角川春樹
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角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長。「河」主宰。
人物歴[編集]
生い立ち[編集]
富山県中新川郡水橋町(現富山市)に生まれ、東京都杉並区に育つ。父は角川書店の創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校・杉並区立天沼中学校から國學院大學久我山高等学校に進む。高校在学中は剣道部に所属。早稲田大学第二文学部史学専修を受験し合格したが、國學院大學理事の地位にある父の懇願で國學院大學文学部に進学。大学在学中は拳闘部に所属してボクシングに熱中。
大学3年の時には、渋谷ハチ公前で全学連相手200人に一人大立ち回りを演じ、新聞沙汰になったこともある。「俺の魂はスサノオノミコト」だと主張。毎日、祝詞とお経をあげ、「私は絶対だ。私は完全だ。私は神なのだ。」と唱えている。結婚歴は6回、離婚歴は5回である。
角川書店時代[編集]
1965年、角川書店入社。1967年、俳優や声優が朗読する音声を収録したソノシート付きの『カラー版世界の詩集』を企画し刊行[1]。 1970年から映画『ある愛の詩』『いちご白書』の原作本を始めとして、洋画の原作やノベライゼーションを次々と刊行。フレデリック・フォーサイスを日本に紹介した。
社長である父・源義の存命中は、信賞必罰を貫く父の方針のもと、社内での立場もかなり浮き沈みがあったというが、父の反対を押し切って出版に踏み切った『ある愛の詩』の成功が後継者の地位の確立に繋がっていく。
さらに当時は既に過去の作家となっていた横溝正史のブームを1971年から仕掛けた。さらに1976年に『犬神家の一族』から映画製作に乗り出すと、テレビCMを中心とした大量宣伝は一部の有識者を閉口させ、例えば白井佳夫(映画評論家)は「角川映画は予告編を本編が上回ったことがない」と断言している。しかし、その大量宣伝に乗せられた観客が映画館に押し寄せたおかげで、『犬神家の一族」も『人間の証明』も大当たりして、1970年代後半から1980年代にかけて、角川映画で莫大な利益をあげた。また、日本の推理作家、SF作家の作品を多く角川文庫から刊行した。
映画と書籍を同時に売り出す方法は「角川商法」「メディアミックス」と呼ばれ、マス・メディアは持ち上げた。1979年の『悪魔が来りて笛を吹く』『白昼の死角』、1981年の『魔界転生』は、角川映画ではなく純然たる東映映画(角川春樹事務所は企画協力)であるが[2]、手腕を見込んだ岡田茂東映社長が角川個人をプロデューサーとして迎え入れた作品である[2][3]。
1975年、古代船「野性号」を建造して対馬海峡西水道を横断。この航海の模様は書籍『わが心のヤマタイ国 古代船野生号の鎮魂歌』にまとめられている。作家、高橋三千綱・豊田有恒が同行した。1977年にはカヌー「野性号II」を作り、「南島民の日本列島への飛来」を再現するため、ルソン島から鹿児島までの航海を行った。この航海の模様は、ドキュメンタリー映画『野性号の航海 翔べ 怪鳥モアのように』(1978年)に残された。
日本映画界に定着する一方で、製作から10年目を迎えた1980年代後半以降、角川映画の勢いは失速していった[4][5]。それには、民放のフジテレビが映画界に本格参入して、角川映画のお株を奪う大量スポットや局を挙げてのメディアミックス戦略を仕掛けたこと[6][7]、また、内部的には1985年に薬師丸ひろ子が角川春樹事務所から独立、翌1986年には同事務所自体が芸能部門から撤退して、所属する原田知世と原田貴和子、渡辺典子も独立したことなど[8][9] の影響があった[4][5]。さらに、経営路線の相違でかねてから対立していた実弟の角川歴彦との確執が表面化し、テレビ番組等での「奇行や失言」も一部で問題化したことなどを端緒に、次第に内外での影響力は低下。1992年に社長権限で歴彦を角川書店から追放(職を剥奪して解雇)した事が決定打となり、歴彦が取り仕切っていた角川メディアオフィスの従業員のほとんどが、歴彦に続く形で退社するなどの一斉反発を招き、角川書店は致命的な大打撃を負う事となった。[要出典]
