丹波哲郎

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たんば てつろう
丹波 哲郎
丹波 哲郎
平凡出版『週刊平凡』1963年1月3日号より
本名 丹波 正三郎(たんば しょうざぶろう)
生年月日 (1922-07-17) 1922年7月17日
没年月日 (2006-09-24) 2006年9月24日(84歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区
死没地 日本の旗 日本 東京都三鷹市
身長 175cm
血液型 O型
職業 俳優芸能プロモーター
心霊研究家
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1952年 - 2006年
配偶者 あり
著名な家族 丹波義隆(息子)
丹波明(従弟)
丹波敬三(祖父)
主な作品
映画
豚と軍艦』 / 『丹下左膳』 / 『暗殺
007は二度死ぬ』 / 『人間革命
砂の器』 / 『二百三高地
零戦燃ゆ』 / 『十五才 学校IV
テレビドラマ
三匹の侍』/『キイハンター
鬼平犯科帳』/『Gメンシリーズ
弁護士・高林鮎子』シリーズ /『春日局
HOTEL』シリーズ

丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日)は、日本俳優芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身[1]。身長175cm。血液型はO型

俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優[2]テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。オールスターの超大作に相応しい映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演もした。丹波プロダクション[注 1]・俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけており、宮内洋は丹波の一番弟子である。

心霊学と霊界の研究もし、多数の書籍を著しており、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなった[2]

来歴[編集]

大久保町字百人町(現在の新宿区百人町)にて丹波家の三男として生誕。家柄は系図を遡ると、天平の昔から伝わる薬師の名家で[1]医学書医心方』を著した丹波康頼にたどり着く。祖父は東京帝国大学名誉教授の丹波敬三[1]、父は日本画家の丹波緑川、親戚には従弟で音楽学者の丹波明、元大審院院長の林頼三郎らがいる。

成城中学から陸軍幼年学校を受験するも落第し、仙台の二高を二度受験するも不合格。親戚の林頼三郎が総長を務める中央大学法学部英法科へ無試験で入学したという。在学中に第1回学徒出陣し佐倉歩兵第60連隊に入隊[1]、しかし態度が大きいという理由で普通の3倍程の体罰を受けることもあった[3]立川陸軍航空整備学校で整備士官としての教育を受け、上官には川上哲治がいた(詳細は#人物を参照)。終戦を立川で迎え、戦後の1945年大学に復学し[1]、学業の傍らGHQ通訳のアルバイトをしていた[1]、が実際には本人曰く英語は半分程度しか理解できず[4]、トイレに逃げ込み、仕事の終わる時間を待っていたという。1948年大学を卒業[1]。またダグラス・マッカーサーには二度程度エレベーターの中で遭遇したと語っている[5]

卒業後は団体(公社)職員となるも俳優を志し[1]1950年創芸小劇場を主宰後劇団文化座に加入後、1951年春勧誘されていた新東宝に入社[1]。同期には高倉みゆき中島春雄広瀬正一がいる。丹波の態度が大きいことが問題とされ[1]、1年以上役が付かないでいたが[1]1952年電通傘下DFプロダクション制作新東宝配給のセミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』に主演級の役でデビューする。。もともとこの役は当時文化座に在籍していた山形勲にオファーがあったものだが、山形が骨折しており応じられないことを丹波が代わりに伝えに行ったところ、プロデューサーから「お前が良い。お前に決めた」と言われ決まったものであった[6]。陰のある二枚目としておもに敵役悪役で活躍し[2]1956年公開の柳家金語楼の主演映画『金語楼の兵隊さん』の助演をきっかけに金語楼劇団へ誘われ舞台の客演もこなす多忙な状況だったが[7]1959年、丹波の新東宝の作品のレベルが落ちているとの発言が記事となった、新東宝社長・大蔵貢は謝罪すれば許す考えでいたが[1]、丹波は所信を曲げず、映画『双竜あばれ雲』を最後に同6月新東宝を退社[1]フリーランスとなり、フジテレビディレクターだった五社英雄に見いだされるとコンビを組み[1]、1960年に放送されたテレビドラマトップ屋』、1961年にはニュー東映で映画『霧と影』、『白昼の無頼漢』に主演した。五社とは盟友となり、1969年の映画『御用金』にも出演している。

映画『豚と軍艦』(1961年)、『丹下左膳』(1963年)、『暗殺』(1964年)、1963年テレビ時代劇三匹の侍』などでスターとしての地位を確固たるものとし[2]、荒くれ者の漁師に扮した『ジャコ万と鉄』や、時代劇映画ギャング映画任侠映画など、幅広く出演。1961年キャロル・ベイカー主演のアメリカ映画太陽にかける橋英語版』に出演以降イギリス映画1964年第七の暁』に世界的なヒット作1967年007は二度死ぬ』で国際的に認知され海外においても活躍した[2]

