新幹線大爆破

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新幹線大爆破
The Bullet Train
Super Express 109
監督 佐藤純彌
脚本 小野竜之助・佐藤純彌
原案 加藤阿礼
出演者 高倉健
千葉真一
宇津井健
音楽 青山八郎
撮影 飯村雅彦
編集 田中修
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1975年7月5日
アメリカ合衆国の旗 1976年1月1日
フランスの旗 1976年6月30日[1][2]
上映時間 日本の旗 152分
アメリカ合衆国の旗 115分
フランスの旗 100分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 ¥500,000,000
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新幹線大爆破』(しんかんせんだいばくは、The Bullet Train, Super Express 109 )は、1975年日本映画オールスターキャストによるパニック映画で、日本よりも海外での評価が高い作品である。上映時間152分。

概要[編集]

企画は当時の東映社長・岡田茂によるもの[3][4][5][6]。当時の東映は『仁義なき戦いシリーズ』、『山口組三代目』など「実録やくざ路線」が大ヒットを記録[7]。さらに、『燃えよドラゴン』を鑑賞した岡田が「ブルース・リーを真似ろ」と指示して[8][9]作らせた、千葉真一主演の『殺人拳シリーズ』を筆頭の「カラテ映画」[10]も好調でシリーズ化されていた[9][11]

1974年5月、岡田は当時の東映企画部長・天尾完次との打ち合わせで「実録路線」などの次なる素材を探していた[4]が、この時岡田には「アメリカでヒットしているものが、間もなく日本でも受けるようになる。だから常にアメリカの動向を観察していなければならない」という考えがあった[4][12]。当時のアメリカ映画は『大地震』『エアポート'75』『サブウェイ・パニック』『タワーリング・インフェルノ』など、いわゆるパニック映画が非常に受けており、「間もなく日本に輸入されてくるはず。それが『エクソシスト』などの後をうけて大当たりするはずだ。」と予想していた[4][7][13]

日本で製作するテーマとして、日本にしかない題材の新幹線を選び、それを乗っ取る・爆発させるというストーリーは日本だけでしか出来ず、外国に持っていっても遜色ないものが出来る、と考えたのが企画の始まりだった[4][5][6][14]。当初予定していたタイトルは『新幹線爆破魔を追え』であったが[15][16]、岡田の「『新幹線大爆破』だろ」の“鶴の一声”で変更[17]。岡田も「実録ものの一バリエーションとして企画の幅を広げる意味でも是非実現し成功させたい」と張り切り[16]、東映の館主や関係者もこれは当たる、東映カラーを打ち破る手がかりになる、などと評判がよく、マスメディアからの反響も大きく本作が成功すれば路線変更という声も上がった[4]

物語の肝は“新幹線が時速80キロを下回ると爆発する”という状況下の中で繰り広げられる、犯人と国家との攻防劇である。新幹線に爆弾を仕掛けた犯人、危機の回避に全力を尽くす日本国有鉄道(国鉄)サイド、犯人逮捕に躍起になる警察、パニックを起こす乗客の姿で主に構成されている。犯人側の人生背景にも大きくスポットが当てられており、町の零細工場の経営に失敗した男・学生運動くずれ・集団就職で都会に来た沖縄出身の青年がなぜ犯行に至ったのか、日本の高度経済成長時代への批判を暗示しつつ明らかにされていく[14][18]。犯人側にもドラマを与え感情移入を狙った演出も相まって、単なるパニックムービーとして括れないことが高評価に繋がっている[6]

興行成績[編集]

5億3000万円の制作費[19][20]は東映の作品において過去最大の金額と言われ[4]、監督の佐藤純彌は2002年のトークショーで「(2002年)当時の貨幣価値なら20億円くらいでないか」と述べている[13]。当時の洋画トレンドだったパニック系アクションの製作に乗り出した第一作目ということもあり、業界からも注目を集めた。しかし、日本国有鉄道(国鉄)に実物の新幹線の撮影協力を交渉したところ、安全を謳い文句にしていた国鉄サイドは刺激的な映画のタイトルに難色を示し、「『新幹線大爆破』という映画のタイトルでは新幹線のイメージが悪くなるので、『新幹線危機一髪』というタイトルへ変えるなら撮影に協力しても良い」とタイトルの変更を要求する[14]。しかし岡田がOKを出さず、「何としても"新幹線大爆破"でいけ」と号令を出すまでに至ったものの交渉が決裂[21]。最終的に国鉄からの撮影協力は得ることができず、ロケーション撮影は不可能となったため、岡田が「隠し撮りとミニチュア撮影の合成で行け」と命令を出し[22]、急ピッチで撮影に入った[23]詳細は後述)。

