選回数 3回
在任期間 1971年4月 - 1980年9月
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久間 章生(きゅうま ふみお、1940年12月4日 - )は、日本の元政治家、元農林官僚

長崎県議会議員(3期)、衆議院議員(9期)、防衛庁長官(第5973代)、防衛大臣初代)などを歴任した。

概説[編集]

長崎県南高来郡加津佐町(現・南島原市)の農家に生まれる。両親は教育者(父は高校教員、母は中学教員)。

長崎県立口加高等学校東京大学法学部卒業後、農林省に入省。農林省退職後に長崎県庁に入庁し[1]長崎県議会議員を経て、1980年に衆議院議員に初当選。第2次橋本内閣防衛庁長官として初入閣。

小泉政権時代、同じ橋本派野中広務綿貫民輔らが反小泉の姿勢を採る中、額賀福志郎らと共に、親小泉の姿勢を見せていた参議院の実力者・青木幹雄と共同歩調をとり、衆院橋本派の大幹部となった。2002年6月に鈴木宗男事件が発生して衆議院本会議鈴木宗男議員辞職勧告決議が採決された時は、起立採決の際に出席議員で唯一着席したままで、反対票の意思表示を示した[2]。小泉政権下では、2003年に自由民主党幹事長代理、2004年〜2006年に自由民主党総務会長に起用される。2005年郵政国会では6月28日自由民主党総務会における郵政民営化法案の決議においては、総務会長として議事を担当し、全会一致の慣例を破る形で多数決で採決させ党議拘束の理由を作った。

2006年9月26日、第1次安倍内閣で再び防衛庁長官として再入閣。その後、2007年1月9日に防衛庁が防衛省に昇格したのに伴い、初代防衛大臣となったが、2007年6月30日に開かれた講演会での原爆投下をめぐる発言で、被爆者団体を筆頭に被爆者や遺族などから問題視され、同年7月3日、この発言の責任を取る形で大臣の座を追われた。その後もマスコミによる批判報道や、反核平和団体や、被爆者団体などからの反発や、抗議活動が続き、同年8月9日に長崎で行われた平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況に追い込まれた。(→後述を参照)

頭は切れるという評判がある。郵政国会下では総務会長権限による多数決採決という強権発動による党議拘束の理由作りで、郵政解散小泉劇場の下地を整えた。山田洋行事件防衛事務次官守屋武昌証人喚問において「接待の場に久間氏と額賀氏が同席」と答弁した際、自らは外遊の予定を直前でキャンセルして「解離性大動脈瘤」の大手術として病院に入院して証人喚問を受けにくくする一方で現役閣僚で身動きが取れなかった額賀のみに嫌疑の批判を大きく集中する構図となり相対的に自身への嫌疑を少なくさせた[要出典]

士志の会に属し、同会を構成する麻生太郎の後見人的立場にある。

略歴[編集]

第1次安倍内閣防衛庁長官当時の久間章生。日本で最後の防衛庁長官であり、なおかつ、初代の防衛大臣も務めた。

趣味[編集]

久間の揮毫を基にした防衛省の銘板

関係する団体[編集]

政治姿勢[編集]

イラク戦争[編集]

2006年12月8日真珠湾奇襲の日)の午前の記者会見で、前日(12月7日)の参院外交防衛委員会において「小泉純一郎前首相がイラク戦争を支持したのは非公式」とした自らの発言について「不勉強で間違いだった」と訂正し、撤回した。内閣総理大臣(当時)小泉は開戦時に緊急記者会見して「武力行使を理解し、支持する」と表明、首相談話も閣議決定していた。なお、上記の訂正記者会見においても、久間自身はイラク戦争を支持しないことを明言している。防衛庁長官を2回務めた政治家であるが、イラク戦争についてはハト派的な外交防衛認識の持ち主であった。

2007年1月25日には、「日本記者クラブ」における会見で「イラク大量破壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュ大統領の判断は間違いだった」と述べた。イラク戦争を支持している第1次安倍内閣において、久間の発言は閣内不一致であるとの批判がなされたが、内閣官房長官塩崎恭久は「久間氏の個人的な、閣僚としてではなくいち政治家としての意見であり、閣内不一致ではない」と強調した。政権側は大統領批判ではないと釈明した。1月29日午後衆議院本会議において、民主党の松本剛明にこの点を追及された久間は「(開戦)当時、閣外にあって感じた感想として述べたもので、防衛相としては(米国支持の)政府の立場を支持している」と釈明した。