逮捕[編集]
1993年8月29日、コカイン密輸事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で千葉県警察本部(千葉南警察署)により逮捕される。その後、千葉刑務所に勾留される。角川書店社長を退任。代わって弟の角川歴彦が角川書店社長に就任。
1994年、1億円の保釈金で保釈。2000年、最高裁で懲役4年の実刑確定。2001年、東京拘置所に拘置。八王子医療刑務所で服役。2002年、静岡刑務所に移監され、2004年に仮出所した。刑務所では、かなりイジメられていたという[10]。
現・角川春樹事務所時代[編集]
保釈中の1995年、出版社としての現・角川春樹事務所設立。かつて角川書店から刊行されていて、飛鳥新社に売却されていた、ティーンエイジャーの女性向けファッション雑誌「Popteen」(ポップティーン)を買い取り、刊行開始する。
「Popteen」の姉妹誌として増刊号として刊行されていた「BLENDA」(ブレンダ)を、2003年9月より月刊化。
1997年より、1970年代の角川文庫を連想させるエンターテインメント文庫「ハルキ文庫」を刊行開始。ハルキ文庫からは後に、かつて角川文庫から刊行され絶版となっていた国内SFなども多数、復刊した。SFに関しては2000年から小松左京賞を主催。小松左京の個人誌「小松左京マガジン」の販売も担当している。ハルキ文庫については、2000年からハルキ・ホラー文庫を刊行開始。
1996年7月、荒俣宏責任編集のオカルト系雑誌「ボーダーランド」創刊。その関係で、翌年からオカルト系の書籍を刊行する「ボーダーランド文庫」を創刊。雑誌「ボーダーランド」は1997年9月号で休刊。
「19世紀末パリの都市文化が産み落とした 高等遊民(隠居的生活者)」を意味する「ランティエ」から、1998年から「ランティエ叢書」を刊行開始。また2004年末には「50代以上の、大人の男の和を極める」雑誌、「ランティエ。」を創刊。2005年2月号からは雑誌名を「ランティエ」と変更して新創刊。
2005年からは映画製作に復帰。「男たちの大和/YAMATO」(2005年)、「蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜」(2006年)、「椿三十郎」(2007年)、「神様のパズル」(2008年)と、大作、話題作を続けざまに制作したが、復帰第一作である「男たちの大和」こそ大ヒットとなったものの、以降の作品は興行収入では苦戦を続け、2009年に1997年の『時をかける少女』以来11年ぶりの監督作となる、「笑う警官」を発表し「動員が150万人を超えなかったら映画を辞める[11]」と東映側と約束した。
2019年には10年ぶりメガホンをとり髙田郁の時代小説『みをつくし料理帖』を自身最後の監督作として映画化、2020年10月16日に公開された[12]。
映画評[編集]
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1977年の映画で優れているのは4本だけで、邦画は『八甲田山』『悪魔の手毬唄』、洋画は『ロッキー』『ダウンタウン物語』だけだという[13]。『ロッキー』が73点で最高だと述べている。前年の1976年は邦画の『犬神家の一族』が最高で「68点」とも述べている。また『人間の証明』は73点で、今年の邦画、洋画あわせてもベスト・スリーには入り、トップになるかもしれない、とした[14]。春樹は「ぼくはラッシュで、また泣けるわけですよ」とも言っている。
俳人として[編集]