こうした経緯から制作が2ヶ月ほど遅れ、映画の完成が封切の2日前までずれ込んだため試写会の開催もなく、映画のタイトルから新聞への広告も拒否された[24]ことで、宣伝が十分に行き届くことがなかった。また、上映においても当作品のみの1本立て興行ではなく、当時の人気アイドルグループ「ずうとるび」のドキュメンタリー風短編映画『ずうとるび 前進!前進!大前進!!』との2本立て興行だった[25]。『ずうとるび-』との併映は10代の映画ファンの興行への影響力が大きくなったのを見た岡田が、この年からメインの併映は「青春路線」で行くと発表していたからである[26][27]。第一級のサスペンス映画に仕上がりながら、任侠路線が色濃く残る東映のイメージもあいまって興行的には成功を収めたとは言えず[25]、同年に東映が企画段階で頓挫した作品の穴埋めとして急遽製作・上映された『トラック野郎・御意見無用』の配給収入に遠く及ばなかった[28]。製作費を注ぎ込んだ『新幹線大爆破』がコケ、低予算で製作された『トラック野郎』が大ヒットしたことから『トラック野郎』シリーズ化の後押しとなった[28]

都心ではまずまずの入りだったが、新幹線に縁のない北海道東北地方(当時)の客入りは悪く[29]、当時の週刊誌誌上では「1975年3月の山陽新幹線博多開業に合わせて公開しようとした便乗企画」などと書かれたが[30]、山陽新幹線の通る西日本地域においても「サッパリだった」という[29]。一方、キネマ旬報の読者選出ではベストワンに選ばれるなど[31]作品の評価そのものは非常に高かったために[32][33]マスメディアで様々な敗因の考察がなされ[29][32]、東映営業部では「映画の内容がハイブローすぎてヤクザ映画とポルノが好みの東映ファンにソッポを向かれた」と分析[29][34]。客層はいつもと違いホワイトカラーと女性客が圧倒的で、頼みのオールナイト興行は閑古鳥が鳴いた[29]。脚本の小野竜之助は「ミニチュアを使った特撮を東映が大々的に宣伝し、トリックだとネタばらししたのがまずかった[35]」「アイドル映画とくっつけないで、一本立てにしていたら結果は違った[25]」などと話し、黒井和男も同様に「ミニチュアを派手に使って宣伝したポイントのズレが足を引っ張ったと思う」とのコメントを残している[33]。アメリカのパニック映画に受けて立つという製作意図であったが[32][36][37]、同時期公開された『タワーリング・インフェルノ』の拡大方式による攻勢により[34]、本作も含め、東宝の『動脈列島』、松竹の『おれの行く道』などの日本映画は観客を持っていかれ[29]、『タワーリング・インフェルノ』は当時史上最高の興行収入を記録した(62億円)[38][39]

評価[編集]

1975年度キネマ旬報ベストテン第7位、読者選出第1位[40]。1975年には和製パニック映画『新幹線大爆破』、『東京湾炎上』、『動脈列島』が封切られた。キネマ旬報は、他2作は惨敗、唯一『新幹線大爆破』が及第点だったと評価している[41]1980年代以降、同作品のビデオレンタルテレビ放送がされるにつれ、日本でも徐々に再評価されるようになった。

日本ではヒットしなかったが、封切り公開終了後の秋にアメリカジャーナリストを集めて試写を行うと高い評判を呼び、「通俗娯楽映画として水準を抜いたできばえ」「久しぶりの日本映画」などの評価を受けたほか[33]、ミニチュアを使用した撮影と思わず、技術的にも評価された[33]。その評判が全世界に流れ、「それまで商売をしたことのないような国からも引き合いがきた」という[33]。これを受けて東映国際部では、1975年10月のミラノ国際見本市に出品すると大好評を博し[31]さらに多くの国から輸出の引き合いが殺到した[31]。また香港の日本映画見本市やテヘラン映画祭[35]ソビエトタシケントのアジアアフリカラテンアメリカ国際映画祭[42]など、岡田社長が日本代表団長として[43][44]海外市場に積極的に売り込みを図り[19][43][45]1975年から1976年にかけて輸出された東映作品の中で抜群の売れ行きを見せた[19]。特にフランスではそれまで日本映画がアートシアター形式の小劇場でしか上映されなかったという前例を破り[31]1976年6月からパリ及び近郊のゴーモン系劇場17館で一斉公開され8週間のロングランヒットを記録[19][31]、約44万人の動員となり[1]、1976年12月18日からは日本でフランス語吹き替え版が凱旋公開された[19][31]イギリスロンドンではオリジナル版が上映され特別賞を受けた[13][24]。その他の英語圏では『The Bullet Train 』にて115分[35]、フランスで『Super Express 109 』もしくは『Crisis Express 109 』にて100分でそれぞれ公開されている[19]。1976年12月の時点で120ヵ国で公開されたとされ[31]100ヵ国のポスターが存在するといわれる[13]

フランスでヒットした理由は、フランスにも日本の新幹線に触発されて開発中だった高速鉄道TGVがあったからとされる[19]。このフランス語版では犯人側のドラマはカットされ[31]、沖田たちは単なるテロリストとして扱われたが、佐藤はこのカット版の大ヒットに複雑な思いがあり、フランス語版に基づいたテレビ放送を見た知人からの「面白かったよ」という電話に対し、「本当はもっと面白かったんだ」と言い返したとエッセイに記している[46]。海外版は日本のスターが集結した超大作というよりも、アクションスター・ソニー千葉主演のパニック映画として扱われているといわれる[28]

