北京原人 Who are you?

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北京原人 Who are you?
監督 佐藤純彌
脚本 早坂暁
製作 高岩淡
伊藤邦男
山科誠
植村伴次郎
出演者 緒形直人
ジョイ・ウォン
片岡礼子
小松みゆき
本田博太郎
丹波哲郎
北大路欣也
音楽 長谷部徹
主題歌 Favorite Blue
「さよならより永遠の中で」
撮影 浜田毅
編集 只野信也
製作会社 東映テレビ朝日
バンダイ東北新社
配給 東映
公開 日本の旗 1997年12月20日
上映時間 115分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 20億円
配給収入 4.5億円[1]
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北京原人 Who are you?』(ペキンげんじん フーアーユー?)は、1997年12月20日公開の日本映画東映テレビ朝日バンダイ東北新社が共同製作し、東映系で配給されたSFファンタジー映画[2][3][4]

20億円の大予算をかけ、監督に佐藤純彌脚本早坂暁という著名なベテランスタッフを擁しながら、つじつまの合わないストーリーや構成により、突っ込みどころ満載の「迷作」「珍作」として知られる[5][6][7][8][9]。ただ宇宙往還機「HOPE」内の実験室や陸上競技大会など、大がかりなセットやエキストラを動員した見るべきシーンも多いという評価も一部にある[5]

佐藤純彌監督がスタッフに勧められた北京原人の骨が太平洋戦争開戦の日に紛失するというミステリー、伴野朗の著書『五十万年の死角』をベースとした企画を東映に提出したが[5]、当時の岡田裕介東映東京撮影所(以下、東映東京)所長が「そんな話よりも北京原人が生きていたという話のほうが面白い」と言った事から不可思議な方向へなだれ込んでいった[5]

あらすじ[編集]

2001年、日本の生命科学研究所は北京原人の頭蓋骨の化石から取り出したDNAを元に、北京原人を現代に復元させた。しかし、この事実の公表は人道的問題が解決されていないとして、政府に延期させられる。そこで研究所は、北京原人たちを陸上競技大会に現代人の選手として出場させ、その並外れた身体能力によって世間を驚かせようとする。ところが、北京原人は我が国のものであると主張する中国政府によって、北京原人は連れ去られてしまう。このような現代人の身勝手な対応に、北京原人たちは翻弄されていった。最後に北京原人たちは故郷である中国に戻り、北京原人と心を通じさせた現代人によって解放された。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

主題歌[編集]

挿入歌[編集]

製作[編集]

企画[編集]

佐藤純彌監督が1994年の『超能力者 未知への旅人』製作中に[5]スタッフに伴野朗の著書『五十万年の死角』を勧められた[5]。同書は北京原人の骨が太平洋戦争開戦の日に紛失するというミステリー[5]。実際に北京原人の骨は、太平洋戦争開戦と同じ日に行方不明になっており(北京原人#骨の行方)、佐藤が東映に企画を出した[5]。すると岡田裕介東映東京撮影所所長が「そんな話よりも北京原人が生きていたという話のほうが面白いと言った」と話している[5]

岡田裕介は「1994年の『超能力者 未知への旅人』製作中か、取り掛かる前の雑談で、佐藤監督が北京原人の話を熱く自分たちに話し、学究肌の佐藤監督が『超能力者 未知への旅人』製作中も一人で北京原人の調査を始めた。佐藤監督はそれにのめり込んでしまい、『北京原人の謎解きを映画でやってみたい』と私に強く訴えた」と話している[10]。それを映像で提示するとなると莫大な費用もかかるし、岡田は逃げていたが、岡田としては『ジュラシック・パーク』や『スピード』のようなアメリカの大作映画に比べて、見るに耐えんという感覚を若い人は持っているが、キチンと取り組めば日本映画でもアメリカの大作映画と遜色のない物は出来るんだということを、何処かで一回証明したいという気持ちもあり[10]、だんだんこれはチャンスだと考えるようになった[10]クローン羊鹿児島大学農学部の後藤和文教授による「マンモス復活プロジェクト」が第一歩を踏み出したという新聞記事等に触発され[10]、1996年春、映画の製作を決めた[10]。「北京原人を蘇らせるというアイデア」を岡田は自身の発想と述べてはおらず、佐藤もそういうプロットになった流れはよく覚えていないと話しているが[5]、当時のクローン羊の話題や、琥珀の中に閉じ込められたの体内から取り出された恐竜の血液から、恐竜のDNAを抽出して恐竜を甦らせるという『ジュラシック・パーク』などの影響からそのような話になったと考えられる[5][11]