同年2月22日の衆議院安全保障委員会では、「閣僚は他国にどういう形で伝わるかも計算した上で言わなくてはならない。(ブッシュ大統領の)教書演説が発表された日に、そう言ったこと自体が配慮に欠けていた。反省している」と答弁した。この発言については米国から日米同盟を損なうという抗議が来たほか、米国務省日本部長のジェームス・ズムワルトは「大統領を批判するような発言が繰り返されれば、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の日程設定が困難になりかねない」と批判。米国は日米安全保障協議委員会の開催に当分応じない見込みと報じられた。軍事ジャーナリスト神浦元彰外務省が米国の意向を先回りして、そのように伝えたのではないかとする説を出した[5]

一方で、「既に明らかになりブッシュ大統領も認めているが、開戦の大義であった大量破壊兵器はイラクには存在しなかった。(それなのにイラク戦争を批判したところで)そのことで米側から抗議を受けるものだとはとても思えない」などの反論もある[6]。自民党内では、加藤紘一が久間を擁護し、「なぜ批判を受けなければならないのか。(イラク戦争開戦の誤りは)世界の常識だ」と政府側に詰め寄ったという[7]

沖縄米軍基地[編集]

イラク戦争については米国を批判したが、他方在日米軍については、米国に協力的であった。しかし2007年に入り、「アメリカは沖縄の人々の気持ちを理解してくれていない」と米国の意に反する発言をしたため、来日したチェイニー副大統領との会談を拒否される事態となった。チェイニーは自衛隊の最高責任者である久間を無視して、自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談した。

2006年10月、沖縄県米軍嘉手納基地に、米軍がパトリオット地対空ミサイルシステム (PAC-3) 配備を強行した。久間は11月7日の衆議院安全保障委員会の答弁で「今北朝鮮ミサイルの実験をやった、核実験をやった、そういう中で、パトリオットをせめて沖縄に配備しておかなければいかぬ(中略)我々としては素直に、これは、日本の防衛の中で手薄である沖縄については、せめて嘉手納を、自分の基地があるわけだから、そこについてはアメリカが責任を持って防御しましょうということでまずやってくれたということは、私は歓迎すべきことじゃないかなと思う」と述べた。沖縄では基地機能の強化・新たな負担増・格好の軍事標的にされるなどの理由で反対が強く、久間の発言は反発を受けた。

11月19日投開票された沖縄県知事選では、与党推薦の仲井眞弘多が米軍普天間基地の県内移設に反対する糸数慶子を破り当選した。共同通信によると、久間は11月23日長崎市内で開かれた自民党議員らの会合で、もしも糸数が当選していた場合、「法律を作ってでも、一方的に県知事の(公有水面の)使用権限を国に移してでも、やらなければいけないと考えていた。もし負けたら、力尽くでもこっちはやるんだという腹を持っていた」と述べた。基地移設には埋め立てが必要で、そのためには公有水面埋立法に基づき知事の許可が必要である。移設反対派が勝った場合、強硬手段によって(『読売新聞11月24日号によると、特別措置法を制定し、知事の許認可権を政府に移す予定であった)ことを進める方針だったのである。

2007年1月27日、長崎県諫早市での講演で普天間飛行場移設問題に触れ、「私は米国に『あんまり偉そうにいってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ』といっている」と発言した。さらに、アメリカが推進する沿岸案実現には沖縄県知事の公有水面埋立許可が必要であることを念頭に置いてか、「米国は『政府同士が決めたのだから、それでやったらいいじゃないか』というが、日本はけっこう地方分権になっている」、「仲井眞弘多沖縄県知事の意見も聞き入れながらやっていかなければならないが、米国は根回しがわからない」と発言した[8]塩崎恭久内閣官房長官はこの発言について「問題があれば注意する」と述べた。米国側は「当方も海兵隊を説得するのが大変だった。話し合って合意した政府間の取り決めは守ってくれねば困る」と不快感を表明している。

外交官で、政府批判を行う作家としても知られる天木直人は、久間の頭越しに自衛官幹部との接触を表明したチェイニー及び米国の対応はシビリアンコントロールに反しており、外務省はこのような日程を断じて認めてはならないと自身のブログで批判した[9]。しかし、訪日したチェイニーは、当初の予定通り自衛官幹部のみと懇談した。

報道[編集]