ストーリー[編集]

ある朝国鉄に、本日東京駅を出発した「ひかり109号」に爆弾を仕掛けたと、脅迫電話がかかってきた。犯人は今でいう「負け組」となった三名のグループで、新幹線に爆弾を仕掛け、誰も殺さず殺されずに巨額の身代金を得ようと完全犯罪を計画したのであった。終盤まで、犯人グループと警察当局・国鉄とのスリリングな駆け引き、そして乗客乗員らのパニックが続く。

キャスト[編集]

主要キャスト[編集]

その他のキャスト[編集]

以下はクレジットなし

スタッフ[編集]

製作経緯[編集]

撮影まで[編集]

当時の東映は『山口組三代目』の製作を巡って警察から厳しい規制を受けていたが、国鉄の全面的な協力を見込んで企画を立てた[4]。岡田の前の社長である大川博は国鉄OBでもあり、国鉄とは蜜月だった[13][21]1960年の『大いなる旅路』は、国鉄機関士の半生の話で、脚本を読まない大川が[47]唯一、実際に自身で企画した映画といわれ[48]、冒頭で貨物列車が転覆するという重要なシーンに本物の車両を出し、国鉄から表彰された程だった[13][21][49]。東映は特撮があまり得意でないことから国鉄の協力は不可欠で、「実写をふんだんに使い、迫力のあるパニック物を作ろう」と構想していた[4]

脚本[編集]

企画担当の天尾完次坂上順は緻密なコンストラクションという点で「東映東京撮影所では佐藤純弥しかいない」「それに粘り強いライターなら小野竜之助だろう」と二人を組ませた[4]。佐藤へのオファーが1974年初夏[19]。小野へのオファーは同年の11月だった[4]。佐藤はかつて国鉄国際部の依頼で、海外広報用の新幹線のPR映画を作った経験があった[19]。有名な“新幹線が一定速度を下回ると爆発する”というアイデアは、坂上順の着想とされ[19][35]、「飛行機は着陸したくても着陸できないというサスペンス映画があるけれど、新幹線の場合、停まりたくても停まれないというサスペンス映画はできないですか」と坂上が佐藤に伝えた[4]。佐藤は東京・駒込六義園近くの鉄道関係の専門書を多く発刊している書店に出向き「新幹線教則本」を購入[13][19]。また前記のPR映画を作った際に、国鉄の広報担当者が「新幹線は地上最速の輸送機関でありながら、最も安全である。何故ならば、新幹線の安全対策は多岐に渡るが、その根本思想は、何かあったら直ちに停止するということだからだ」と言っていたのを思い出し、爆発のメカニズムのアイデアを膨らませた[19]。国鉄サイドからすれば、本作のアイデアがそうした盲点を突いていたことが協力を嫌がった理由といわれる[4][50]浜松駅での上り線への切り替えシーンのアイデアは、佐藤がB班として参加した実現しなかった黒澤明脚本の『暴走機関車』に似たシークエンスがあったという[14]

キャスティング[編集]

主役の沖田哲男役は当初菅原文太を予定していたが[16]「この映画の主役は新幹線で、演技者は付け足しだ」と断ってきた[51]。他に高橋英樹も主演候補に挙がったが[22]高倉健が「こんな面白い映画なら、どんな役でもいいからぜひ参加したい、もちろん犯人役でも構わない」と言ってきた[13][35][51]。当初岡田は通常の映画作品よりキャスト・特撮の双方で予算が掛かっているため、「本来のギャラは出せない」と判断していたが、坂上に「通常のギャラの半分でいいなら高倉を起用してもいい」と提案。高倉はそれを受けて「ギャラは半分でいいが、その代わり映画が当たったら成功報酬のパーセンテージが欲しい」と条件付きで了承した[7]。高倉は「この映画に関しては俳優の魅力なんかは二の次で、ストーリーの面白さがある」「大変面白い脚本で、久しぶりにのってるんです」と当時のインタビューで述べていた[4]。脚本の小野らは犯人役はある種パターン化された凶悪犯人像を考えていたため、高倉の出演によりただの凶悪犯という訳にもいかず、人間像を掘り下げて膨らまさなくてはならない。当初のシナリオはフランスで公開された内容に近く、犯人側の視点は簡潔なものだった[35]。やむなく一度組んだ構成をバラして犯人側の回想などを加えてやり直した[21]。やくざ映画のヒーローでならした高倉がジャンパー姿で倒産した中小企業のオヤジ役を引き受け、時代に取り残され絶望的に反撃を試みる男を演じ、同作はこれ以降に幅広い役柄をこなすきっかけとなった[14][22]。前述のように制作費の高騰分した分も俳優に協力をお願いし、通常より低めのギャラで出演してもらった[4]カメオ出演のうち、北大路欣也はノーギャラだという[13]岩城滉一はこれが映画デビュー作。

