報道

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報道(ほうどう、: Report)とは、ニュース・出来事・事件事故などを取材し、記事・番組・を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。

報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも呼ばれる。

ジャーナリズム(英:Journalism)とは、日本以外において報道姿勢、報道活動、報道機関やその業界のことを総括した意味をもつ言葉である。

報道における取材(しゅざい)とは、報道対象の事実を確認する行為で、報道機関は原則として所属する記者の取材に基づく記事を報道するが、国外など遠隔地で発生した出来事は、通信社などの配信する記事によって報道する場合もある。この場合、記事の頭に「○日ニューヨーク共同」のような形でクレジットが入る。

スポーツ新聞や地方紙では国内ニュースも通信社の配信記事に頼る場合がほとんどで、全国紙でも場合によっては国内ニュースも通信社の配信を受けることがある。この場合、国外記事と異なり、ほとんどクレジットは入らない(「日本におけるクレジット表記の不在」参照)。

報道の原則[編集]

報道は表現の自由に基づく、報道の自由知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。

報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。

よく、報道関係者が「真実を伝える」と発言することがあるが、これは原理的に誤りである。 なぜなら、ねつ造しない限り、事実はあくまで事実である。 だが、情報の送り手が真実を判断して、情報の受け手に伝えるということは、その時点で、情報の送り手側が事実に対して何らかの判断を下している可能性がある。 しかし、送り手側がどのような判断を行っているかを情報の受け手側は知りえない以上、この時点で原理的に報道の中立公正さが崩れているからである。 「報道は、事実をありのままに伝えること(事実を曲げないこと)」と言われるのは、この為である。

一方で日本における客観報道の定義は曖昧であり、客観報道そのものに疑問を呈する意見もある。客観報道の定義は人によって千差万別で、定まった合意がないからである。記者クラブが持つ問題点と併せ日本の報道機関の偏向報道体質はよく批判され、客観報道は空想でしかないとの意見もみられる。[1]

報道の原理[編集]

報道機関は、事件や事故といった事象に対し、報道する価値が「ある」「ない」といったふるい分けを行い、価値があると判断した事象を報道する。[2]。判断する基準についてニクラス・ルーマンによれば

「驚き」「新奇さ」「断絶」「非連続」などの特性を備えており、広く報じる価値がある情報となる。そして、「驚き」などの判断基準はそのときどきの社会の状況によって異なるため、「同じような事件であっても、昔は報道されなかった(情報価値がなかった)のに、今では報道される(情報価値が生まれた)」といったことが、普通に起こりうる。[3]

ここから報道に対する指摘の一つとして、「報道に「社会的責任」や「中立性」、「正義」などの「あるべき論」を求めるのは、そもそも間違っている」という考えが生まれる(ルーマン)[3]。報道は、社会的責任などの規範とは別次元の基準で情報を峻別し、多くの人が求めるものを報じる仕組みとなっている。そこへ外部から規範を基準として入れ込もうとしても機能するわけがない、ということである[3]

報道の問題点[編集]

報道と中立性[編集]

事実をありのまま述べるのではなく、報道各社の主観を組み入れて構成しなおしたり、自己の政治的なイデオロギーを優先させるため、公平とは言いがたい意図的な編集が行われている。(これに関しては偏向報道を参照)。
  • 三菱ふそうリコール隠しや三菱リコール隠しで、車両火災事故については全国で毎年6,000~8,000台発生し、1日平均20台以上は事故に遭遇しているにも関わらず、あえて三菱車の車両火災ばかりを特定した報道がおこなわれた(これに関しては偏向報道を参照)。

政府や政治家、スポンサー、広告代理店芸能事務所、その他の圧力団体の影響を受けることがあるとされる。

事実と意見の混在に問題がある。

ワイドショー化したニュース・報道番組ではストレートニュースと異なり、キャスター・アンカーマンが個人的意見を述べる。あるいは同席した評論家コメンテーターなどのタレント文化人に意見を求めるという形で(作り手の主張を)代弁させる事が多い。これについて、例えば、ニュース専門であるCNNでは、コメンテーターなどの主観的意見を使う場合は、トークライブ、あるいはコメンテーター個人の討論コーナーなどの形で、局名義のストレートニュースとは明確に別の枠で構成している。

ステレオタイプな報道、否定的なレッテル貼りも問題である(肩書報道については後述)。

例えば、「大阪(関西)人」「高齢者(高齢化)問題」「~系」「ニート」「負け組」「落ちこぼれ」などである。それらのために、国民の間に偏見、差別意識や敵対的な感情等を芽生えさせたり、いじめを助長しかねないような、弊害も生まれている。