1979年、生前に父・源義が創刊・主宰し、源義没後は継母の角川照子が主宰を引き継いでいた俳誌「河」の副主宰に就任。選者の立場になったことから急激に俳句への傾斜を深め、以後旺盛に俳句に関わる[15]。1981年に第一句集『カエサルの地』出版、翌年に第二句集『信長の首』を出版。中上健次は『信長の首』について、従来の俳句の「四畳半的な、せまい世界」をぶち壊したと評し、散文家としてショックを受けたと語る[16]。晩年の山本健吉からも激賞を受け、その登場は俳壇的事件として捉えられた[15]。1986年に俳句総合誌『俳句研究』を買収したことも話題となる[15]。第二句集『信長の首』は1982年芸術選奨文部大臣賞および第6回俳人協会新人賞を受賞。以降も多数の句集を出しており、1983年『流され王』で第35回読売文学賞、1990年『花咲爺』で第24回蛇笏賞、2005年『海鼠の日』で第5回山本健吉文学賞、同年『JAPAN』で第8回加藤郁乎賞、2007年『角川家の戦後』で第7回山本健吉文学賞を受賞している。
2006年「河」主宰に就任。俳句にはリズム感と映像の復元力、自己投影が必要とする[17]。代表句は「黒き蝶ゴッホの耳を殺(そ)ぎに来る」(『カエサルの地』)、「向日葵や信長の首斬り落とす」(『信長の首』)、「流されてたましひ鳥となり帰る」(『流され王』)、「存在と時間とジンと晩夏光」(『存在と時間』)など[16]。特に第三句集『流され王』以降で民俗的伝統への傾倒を示し、あらぶる神々への共感が句の特色となる[15]。「河」主宰就任時より、「盆栽俳句」にまみれた既成俳壇から訣別するとして「魂の一行詩」を標榜[18]。2011年には東日本大震災を受けた震災句集『白い戦場』を出版した。
年譜[編集]
- 1964年:國學院大學文学部卒業。角川書店の跡取りと悟られぬよう母の旧姓で取次の栗田と創文社に入り、半年ずつ修業。かたわら新宿3丁目でスナック「キャッツアイ」を経営し、昼はサラリーマン、夜はバーテンという二重生活を送る。
- 1965年:角川書店入社。
- 1971年:編集局長就任。
- 1975年:父角川源義死去に伴い、角川書店社長に就任。
- 1976年:映画製作を行なう旧角川春樹事務所を設立。角川映画製作開始。
- 1992年:弟の角川歴彦を角川書店から追放。
- 1993年:逮捕に伴い社長を退任。
- 1995年:現角川春樹事務所設立。
- 2000年:角川春樹事務所社長を辞任し、特別顧問に就任。
- 2006年:尾道大学客員教授就任。
- 2009年11月:角川春樹事務所会長兼社長に就任。
家族[編集]
父は角川書店創業者・角川源義。母は源義の最初の妻・冨美子。姉の作家・辺見じゅん、KADOKAWA会長の角川歴彦が同腹の姉弟。その他、父の後妻である俳人・角川照子を母に持つ異母妹・真理がいて、春樹は可愛がっていたが、18歳で自殺した。春樹自身、5人の女性との間に6度の結婚歴(5度の離婚)があり、5番目の妻は、現ライターの角川いつか、6番目の妻は歌手のASUKAである[19][20][21]。最初の3人の妻と6番目の妻との間にはそれぞれ子どもが1人ずついて、1人目の妻との間の長男・角川太郎は、春樹が社長を務めていた時代の角川書店に在籍していた。2人目の妻との間の長女は元アイドルで、現ライターの角川慶子。
エピソード[編集]
- 広島県尾道市を舞台にした映画をプロデュースした縁もあり、尾道を第二の故郷と話しており[22]、2006年に尾道市立大学の芸術文化学部日本文学科(文芸創作)の客員教授を務め[19][22]、このときの聴講生だったASUKAと2009年に結婚している[19][20]。
- 1975年ごろ、見城徹によると安井かずみと交際していた[23]。
伝説[編集]
角川春樹にはいくつもの伝説があり、本人や周囲の人間によって語られている[24]。
- 3歳のころから何回も、夥しい数の赤い点滅や葉巻型のUFOの大編隊と宇宙人を見たと主張していて、自身が宇宙を飛び回る意識もあるという。
- 自称、超能力者で未来予知能力を持つらしく、35歳で海を漂流してるときに神通力に気付いたといい、モンゴルに行ったときには数十年ぶりに雨(雪)を降らせている。