撮影[編集]

関川秀雄の兄が新幹線開発に加わっていたために話を聞いたり[13][52]静岡県沼津市新幹線検査工場を訪ねたりして資料を集めていたが[19]1974年12月、国鉄が「現在、新幹線に爆弾を仕掛けたという電話は週に1本の割合でかかって来て、その度にいたずら電話かも知れないが、必ず最寄の駅に停車させて検査するような状態である。このような映画は、更に類似の犯罪を惹起する恐れがあるから製作を中止されたい」と本作の企画に断固反対の姿勢を打ち出した[19]。その後も前述のような交渉を続け、タイトルを「変えろ」「変えない」で1か月揉めた[53]。1975年2月初めに80%協力は得られないという線が出て、同年4月に国鉄の撮影協力は一切得られないと決定した[4]。1975年4月18日号の『週刊朝日』には「九割がた製作中止になりそう」などと書かれた[54]が、現場の士気はかえって上がった[14]。1年以上かけた企画を潰すことはできず、ここから特撮での製作に切り替え[4]、裏ルートで取材を行い、実物大の客車セットや模型を使って撮影を進めた[19]。当時のニュース映像や資料写真を参考にしたり、いろんな手を使って本物そっくりのセットを作りあげた[19]。このため、国鉄からは3年間出入り禁止となった[13]。特撮部分に総額6000万円をかけている[4]。 

新幹線
新幹線のミニチュアは1台1メートル余りあり[12]、12両編成で12メートル。これを2セットで計24両製作[4]。この2台で2000万円かかった[4]。東映に紡錘形を作らせたら日本一といわれる美術担当者が、新幹線特有の紡錘形を再現した[4]。新幹線などのミニチュアは、長らく映画・テレビの特撮作品で金属模型を手掛けた郡司製作所が担当した。特撮シーンは特殊技術の成田亨によるもので、新幹線のミニチュアは自走式では無く、撮影所の中庭に線路を作って微妙な傾斜をつけて走らせ、撮影したという[12][19]。線路は全長50メートル[19]、150メートル[13]、300メートル[53]と文献によって長さの記載が異なる。この新幹線と線路のミニチュアは、のちに『ウルトラマン80』でも使用されており[55]、109号が爆破されるイメージカットは東映の特撮ドラマなどにも流用されている。爆破場面以外でも『大鉄人17』で新幹線ロボットの登場する前後編(第18話・第19話)等で流用された。背景の都市はミニチュアではなく、ビルのモノクロ写真を引き伸ばしてパネルに貼り付け、着色したものである。これは成田の発案で、限られた予算内で撮るためのアイデアの1つだった。この特撮のため、1日のレンタル料が100万円だった当時最新鋭のシュノーケル・カメラを借りている[13]。シュノーケル・カメラを使用した日本映画は、本作が初めてと言われている[4]。このカメラを約1か月使用した[13]2年後、同じカメラが『スター・ウォーズ』で使用されたという[13]。これらミニチュアの新幹線と実際の新幹線を盗み撮りした映像を組み合わせ[13][53]、迫力のある走行シーンを撮り上げた[4]
新幹線車内
実物大の新幹線客車セットは、材料の質感が本物そっくりに出ないと作品が全部絵空事になるという判断から、ベニヤ板でセットを組まず、当時実際に国鉄に納入していた日立製作所東芝などから実物の椅子や壁面、網棚などを発注して原寸大の車内を再現した[13][14]。これに手間と時間がかかり、撮影が遅れた一因になった[4]。後日、各会社は国鉄から怒られたという[13]。本物そのままのセットは5年間保存され、新幹線の車内が必要なテレビドラマ『新幹線公安官』などに使われ、そのレンタル料で元を取った[13]
新幹線司令室
新幹線司令室も内部の写真の提供を拒否されたため、美術監督が見学者を装って司令室に潜り込んだと書かれた文献もあるが[19]、2002年のトークショーでは佐藤が「国鉄は外国人に弱いから日本で無名の外国の俳優をドイツの鉄道関係者に仕立てて、全部盗み撮りしてきた」と話した[13]。映画での司令室のCTC表示板は起点である東京駅が本来は左側であるところが右側となっているが、これは映画進行上のイマジナリーラインを右から左としているための意図的な演出である。ただし、本来の表示の左右だけを反転させて上下を反転させていないため、表示と実際の線路配置とでは左右(上り線と下り線)が逆になっており、CTC表示板でのひかり109号が停車している東京駅19番ホームの位置と実際に19番ホームを発車するひかり109号の映像の間に、矛盾が生じている。
貨物5790列車
同列車の走行シーンは私鉄北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道で、国鉄ではないために撮影が可能だった[14]。爆破シーンは、北海道炭礦汽船夕張鉄道線の一部を引き継いだ専用線で撮影された[50]。5790列車は当時夕張線に実在し、実際に蒸気機関車が牽引していた。

逸話[編集]