1968年から放映されたテレビドラマ『キイハンター』では「黒木鉄也」で主演。黒木のイメージは『007は二度死ぬ』で丹波が演じた、タイガー田中の人物像も反映させている。最盛期の『キイハンター』は視聴率30%を越える人気ドラマとなり、当初1年の予定が5年に延ばされた[8]。『キイハンター』終了後も、丹波は同時間帯でテレビドラマ『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』『Gメン'75』と出演して、TBS土曜21:00の顔となる。

前後して1973年には映画『人間革命』で毎日映画コンクール男優演技賞受賞。1974年には映画『砂の器』の今西刑事役では、人情味のある重厚な演技が高く評価された[2]1980年の『二百三高地』で第23回ブルーリボン賞助演男優賞と第4回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞をそれぞれ受賞した。生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し[2]、300万人以上の動員を得る。1994年11月には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることのできない空間を表現し話題を呼ぶ。

2000年、『十五才 学校IV』で日刊スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞し、大河ドラマ利家とまつ』(2002年)、『義経』(2005年)などで、渋みある演技をみせていた[2]2005年2月から約2か月間、インフルエンザ虫垂炎のために入院し、それが原因でひどくやせ、健康が懸念されていた。

2006年(平成18年)9月24日午後11時27分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。84歳没。死去する前に霊界はすばらしいところなどと遺言を残した。映画・テレビドラマで何度も共演している千葉真一は「(亡くなる)1年ぐらい前に『キイハンター』をまたやりたいね、と話していた。お元気だったのに……」とTBSの電話インタビューに答え、その死を惜み哀悼の意を表した。第44回ゴールデン・アロー賞の芸能功労賞が贈られ、9月30日青山葬儀所で行われた告別式には、安部譲二稲川淳二映広岩田廣一社長、京本政樹黒柳徹子ケーシー高峰紺野美沙子せんだみつお高井英幸東宝社長、高嶋政伸谷隼人松岡きっこ夫妻、司葉子鶴見辰吾長門裕之夏木陽介西田敏行原田大二郎藤田三保子由美かおるの他、2,000人のファンが参列した。

棺の中には、「ハードボイルドらしく送り出したい」と喪主を務める長男の丹波義隆の意向で、『キイハンター』、『Gメン'75』で被っていた黒のショートハットを東映東京撮影所から京本政樹が運んできた。「これが似合うのはオレだけだ」と語った丹波の代名詞とも言うべきショートハットが、胸の上に置かれた。通夜の開始では『Gメン'75』のテーマ曲が、告別式では『キイハンター』のテーマ曲や丹波が愛した「赤とんぼ」などの葬送曲が流れた。『Gメン'75』の関谷警部補役・原田大二郎とスペシャルで結城警部補役の京本政樹、『HOTEL』の赤川一平役・高嶋政伸や鶴見辰吾らが、遺族と一緒に出棺した。義隆が「父はあの世とこの世は地続き。電車で隣町に行くようなものといってましたが、いざ、その日を迎えるとはっきり言って寂しいです」「おやじから見たらだらしない息子だと思われるかもしれないが、これから父の言う“電車の乗換駅”に父を見送りに行ってきます」と挨拶すると、弔問客からはすすり泣く声が漏れた。ファンから「丹波哲郎、日本一」「ありがとう!」の絶叫がこだまし、原田大二郎は目を真っ赤にして最敬礼のポーズで見送った。無宗教であり、戒名はない。墓所は多磨霊園[9]

2007年7月17日、25年間交友のあった霊能者の稲川りよ子によれば、死後の丹波から、生前の約束通り霊界通信があり、「世のため、人のために尽くし明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、それに見合った素晴らしい世界があります」との旨のメッセージが送られて来たという[10][11]

人物[編集]

人柄[編集]

出演作を多く手がけた中島貞夫は「外見はバタくさいが義理堅い日本の男で、ワンシーンの友情出演だけなのに京都へ来てくれたこともあった。車代を渡そうとしたら『おれはそんなつもりで出たんじゃない』と泣いて怒られた」と語り[2]石井輝男はもっとも信頼出来る俳優のひとりとして、文句をいわず、ひたすら言われたことを黙々と演じる丹波をいつもほめていた[12]

007は二度死ぬ』の関りからルイス・ギルバート監督作品に無償のカメオ出演を快諾。

裕福な家庭に育ち1949年に結婚した貞子夫人もテーラー(オーダーメイド紳士服店)を営み、自身も公団職と闇市卸副業から社会人演劇同好会を運営し、育ちの良さ素地から不義理、道理の通らない事を嫌い監督など目上立場であっても反目する一方で[注 2]和解すると信頼には誠実をもって答えていた様子が晩年にインタビューから俳優職歴中心にまとめた実質自伝の2004年出版丹波・ダーティ工藤共著『大俳優 丹波哲郎』(ワイズ出版刊)に綴られている。前述した義理友情にまつわるもの、俳優養成所「丹波道場」の経営失敗とは一方で、俳優業経営は厳格で海外出演の経験から映画TVドラマプロデュースについても同様だった。

