私を抱いてそしてキスして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
私を抱いてそしてキスして
監督 佐藤純彌
脚本 田部俊行
麻生かさね
高橋洋
原作 家田荘子
製作 小島吉弘
出演者 南野陽子
赤井英和
南果歩
三浦友和
音楽 渡辺俊幸
撮影 池田健策
編集 西東清明
製作会社 東映東京撮影所[1]
配給 東映
公開 日本の旗 1992年11月14日
上映時間 108分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 3億円[2]
テンプレートを表示

私を抱いてそしてキスして』(わたしをだいてそしてキスして)は、1992年東映製作配給の日本映画[1][3]。主演・南野陽子、監督・佐藤純彌

日本映画で初めてエイズ問題を正面から描いた作品[3][4]大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した家田荘子の同名ノンフィクションを原作としている。また、日本映画で初めて厚生省(当時)の推薦を受けた[3]

あらすじ[編集]

旅行代理店に勤めるOLの合田圭子はある日、昔の恋人からエイズの血液検査で陽性だったことを告げられる。不安にかられて検査に行った圭子は、すでに自分もエイズに感染していることを知りショックを受ける。そんなときに出会った高野晶という男性と圭子は、自分がエイズであることを告げられないまま肉体関係を結んでしまう。圭子が感染者であることを知った晶は彼女のもとを去ってしまう。

そんな圭子のもとに津島美幸というジャーナリストが現れる。彼女はエイズに対する偏見や差別の問題を調べているという。圭子は当初美幸を拒絶するが、その真摯な態度に少しずつ心を開いていく。

ある日、圭子は自分が妊娠していることに気づく。子供もまた感染しているのではないかと不安にかられる彼女の前に、思い直した晶が戻ってきた。2人は一緒に子供を育てよう、抱いてキスしようと誓い合った。そして圭子は出産、生まれてきた子供は幸いにも感染していなかった。それから数か月後、圭子はその生涯を閉じた。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

製作[編集]

家田荘子の原作を南野陽子が読み、東映に企画を持ち込んだのが映画化のきっかけ[4]。東映はこの年5月に公開された『寒椿』に続いて南野を売り出そうとしていた[5]。しかし『寒椿』と8月公開の『継承盃』が、作品の出来はよいと評価されたものの[6]、『寒椿』配収2億5000万円[7]、『継承盃』2億円と成績が振るわず[7][8]岡田茂東映社長が「社会のあり様が変わった。ファジイな時代でどの方向へ行ったらいいか判らんというのが正直な製作界の現状。前売り券のない大人向けの中級作品にどうやったらお客を呼べるか、社会全般に大きく話題を投げ掛けてゆく素材を選ばないとダメ」と判断し、『JFK』や『氷の微笑』『ミンボーの女』などに影響されて、「こういうプロデューサーや配給会社にハネっ返りがくるような映画でないとダメだろう」と社会路線として手始めとしてエイズを取り上げることを決めた[6]。以降、社会ネタに突っ込んでゆく映画の製作を決め[6]、同時に異常な企画を抉り出すプロデューサーの出現を期待した[6]

岡田がセントラル・アーツ黒澤満プロデューサーに「誰がモデルか判らないように、いろんなケースをミックスして脚本を書いてくれ」と指示[6]。最初は高橋洋ら、3人の脚本家にシナリオを書かせたが一貫性がなく時間も長くなったため、黒澤が佐藤純彌に相談した[4][5]。脚本を佐藤が2時間弱にシナリオをまとめて家田荘子に見せると「OK」が出たため、佐藤が監督をすることになった[4][5]。黒澤としては若手シナリオライターとベテラン佐藤を組み合わせて若手に経験値を積ませようという狙いがあった[5]。南野は企画・立案者としての責任感から自ら8キロの減量に挑み、赤井英和とのハードなベッドシーンを含む鬼気迫る熱演を見せた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 憤怒の河 2018, p. 486.
  2. ^ 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『キネマ旬報1993年平成5年)2月下旬号、キネマ旬報社、1993年、 148頁。
  3. ^ a b c 私を抱いてそしてキスして”. 日本映画製作者連盟. 2019年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e 「佐藤純彌 ぶらりシネマ旅」『デイリースポーツ』連載、2015年5月26日付(34)
  5. ^ a b c d 憤怒の河 2018, pp. 357-364.
  6. ^ a b c d e 「東映・岡田茂社長インタビュー 『危機と見るか体質改善好機と見るか』」『AVジャーナル』1992年9月号、文化通信社、 22–23頁。
  7. ^ a b 「1992年度邦画3社番組/配収」『AVジャーナル』1993年1月号、文化通信社、 66–67頁。
  8. ^ 「惨敗続きの邦画秋の陣 正月興行作品に期待大」『AVジャーナル』1992年10月号、文化通信社、 7頁。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]