  • 原案としてクレジットされている加藤阿礼は、カトリーヌ・アルレーをもじって付けたプロデューサーの坂上順のペンネームである[5][6]。本作以外では2001年の『ホタル』で脚本協力としてクレジットされている[56]
  • 撮影遅延により予告編は未撮影部分を他の作品から拝借する反則気味のコラージュが多用された[28]。実際に観たら全然違ったとガッカリする客も多かった[28]。予告編での千葉真一は、茶・白の縦縞(ストライプジャケットを羽織り、新宿副都心にいる姿だった。これは1974年(昭和49年)8月10日に封切り公開された映画『直撃! 地獄拳』のワンシーンの流用である。全く無関係のシーンを本作予告編に使ったため、千葉が新幹線・ひかり109号運転士の青木役とは、とても予想できるものではなかった。志穂美悦子多岐川裕美は予告編とは全く違う役柄でワンシーンのみ登場。岩城滉一はアップがないため役柄を前もって確認しておかないと気付かない[28]
  • TBSラジオコサキンDEワァオ!』で関根勤が、青木(千葉)と倉持(宇津井健)の一人二役ものまねを披露した。同じネタがDVD『カマキリ伝説2』に収録されている。
  • 1975年3月時点での脚本では、乗客に甲子園遠征に向かう長嶋監督巨人ナイン名古屋場所へ向かう北の湖、人気歌手の西城秀樹も乗り合わせたという設定だった[16]
  • 前述のように新幹線車内や司令室にたくさん金をかけて製作したため、封切り前から「たった一作きりでバラすのはもったいない」と、これらセットを使った映画の次回作製作がほぼ決定していて、その作品は、森村誠一原作の『新幹線殺人事件』だった[57]。これは当時日本でイギリス映画の『オリエント急行殺人事件』がヒットしていた影響があった[57]。『新幹線大爆破』の封切り前日までこの製作を予定していたが『新幹線大爆破』がコケたため中止となった。結局『新幹線殺人事件』は東映がテレビ朝日/朝日放送と共同製作した『土曜ワイド劇場』の第3回の1977年7月16日に放送されたが『新幹線大爆破』のセットを使用したかは不明[57]
  • 2015年現在『新幹線大爆破』の状態のいいフィルムは1本しかないという[58]

ひかり109号について[編集]

当時、実際の「ひかり109号」は東京9:48発の博多行きで、途中の停車駅は名古屋・京都新大阪新神戸姫路・岡山から先各駅停車といういわゆる「Aひかり」と言われる列車であり、時刻は以下の通りである。

東京(9:48発)→名古屋(11:49着/11:51発)→京都(12:41発)→新大阪(12:58着/13:00発)→新神戸(13:17発)→姫路(13:45発)→岡山(14:15着/14:17発)→新倉敷(14:31発)→福山(14:46発)→三原(15:01発)→広島(15:27着/15:29発)→新岩国(15:48発)→徳山(16:08発)→小郡((現:新山口)16:28発)→新下関(16:51発)→小倉(17:02着/17:04発)→博多(17:36着)

なお、当時は新尾道東広島厚狭の各駅はまだ開業していない。

東海道・山陽新幹線(東京 - 博多間)を全線通して運行される「ひかり」号は、「のぞみ」号の登場もあって、現在のダイヤでは存在しない。

音楽[編集]

公開当時、サントラ盤は主題曲とスキャットのシングルのみ発売された。その後、バップからライナーに作品解説も含むCDが発売された。
劇中で流れた既製の楽曲のうち、沖田が爆弾の図面の入った封筒を預けた喫茶店で流れていたのは、松平純子の「両国橋」(作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎)。沖田が分け前の発送作業をしたモーテルで部屋のテレビから流れていたのは、浜田勇の「怨み唄」(作詞:佐藤純弥、作曲:野田ひさ志)。1996年(平成8年)にバップよりJ-CINEサントラコレクションシリーズの一作としてサントラCDが発売された。なお、劇中に流れる青山八郎の音楽は、1977年(昭和52年)の東映実録ヤクザ映画『日本の仁義』に転用されている。

テレビ放映[編集]

地上波での初めてのテレビ放送は、1978年4月24日月曜日にTBSの『月曜ロードショー』で、カットされた2時間バージョンだった。その後、1980年4月4日金曜日に『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ)で、放送枠を21:00-23:55まで拡大して放送された。後にテレビ朝日などでも、年末特番として3時間枠でほぼ全長版で放送された。日本テレビでは1990年代に深夜番組として海外版にシーンを追加したバージョンがCM無しで放送された。有料放送では2009年(平成21年)頃にWOWOWで全長版が放送された。

小説版[編集]

1975年に勁文社より佐藤純弥・小野竜之助共著『新幹線大爆破』が刊行された。

またイギリスのミステリー小説家ジョゼフ・ランス(本名:トレヴァー・ホイル英語版)によるノベライズ版『Bullet Train 』が、1980年にイギリスで、1981年にアメリカで出版[56]、1992年に7ヵ国語[19]、2002年時点では16ヵ国で翻訳出版されているという[13]。 訳書は2010年に、イギリス版を元に論創社で刊行(論創海外ミステリ版、加藤阿礼・駒月雅子訳)された。