製作まで[編集]

同じ趣旨で角川春樹が1993年に『REX 恐竜物語』を製作し[5]、大ヒットこそしたが[5]、多くの映画ファンからは失笑を買った[5]。同じ悪夢が『北京原人 Who are you?』で甦るのではないか、大丈夫なのか?、と完成前から茶化す姿勢が出来上がっていた[5]

東映の正月映画は一時アニメ作品が続いていたが、本作は1993年の『病は気から 病院へ行こう2』/『七人のおたく』以来、5年ぶりの実写正月映画となった[12]岡田茂高岩淡ら東映幹部は「盆正月はアニメでなく、娯楽実写映画を掛けたい」というのが本音ではあったが[12]、当時の状況では背に腹は代えられないのが実状であった[12]

高額な製作費が予想されることから、岡田裕介がテレビ朝日の伊藤邦男社長、バンダイ山科誠社長、東北新社植村伴次郎社長に協力を仰ぎ[10]、東映と併せ、4社提携の下で推進という強力な製作体制を整えた[10]。岡田裕介は製作にかなりの熱を入れていたという[11]

製作会見[編集]

1997年7月23日に東京プリンスホテルで製作発表会見の後[13]東映東京撮影所で、10分のラッシュが披露され、全国の新聞・週刊誌60社と興行者20人が参集[10]。終了後、会見を開き、マスメディアとの質疑応答が活発に行われた[10]。正月大作のわりに製作発表が少し遅かったのは、高岩淡が1997年春頃と見られるインタビューで「早坂暁の脚本が遅れていてキャスティングもまだ一人も決まっていません」と述べていることからいつもの遅坂脚本のせいと見られる[14]。 直接製作費10億円[10]。総製作費20億円[11]

キャスティング[編集]

当時、日本でも人気の高かったジョイ・ウォンは、岡田裕介のキャスティング[5]。佐藤はコン・リーを希望していたという[5]

撮影[編集]

佐藤監督は「僕にコメディ的センスが全くないのに、ああいった非現実的な題材をどう撮ったらいいのか迷いながらやっていたことと、もう一つは封切りが決まっているのにシナリオが全然出来上がらない。僕としては原人のDNAから新人類が誕生するまでの過程とか、とても楽しみにしていたんですけどね」「北京原人の骨が発見された周口店の発掘現場に行ったときの感動とか科学の進歩に対する興味と、後半のドラマとが自分の中で上手く消化しきれないまま撮影してしまいました」などと述べている[5]。観客に嘲笑されるシーンとなった陸上競技大会のシーンは、北京原人の骨を調べた科学者の見解として、跳躍力がずば抜けていたと考えられ、短距離走をやらせたら能力を発揮したであろうというデータを聞いた岡田裕介が無理やり佐藤に撮影を要求した[5]。早坂脚本の段階でこのシーンから質が変わってしまうことから反対意見も出たが、映画に見せ場が少ないことから「派手にやってくれ」という指示が出て、佐藤としても抗しきれなかったという[5]。このシーンを挿入したために「最終的には、北京原人を作り出してしまった人間と、北京原人双方の運命の行く末を、それなりに構築していかなければならなくなった。せいぜい文明から元に戻すということしか考えられなくなった」などと述べている[5]

科学者・佐倉竜彦(緒形直人)と竹井桃子(片岡礼子)が初めて北京原人に会うシーンで、警戒を取り除くため、緒形と片岡が肌色下着を付けている設定に「事前に準備していたのか?」と批判された[5]シナリオ段階では二人とも素っ裸になる予定だったが[5]、緒形が拒否し、あの形になった[5]