家族[編集]

息子に俳優の丹波義隆と森正樹。哲郎の妻は北一輝のいとこの娘にあたる[13]。公団職員時代の1949年に結婚。貞子夫人は1958年小児麻痺発症から車椅子生活を余儀なくされたが多忙を極めるなか哲郎が献身介護していたことが広く知られ、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ島田事件で被告人の無罪を勝ち取った人物である[14]杉並区西荻窪に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。しかし「こんなことはタクシーの運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。葬儀が行われた際、愛人とその子供(元女優の江畑絢子と息子である森正樹)が弔問に訪れた。義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。丹波が二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。

エピソード等[編集]

  • 丹波は自ら売り込みをせず、キャスティングされた時点で、演じる役は自分に合う役であるはずなので役作りは一度もしたことがなく、テレビの前の観客は意識せず、目の前に居る監督を喜ばせることのみを考えていると語っていた[15][信頼性要検証]
  • 1963年の映画『丹下左膳』(松竹京都)で隻眼隻腕の剣士、丹下左膳を演じることになったが、殺陣がやりにくいとの理由から、設定上右手、右眼が無いところを左手、左眼がないことにして刀を右で持つ、という提案をし、世間を驚かせた[2]。歴代の丹下左膳の中でも右手なのは丹波の作品のみである。
  • 仁義なき戦い 代理戦争』では写真だけの出演(モデルは田岡一雄)もあった。『人間革命』でシリアスな宗教家を演じた時期に、石井輝男が監督をした『ポルノ時代劇 忘八武士道』にも主演していたと著書で述べている。同作の監督・石井輝男とは新東宝時代の僚友だが、お互いに東映に移ってから協業が増えて親しくなり、石井晩年の低予算自主制作作品にも付き合っている。
  • 丹波は先輩、後輩、監督からエキストラまで、誰とでも平等に、分け隔てなく接することを徹底していた。丹波は撮影現場では、大俳優、大女優から、仕出し(エキストラ)に至るまで、まったく同じ付き合い方をする。人間が大きくて素敵だと感じた。みんな同じ、平等だと、綺麗事なく心の底からそう思っていたという[16]。ただ、当時東映の大スターであり先輩でもあった鶴田浩二に対して丹波が「おーい、鶴田!」と呼んでいたことがたびたびあり、鶴田は丹波よりも年下ではあるが、役者としては丹波よりも先輩であったことからこの事に鶴田は苦手にしていたこともあった[17]
  • 義隆は丹波より「お前は現場に入って監督にどう挨拶するんだ?」と聞かれ、「おはようございます、と言います」と答えたところ、「じゃあ、監督だけじゃなく、エキストラや掃除の人にも、同じように挨拶をしろ」と教えられたという。「えこひいきはダメだ。あと、同じ監督と一緒に仕事をしようと思うな。こびへつらうな」と強く言い聞かされたという[18][信頼性要検証]
  • また、せんだみつおら曰く、お茶目な一面もあったという。映画『柳生一族の陰謀』で萬屋錦之介との立ち回りのシーンの撮影の時に丹波は予定の時間を1時間ほど遅刻し、現場に現れた時の丹波の第一声が「おう!錦ちゃん、遅れた、ワリい!」と軽いノリだったという[19]。また共演した女優らの尻を触ったり[19]、自分の台本を見て初めて入るスタジオを間違えたことに気付き、何も無かったようにその場を立ち去ったということもあった[19]
  • 遅刻は他にもあり、仲代達矢によれば「スターは遅く来るもんだ。9時に始まるなら10時に入ればいい」などと言って遅れて現場入りすることがあったという。しかし小林桂樹東宝の作品で共演した際、同じように遅刻した時に小林に「東宝では時間通りに来い!」と怒られたという(当時の東宝では時間には厳しかった)[20]

台本を覚えてこないということ[編集]