暴力団組長らと記念撮影

防衛庁長官だった1997年10月に防衛庁の長官執務室で暴力団組長らと記念撮影をしていたことが関係者の話などで2001年に発覚した。写真は写真週刊誌「フライデー」の2001年6月22日号に掲載されており、「国務大臣 防衛庁長官久間章生」の札が置かれた机に向かって座る久間と、囲むようにして立つ男性4人が写っていた。同誌は「暴力団組長と記念写真」の見出しで、広域暴力団関係者や右翼団体幹部が写っていると紹介した[10]

防衛専門商社による接待

2007年11月15日、防衛官僚の収賄疑惑にかかる参議院証人喚問において、前防衛事務次官守屋武昌から、自衛隊次期輸送機エンジン納入を巡って、山田洋行元専務からの高級料亭接待の席に久間と元防衛庁長官の額賀福志郎が同席していたとの証言があった(山田洋行事件)。[要出典]

ダイヤモンド返還訴訟

2014年1月29日、東京地方裁判所は「久間が知人女性から預かっていたダイヤモンドを、未だ返還していない」として購入価格とほぼ同等の3700万円を女性に支払うよう命じた。判決によれば、この知人女性は平成18年9月末ごろに東京永田町の久間事務所に於いて、3800万円で購入していた約20カラットのダイヤを1つ久間に預けたとしている。これに対し久間は、「ダイヤの預かり証なども存在しておらず、ダイヤを預かったのは自分ではなく女性から仲介を依頼されて売却先として紹介した男性だ」と反論していた[11]

政治資金[編集]

2007年3月7日参議院予算委員会での参議院議員井上哲士日本共産党)の質問により、久間が医療法人から違法献金を受け取っている疑惑が発覚した[12][13][14]

日本共産党・厚生労働省政治資金収支報告書などによると、久間が代表の自由民主党長崎県第二選挙区支部は、2004年11月に8500万円超の補助金交付決定を受けた医療法人から、2004年11月〜2005年10月に政治献金を受け取っていた。政治資金規正法第22条の3には「国から補助金(中略)を受けた会社その他の法人は、当該給付金の交付の決定の通知を受けた日から同日後一年を経過する日(中略)までの間、政治活動に関する寄附をしてはならない」との規定があり、上記献金がこの規定に違反すると指摘されている。

2007年3月7日の参議院予算委員会にて、久間は医療法人が補助金を受けている事実を知らなかったとし、「(政治資金規正法の)制度については存じている」「(献金を受けていることは)事実であります」「もし(当該医療法人が国からの)補助金を受けているとすれば(自分が受け取った政治献金は)返還しなければならない」と答弁し、返金を検討することを明らかにした。

支援団体[編集]

2014年8月2日、久間が代表を務めるNPO法人「東日本大震災原子力災害等被災者支援協会」が東京電力福島第一原発事故の賠償金支払い制度を利用し、風評被害を受けたとの偽証を行い賠償金を詐取したとして、同法人の元幹部らが逮捕された(東京電力賠償金詐取事件)。警視庁組織犯罪対策3課によると、同NPO法人の元幹部4人は2012年4~5月にかけ、容疑者の一人が役員を務める郡山市内の会社が原発事故により人材派遣業の売り上げを減少させたとする虚偽の申請を行って、東電に損害賠償を請求し約1200万円をだまし取ったとしている[15]

発言[編集]

「私でも沖縄を真っ先に占領」発言

2006年12月7日の参議院外交防衛委員会で、「私はやっぱり、あそこ(沖縄)は拠点として真っ先に占領したと思う」と述べた。自らがアメリカの立場になったと仮定した上で太平洋の要石と呼ばれるほど地政学的重要的位置づけである沖縄基地の重要性を指摘した発言であったが、元ひめゆり学徒隊の沖縄県民らは「他人事のような発言。沖縄戦でかつて捨て石にされた沖縄が、また切り捨てられたようだ」と反発した[16]

長崎市長射殺事件に関連しての発言

2007年4月17日に発生した長崎市長射殺事件に際し、心肺停止状態であった伊藤一長市長について「万が一のことも考えないといけない」と発言。「投票日3日前を過ぎたら補充がきかず、共産党と一騎打ちだと共産党(推薦)の候補者が当選することになる。法律はそういうことを想定していない」と公職選挙法における補充立候補の不備を指摘した[17][18]。この発言に対しては塩崎恭久官房長官が不適切との認識を示したほか、志位和夫共産党委員長小沢一郎民主党代表野党も批判を示した[17][19]

「原爆しょうがない」発言[編集]