- 訪れた先の旅館では天狗の封印を解いて、居合わせた仲居が天狗を見たと発言。
- 尿道結石で入院中の手塚治虫の手を握って治し、それへの感謝として『火の鳥(太陽編)』を角川書店が発行の『野性時代』で連載させ角川で作品を文庫化させている。
- 世界最強の人間を自負している。
- 2.5kgの木刀を9時間かけて3万3100回振っている[25]。
- 薬物関連で話題になっているときに、交友のある長渕剛に美味いカレーを食わせているが、カレーの美味さの秘訣を聞かれたが答えていない。
- たまに太陽が2つ出ているのを見ることがあり、関東大震災を止めたのも自分だと言う。
- 海に沈んだ戦艦大和は潜った瞬間に自身が初めて発見したと話す。
- ヒトラーの信奉者でもあり、同名の本を出版している。
- 武田信玄、天武天皇、神武天皇、ヤマトタケルなどの生まれ変わりを自認しており、チンギス・ハーンだけは他人に指摘されて気付き、その記憶だけは無いという。
- 「弟には才能が無い」と語り、映画『蒼き狼』では弟を冒頭で殺している(『博士も知らないニッポンのウラ』第28回 角川春樹伝説、『わが闘争―不良青年は世界を目指す』)。
製作作品[編集]
- 犬神家の一族(1976年・東宝)
- 人間の証明(1977年・東映)
- 野性号の航海 翔べ怪鳥モアのように(1978年・ヘラルド)
- 野性の証明(1978年・日本ヘラルド映画、東映)
- 悪魔が来りて笛を吹く(1979年・東映)
- 白昼の死角(1979年・東映)
- 金田一耕助の冒険(1979年・東宝)
- 蘇える金狼(1979年・東映、東映芸能ビデオ)
- 戦国自衛隊(1979年・東宝)
- 復活の日(1980年・東宝)
- 野獣死すべし(1980年・東映、東映芸能ビデオ)
- ニッポン警察の恥といわれた二人・刑事珍道中(1980年・東映)
- スローなブギにしてくれ(1981年)
- 魔界転生(1981年・東映)
- ねらわれた学園(1981年・東宝)
- 悪霊島(1981年)
- 蔵の中(1981年・東映セントラルフィルム)
- セーラー服と機関銃(1981年・東映) - キティ・フィルムと共同製作
- セーラー服と機関銃 完璧版(1982年・東映)
- 化石の荒野(1982年)
- 蒲田行進曲(1982年・松竹)
- この子の七つのお祝いに(1982年・松竹)
- 汚れた英雄(1982年・東映)
- 伊賀忍法帖(1982年・東映)
- 幻魔大戦(1983年・東宝東和)
- 探偵物語(1983年・東映)
- 時をかける少女(1983年・東映)
- 里見八犬伝(1983年・東映)
- 少年ケニヤ(1984年)
- 晴れ、ときどき殺人(1984年・東映セントラルフィルム)
- 湯殿山麓呪い村(1984年・東映セントラルフィルム)
- メイン・テーマ(1984年・東映)
- 愛情物語(1984年・東映)
- 麻雀放浪記(1984年)
- いつか誰かが殺される(1984年・東映)
- Wの悲劇(1984年・東映)
- 天国にいちばん近い島(1984年・東映)
- カムイの剣(1985年・東映)
- ボビーに首ったけ(1985年・東映)
- 友よ、静かに瞑れ(1985年・東映セントラルフィルム)
- 結婚案内ミステリー(1985年・東映セントラルフィルム)
- 早春物語(1985年・東宝/角川春樹事務所)
- 二代目はクリスチャン(1985年・東宝/角川春樹事務所)
- キャバレー(1986年・東宝)
- 彼のオートバイ、彼女の島(1986年・東宝)
- オイディプスの刃(1986年・東宝)
- 時空の旅人(1986年・東宝)
- 火の鳥 鳳凰編(1986年・東宝)
- 黒いドレスの女(1987年・東宝)
- 恋人たちの時刻(1987年・東宝)
- 火の鳥 ヤマト編(1987年)
- 迷宮物語(1987年・東宝)
- 火の鳥 宇宙編(1987年)
- 花のあすか組!(1988年)
- ぼくらの七日間戦争(1988年)
- 妖精王(1988年)
