人間革命

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人間革命(にんげんかくめい)は、宗教団体創価学会第2代会長戸田城聖によって唱えられた、同会における中心的な思想の一つ、またはこの思想をテーマとして、創価学会の歴史と戸田の生涯を描いた長編小説の題名。

『人間革命』は創価学会の教学上重要な文献とされる[1]。1977年1月の第9回教学部大会での講演「仏教史観を語る」で、第3代会長池田大作は自らの『人間革命』を日蓮遺文を集めた御書(創価学会が刊行している「新編 日蓮大聖人御書全集」をさす)に匹敵する書物として位置付けた[2]。創価学会で教学部に任用され「講師」となろうとする人には日蓮の遺文に加えて『人間革命』を理解することが求められた[3]

小説[編集]

戸田と後継者の池田大作第3代会長による同名の小説人間革命』(英語題:"The Human Revolution")がある。創価学会草創期からのエピソードなどを小説化したものである。戸田版『人間革命』は「妙悟空(みょうごくう)」という筆名のもと、1957年に刊行され[4]、戸田城聖全集の第八巻に収録された[5]。戸田には他にまとまった著作がないため『人間革命』が代作であった可能性を島田裕巳は示唆する[4][6]。これを引き継ぐ形で1965年から『聖教新聞』に連載された『人間革命』は池田大作の代表的な著作である[1][注 1][7]。池田版『人間革命』に戸田は実名で登場するが、池田は「山本伸一[注 2]という名前で登場する[1]。池田版には川端龍子三芳悌吉による挿絵がある[8]

戸田版『人間革命』は1951年4月20日の『聖教新聞』創刊号から、池田版は「法悟空(ほうごくう)」という筆名のもと、1965年の元日号から1993年まで、それぞれ『聖教新聞』に連載された。池田版は全12巻の単行本として刊行された。戸田版も『戸田城聖全集』(聖教新聞社刊)に収録されている。さらに池田により、続編『新・人間革命』(英語題:"The New Human Revolution")の執筆が1993年11月18日から現在も続けられ、同新聞に連載中である[注 3]。池田版『人間革命』『新・人間革命』は2015年2月10日現在で7000回(『人間革命』1509回、『新・人間革命』5491回)の連載記録を達成している[9]。この記録は、新聞小説としては山岡荘八の『徳川家康』(4725回)を上回り日本一の連載回数となっている。

池田版『人間革命』の主題は「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」とある。世界各国の言語にも翻訳された。創価学会の公式発表によると2004年12月現在、『人間革命』『新・人間革命』の単行本の総発行部数は全世界で4000万部に達している。「小説」なので、実際の出来事と違う部分があることや、登場人物は初代会長・牧口常三郎と戸田以外はすべて仮名で登場すると池田本人により予告されている[注 4]

池田は19歳だった1947年に、小学校時代からの知人に「“生命哲学”の会があるから参加しないか?」と創価学会の座談会へ誘われ、“生命哲学”と聞いて、その集まりに興味を持った。池田自身、「正直いって、その時の私自身、宗教、仏法のことが理解できて、納得したのではなかった。戸田の話を聞き、姿を見て、『この人なら……』と信仰の道を歩む決意をした」[10]と述べている。池田が入信して創価学会員になったのは、戸田と出会った10日後の同年8月24日のことである。

あらすじ[編集]

人間革命[編集]