2007年6月30日に行われた講演会で行い、被爆者団体などが猛反発し、久間が当時務めていた防衛大臣の座を追われた発言。

日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

2007年6月30日麗澤大学比較文明文化研究センター(千葉県柏市)主催の講演会で、アメリカの原爆投下の意図について、日本を降伏させ、ソ連の参戦を食い止める為との見解を示した。その上で、「原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っている」「国際情勢や戦後の占領を考えると、そういうことも選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと」と述べた[20]。一方、「勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしている」として、原爆投下への遺憾の意も改めて示している。

久間は7月1日のフジテレビ「報道2001」で、「原爆しょうがない」発言に対する批判や責任を問う声について、「そんなような内容(の発言)ではない」、「訂正する必要はない。誤解を与えたところがあれば、そこは丁寧に説明しなければいけない」と述べて、強気の姿勢を貫き、撤回・訂正はしない考えを明らかにしていたが、その後中川秀直幹事長公明党からも批判を受けたため、同日の記者会見で「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった」と陳謝して発言を事実上撤回[21]し、かつ、毎年8月9日に行われる長崎の平和記念式典に参列する意向を示していた[21]

ところが、原爆投下の歴史認識を巡る発言に関して、首相の安倍晋三から厳重注意を受けた。当初、安倍の意向から辞任はしないとしていたが、被爆者団体、反核平和団体などからの激しい抗議を受けて、結果的に7月3日、防衛大臣の座を辞職という形で追われることになり、毎年参加していた8月の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を欠席せざるを得ない状況へ追い込まれた。

前述の発言により、被爆者団体などから猛反発を受けたほか、秋葉忠利広島市長が発言の撤回と広島・長崎訪問による被害の直視を求める抗議声明を出した[22]

長崎市では7月2日市議会が久間の発言に抗議する意見書を自民党会派も含め全会一致の賛成で可決した上で[23]田上富久市長は、市議会の議長とともに7月3日に上京し、安倍首相と久間サイドへ抗議した(参考[24]。その翌日には、長崎県議会でも発言に対する抗議決議が全会一致で可決[25]され、金子原二郎長崎県知事も「二度とこのような発言を繰り返さないようにしてほしい」と釘を刺した[25]

また、日本原水爆被害者団体協議会[26]連合長崎[27]、それに長崎県原水禁[28]などもそれぞれ久間発言を批判[29]して、抗議の意を表明するため長崎市の平和公園[30]での座り込みや、抗議文[28]あるいは声明文[31]の送付を行うなどの抗議活動を繰り広げた。

一方、本島等元長崎市長は、1975年10月に昭和天皇が広島への原爆投下について「遺憾に思っているが、やむを得なかった」と久間の発言に近い事を述べたのを紹介し、「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と抗議活動を展開する被爆者団体に苦言を呈した。[いつ?]但し、本島の「仕方なかった」というのは、残虐な侵略行為をした日本人が相応の報いを受けた罰である、という意味での「仕方ない」であり、久間や昭和天皇の意図とは微妙に違う。産経新聞は、本島等元長崎市長の発言にみられるような原爆は仕方なかったという考えの原点は、原爆死没者慰霊碑の碑文にあるとして、これをありがたがる人たちに、久間の発言を非難する資格はないと断じた[32]。なお、産経新聞は、広島市長平和宣言の内容を毎年批判している(産経新聞の報道#議論を呼んだ報道を参照)。

民主党[20]日本共産党[20]国民新党[20]は久間の発言を一斉に批判した。

7月3日午前、久間は自身の進退について「辞任の必要はない」と強気の姿勢を見せていたが、午後、一転して「選挙で与党に迷惑が掛かる」として辞任した[33][34]。安倍は慰留せず[34]、その場で辞任の申し出を了承した。

久間は辞任後の記者会見でも、「原爆が日本を全面降伏に導いたのは事実」との主張を続け、「九州弁でしょうがないというのが口癖で、すぐに出るんですよ」と釈明したが、方言研究をしている九州の大学教授や島根大学の田籠博教授は、九州方言として多用するのは聞いたことがないと疑問視、長崎市平和推進室は同じく疑問視した上でこの釈明を認めていない[35]。また、広島市長の秋葉忠利や、長崎原爆被災者協議会の事務局長はそれぞれ、久間が防衛大臣の辞任は当然のこととした上で、日本政府や自民党の原爆に対する認識や姿勢の問題[36][37]と批判し、さらに、久間の歴史認識に疑問を呈している者[37]もいる。