この他、特に趣味専門誌の場合、情報・素材の入手の利便性や提供を受ける誌面素材の量の多さ、広告出稿などの兼ね合い、イベントや各種コンテンツへの共催・後援・出資など、出版社・編集部が取材対象とする業界と密接な利害関係を共有していることも多く見られる。この場合、マスコミとして取材対象としている業界やその関係者との距離感・緊張感を保つことも困難であり、結果として宣伝用の提灯記事が並ぶなど、報道の中立性・公平性・自立性を維持する事が事実上不可能であることも多い。

報道と正確性[編集]

誤報やらせ虚偽報道の問題がある。表現の自主規制報道におけるタブーも問題である。記者ニュースキャスターの他、評論家コメンテーターなどのタレント文化人に関する問題もある。報道番組の「ワイドショー化」である。

一方で、発表報道に対する批判もある。調査報道が推奨されるが、バッシング報道になりがちである。

報道と過剰性[編集]

中立かつ正確であっても、やりすぎは問題である。例えば過剰に詳細な報道は、模倣犯を生み出す。動機や手口までもが詳細に報じられることにより、犯罪や連鎖自殺を誘発する。

過度の実名報道は、プライバシーの侵害や報道被害人権侵害につながるとされる。また少年法のように法的に規制されている物もある。

過剰な取材も問題である。取材マナーやモラル、メディアスクラムの問題がある。パパラッチがその例である。

報道番組の過剰演出の問題がある。取材映像にBGMや効果音、あるいはなぞりテロップやナレーションを付加する事により必要以上に演出される。

報道機関と責任[編集]

日本の報道機関は閉鎖的である。記者クラブの問題もある。

報道機関は報道の自由や表現の自由を熱心に主張するが、それに伴う義務や責任については消極的である。 新聞、TV局も一民間企業であり、スポンサーとなる企業群がいるため中立な報道はそもそも容易ではない面がある。

報道を受けるにあたって求められる姿勢[編集]

メディア・リテラシーを身に付ける必要がある(自分が気に入る報道・論調ばかりに目を向けて、それに反するものを「ほれ、偏向だ、捏造だ」と非難するものではない)。

ジャーナリズム[編集]

ニュースを収集し、選択、分析、を世論形成や定期性などの諸要素が加えて、責務である論評して解説を、継統的かつ定期的に流布する過程及び一回かぎりの行為であってもジャーナリズムである。

新聞定期刊行物は、しばしばジャーナリストによって書かれた特集記事を含む。特集記事を書くジャーナリストはその分野のスペシャリストでなければならない。しかしながら、「●●に詳しいジャーナリスト」などと自称する者もいるが、そのように自称する者が本当にその分野に精通しているのか否かに関しては、クリティカルシンキングをする必要がある。具体的には、「環境問題原子力問題に詳しいジャーナリスト」などと自称している人物が、本当に原子力工学など理工系の素養が要求されるような分野に精通しているのか否かなどは、ジャーナリストの自称を鵜呑みにしないで疑う必要がある。

世界のジャーナリズム[編集]

世界のジャーナリズムを見る際に、まず浮かぶのはベトナム戦争時の報道である。当初、アメリカの報道機関はベトナム戦争を支持していた。しかしダニエル・エルズバーグとアンソニー・ルッソがニューヨーク・タイムズの記者ニール・シーハンにペンタゴン・ペーパーズを渡すなど、さまざまな反戦的報道で、全米の世論は大きく変化する。ニューヨーク・タイムズが記事を掲載すると、当時の大統領リチャード・ニクソンは司法省に命じて、記事差し止め命令を求め連邦地方裁判所に提訴した。裁判は一審で訴えを却下。控訴審のワシントン連邦高等裁判所で訴えは認められたが、その後連邦最高裁判所での上告審では「政府は証明責任を果たしていない」という理由で却下された。また近年では、ウィキリークスがガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、シュピーゲルなどとは情報を共有し連携したが、日本の新聞社は朝日も含め信用されず相手にもされなかったという件もあった。東大などの有名大学を出た記者や在校生が、これらの出来事に象徴されるような世界のジャーナリズムに目を開かず、国内の事件や学問研究に埋没し、ネット上の著名人の意見を鵜呑みにしていては、日本のジャーナリズムの発展には期待できないと言えるだろう。

脚注[編集]

  1. ^ 中正樹『「客観報道」とは何か 戦後ジャーナリズム研究と客観報道論争 』新泉社、2006年4月、ISBN 4787706012、のほか類書もある。
  2. ^ 武田徹「(ほぼ)全員有罪」の社会システムが稼働した」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月3日付配信
  3. ^ a b c 武田徹「不安モードで暴走するのはマスメディア・システムの宿命か」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月17日付配信

関連項目[編集]