三島駅乗客転落事故

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三島駅乗客転落事故
現場となった三島駅新幹線ホーム(2004年9月16日撮影)
現場となった三島駅新幹線ホーム
(2004年9月16日撮影)
発生日 1995年平成7年)12月27日
発生時刻 18時34分頃(JST)
日本の旗 日本
場所 静岡県三島市一番町16-1
三島駅構内
座標 北緯35度07分34.82秒 東経138度54分40.19秒 / 北緯35.1263389度 東経138.9111639度 / 35.1263389; 138.9111639
路線 東海道新幹線
運行者 東海旅客鉄道
事故種類 人身事故
原因 乗客の駆け込み乗車
駅員・乗務員の監視不行届
車両戸閉め装置の構造的欠陥
統計
死者 1人
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三島駅乗客転落事故(みしまえきじょうきゃくてんらくじこ)は、東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線三島駅1995年(平成7年)12月27日に発生した、鉄道人身障害事故。東海道新幹線において、初めての旅客死亡事故となった。

事故の概要[編集]

東京名古屋行き「こだま475号」(新幹線0系16両編成)はひかり号の追い抜きを待ち合わせるダイヤであったため、三島駅で午後6時31分に到着後3分間の停車をしていた。この停車時間に、実家に帰宅途中の神奈川県小田原市の男子高校生(当時17歳)がホームへ下車し、売店の公衆電話で通話していた[1]

午後6時34分00秒、ホームの係員が発車予告ベルを鳴らしたため、高校生はあわてて7号車の自分の座席に戻ろうと6号車後部乗降口に、「駆け込んだ」が間に合わず、乗降口に掛けた指を閉じた扉に挟まれた。高校生は扉を開けてくれるように合図したが、駅係員、車掌はそれに気付かぬまま戸閉正常と認め、運転士は戸閉め知らせ灯の点灯により午後6時34分50秒(定刻から20秒遅れ)に列車を発車させた。そのため、高校生は指を挟まれたままホームを約90m伴走したのちに転倒、約160m引きずられた後でホーム端からホーム下の軌道敷に転落、車輪に頭部を轢かれ即死した。

事故の背景[編集]

本事故は、ホーム上の旅客の異常に駅務員、乗務員が気付かなかったことにより死亡事故に至り、旅客の高校生が駆け込み乗車しようとしたことも誘因なのであるが、手指ほかの異物が扉に挟まれると抜けなくなるという旧型車両の設計が大きな危険をはらんでいることが強く認識された。

新幹線では車内の気密を保つため、ドアを内側から車体に押さえつける「気密押さえ装置」がある。これは、100系以降の新型車両では、発車後に速度が上がってから働くのに対し、旧型である該当車両の0系は当時、ドアが閉まると直ちに気密押さえ装置が働く構造であった。そのため、挟まれてしまった指は直ちに、引き抜くことができない強さで挟み込まれた。また3.5mm以上の異物を挟んだ場合には戸閉め知らせ灯が点灯しない構造であったが、指がドアの縁に張られた厚さ7mmのゴムに食い込んだために3.5mm以下になったか、指先がドアと車体の間に挟まれたために感知せず、そのまま点灯したことなどが原因とされた。

また、車掌は最後部の16両目と、中間8両目の窓から顔を出して出発時の安全確認をする規定があったが、8両目担当の車掌は緊急でない扉の故障に対応するために10両目におり、さらに別の乗客の対応をしていた。この車掌はそれでもなお10両目から顔を出し安全確認をしたが、規定通り8両目の窓から確認していたら、死亡した高校生が指を挟まれていた扉の位置から約30mの短距離であり、事故防止できた可能性があった。一方ホーム上の駅務員は、旅客が挟まれている事に気づいて対応しようとしていた別の旅客を見送り客と誤認し、結果、事故を防止できなかった。

事故後の対策[編集]

この事故を教訓に、同型全車両のほか、一部在来線車両も含め戸閉め装置改造が行われたほか[2]、ホームに従来あった列車非常停止警報装置を業務専用から公衆操作用ボタンへ切り換えること、また三島駅を含むほとんどの新幹線の駅で安全柵やホームドアを設置すること、駅構内の監視カメラを増設すること等の対策がされた。従来からの駆け込み乗車防止の啓発ほか、短い停車時間中にホーム上に降りないようにという案内放送も促進された。さらに、新幹線以外でも戸閉め直後の押さえ圧力を弱める開閉装置を装備した車両が新造されている(主なものにJR東海313系京成電鉄新3000形等)。

事故に関する裁判[編集]

業務上過失致死の刑事犯容疑で車掌と駅務員が静岡地方検察庁沼津支部に書類送検された。車掌は不起訴処分になったが、駅務員は安全確認を怠り、被害者の発見が遅れた過失があるとして三島簡易裁判所1998年7月17日に略式起訴され21日に罰金50万円の略式命令が下された。被害者遺族から出されたJR東海の社長と同・新幹線鉄道事業本部長に対する刑事告訴については、「ホームの係員の過失と被害者の駆け込み乗車という個別的偶発的状況が重なったことによる事故」であるとし、会社経営者等の刑事責任は問えないとして不起訴処分となった。

一方、遺族が会社を相手取り損害賠償を求めた民事訴訟は、2001年3月7日静岡地方裁判所沼津支部が、「鉄道会社は事故発生の危険予知が可能であったにもかかわらず怠った過失があった」と認定した上で、男子高校生も閉まりかかった扉に手をかけた点に、旅客として要求される注意義務を欠いていたとして、過失割合を会社6割:旅客4割として会社に4868万円の支払い命令を出した[3]。原告・被告双方が控訴したが東京高等裁判所で同年11月26日に和解が成立した。

脚注[編集]

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  1. ^ 当時はまだ携帯電話は大衆に普及していなかった。列車内にはテレホンカード専用の列車公衆電話が設置されていたが、一般公衆電話とは料金が大幅に異なり、また現金を使用する場合は必然的にホームの公衆電話を使用する必要があった。
  2. ^ 東海道・山陽新幹線車両のドアの改善についてインターネットアーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年3月21日
  3. ^ “JR東海に賠償命令”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 15(夕刊). (2001年3月7日) 

参考文献[編集]

  • 特定非営利活動法人災害情報センター編『鉄道・航空機事故全史』 日外選書Fontana シリーズ 2007年 149 - 151頁

関連項目[編集]