映像ソフト[編集]

ビデオソフト黎明期からソフト化が行われており、1981年には東映芸能ビデオから2巻組の全長版VHSが8万5000円で、60分に短縮されたバージョンが2万4800円で発売されていた[59]。1983年8月16日にシネスコ版のビデオが発売され、その後1998年5月21日に再発売された。

1999年(平成11年)7月21日に東映ビデオより2枚組レーザーディスクが発売された[60]。東映プロデューサーの坂上順が、本作と1999年(平成11年)公開の「鉄道員」のプロデューサーであり、本作を機に東映を退社した高倉の事実上の復帰作でもある事から発売が企画された。佐藤監督と坂上プロデューサーのショートインタビューと公開当時の資料が見開きの内ジャケットに掲載され、インナージャケットには『ガメラ3 邪神覚醒』を制作していた庵野秀明樋口真嗣による1998年(平成10年)の時点から作品を視聴した対談(現代との差異点・リメイクの話題など)が掲載されている。なお、DVD版はこのレーザーディスク版のテレシネを流用したものと見られる。[独自研究?]2001年(平成13年)、東映50周年記念を機にDVDソフト化希望の映画タイトルを投票により募集したところ、3位にランキングされ、2002年4月12日にレンタル開始、7月21日にセル発売[61]となっている。

類似作[編集]

暴走機関車
黒澤明原案、アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品、佐藤純弥は「実は『暴走列車』は黒澤さんがやることになって、B班が実は僕がやることになっていたんです。ところがアメリカのプロデューサーと黒澤さんが対立して、結局流れちゃったんですけれども。だからあの『暴走列車』そのものの台本というのはたぶん僕が最初に日本で読んでたんだと思うんです。話は知っていました」と語っている[13]
夜空の大空港
1966年の米テレビ映画。高度1万フィート(3048メートル)以下に降下すると爆発する爆弾を仕掛けられた飛行機という設定もアイデアの源になっており、『夜空の大空港』をたまたま観ていた山本圭が、プロデューサーにその話をしたところ「あ、わかる?」と答えたという[62]
スピード
1994年公開のヤン・デ・ボン監督作品。脚本を書いたグレアム・ヨストは、映画『暴走機関車』の原案である黒澤明が書いたオリジナル脚本を読んで思いついたと公表している。マイル表示の爆発設定速度をキロ表示に変換するとほぼ「時速80キロメートル」であり、『新幹線大爆破』が原典とする説もある。
動脈列島
本作と同時期に製作された、新幹線を題材にした東宝作品で、共に大映出身の増村保造監督・田宮二郎主演。『動脈列島』が新幹線による騒音公害と絡めた社会派路線なのに対して、本作は娯楽作品としての面白さを追求した路線を取っていると同時に、乗客や運行に携わる関係者の真剣な対応と、警察や政府の打算的な解決策、そして犯人らの個人的な思いが交錯して描かれている点が対照的である。
カサンドラ・クロス
1976年(昭和51年)の映画。「止められなくなった列車内での乗客たちのパニックとサバイバル」というプロットがよく似ている。
皇帝のいない八月
小林久三による小説。『カサンドラ・クロス』をヒントに、寝台特急さくら号が決起部隊にジャックされるサスペンス作。松竹で山本薩夫監督で映画化され、本作で古賀役の山本圭が主演した。
無敵ロボ トライダーG7
1980年(昭和55年)に放送された日本サンライズ制作のロボットアニメ。第37話「火星で食べた!?サンマの味」で、主役ロボの飛行形態であるトライダーシャトルに速度が落ちると爆発する爆弾を仕掛けられるという場面があり、0系新幹線が出てくるカットがある。
名探偵コナン 時計じかけの摩天楼
1997年(平成9年)の映画。「東都鉄道東都環状線」の線路上に爆弾が仕掛けられ、時速60キロメートル以下になると爆発する[63]というシーンが登場。本作同様、ポイント切り替えシーンや新幹線総合指令所とそっくりなセットやカットがアニメ化された。
古畑任三郎 『最も危険なゲーム』
1999年(平成11年)に放送された第3シリーズ最終回のエピソード。
TUBE
2003年の韓国映画。タイマー式爆弾をセットされた地下鉄車両が走るというストーリーである。この映画にも、走り続けている列車を回避するために待避線へ逃げる他の列車の描写がある。
交渉人 真下正義
2005年(平成17年)に公開された映画。本作をオマージュした場面がある。
謀略軌道 新幹線最終指令
1998年(平成10年)に出版された小説。盛岡発東京行きの東北新幹線やまびこ」号の車両に、時速100キロメートル以下になると爆発する爆弾が仕掛けられる。犯人は多額の身代金を要求し、JRは時間稼ぎのために急遽東京駅構内で東北新幹線と東海道新幹線の線路をつなぎ、「やまびこ」号を博多まで走らせる。
烈車戦隊トッキュウジャー
2014年(平成26年)に放送された東映製作の特撮作品。第8話「レインボーライン大爆破」で、倒された敵の分身により烈車のブレーキがかからなくなり、メンバーの1人に爆弾が仕掛けられ、揺らしたりすると爆発するというエピソードがある。車掌役の関根勤が千葉真一(青木運転士)の物真似をしていた。関根勤曰く、スタッフのひとりにかつて自らが出演していたラジオ番組『コサキンDEワァオ!』のリスナーがいて、前々から「関根さんが出演するなら『新幹線大爆破』をモチーフにした回を作りたかった」と言って実現したとのこと。
ニンジャスレイヤー
ブラッドレー・ボンド (Bradley Bond) とフィリップ・ニンジャ・モーゼズ (Philip Ninj@ Morzez) のアメリカ人コンビによるとされるSF小説。2014年に公開されたエピソード「マグロ・サンダーボルト」で、主人公のニンジャスレイヤーは速度を落とすと爆発する爆弾を身体に取り付けられる。