1945(昭和20)年7月3日。東京・豊多摩刑務所から一人の男が出所する。その男の名は、戸田城聖という。
戸田は当時、宗教団体・創価教育学会の理事長だった。創価教育学会とは、鎌倉時代の僧侶・日蓮が創始した宗派の教えを取り入れ、1930年11月18日に創立された教団であり、日蓮正宗の信徒団体として活動してきた。しかし、軍国主義に突き進む日本のあり方に異を唱えた結果、会長・牧口常三郎と理事長の戸田を含めた21人の幹部が投獄される。多くの幹部たちが退転する中、最後まで信仰を捨てなかった牧口は1944年11月18日に殉教し、一人生き残った戸田はこの日、2年ぶりに自由の身となったのである。
8月15日。日本は太平洋戦争での敗北を宣言する。戦時中の弾圧で壊滅状態に陥っていた学会を再建するため、戸田は出版事業を再開。戦前からの青年幹部たちは復員するや否や、一人また一人と戸田の下に馳せ参じる。終戦によって日本社会は劇的に変容を遂げる中、戸田は学会の名称を創価学会と改める。
1947(昭和22)年8月。座談会に出席した戸田は当時19歳の青年・山本伸一と出会う。日本社会を巡る様々な質問をぶつける伸一に対し、戸田は分かりやすく回答をする。その10日後、伸一は信仰の道に入る。
戸田の事業は順調に進んでいくものと思われたが、ドッジ不況のあおりを食らい、ついに破綻の時を迎える。それでも伸一は一心不乱に戸田を支え、1951(昭和26)年5月3日に戸田は第2代会長に就任。「自分が生きているうちに75万世帯の折伏を達成する」という壮大な目標を掲げた戸田は全国各地を回り、多くの人々に日蓮の教えを説いていく
戸田が会長に就任した翌年、伸一は理事長・小西武雄が支部長を務める蒲田支部の幹部に抜擢される。師匠である戸田の考えをそっくりそのまま実践した伸一は、当時は誰もが成し遂げられないと考えていた200世帯の壁を打ち破り、他の幹部たちに刺激を与える。伸一はその後、折伏成果が最下位と不振に喘いでいた文京支部の支部長代理に任命されると、わずか1年あまりのうちに文京支部の所属世帯を倍増させる。
1955(昭和30)年。戸田は統一地方選挙に青年部の幹部らを出馬させる。支援活動の責任者に任命された伸一は何とか、候補者の当選に漕ぎ着ける。当時、伸一は渉外部長と参謀室長を兼任し、古参幹部と肩を並べる存在へと出世していた。そんな伸一に大きな転機が訪れる。参議院議員選挙に大阪地方区から出馬した大阪支部長・春木征一郎を当選させるという途方もない使命を託されたのだ。東京の幹部たちは指導部長・清原かつの当選を至上命題としており、会長の戸田でさえ、発展途上にある大阪で参議院の議席に挑戦するのは無謀な試みだと高を括っていた。しかし、結果は春木が当選し、清原が落選するという想定外の結果となる。ところが、翌年に大阪で行われた参議院の補欠選挙では功名心に駆られた学会員が選挙違反を犯してしまう。すると、当局はこの事件に学会上層部が関与していたとみなし、小西理事長と支援活動の最高責任者だった伸一を逮捕・勾留する。伸一は知らぬ存ぜぬを押し通すが、検事は「関与を認めなければ東京・信濃町の学会本部を家宅捜索し、戸田会長を逮捕する」と発言し、自白を迫った。折悪しく、戸田は長年の激務が祟って体調を崩していたこともあって、伸一は師匠に迷惑をかけたくなったことから一旦は自白を行い、法廷闘争で事実を明らかにする選択をする。
1957(昭和32)年12月、戸田の誓願である「75万世帯の折伏」達成が発表される。この時、戸田は後に「永遠の三指針」と呼ばれることになる遺訓を残す。翌年、日蓮正宗総本山・大石寺に建立・寄進した大講堂の落慶法要に出席した戸田は「創価学会は宗教界の王者である」と宣言し、青年部に広宣流布の達成を託して逝去する。
戸田の死後、世間が「学会は空中分解する」などと書き立てる中、古参幹部たちは難局を乗り越える手腕に欠け、伸一の手腕を頼るようになる。実質的な最高責任者である「総務」に任命された伸一は「七つの鐘」構想を発表し、学会の更なる飛躍を目指す。そして、1960(昭和35)年5月3日、古参幹部たちの懇請を受け入れた伸一は第3代会長に就任する。

新・人間革命[編集]

創価学会第3代会長に就任した山本伸一は1960(昭和35)年10月2日、アメリカ指導へと旅立つ。恩師・戸田城聖は生前、伸一に「東洋に、そして世界に、妙法の火を灯して行くんだ。この私に代わって行ってくれ」と遺訓を残していた。その遺訓に従い、伸一は世界広布を目指していく。
1962(昭和37)年1月25日、伸一は大阪事件の裁判で無罪判決を受け、判決は確定する。その直後、国会の創価学会系議員は伸一の指導に基づいて公明政治連盟を結成、2年後には公明党へと発展する。
信濃町の学会本部が新築されたのを機に、伸一は日蓮正宗総本山・大石寺大客殿正本堂を建立・寄進し、僧俗和合を目指す。一方、学会と公明党に都合が悪い書籍の出版を差し止めようとした問題で、学会と公明党の関係が憲法の禁じる政教一致にあたるという批判が噴出し、伸一は政教分離宣言の発表に追い込まれる。
民間外交にも踏み出した伸一は日中国交正常化提言の発表や社会主義諸国との交流にも積極的に乗り出す。中国ソビエトへの訪問などが代表的な例となる。
1971(昭和46)年。東京・八王子創価大学が開学し、初代会長・牧口常三郎が理想とした「創価教育」の学び舎が完成する。創価大学にはやがて、世界中から学生たちが集い来たる人間教育の最高学府となる。
1975(昭和50)年。グアムに世界51ヶ国・地域の代表が集まり、創価学会の国際的な組織としてSGI(創価学会インタナショナル)が発足する。SGI会長には伸一が就任するが、この頃から日蓮正宗との関係がぎくしゃくし始める。宗門の僧侶の中には、学会は宗門を服従させるのではと邪推する者も少なくなく、学会側は対応に苦慮する。やがて、僧侶による学会批判が収拾のつかない状態に陥ったことから、伸一は学会員と学会の組織を守るため、会長職からの辞任を余儀なくされる。

映画[編集]