- ザナドゥ ドラゴンスレイヤー伝説(1988年)
- 宇宙皇子(1989年・東宝)
- ファイブスター物語(1989年・東宝)
- 花の降る午後(1989年・東宝)
- 天と地と(1990年・東映)
- 天上編 宇宙皇子(1990年・東映クラシックス)
- 天河伝説殺人事件(1991年・東映)
- 幕末純情伝(1991年・松竹)
- ぼくらの七日間戦争2(1991年)
- アルスラーン戦記(1991年・松竹)
- サイレントメビウス(1991年・松竹)
- アルスラーン戦記 II(1992年・松竹)
- サイレントメビウス2(1992年・松竹)
- 風の大陸 The Weathering Continent(1992年・松竹)
- イース 天空の神殿 〜アドル・クリスティンの冒険〜(1992年 - 1993年)
- REX 恐竜物語(1993年)
- 時をかける少女(1997年)
- アレクサンダー戦記(2000年・ギャガ)
- ハルキWebシネマ Vol.1 ネオホラーシリーズ(2005年)
- ハルキWebシネマ Vol.2 ネオホラーシリーズ(2005年)
- ハルキWebシネマ Vol.3 ネオホラーシリーズ(2005年)
- 男たちの大和/YAMATO(2005年・東映)
- ハルキWebシネマ Vol.4 怖い本シリーズ(2006年)
- ハルキWebシネマ Vol.5 怖い本シリーズ(2006年)
- 神様のパズル(2008年・東映)
製作総指揮作品[編集]
- ルビー・カイロ(1992年・アメリカ/日本)
- 蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2006年・日本/モンゴル)
- 椿三十郎(2007年・東宝)
監督作品[編集]
- 汚れた英雄(1982年)
- 愛情物語(1984年)
- キャバレー(1986年)
- 天と地と(1990年)
- REX 恐竜物語(1993年)
- 時をかける少女(1997年)
- 笑う警官(2009年)
- みをつくし料理帖(2020年) - 製作・監督・共同脚本[12]
出演作品[編集]
- 犬神家の一族(1976年) - 渡辺刑事 役
- 人間の証明(1977年) - 闇市の復員兵 役
- 柳生一族の陰謀(1978年) - 安藤重長 役
- 野性の証明(1978年) - 自衛隊隊長 役
- 赤穂城断絶(1978年) - 庄田下総守 役
- 白昼の死角(1979年) - 野崎寿美男 役
- 悪魔が来りて笛を吹く(1979年) - 植松 役
- 金田一耕助の冒険(1979年) - 団地の亭主 役
- 蘇える金狼(1979年) - 沢野 役
- 戦国自衛隊(1979年) - 真田昌幸 役
- 野獣死すべし(1980年) - 警官 役
- 復活の日(1980年) - 隊員 役
- ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中(1980年) - 美枝子の夫 役
- スローなブギにしてくれ(1981年) - 自転車に乗る男 役
- 魔界転生(1981年) - 板倉内膳正 役
- ねらわれた学園(1981年) - 審判員 役
- セーラー服と機関銃(1981年) - 風鈴の屋台を引く男 役
- 化石の荒野(1982年) - 藤沢記者 役
(その他、プロデュースした作品の多くにカメオ出演している)
その他のクレジット[編集]
- 戦国自衛隊(1979年) 音楽監督
- ねらわれた学園(1982年) 企画
- キャバレー(1986年) 音楽
- 天と地と(1990年) 脚本
- REX 恐竜物語(1993年) 脚本
- 時をかける少女(1997年) 脚本
- ハルキWebシネマ Vol.1 ネオホラーシリーズ(2005年) 企画
- ハルキWebシネマ Vol.2 ネオホラーシリーズ(2005年) 企画
- ハルキWebシネマ Vol.3 ネオホラーシリーズ(2005年) 企画