エンディングの緒形たちと原人の別れのシーンは中国ではなく静岡県御殿場[5]。150メートルぐらいのブルーバックを後ろに張り、後で中国の風景を合成した[5]。それまで前例がない最大規模のブルーバックで、製作に難航した[5]

マンモスが動くCG描写は、佐藤は「当時の技術ではあれで限界」と話している[5]

ロケ地[編集]

宣伝[編集]

北京原人は誰か?クイズ[編集]

「Who are you?」というサブタイトルでもあるキャッチコピーには、北京原人を演じた俳優はいったい誰だろうというシークレットの意味も込められている。岡田裕介は「御本人の希望で、撮影が終わるまで、名前は明かせません」「公開直前には名前も発表する」と話し[11]、「北京原人は誰でしょう?」クイズが実施され[15]、これは結構盛り上がり[15]、東映から「姓名イニシャルが同じローマ字の俳優」というヒントが出された[15]。出演者の中では、本田博太郎長谷川初範坂上忍丹波哲郎北大路欣也など多かった[15]

1997年9月18日に東映東京にマスメディアを集めて北京原人ファミリーの初お披露目があった[11][13]。本田扮する父北京原人は、身長168cm、体重80kg、B105cm・W94cm・H103cm、足のサイズ23センチ[11]。掘り出された約40体の実際の原人の骨格をモデルにして、特殊ラバーを使って製作された原人3体の製作費は約5000万円。メイクには約3時間を要した[11]

本田は全身メイクを施し、素顔がわからない姿で喋らない設定[11]。「某大物俳優」とシークレット扱いで[11]、公開まで誰かは明かさないプロモーションが行われた[11]。『トゥナイト』などテレビ等、マスメディアに、その恰好のまま積極的に出演し宣伝に奔走、知名度上昇に貢献した[6]。緒形と片岡が扮する研究員が北京原人と最初に接触したシーンでは、当時珍しかった肌色のボディスーツの着用により全裸姿を露わにしていた[注 1]

母北京原人こと、ヤマト・ハナコは、ボディスーツではなく裸の上からのメイク[5]。演じた小松みゆきの裸が母性的で美しかったことからの判断[5]。公開前に映画ファンの興味を呼んだのが、小松がヘアヌードになるのではないか、だった[15]。宣伝上手な東映もそれを察し、「彼女は顔と足下以外はオール本人のヘア即ち体毛で演じて頂きました」と告知[15]、スケベな映画ファンを煽情させた[15]。試写を観た竹入栄二郎は「小松のいでたちはまあまあだが、何故片岡礼子はパンツを脱がないのだ。パンツを脱がない緒形直人が悪い」と批判した[15]。東映もこのスケベ目的のファンの吸引があるだろうと考え[15]、コアターゲットを狙って、ファミリーレストランなどとタイアップ[15]。映画はコケたが、東映の観客調査では、男が全体の53.5%と高く、20代から50代以上が10%台だったに比べて、19歳以下が40.7%とほかの東映作品ではあまりない現象があった[15]

子供原人ケンジを演じた小野賢章は、この後「ハリー・ポッターシリーズ」の日本語吹き替えハリー・ポッター役を担当して人気声優になっている[5]

北京原人役の俳優が誰であるかは映画公開まで秘密とされてきたが、映画に出演している俳優の一人が(公開前に)トーク番組で本田であることを暴露してしまった。後に本田は『笑っていいとも』(フジテレビ系)のテレフォンショッキングに出演したときに「(北京原人の)鳴き声が『ウパー』になったのは監督の一存なんです」としみじみとタモリに語った。