この辞任について、当然であるとする意見[37][38]や、選挙対策であるとする意見[37][38]がある一方で、残念がる意見[38]もあった。

大臣の座を追われた後も、久間に対して議員辞職を求める抗議活動[39] は続き、議員辞職を求める文言とともに公開質問状が被爆者団体から送付される[40][41]など対応に追われた。

この騒動の直後に行われた第21回参議院議員通常選挙(長崎県選挙区)では、自民党は久間が主導となり、国見高校サッカー部元監督として有名な小嶺忠敏を擁立して必勝を期したが、民主党の大久保潔重に敗れた。

また、文藝春秋平成21年6月18日号では、久間にとっては義母に当たる妻の母が一連の久間発言に抗議するため、8月9日の長崎原爆祈念日に自殺した[42]と報じられている。

歴史認識に対する評価[編集]

久間の原爆投下に関する歴史認識に関して、秦郁彦日本大学講師(現代史)が「米国の原爆投下がソ連の参戦を食い止めるためだった側面があるとの指摘は、歴史的事実とは違う。ソ連は長崎への原爆投下と同じ日に参戦しているし、終戦後も北海道を占領しようとして米国に拒否された。何かの思い違いがあるのでは」と指摘している[43](参考:ヤルタ会談)。

長崎大学学長の土山秀夫は、久間の発言について、極めて不見識であり論外であると非難した上で、久間のイラク戦争に対する批判を引き合いに出して、「アメリカへのポイント稼ぎ」と皮肉ったコメントをしている[43]

現代史家の保阪正康は、原爆の投下と終戦に関連性はなく、久間の発言は、アメリカの原爆投下正当化論と一体化しつつ、そこに史実無視の姿勢をつけ加えたものであると批判している。保阪は、日本国民は、「投下された側の反論」として、当時の日本の軍事指導層を中心とする抗戦派を強く批判しつつ、投下した側の一方的解釈を徹底して排除すべきだと主張している[44]

家族[編集]

  • 妻と二男二女

脚注[編集]