人間革命
監督 舛田利雄
脚本 橋本忍
製作 田中友幸
出演者 丹波哲郎
音楽 伊福部昭
撮影 西垣六郎
配給 東宝
公開 1973年
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 13億円[11]
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続・人間革命
監督 舛田利雄
脚本 橋本忍
製作 田中友幸
出演者 丹波哲郎
音楽 伊部晴美
撮影 西垣六郎
配給 東宝
公開 1976年
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 日本の旗 16億700万円
(1976年邦画配給収入1位)[12]
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1973年9月8日、『人間革命』のタイトルで東宝と創価学会系のシナノ企画の共同製作で映画化された。1976年にほぼ同じスタッフ・出演者で『続・人間革命』が公開されている。

1973年の観客動員数では、『日本沈没』に次ぐ第2位となった。2006年にシナノ企画からDVDが発売されている。

人間革命(1973年)[編集]

スタッフ
キャスト

続・人間革命(1976年)[編集]

スタッフ
  • 製作:田中友幸
  • 監督:舛田利雄
  • 脚本:橋本忍
  • 原作:池田大作
  • 撮影:西垣六郎
  • 音楽:伊部晴美
  • 特技監督:中野昭慶
キャスト

劇画[編集]

劇画・人間革命
ジャンル 劇画
漫画
作者 石井いさみ(原作・池田大作)
出版社 聖教新聞社
掲載誌 聖教新聞
発表期間 1988年 - 2002年
巻数 56冊
テンプレート - ノート

『聖教新聞』に1988年から2002年まで14年間にわたり、毎週日曜日に『劇画・人間革命』が連載された。作者は『750ライダー』などの作品で知られる漫画家・石井いさみである[注 5]。上記の池田名誉会長の小説『人間革命』全12巻をほぼ原作通りに劇画化したものである[注 6]。単行本にすると20ページ分の内容を、『聖教新聞』の1ページ全面に縮刷して掲載していた。聖教新聞社より単行本が刊行(全56巻)されている。

アニメ[編集]

アニメ人間革命
ジャンル OVA
OVA
監督 勝間田具治
キャラクターデザイン 石井いさみ(原案)
アニメーション制作 東映アニメーション
製作 シナノ企画
発表期間 1995年 - 2004年
その他 全20巻
テンプレート - ノート

『アニメ人間革命』は、1995年から2004年にかけてOVAとして発表された。全20巻。池田の原作に加え、キャラクターデザインやストーリー展開などは、主に上記の石井いさみの劇画に基づいている。

ほか

サブタイトル[編集]

  1. 黎明(1995年5月)
  2. 地湧(1995年10月)
  3. 新生(1996年5月)
  4. 生命の庭(1996年11月)
  5. 疾風・怒涛(1997年5月)
  6. 烈日(1997年12月)
  7. 驀進(1998年5月)
  8. 飛翔(1998年11月)
  9. 水滸の誓い(1999年5月)
  10. 推進(1999年11月)
  11. 多事(2000年4月)
  12. 展開(2000年11月)
  13. 上げ潮(2001年5月)
  14. 脈動(2001年11月)
  15. 跳躍(2002年5月)
  16. 険路(2002年11月)
  17. 転機(2003年5月)
  18. 夕張(2003年11月)
  19. 大阪・宣言(2004年5月)
  20. 後継(2004年11月)

脚注[編集]

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脚注[編集]

  1. ^ なお、創価学会は一部の原稿については池田名誉会長の直筆原稿ではなく、池田名誉会長の香峯子夫人による口述筆記やテープレコーダーに収録する形式で執筆されていたことを会員向けの広報・宣伝VTR『~恩師の「真実」を後世に~ 小説『人間革命』の執筆』で認めている。
  2. ^ 池田名誉会長のペンネーム。
  3. ^ 2017年元日号から連載中の第30巻で完結する予定。
  4. ^ 新・人間革命では創価学会関連の人物は仮名で登場する。
  5. ^ 石井は創価学会の会員ではないが、『走れ!!美穂』などを連載していた聖教新聞の記者から贈られた『人間革命』を読んで魅了され、「もし『人間革命』を劇画化するなら絶対に自分がやりたい」と考えていたという[要出典]
  6. ^ 池田名誉会長の原作の第12巻の最終章「新・黎明」のみ劇画では省略されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c 島田裕巳 2004, pp. 120-122.
  2. ^ 島田裕巳 2004, p. 105.
  3. ^ 島田裕巳 2004, pp. 142-146.
  4. ^ a b 島田裕巳 2004, p. 45.
  5. ^ 沼田 健哉 創価学会の研究 : 宗教と科学の関係を中心として 総合研究所紀要 22(2), 1-13, 1997-01-31
  6. ^ 島田裕巳 2004, p. 48.
  7. ^ 執筆開始50周年記念企画 人間革命 - VTR『~恩師の「真実」を後世に~ 小説『人間革命』の執筆』の予告動画付き
  8. ^ 央忠邦 『日本の潮流 創価学会発展の歩み』、1968年1月31日、149頁。 
  9. ^ 小説「人間革命」「新・人間革命」が連載7000回
  10. ^ 『私の履歴書』(日本経済新聞社刊、後に聖教新聞社刊)[要ページ番号]
  11. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)312頁
  12. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年、214-215頁。ISBN 4-87376-595-1

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]