本作公開の翌日である1997年12月21日に放送された「ビーロボカブタック」第42話では小野賢章演じる北京原人・ケンジがゲスト出演している。

本作とたまごっちのコラボ商品として「原人っちのたまごっち」が発売された。

東映は全国の映画館主、ビデオショップ経営者、製作・興行関係者、マスメディアを招待し、1997年11月17日に帝国ホテルで「98年度東映〈映画・テレビ〉コンベンション」を開催し、約500人が出席[14][16]。1998年度の東映ラインアップに出演予定があった松方弘樹津川雅彦岩下志麻奥田瑛二舘ひろし柴田恭兵武田鉄矢川島なお美かたせ梨乃哀川翔柳葉敏郎ら、俳優も多数出席し盛大なものになった[14]。席上、岡田裕介が「『北京原人』って誰が見るのか?という疑問があると思いますけど、アメリカ映画にひけをとらない大人の鑑賞に耐えうる、全世代が楽しめるものになっています」などと話した[14]。このコンベンションでは1998年度秋までの東映ラインアップも発表されたが[14][16]、これを伝える本作のタイトルは『映画時報』では単に『北京原人』と書かれているが[14]、『AVジャーナル』では『北京原人 Who are you?』になっている[16]。封切を1ヵ月を切ったあたりでタイトルの変更があったのかも知れない。

作品の評価[編集]

興行成績[編集]

同時期に公開された『タイタニック』、『メン・イン・ブラック』などの強力な競合作の前に、興行成績も芳しいものではなく、採算割れが発生した。当初より上映日数が縮小され、当作品上映期間終了後の2月公開予定だった『極道の妻たち 決着』が1月17日公開に繰り上げになるなどの東映系の上映スケジュール変更が発生した。角川春樹によれば、監督の佐藤が失敗の責任を負わされて、干された状態になったという[17]。佐藤は「実際はこの後も東映で二本ぐらい企画が挙がっていて、結局ぽしゃったが、干されてはいない」「岡田裕介もどちらかと言えば娯楽路線だし、こっちもどういう方法で企画を通せばいいのか、分からなくなっていたというのも正直なところでした」などと話しており、干されてはいない[5]。『男たちの大和/YAMATO』の佐藤の監督起用は角川と書かれた文献があるが[17]、これは誤りで、東映からの要請である[18]

中国では公開されていないとされる[5]

批評家評など[編集]

社内試写で岡田茂東映会長は「これはある種の教育映画だな」と言った[5]

映画秘宝』は「『今やカルトの称号を与えたい! 21世紀に語り継がれる底抜け日本映画』の一本に選び、「製作は父親から企画力という遺伝子を受け継ぎ忘れた岡田裕介、『公園通りの猫たち』以来素敵な作品が並ぶ早坂暁が原作・脚本を担当し超大作専門の佐藤純彌が監督、50万年の時を超えて98年お正月を愛と感動で席捲するはずだった東映超大作、それが『北京原人 Who are you?』だ。それはそれで失笑を買った『プライド・運命の瞬間』の製作発表の席上、津川雅彦から名指しで批判もされたが、愛すべき『何もかも間違った映画』として、今も密かに心のビデオラックに愛蔵している人も多いのでは。冒頭、北京原人の頭蓋骨発見から太平洋戦争開戦、軍部が接収に向かうサスペンス描写は見応えがあり、本格歴史ミステリーへの期待が高まるが、映画としてマトモなのはここまで。時は移って21世紀、舞台は唐突に種子島宇宙センターへ。スペースシャトル発射シーンに橋本忍の致命作を思い出し、巨大な不安と微妙な期待が観客の脳裏をよぎる。反省の気持ちや後悔の念はないのか北大路欣也、長谷川初範もキャストに名を連ね、90年代版『幻の湖』の幕は懲りずに切って落とされるのだった。宇宙カプセルでDNAをシェイクすれば、あっという間にはじめ人間の出来上がり、たった11日間の2001年宇宙の旅路で成人してセ〇クスして子供まで作った上に超能力まで使う北京原人に、バイオ工学の第一人者・緒形直人がパンツ一丁で迫れば、ヒロイン・片岡礼子も釣られておっぱい丸出しに。これホントにファミリー映画か? 北京原人を演じた本田博太郎は生き生きと人類の祖先を演じたが、概ね50年代ハリウッドのB級ゴリラ映画を超えない演出(中略)原始の本能の赴くまに全編がツッコミどころの地雷原ブレーキの壊れたダンプで暴走」などと評している[6]