脚注[編集]

  1. ^ a b Films Japonais au Box-Office Français” (2014年7月29日). 2014年7月29日閲覧。 “Super Express 109 (30/06/1976) : 440 638 (8 702 séances)”(フランス語)
  2. ^ PARIS 1976 - (page 27) - BOX OFFICE STORY”. 2014年7月29日閲覧。(フランス語)
  3. ^ 渡邊達人『私の東映30年』1991年、p160、161
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「新幹線大爆破にしかけたスリルのサスペンスについて」〈スタッフ座談会〉佐藤純弥・小野竜之助・高倉健・天尾完次・飯村雅彦・坂上順キネマ旬報』1975年7月上旬、夏の特別号、88 - 94頁。
  5. ^ a b c 『月刊シナリオ』、日本シナリオ作家協会、2015年2月、 152-153頁。
  6. ^ a b c d 新幹線大爆破 - 午前十時の映画祭 - 映画.com
  7. ^ a b c 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(19)日本のパニック映画を作れ
  8. ^ 春日太一 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 文藝春秋2013年、342 - 345頁。
  9. ^ a b 小沢茂弘、高橋聡 『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈生』 ワイズ出版1996年、91 - 92頁。ISBN 9784948735576
  10. ^ 「東映不良性感度映画の世界」、『映画秘宝』、洋泉社、2011年8月、 62頁。
  11. ^ 「月刊シナリオ」、日本シナリオ作家協会、1975年2月。
  12. ^ a b c 文革中国が輸入した「高倉健映画」 「文太」が蹴った『新幹線大爆破』、健さんは乗った…健さん・文太さん秘話(1/4ページ)
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v しんゆり映画祭ゲストトーク2002「新幹線大爆破」
  14. ^ a b c d e f g h be on Saturday 「(映画の旅人)「新幹線大爆破」〈1975年〉」”. 朝日新聞 (2013年11月30日). 2015年2月11日閲覧。
  15. ^ 週刊サンケイ』1975年2月20日号、p28、『週刊朝日』1975年2月14日号、p37
  16. ^ a b c d 「邦画新作情報」東映がパニック映画を、『キネマ旬報』1975年3月下旬号、169 - 171頁。
  17. ^ 【ウチわの話】75年公開「新幹線大爆破」の21世紀版見たい”. スポーツ報知 (2014年10月19日). 2014年11月18日閲覧。
  18. ^ 松田政男「今号の問題作批評」佐藤純弥監督の「新幹線大爆破」 〈堕ちたヒーロー〉が甦る時代 『キネマ旬報』1975年8月下旬号、142 - 143頁。
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 東映 『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年、262 - 265頁。
  20. ^ 本作のプレスノートより(新幹線大爆破@ぴあ映画生活 - チケットぴあ)。
  21. ^ a b c d 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(20)撮影協力を強く拒んだ国鉄
  22. ^ a b c 「邦画新作情報」難航する新幹線物 『キネマ旬報』1975年5月下旬号、171 - 172頁。
  23. ^ 「映画・トピック・ジャーナル」新幹線映画で勝負の東宝、東映 『キネマ旬報』1975年6月下旬号、162 - 163頁。
  24. ^ a b 「佐藤純彌 ぶらりシネマ旅」『デイリースポーツ』2014年12月23日付(13)
  25. ^ a b c 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(21)公開後に事態は「意外な方向へ」
  26. ^ 文化通信社編 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 ヤマハミュージックメディア2012年、56-58頁。ISBN 978-4-636-88519-4
  27. ^ 「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖(53)」、『映画秘宝』、洋泉社、2010年12月、 101頁。
  28. ^ a b c d e f 杉作J太郎・植地毅 「70's東映スピード&メカニック路線+1徹底攻略」『トラック野郎 浪漫アルバム』 徳間書店2014年、169頁。ISBN 9784-19-863792-7
  29. ^ a b c d e f 「どこまで続くソックリ・ショー(ぬかるみみぞ) 邦画四社の"柳の下"合戦」週刊朝日1975年8月1日号、36頁
  30. ^ 『週刊サンケイ』1975年2月20日号、p28、『週刊朝日』1975年2月14日号、p37