  • 丹波は台本を読まないことで知られ[12]、この丹波の特異なスタイルのため、机の上や壁、共演者の背中あるいは小道具である手元のミカンにまでカンニングペーパーが準備されていた。『Gメン'75』の役の名前を覚えるのが面倒であると、大きなミカンに出演者の役柄の名前を書いていたが、蜜柑が食べられてしまったというエピソードもある[21]、その回の犯人が誰なのかわかっていなかったり、違う回の台本を間違えて持ってきたこともたびたびあったという(谷隼人の談)[22]
  • 上述『柳生一族の陰謀』の撮影の時にはちゃんと台本を持って来たが、その台本は郵送で届いたままでまだ未開封の状態だった。同作品の監督の深作欣二に「自分の台詞くらい家で覚えて来てよ」と言われると「俺は仕事を家に持ち込まない主義なんだよ」と返したという[19]
  • 台本を読まずに本番に臨むことで知られていた丹波だが、本人は「記憶力はいい」「俺はきちんと頭に入ってるんだよ」「俺は覚える、と自分に自信がある」と言って本番ではスラスラ台詞が出て来ていたと述懐していたが、一方で「終わった途端に忘れちゃう」とも話しており、これを「一種の自己催眠だね」としている。またこのようなことを自ら「面白おかしい伝説的なジョークに近いもの」だとも話している[23]
  • 仲代達矢によれば、台詞は「1ページ(の台本を)3秒で覚える。長い台詞は、ここで(ページを)めくるというのが頭に入ってる」自分独特の覚え方を話していたが、ある日台詞を間違えた時に「(台本)1枚めくるのを2枚めくっちゃった」と言われたという[20]

『Gメン'75』[編集]

  • 夏木陽介の著書によれば「丹波ちゃんとは、同じ警視役で対等に付き合っていた[24]、また丹波の性格を余りにも大らか過ぎたと回想し、全く台詞を覚えてこないことを夏木が注意すると、「俺は家庭に仕事を持ち込まない主義だ。」と返答されたと回想した[25]
  • ある日Gメン本部の屋上での夏木陽介とのシーンの撮影に際し、丹波がいくら待てど現場に現れず、夏木が怒って帰ってしまい、次の日の同じシーンの撮影では、丹波が現場に付いたら連絡をと、わざと夏木が遅れて現場に現れると、夏木を待っていた丹波が「よく来てくれた、俺は人を待たせるのも、待つのも平気なんだと。」言ったという[26]
  • 若林豪は丹波について、「言われているようにセリフをまったく覚えてこない。なんていいかげんだと皆さんが思うけど、それでも映像になると、誰よりも絵になる。天才でしたよね。」とコメント[27]、また最終回のパリでのロケの際に、丹波に誘われルーヴル美術館へ行ったが、丹波があっという間に外に出てきて「ここは絵ばっかりだ、帰るぞ」と言ったエピソードを明かしている[27]
  • 岡本富士太は、丹波が『Gメン』の放送開始後しばらくの間番組を見ていなかったらしく、何話も放送された頃になり、「今度のオープニングはお洒落でいいじゃないか。」と話し今まで放映を見ていなかったのか驚いたと話した[28]
  • 丹波の乗った車が交通違反で停められた際、丹波は警察官に「Gメンの丹波だが」と対応した。この時の違反はスピード違反と語られることが多いが、丹波は一方通行の逆走だったと、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際に語っている[29]

池波作品[編集]

鬼平犯科帳』では舞台化の話が出たが、丹波はこれを断り[30]、『真田太平記』の舞台化の話の際には丹波の方から真田昌幸役での出演を希望したが、鬼平の舞台への出演を断ったため、池波から丹波の出演が拒否されたと話していた[30]。丹波は池波作品の真田昌幸について、「真田昌幸は喜劇的で助平さがにじみ出ている部分が自分に合っていた。」とコメントしていた[15]。『真田太平記』で真田昌幸を演じた丹波について、共演した草刈正雄は、丹波がこの役にかなり入れ上げており、今までにないほど、真剣に役に挑み[31]、長台詞も含めて台詞を完全に覚えていたと語っている[32]。また自分から売り込みをしないことで有名な丹波だが、『真田太平記』のテレビ化の際には、自ら池波に直訴し役を得たとの噂があった、そして丹波は共演にあたり、渡瀬恒彦と草刈に刀をプレゼントしたなどのエピソードを、共演の草刈が明かしている[31]

さまざまな交友[編集]

  • ワンマン社長としてその名を知られた松竹の城戸四郎を、影でシロウちゃんと呼んでおり、不在の本社を訪ねては「シロウちゃん、いるかい」とふざけていたら、偶然本人がいたことで、城戸と言い争いになったこともある(キネマ旬報「大放言」より)。ただ、城戸を偏屈だが愛すべき人物として敬愛してもいた。
  • 著書で「軍隊時代に上官だった川上哲治からリンチを受けていた。終戦後に川上が『あのときは仕方なかった』と頭を下げて廻り、巧みな処世術をするのを見たとき、川上の本性がわかった」と述べている[33]
  • 丹波プロダクションに所属し、『キイハンター』『鬼平犯科帳』などで共演した野際陽子を妹のように可愛がっていた[12]佐野史郎はドラマ『ずっとあなたが好きだった』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている[12]
  • 黒柳徹子は丹波曰く芸能界で一番古い友達で黒柳司会の徹子の部屋には10回以上出演し[34]、10月16日、17日の2日間丹波が出演した回を振り返り追悼特集が行われた[35]

