中嶋太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中嶋 太郎(なかしま たろう、1888年明治21年)8月19日[1] - 1973年昭和48年)3月16日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)、諫早市長

経歴[編集]

長崎県出身。1914年早稲田大学専門部政治経済科卒[2]コロンビア大学大学院に留学し[2]、記者として二六新聞社などで勤務する[2]。その後、1947年、諫早市長選挙に立候補して当選。初代公選市長となった。市長在任中は市立中学の開校、市役所機構の再編、自治体警察の設置、諫早球場の開場など市制改革に追われた[1]1951年に再選。翌1952年に退任し、第25回衆議院議員総選挙において長崎1区から改進党で立候補したが落選。翌1953年第26回衆議院議員総選挙で当選した。2期目は日本民主党から立候補して再選。1958年第28回衆議院議員総選挙では自由民主党から立候補したが落選して、政界を引退した。

著作[編集]

翻訳
  • 蔡元培『支那倫理学史』支那文化史大系:第9、大東出版社、1941年[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『日本の歴代市長』第3巻、575頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』445頁。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』445頁。書名は『中国倫理学史』と記載されている。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


公職
先代
池松林一
長崎県旧諫早市長
1947年 - 1952年
次代
野村儀平