  31. ^ a b c d e f g h リバイバル時の映画チラシ 『キネマ旬報』1976年12月下旬号、38頁。
  32. ^ a b c 「映画・トピック・ジャーナル」東映意欲作「新幹線映大爆破」苦戦す、『キネマ旬報』1975年8月下旬号、162 - 163頁。
  33. ^ a b c d e 黒井和男「指定席96「新幹線映大爆破」と日本映画『キネマ旬報』1975年10月下旬号、189頁。
  34. ^ a b 「ヒット・Hit」『キネマ旬報』1975年8月下旬号、168頁。
  35. ^ a b c d e f 『月刊シナリオ』、日本シナリオ作家協会、2015年2月、 100-103頁。
  36. ^ 「映画・トピック・ジャーナル」東映意欲作「新幹線映大爆破」苦戦す、『キネマ旬報』1975年8月下旬号、162 - 163頁。
  37. ^ 「映画・トピック・ジャーナル」東映・岡田社長が自ら陣頭指揮に 『キネマ旬報』1975年10月上旬号、218 - 219頁。
  38. ^ 佐藤忠男山根貞男 『日本映画1976:1975年公開日本映画全集』 芳賀書店〈シネアルバム46〉、1976年、190 - 191頁。
  39. ^ 歴代ランキング - CINEMAランキング通信
  40. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年、200-206頁。ISBN 4-87376-595-1
  41. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年、206頁。ISBN 4-87376-595-1
  42. ^ 志穂美悦子さん、海外映画祭で空手の相手に…岡田茂氏死去 - スポーツ報知(archive)
  43. ^ a b 「映画界の動き」ソ連・タシケント映画祭報告、『キネマ旬報』1976年7月夏の特別号、201頁。
  44. ^ 「映画界の動き」第22回アジア映画祭成功で終了、『キネマ旬報』1976年8月上旬号、200頁。
  45. ^ 私的、広島と映画とアニメーション論10
  46. ^ 季刊映画宝庫「日本映画が好き」芳賀書店
  47. ^ 中島貞夫 『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』 ワイズ出版2004年、71頁。ISBN 4-89830-173-8
  48. ^ 俊藤浩滋山根貞男 『任侠映画伝』 講談社、1999年、63頁。ISBN 4-06-209594-7
  49. ^ 読む鉄道、観る鉄道 (11) 『大いなる旅路』 』 - 脚本・新藤兼人、主演・三國連太郎で描く機関士人生
  50. ^ a b 『新幹線大爆破』 - 「ひかり109号」を次々襲うピンチにハラハラドキドキ
  51. ^ a b 文革中国が輸入した「高倉健映画」 「文太」が蹴った『新幹線大爆破』、健さんは乗った…健さん・文太さん秘話(2/4ページ)
  52. ^ 関川の兄は、当時国鉄北海道総局長だった関川行雄である(参考外部リンク[1])。
  53. ^ a b c 「佐藤純彌 ぶらりシネマ旅」『デイリースポーツ』2014年12月16日付(12)
  54. ^ 「国鉄サンの逆燐だもの 新幹線パニック映画の製作中止」週刊朝日1975年4月18日号、37頁。同時期に製作されていた東宝の新幹線パニック映画『動脈列島』も「製作中止になりそう」と書かれている。
  55. ^ ウルトラマン80』DVD-BOX第1巻・コレクターズブックより
  56. ^ a b ジョゼフ・ランス、加藤阿礼『新幹線大爆破』(論創社、2010年)巻末の小山正による解説「もうひとつの『新幹線大爆破』」より。
  57. ^ a b c 「アングル76' 幻の映画を追って」、『キネマ旬報』1976年正月特別号、 166-167頁。
  58. ^ 新幹線大爆破」上映延期 高倉さん死去で東映バタバタ 秋田
  59. ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号
  60. ^ 「'99TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD」『宇宙船YEAR BOOK 2000』 朝日ソノラマ宇宙船別冊〉、2000年4月20日、63頁。雑誌コード:01844-04。
  61. ^ 「DVD & VIDEO Selection COLOR」、『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ2002年5月1日、 40頁、 雑誌コード:01843-05。
  62. ^ キネマ旬報2005年8月下旬特別号内「DVD特別インタビュー1 山本圭」より。
  63. ^ この場合は「光が当たらなくなると起爆装置が作動し、一定時間光が当たらずにいると爆発する」パターンの起爆装置であり、起爆装置作動から爆発まで13秒に設定されていた(時速60キロメートル=秒速16.7メートル。時速60キロメートルで10両編成の列車が通過するには、12秒かかるため)。

関連項目[編集]

  • 福岡市博物館 - 本作のポスターが博物館資料として収蔵されている。2003年(平成15年)に収集されたもので、「第19回新収蔵品展」で展示された(同展示リーフレットにも記載)。

外部リンク[編集]