心霊研究など[編集]

  • 心霊学と霊界に造詣を持ち、霊界の存在を確信していた[2]。多数の著作をものし、年間20回以上の講演を行っていた。本人もロンドンのホテルで中国人女性の複数の霊に遭遇しており、これが死後の確信に変わる出来事だったと話す。子供の頃には、腐ったまんじゅうを食べて死にかけた時に、母親が自分の傍で自分の名を叫び続けているのをすぐ真上で見ていたことがあったと話していた[22]。なお、本人の公式サイトも霊界についてまとめたサイトになっている。
  • 霊界の世界に興味を持ち始めたのは、ある俳優仲間の死であった。ある俳優仲間がガン宣告され、毎日のように「死ぬのが怖い」と連呼していたことから、彼の不安を和らげるために死後の世界について徹底的に調べようと思ったことがきっかけであった[36][37]
  • その他、催眠術への造詣も深く、自ら催眠術を操れたという。しかし『Gメン'75』などで共演の夏木によれば、実際に丹波の催眠術に掛かった人は見たことがない、丹波に気を遣い、催眠に掛かったふりをしていたのかもしれないとしている[38]。また自ら「催眠術は馬鹿と子供には掛からない」と話していたという(丹波義隆の談)[22]
  • 『人間革命』出演後、創価学会の大会に招待された際、創価学会の活動をさかんに顕揚する講演をした後で「南無妙法蓮華経」とすべきところを「南無阿弥陀仏」としめくくり、場内を騒然とさせた。丹波は著書に、自分のオッチョコチョイな性格を示す逸話として、この失敗談を載せている。

その他[編集]

オロナミンCの初代CMキャラクターは、当初大村崑ではなく丹波になるはずだった。事実、丹波が侍姿で製品を持った宣材ポスターが大村の資料館に残されている。嘉門達夫は丹波の発言やキャラクターをもとにした楽曲『タンバでルンバ』を発表し、それが機縁となりTBSドラマ『結婚してシマッタ!』で丹波の秘書役として共演した。

受賞[編集]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

劇場アニメ[編集]

ゲーム[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

ディスコグラフィ[編集]

  • 「トップ屋」(作詞:白鳥朝詠、補作詞:五社英雄、作曲:沢田駿吾東芝レコード、1960年12月発売)
  • 「俺がやらなきゃ」(作詞:東逸平、作曲:植村亨、東芝レコード、1960年12月発売)

著書[編集]