- 男たちの大和/YAMATO(2005年) 音楽総合プロデューサー
- ハルキWebシネマ Vol.4 怖い本シリーズ(2006年) 企画
- ハルキWebシネマ Vol.5 怖い本シリーズ(2006年) 企画
著作[編集]
- 『わが心のヤマタイ国 古代船野性号の鎮魂歌』立風書房 1976 のち角川文庫
- 『黄金の軍隊 ゴールデン・トライアングルのサムライたち』プレジデント社 1978
- 『翔べ怪鳥モア 野性号Ⅱの冒険』角川文庫 1979
- 句集『カエサルの地』牧羊社 河叢書 1981
- 句集『信長の首』牧羊社 河叢書 1982
- 句集『流され王』牧羊社 河叢書 1983
- 『補陀落の径 角川春樹句集』深夜叢書社 河叢書 1984
- 『角川春樹集・猿田彦』俳句の現在 三一書房 1985
- 『試写室の椅子』角川書店 1985
- 『「いのち」の思想』富士見書房 1986
- 『一つ目小僧 句集』富士見書房 1987
- 『花時雨 自選三四九句 句集』富士見書房 1988
- 『夢殿 句集』富士見書房 1988
- 『花咲爺 句集』富士見書房 1989
- 『関東平野 句集』角川書店 1992
- 『月の船 句集』角川書店 1992
- 『檻 句集』朝日新聞社 1995 のちハルキ文庫
- 『存在と時間 句集』河出書房新社 1997
- 句集『いのちの緒』角川春樹事務所 2000
- 句集『角川春樹獄中俳句 海鼠の日(なまこのひ)』文學の森 2004
- 『Japan 句集』文學の森 2005
- 『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス 2005
- 『朝日のあたる家』思潮社 2006
- 『角川家の戦後』思潮社 2006(詩集)
- 『魂の一行詩』文學の森 2006
- 『飢餓海峡』思潮社 2007
- 『叛逆の十七文字 魂の一行詩』思潮社 2007
- 『晩夏のカクテル 魂の一行詩』日本一行詩協会 日本一行詩叢書 2007
- 『荒地 魂の一行詩』日本一行詩協会 日本一行詩叢書 2008
- 『男たちのブルース』思潮社 2008
- 『漂泊の十七文字 魂の一行詩』思潮社 2008
- 『白い戦場 震災句集』文學の森 2011
- 『白鳥忌 一行詩集』文學の森 2011
- 『夕鶴忌 一行詩集』文學の森 2013
- 『わが闘争』角川春樹事務所 ハルキ文庫 2016
- 『健次はまだか』港の人 2016
- 『源義の日』ふらんす堂 2018
- 『角川源義の百句』ふらんす堂 2019
共著・編[編集]
- 『俳句の時代 遠野・熊野・吉野聖地巡礼』中上健次共著 角川書店 1985 のち文庫
- 『詩の真実 俳句実作作法』森澄雄共著 角川選書 1987
- 『現代俳句歳時記 新年・春夏秋冬』編 ハルキ文庫 1997
- 『活字の大きい用字必携』編 角川春樹事務所 1998
- 『季寄せ』編 角川春樹事務所 2000
- 『地果て海尽きるまで 角川春樹「魂の一行詩」自選一〇〇』金田石城書 角川春樹事務所 2007
- 『生涯不良 師弟問答』石丸元章共著 マガジン・マガジン 2009
- 『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』清水節共著 角川春樹事務所 2016
翻訳[編集]
脚注[編集]
- ^ “清水 節のメディア・シンクタンク【番外篇】”. 文化通信社. 2018年2月2日閲覧。
- ^ a b 「岡田茂をめぐる七人の証言 角川春樹『最後の頼みの綱という心強い存在』」『キネマ旬報』2011年(平成23年)7月上旬号 63-64、キネマ旬報社、2011年。
- ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、109、142、249-250頁。ISBN 978-4-636-88519-4。岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、182-183頁。ISBN 4-87932-016-1。“角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去(archive)”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2011年5月10日) 2015年11月2日閲覧。
- ^ a b 磯田勉「タイクーンの夢――角川映画80's」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.15
- ^ a b モルモット吉田「角川春樹」『映画秘宝EX 爆裂!アナーキー日本映画史1980-2011』洋泉社、2012年、p.21
- ^ 大高宏雄『興行価値』鹿砦社、1996年、pp.24-25,64
- ^ 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、p.119
- ^ 「角川事務所芸能部門撤退」『週刊サンケイ』1986年12月4日号
- ^ 「原田姉妹、渡辺が独立」『週刊明星』1986年12月4日号
- ^ 山田玲司 『絶望に効くクスリ (9)』 小学館、2007年、23頁
- ^ “角川春樹氏12年ぶり監督作「笑う警官」…「原作超え」への挑戦”. スポーツ報知. 2009年11月10日閲覧。
- ^ a b “77歳角川春樹氏 10年ぶりメガホン「生涯最後の監督作になる」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年8月6日) 2019年8月6日閲覧。
- ^ 「松田優作 キネ旬全記録』p.31、キネマ旬報社
- ^ 「松田優作 キネ旬全記録』p.32、キネマ旬報社
- ^ a b c d 坪内稔典 「角川春樹」『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、30頁
- ^ a b 小野裕三 「角川春樹」 金子兜太編『現代の俳人101』 新書館、2004年、174頁
- ^ 小島健 「角川春樹」『現代俳句大事典』 三省堂、150-151頁
- ^ 魂の一行詩とは
- ^ a b c “【話の肖像画】「生涯不良」続行中(3)映画プロデューサー・角川春樹さん”. 産経新聞 (産経新聞社). (2008年5月28日). オリジナルの2008年5月30日時点におけるアーカイブ。 2017年1月9日閲覧。
- ^ a b 角川春樹氏40歳下の歌手と熱愛、結婚も - 芸能ニュース : nikkansports.com
- ^ 角川慶子 (2011年9月27日). “角川春樹が6度目の結婚、直後姉である作家の辺見じゅんが急死(角川慶子)”. 探偵ファイル. フィーノ. 2020年4月30日閲覧。
- ^ a b 尾道のいいね著名人 | 一般社団法人尾道青年会議所
- ^ 見城徹が角川春樹と北方謙三とトーク (アベマ ビデオ). 徹の部屋. 日本: AbemaTV.. (2017年2月19日). 該当時間: 20m 2019年9月21日閲覧。
- ^ 『博士も知らないニッポンのウラ』(2008年6月1日)
- ^ コラム | Rooftop第六回ゲスト:角川春樹(前編(2012年4月15日時点のアーカイブ)
- ^ 角川春樹、清水節「いつかギラギラする日」角川春樹事務所 P18-19
関連文献[編集]
- 岩上安身 誰も書かなかった「角川家の一族」
- 坂口昌弘著『平成俳句の好敵手』文學の森
外部リンク[編集]
- 角川春樹 - allcinema
- 角川春樹 - KINENOTE
- 角川春樹 - 日本映画データベース
- Haruki Kadokawa - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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