磯田勉は「奇妙奇天烈な企画にも臆せず取り組んだ佐藤でなければ『北京原人 Who are you?』は商品の形を成していなかった」と評している[19]

佐藤純彌は「日本人的な清潔さというと変ですけど、ある種ホントかウソかというところでしか物事を捉えようとしない短絡的な部分もあるのかなという気も、正直どこかでしています。でも、こちらが作り方を誤ってしまったことも事実なわけですし、これ以上弁明しても仕方がない。スタッフとキャストには、本当に申し訳なかったと思っています」と話している[5]

片岡礼子は「『北京原人』に出たことを全く後悔していません。初めてのメジャー作品で、ゆとりある撮影ができたことが本当に嬉しかったし、何よりも佐藤監督との仕事がとても楽しかった。現場でも私のアイデアを取り入れて頂けました」などと述べている[5]

「増當竜也は「丹波哲郎扮する生命科学研究所の理事長・大曽根が研究所に所属する竹井桃子(片岡礼子)に『科学者なら原人の子供を産め』というところなど倫理的に有り得ないと嘲笑されましたけど、もし北京原人がそこにいたら、その生殖機能はどうなっているだろうと、絶対に調べるとは思います」「多くの突っ込みどころがあることは否定しませんし、現に『佐藤純彌という巨匠がどうしてこんなものを作るんだ』などと揶揄こそされましたが、中国とアメリカの争奪戦、加えてロシアまで出てきますし、『敦煌』から導かれる文化遺産を巡るモチーフ。そして何よりも『北京原人がいた時代には国境なんてなかった』という監督のエッセンスがたっぷり含まれている作品」「世間の見方が余りにも偏り過ぎているというか、あの嘲笑ぶりは少し違うのではないかと思う。画としては面白いところもあるのに勿体ない映画。後世の評価が変わるのを祈るのみです」などと擁護している[5]。丹波は北京原人再生の成功を受け「これで世界中の企業がウチにジャンジャン金(研究費)を援助するぞ」と大喜びするが、過去の人類も含めて過去に存在した生物を現代に蘇らせれば、生態系が乱れる恐れがあるが、そのような説明は本編にない。北京原人を「飼育」と言ったり、「いよいよ人間が神になるぞぉ!」と叫んだり、佐藤作品の顔の一人・丹波が怪演を見せる[5]。佐藤は「ああいうことをやらせたら彼の右に出る人はいないでしょうね(笑)と述べている[5]

テレビ放映[編集]

地上波では、テレビ朝日系『日曜洋画劇場』で1999年2月14日に初放映され、視聴率は11.5%であった。

DVDリリース[編集]

公開から8年後の2005年12月9日東映ビデオよりDVDが税込4,725円で発売されている[8]。佐藤の2018年の著書では税込2,800円(東映ビデオ)となっている[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 本作から9年後の2006年DJ OZMA『第57回NHK紅白歌合戦』でのパフォーマンスで露わにしたものと雰囲気は同じである。

出典[編集]