  • 『丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、中央アート出版、1980年4月1日
  • 『丹波哲郎の霊界問答』丹波哲郎、中央アート出版、1981年12月、ISBN 4-88639-262-8
  • 『守護霊団 : この世とあの世を結ぶもの』丹波哲郎、広済堂出版、1982年10月(Kosaido books)(新書) ISBN 433100256X
  • 『丹波哲郎の死ぬ瞬間の書』丹波哲郎、広済堂出版、1983年1月(Kosaido books)(新書) ISBN 4331002934
  • 『死後の世界の証明 ― 霊界実存の書』丹波哲郎(広済堂ブックス)(新書)1983年1月、ISBN 4331003043
  • 『永遠なる霊の世界 - あなたは死んだらこうなる』丹波哲郎、徳間書店、1983年3月、ISBN 4-19-552697-3
  • 『霊人の証明 : 続々丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、中央アート出版、1983年4月、ISBN 4-88639-381-0
  • 『丹波哲郎の地獄の書』丹波哲郎、中央アート出版社、1983年9月、ISBN 4-88639-419-1
  • 『死後の世界の証明 : 霊界実存の書』丹波哲郎、広済堂出版、1984年3月(Kosaido books)
  • 『霊魂不滅の書』丹波哲郎、広済堂出版、1984年7月(Kosaido books) ISBN 4331003361
  • 『因果応報の法則』丹波哲郎、光文社、1984年2月(カッパ・ブックス)
  • 『稀代の霊能者三田光一 ― 丹波哲郎の霊人の証明 2』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年7月、ISBN 488639468X
  • 『丹波哲郎の天界の書』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年5月
  • 『死んだらどうなる』丹波哲郎、経済界、1984年3月(リュウブックス)
  • 『丹波哲郎の輪廻転生の旅』丹波哲郎、中央アート出版社、1984年10月、ISBN 4886394698
  • 『どう生きたらよいか ― 丹波哲郎の人生指南道場』丹波哲郎、経済界、1985年1月(リュウブックス) ISBN 4766700937
  • 『死後の世界 ― 私は霊界を生きてきた』ギャラップJr.(著)、丹波 哲郎(翻訳)、三笠書房、1985年3月、ISBN 483795412X
  • 『死は輝く世界の扉』丹波哲郎、かんき出版、1985年5月、ISBN 4761251603
  • 『「死にがい」の書 ―"生きがい"があれば"死にがい"もあっていい』丹波哲郎、広済堂出版、1985年5月、ISBN 4331003701
  • 『催眠術の世界 ― 誰にもできる催眠術入門』(カメブックス(8))(新書)丹波哲郎、土曜美術社、1985年7月、ISBN 488625120X
  • 『これが霊の世界だ』丹波哲郎、立風書房、1985年9月、ISBN 4651780164
  • 『丹波哲郎と四柱推命の世界 ― 運命をあやつる五つの星の神秘』丹波哲郎、かんき出版、1985年9月、ISBN 4761251697
  • 『丹波哲郎の死者の書』丹波哲郎、広済堂出版、1986年1月(広済堂文庫) ISBN 4331650049
  • 『大霊界を翔ぶ』丹波哲郎、広済堂、1986年7月、(Kosaido books) ISBN 4331003973
  • 『新・死者の書 ― 死後の世界は確実に存在する!』丹波哲郎、角川書店、1986年1月(Kadokawa books) ISBN 4047060119
  • 『丹波哲郎のツキをよぶ守護霊』丹波哲郎、現代出版、1986年2月、ISBN 4875975074
  • 『来世からの証言 ― 丹波哲郎の人生指南道場 II』丹波哲郎、経済界、1986年1月(リュウブックス) ISBN 4766701046
  • 『霊界からの忠告―霊人はあなたの全てを見ている!』丹波哲郎、角川書店、1986年11月(Kadokawa books) ISBN 4047060283
  • 『霊界探訪 ―「近死体験」で私はこう生まれ変わった!』ケネス リング(著)、丹波哲郎(翻訳)三笠書房、1986年11月、ISBN 4837954324
  • 『大霊界 ― 死んだらどうなる』(大型本)丹波哲郎(著)、近藤 薫(イラスト)、学習研究社、1987年4月、ISBN 4051025624
  • 『守護霊問答 ― 自分を高め幸せに導く』丹波哲郎、広済堂出版、1987年5月(Kosaido books) ISBN 4331004104
  • 『丹波哲郎の霊界問答』丹波哲郎、中央アート出版、(新装丁版)1987年8月、ISBN 4-88639-262-8
  • 『丹波哲郎の死者の書』丹波 哲郎、中央アート出版社、(普及版)1987年8月、ISBN 4886395155
  • 『来世はどうなる ― 天界行きの切符をあなたに』丹波哲郎、来世研究会、広済堂出版、1987年9月(Kosaido books) ISBN 4331004171
  • 『丹波哲郎の霊界旅行』丹波哲郎、中央アート出版、(普及版)1987年6月、ISBN 4886395120
  • 『驚異の「大霊界」― 宇宙に充満する霊魂の一人は、あなたです。』丹波哲郎、土屋書店、1988年2月(ムックスペシャル版) ISBN 4806900559