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  1. ^ 防衛庁長官内閣官房内閣広報室
  2. ^ 綿貫民輔衆議院議長が「起立総員」と宣言したことにより、議事録上は全会一致として扱われている。
  3. ^ 「パチンコ・チェーンストア協会」(PCSA) 理事・会員リスト”. 2007年7月23日閲覧。
  4. ^ 農畜産工業雇用推進機構・役員構成”. 2012年6月15日閲覧。
  5. ^ J-rcom 日本軍事情報センター:「読売記者に機密漏洩」の節”. 2007年7月23日閲覧。
  6. ^ 沖縄タイムス社説 2007.1.29日付朝刊
  7. ^ 久間防衛相:普天間巡る「反米的発言」が波紋広げる(『毎日新聞』 2007年2月1日付)
  8. ^ 第166回国会 衆議院 安全保障委員会 2号(平成19年(2007年)2月22日)” (2007年2月22日). 2007年7月23日閲覧。
  9. ^ チェイニー副大統領の訪日報道から目を話してはならない」(天木直人のブログ)” (2007年2月18日). 2007年7月23日閲覧。
  10. ^ 毎日新聞2001年6月7日
  11. ^ 「久間元防衛相に3700万円賠償命令 ダイヤモンド返還訴訟」産経ニュース2014.1.29 21:40  url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140129/trl14012921420006-n1.htm
  12. ^ (Windows Media) 「参議院インターネット審議中継」参議院、2007年。 (ストリーミング). (2007年). http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=6496&on=1173377104&si=b52c06c4b438f40ef603b 2007年7月23日閲覧。 
  13. ^ 「補助金受けた法人首相ら4人に献金」『日本経済新聞日本経済新聞社、2007年3月8日、43面。
  14. ^ 「自民支部に違法献金か共産指摘安倍・久間氏ら代表」『朝日新聞』43428号、朝日新聞社東京本社、2007年3月8日、39面。
  15. ^ 「久間氏代表の団体、東電賠償巡り詐取容疑 元幹部ら逮捕」朝日デジタル2014.8.2 14:00  url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140802-00000023-asahi-soci
  16. ^ 沖縄タイムス』 2006年12月8日
  17. ^ a b “「不謹慎だが感じた」防衛相、重ねて選挙制度の問題言及”. 朝日新聞. (2007年4月18日). http://www.asahi.com/special/070417a/TKY200704180101.html 2010年10月26日閲覧。 
  18. ^ “期限付き補充立候補、選挙直前できず…公選法の不備が浮上”. 読売新聞. (2007年4月18日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local2007/news/20070418i204.htm 2010年10月26日閲覧。 
  19. ^ “久間防衛相、長崎市長銃撃事件で失言”. AFP通信. (2007年4月18日). http://www.afpbb.com/article/politics/2212983/1522052 2010年10月26日閲覧。 
  20. ^ a b c d 久間氏「原爆投下しょうがない」 ソ連参戦阻止と見解” (2007年7月1日). 2009年12月30日閲覧。
  21. ^ a b 原爆投下「しょうがない」発言 久間氏が陳謝、撤回” (2007年7月2日). 2009年12月30日閲覧。
  22. ^ 広島市/久間防衛大臣の発言に対するコメント(2007.6.30)” (2007年6月30日). 2011年8月6日閲覧。
  23. ^ 「発言撤回」で着地 長崎市議会が意見書可決” (2007年7月3日). 2009年12月30日閲覧。
  24. ^ 「田上市長ら直接抗議 久間氏「迷惑掛けた」” (2007年7月3日). 2009年12月30日閲覧。
  25. ^ a b 県議会も抗議決議” (2007年7月4日). 2012年8月28日閲覧。
  26. ^ 「あまりに非常識」原水協被団協 久間氏原爆容認発言” (2007年7月1日). 2009年12月30日閲覧。
  27. ^ 連合長崎なども抗議” (2007年7月1日). 2009年12月30日閲覧。
  28. ^ a b 「被爆者ないがしろに」原水禁” (2007年7月2日). 2009年12月30日閲覧。
  29. ^ 「無意味で犯罪的」と大江氏 久間氏原爆容認発言” (2007年7月1日). 2009年12月30日閲覧。
  30. ^ 被爆者ら抗議の座り込み 久間氏発言、批判さらに広がる” (2007年7月3日). 2009年12月30日閲覧。
  31. ^ 共産党県委など辞任求める声明” (2007年7月3日). 2012年8月28日閲覧。
  32. ^ 2007年7月2日付 産経抄(産経新聞)
  33. ^ 無念のぞかせ釈明 久間防衛相辞任” (2007年7月4日). 2012年8月28日閲覧。
  34. ^ a b 久間防衛相が辞任 原爆「しょうがない」発言で引責” (2007年7月4日). 2012年8月28日閲覧。
  35. ^ 「しょうがない」は「九州弁」 久間氏のトンデモ弁明(J-CASTニュース)” (2007年7月4日). 2007年7月23日閲覧。
  36. ^ 2007年7月3日記者会見「久間防衛大臣の発言に関して」” (2007年7月3日). 2011年8月7日閲覧。
  37. ^ a b c d 「当然」「選挙対策だ」 被爆地の怒り収まらず” (2007年7月4日). 2009-12-30 日閲覧。
  38. ^ a b c 無念のぞかせ釈明 久間防衛相辞任” (2007年7月4日). 2012年8月28日閲覧。
  39. ^ 久間氏は議員辞職を 長崎県原水協が抗議デモ” (2007年7月6日). 2009年12月30日閲覧。
  40. ^ 久間氏に公開質問状 原爆発言で被爆者5団体” (2007年7月11日). 2009年12月30日閲覧。
  41. ^ 質問状に対して、回答 をしたものの被爆者団体は納得していない。(出典:久間氏が「しょうがない」発言質問に回答 被爆者団体「憤り」” (2007年8月3日). 2012年8月28日閲覧。
  42. ^ 久間元防衛相義母は原爆記念日に死を選んだ” (2009年6月18日). 2014年8月2日閲覧。
  43. ^ a b 「論外」「許されない」 久間氏原爆容認発言で被爆地に怒りと失望” (2007年7月1日). 2012年8月28日閲覧。
  44. ^ 長崎新聞 寄稿 原爆は戦争を終わらせたか <上>” (2007年8月3日). 2010年5月4日閲覧。

関連人物[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
尾身幸次
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1995年 - 1996年
次代:
額賀福志郎
先代:
亀井善之
日本の旗 衆議院運輸委員長
1991年 - 1993年
次代:
森田一
公職
先代:
防衛庁から移行
日本の旗 防衛大臣
初代:2007年
次代:
小池百合子
先代:
臼井日出男
額賀福志郎
日本の旗 防衛庁長官
第59代:1996年 - 1998年
第73代:2006年 - 2007年
次代:
額賀福志郎
防衛省へ移行
党職
先代:
堀内光雄
自由民主党総務会長
第44代 : 2004年 - 2006年
次代:
丹羽雄哉