  1. ^ 「1998年日本映画配給収入」『キネマ旬報』1999年(平成11年)2月下旬号、キネマ旬報社、1999年、175頁。 
  2. ^ 北京原人 Who are you?”. 日本映画製作者連盟. 2023年9月17日閲覧。
  3. ^ 北京原人 Who are you?
  4. ^ a b 佐藤 2018, p. 466.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 佐藤 2018, pp. 378–389.
  6. ^ a b c 映画秘宝 2006年9月号, p. 34, 北京原人 Who are you? 『今やカルトの称号を与えたい! 21世紀に語り継がれる底抜け日本映画』
  7. ^ 田嶋正雄 (2019年2月21日). “「大弦小弦」映画監督、佐藤純弥さん(86)が亡くなった...”. 沖縄タイムス+プラス (沖縄タイムス社). オリジナルの2019年2月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190222190409/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/387488 2023年9月17日閲覧。 
  8. ^ a b 世紀の名作『北京原人 Who are you?』DVD化!”. CDJournal.comニュース (2005年9月8日). 2022年10月5日閲覧。
  9. ^ 「日本大コケ映画祭」(8)あの歴史的駄作は「死ぬまでに一度は観ておくべき」?
  10. ^ a b c d e f g h i j AVジャーナル 1997年9月号, pp. 24–28, 東映・岡田裕介映像企画エグゼクティブ・Pインタビュー 『日頃の無念の想いを晴らしたい』
  11. ^ a b c d e f g h i j 産経新聞社シネマ&カルチャー 映画紹介 - ウェイバックマシン(1999年8月30日アーカイブ分)
  12. ^ a b c 映画時報 1997年5月号, pp. 10–11, 東映(株)代表取締役社長・高岩淡 『映像3部門を映像本部に合体』...
  13. ^ a b 映画年鑑 1999年版, pp. 5, 7, 映画界重要日誌』
  14. ^ a b c d e f 映画時報 1997年11月号, pp. 34–35, 東映'98〈映画・テレビ〉コンベンション盛大に開く 儲かるものは何でもやる…岡田会長 総合戦力でトップの座を…高岩社長
  15. ^ a b c d e f g h i j k 映画時報 1998年1月号, pp. 31–32, CINEMA EXITING 1998正月興行総まくり 『洋高邦低』頑張れニッポン! 洋画4作品で配収100億円クリア
  16. ^ a b c AVジャーナル 1997年11月号, p. 14, 6月『不夜城』、3月『エヴァ総集編』など東映'98年秋までのラインアップを発表』
  17. ^ a b 角川春樹氏、故佐藤純彌監督を語る「潔く真面目。職人監督だった」”. SANSPO.COM(サンスポ). 産経デジタル (2019年2月18日). 2022年10月5日閲覧。
  18. ^ “大作映画なら佐藤純彌 巨大な現場、謙虚に挑戦”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (2006年1月4日) 
  19. ^ 映画秘宝 2019年5月号, p. 66, 映画 訃報 追悼 佐藤純彌 『日本映画きってのアルチザンの退場』

参考文献[編集]

  • 佐藤純彌『映画監督 佐藤純彌 映画(シネマ)よ憤怒の河を渉れ』聞き手:野村正昭、増當竜也、DU BOOKS、2018年11月23日。ISBN 978-4-8664-7076-4 
  • 「東映(株)代表取締役社長・高岩淡 『映像3部門を映像本部に合体』...」『映画時報』1997年5月号、映画時報社、10-11頁。 
  • 「東映・岡田裕介映像企画エグゼクティブ・Pインタビュー 『日頃の無念の想いを晴らしたい』」『AVジャーナル』1997年9月号、文化通信社、24-28頁。 
  • 「東映'98〈映画・テレビ〉コンベンション盛大に開く 儲かるものは何でもやる…岡田会長 総合戦力でトップの座を…高岩社長」『映画時報』1997年11月号、映画時報社、34-35頁。 
  • 竹入栄二郎「CINEMA EXITING 1998正月興行総まくり 『洋高邦低』頑張れニッポン! 洋画4作品で配収100億円クリア」『映画時報』1998年1月号、映画時報社、31-32頁。 
  • 「NEWS FLASH 『6月『不夜城』、3月『エヴァ総集編』など東映'98年秋までのラインアップを発表』」『AVジャーナル』1997年11月、文化通信社、14頁。 
  • 「北京原人 Who are you? 『今やカルトの称号を与えたい! 21世紀に語り継がれる底抜け日本映画』」『映画秘宝』2006年9月号、洋泉社、34頁。 
  • 磯田勉「映画 訃報 追悼 佐藤純彌 『日本映画きってのアルチザンの退場』」『映画秘宝』2019年5月号、洋泉社、66頁。 
  • 「映画界重要日誌」『映画年鑑 1999年版』1998年12月1日発行、時事映画通信社、5,7。 

外部リンク[編集]