  • 『霊運問答』丹波哲郎、天山出版、1988年2月(天山ブックス) ISBN 4803313903
  • 『霊言の書 ― 霊界からの幸せメッセージ』丹波哲郎、広済堂出版、1988年4月(Kosaido books) ISBN 4331004333
  • 『霊界生活の実相 ― 今の生き方で来世の幸福がつかめるか?』(RAISE BOOKS)丹波 哲郎、土屋書店、1988年5月、ISBN 4806904449
  • 『丹波哲郎の漫画大霊界 ― 愛と真実への旅立ち』丹波哲郎(著)、かきざき和美(作画)、大洋図書、1988年6月、ISBN 4886720374
  • 『「霊」なんでも大百科』丹波哲郎、広済堂出版、1988年7月(豆たぬきの本) ISBN 433120118X
  • 『大霊界の真実 ― この真実を知ればもう死は恐くない!』丹波哲郎、角川書店、1988年10月(Kadokawa books)(新書) ISBN 4047060526
  • 『大霊界を見た ― 死後の世界の驚異』丹波哲郎(著)、近藤 薫(イラスト)、学習研究社、1988年12月、ISBN 405103111X
  • 『小説 大霊界』丹波哲郎、角川書店、1989年1月、ISBN 4048725238
  • 『霊界生活の実相』丹波哲郎、土屋書店、1989年4月、(Raise books) ISBN 4750806137
  • 『小説 大霊界.2 ― 死んだらおどろいた!!』丹波哲郎、角川書店、1989年11月、ISBN 4048725696
  • 『大霊界の深奥 ― 転生は人類に進歩をもたらす』丹波哲郎、角川書店、1990年1月(Kadokawa books) ISBN 4047060666
  • 『丹波哲郎の大霊界への招待』丹波哲郎、日刊スポーツ出版社、1990年5月、ISBN 4817201150
  • 『大霊界へのパスポート』丹波哲郎、角川書店、1990年12月(Kadokawa books)(新書) ISBN 4047060739
  • 『霊人の証明』丹波哲郎、角川書店、1991年3月(角川文庫) ISBN 4041790018
  • 『新・死者の書』丹波哲郎、角川書店、1991年9月(角川文庫) ISBN 4041790026
  • 『死後の世界 ― 人は死んだらどうなるか』(知的生き方文庫) ジョージ.Jr.ギャラップ(著)、丹波 哲郎(翻訳)、三笠書房,1992.3.(知的生きかた文庫) ISBN 4837905048
  • 『死よ、こんにちは。― この世とあの世は地続きだ』 / 丹波哲郎、青谷舎、1992.12.25(Seikokusha books) ISBN 4915822079
  • 『死は凱旋門』丹波哲郎(著)、朝日メディアインターナショナル、1993年5月、ISBN 4900696013
  • 『死はこんなに気楽なものか』丹波哲郎、中央アート出版社、1994年4月(丹波哲郎シリーズ9) ISBN 4886396933
    第14回日本文芸大賞 特別賞受賞作
  • 『守護霊と霊界の謎 ― 初めてわかった死後の世界の全貌と守護霊の真相』
    丹波哲郎、日本文芸社、1994年5月(Rakuda books) ISBN 4537024119
  • 『僕は霊界の宣伝使 ― 破格の人生』丹波哲郎、青谷舎、1995年4月、ISBN 4915822206
  • 『人が死ぬということ ― 大往生の極意』丹波哲郎、二見書房、1996年11月(サラ・ブック巣) ISBN 4576961497
  • 『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言 ― 有名人が初めて明かす異次元体験ファイル』
    丹波哲郎(著)、テレビ東京(編集)、日本文芸社、1997年4月、ISBN 4537025603
  • 『あの世で幸せになる話 ― 仏界と霊界の往復書簡』丹波哲郎、池口惠觀共著、青春出版社、1997年11月、ISBN 4413030877
  • 『幸せをつかむ7つの法則 ― 目の前の小さなことにこだわるな』丹波哲郎、日本文芸社、1999年4月、ISBN 4537026863
  • 『丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ』丹波哲郎、キネマ旬報社、1999年5、ISBN 4873762294
  • 『改訂版.驚異の大霊界 スペシャル版―宇宙に充満する霊魂の一人は、あなたです。』
    丹波哲郎、土屋書店、2001年7月、ISBN 4750806129
  • 『エンサイクロペディア大霊界. 月の巻 ― 本当はもっともっと愉快な人生の延長線』
    丹波哲郎、徳間書店、2002年5月、ISBN 4198615047
  • 『大俳優 丹波哲郎』丹波哲郎、ダーティ工藤共著、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 4898301703
  • 『あなたの死後の運命』丹波哲郎、文香社、2005年6月、ISBN 4938933632
  • 『オーラの運命(さだめ)― この世もあの世もバラ色にする黄金法則』丹波哲郎、双葉社、2005年10月、ISBN 4575298441
  • 『霊界から見たあなたの人生』丹波哲郎、文香社、2006年1月、ISBN 978-4938933647
  • 『霊界の書. 天 . 霊界の書. 地』丹波哲郎、中央アート出版、2006年10月、霊界研究全9作品完全収録, ISBN 978-4813603887

研究書[編集]

  • 丹波哲郎・ダーティ工藤『大俳優 丹波哲郎』、ワイズ出版、2004年5月、ISBN 978-4898301708 - 映画監督・工藤とのインタビュー
  • 『丹波哲郎の「霊界地図」の研究』アポカリプス21研究会(著)、シーエイチシー、2006年10月、ISBN 978-4860972165

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同社はその後、ラヴァンスと社名を代えた。
  2. ^ ときには不遜な態度や大言壮語な放言を嫌い丹波とは距離を置いていた俳優仲間の存在を土屋嘉男らが映画作品の回想インタビューなどで示唆している[要出典]
  3. ^ 当初月光役が決定していたが、丹波のスケジュールが空けられず、一度降板した(月光は成田三樹夫が演じた)。しかし田沼役を演じる予定であった石原慎太郎のスケジュールが合わず、急遽丹波が田沼役で出演した[39]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本映画人名事典』男優篇 下巻、キネマ旬報社1996年、151頁。全国書誌番号:97020371
  2. ^ a b c d e f g h i j k “俳優丹波哲郎さん死去 国際的活躍、死後の世界にも関心”. Asahi.com. (2006年9月25日). http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200609250336.html 2013年3月13日閲覧。 
  3. ^ 丹波哲郎、ダーティ工藤 『大俳優 丹波哲郎』 ワイズ出版2004年、60頁。ISBN 4-87376-189-1
  4. ^ 丹波・工藤 2004, p. 65
  5. ^ 丹波・工藤 2004, p. 67
  6. ^ 丹波・工藤 2004, pp. 82-83
  7. ^ 丹波・工藤 2004, pp. 85-105
  8. ^ JJサニー千葉 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社2010年、20 - 29頁。ISBN 4821142694
  9. ^ 丹波哲郎”. 歴史が眠る多磨霊園. 2018年10月5日閲覧。
  10. ^ 稲川りよ子 (2007年7月17日). “丹波哲郎先生からの霊界通信”. 稲川りよ子の霊界サロン. ppBlog. 2018年10月5日閲覧。
  11. ^ 稲川りよ子 (2007年10月27日). “霊界通信の信憑性の探求”. 稲川りよ子の霊界サロン. ppBlog. 2018年10月5日閲覧。
  12. ^ a b c d 佐野史郎 (2006年9月27日). “丹波哲郎さん大霊界へ逝く”. 橘井堂. 2013年2月9日閲覧。
  13. ^ 古沢襄. “北一輝の従妹・ムツ”. 杜父魚文庫. 2018年10月5日閲覧。
  14. ^ 丹波哲郎の幸せのメッセージ 人が死ぬということ―大往生の極意―[リンク切れ]
  15. ^ a b 鬼平を極める フジテレビ出版 P.72
  16. ^ 丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」~第51回~”. 公式サイト 丹波哲郎の霊界サロン. 2018年2月20日閲覧。
  17. ^ 丹波・工藤 2004, pp. 238-239
  18. ^ ファミリーヒストリー 丹波義隆〜父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史〜 2015年9月18日(金)”. gooテレビ (2015年9月18日). 2018年2月20日閲覧。
  19. ^ a b c d せんだみつお「せんだみつおが見上げた昭和の巨星(スター)列伝 其の1 丹波哲郎」、『キネマ旬報』2016年11月上旬号、 134-135頁。
  20. ^ a b 丹波哲郎さん「スターは遅く来る」で毎回遅刻…仲代達矢が「徹子の部屋」で懐かしむ”. デイリースポーツ (2018年10月12日). 2018年10月14日閲覧。
  21. ^ 丹波・工藤 2004, p. 254
  22. ^ a b c 「『キイハンター』のボス 丹波哲郎を語ろう」、『週刊現代』2012年12月15日号、講談社
  23. ^ 丹波・工藤 2004, p. 252
  24. ^ 轟夕起夫(編著) 『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 講談社、2010年、291頁。ISBN 978-4-06-216511-2
  25. ^ 轟夕起夫 2010, p. 290
  26. ^ 轟夕起夫 2010, p. 289
  27. ^ a b 名作ドラマ“至高の最終回”の謎を総直撃!(4)「<1982年4月3日・Gメン’75>若林豪」”. アサ芸プラス. 徳間書店 (2016年3月8日). 2018年10月5日閲覧。
  28. ^ 『刑事マガジン』vol.1、辰巳出版〈タツミムック〉、2003年、61頁。ISBN 4-88641-908-9
  29. ^ DVD『Gメン'75 FOREVER BOX』Vol.1 映像特典「TALK ALIVE」(東映ビデオ)
  30. ^ a b 丹波・工藤 2004, p. 155
  31. ^ a b 草刈正雄 『草刈正雄FIRST PHOTO BOOK』 荒木勇人(写真)、双葉社2017年、92-97頁。ISBN 978-4-575-31258-4
  32. ^ 天才テリー伊藤対談「草刈正雄」(1)三谷さんの台本を素直に演じました”. アサ芸プラス. 徳間書店 (2016年10月22日). 2017年2月3日閲覧。
  33. ^ 丹波・工藤 2004, pp. 55-70
  34. ^ 丹波哲郎さん みなに愛されての旅立ち、スポーツニッポン、2006年10月1日
  35. ^ 『『徹子の部屋』40周年Anniversary Book』 ぴあ〈ぴあMOOK〉、2015年、102頁。ISBN 978-4-8356-2405-1
  36. ^ 「霊界の宣伝マン 丹波哲郎オジサマ大研究」、『月刊明星』1990年1月号、集英社、 123-125頁。
  37. ^ 丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」〜第27回〜”. 公式サイト 丹波哲郎の霊界サロン. 2018年2月20日閲覧。
  38. ^ 轟夕起夫 2010, p. 288
  39. ^ 舛田利雄佐藤利明高護 『映画監督 舛田利雄 アクション映画の巨星舛田利雄のすべて』 ウルトラ・ヴァイヴ、260-261頁。ISBN 978-4-401-75117-4

外部リンク[編集]