消防車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

消防車(しょうぼうしゃ)は、消防車両の一種であり、火災その他災害に際してその鎮圧や防御を行う際に使用される特殊な装備を持つ車両である。自動車のない時代から消防車は存在し、馬車人力車が用いられていた。自動車が発明されてからは自動車が主流となっている。

日本国内の消防車については日本の消防車を参照。

歴史[編集]

ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ザーレムの消防博物館収蔵の17世紀の消火活動の絵。手動式消防ポンプが使用されている。

消防車に搭載される消防ポンプの歴史は、紀元前245年アレクサンドリアクテシビオスの発明したポンプに見ることができる[1]。クテシビオス以前にも放水具と呼ばれるものは存在したが、機構は非常に単純であり、今日の消防ポンプとのつながりを見出すのは困難であった[2]。同様のポンプをクテシビオスの弟子と言われるヘロンも発明している。クテシビオスの消防ポンプは単動式ピストン・ポンプ英語版であり、1回ピストンをストロークする毎にシリンダー内にバケツなどで水を補水しなければならない為、放水の連続性は担保されておらず、放水性能もオペレーターの腕力に完全に依存する構造であった[3]。クテシビオスの消防ポンプは4世紀ローマ帝国の衰退と暗黒時代の到来により、研究や改良を行う技術者が現れなくなり[3]17世紀までは専らバケツ・リレー英語版による消火活動と併用される形に過ぎなかった。なおクテシビオスの消防ポンプは、18世紀中頃には江戸時代の日本にも竜吐水として伝搬しているが、放水性能の低さから火消し達の消火活動は専ら破壊消火に限定される形となっていた。

1616年、ニュルンベルクで改良された消防ポンプ[4]は、単動式ピストン・ポンプのシリンダーを予め大きな水槽の中に沈めておくか隣接させる形を取ることで、ストロークの度にシリンダー内に補水を行う必要がなくなり、放水の連続性が大きく向上した。ニュルンベルクの消防ポンプは当初は単気筒であったが、後に回転ビーム(梁)英語版を介して2気筒を交互に動かす構造となり、連続して放水し続けられるようになった[3]

1666年のロンドン大火の際に使用されたとされる手押し式消防ポンプ車

16世紀になると蒸気機関を用いて、12メートル以上の高さまで放水するポンプが発明されたことが文献に記されており「fire engine」と呼ばれていた。ただし、この放水ポンプが携帯可能であったのかは、定かではない。1654年、マサチューセッツ州リンの技師であるジョセフ・ジェンクスが、手動式消防ポンプを手押し車に載せて人力や馬車で運搬するアイデアを実行したとされており、リンの街は「消防車発祥の地」とも呼ばれるようになったという。

1721年と1725年にイギリス、ロンドンでリチャード・ニューシャム英語版が手動消防ポンプ搭載の消防車に関する特許を出願し、すぐにイギリスにおける消防車のシェアを支配した。ニューシャムの消防車は1731年にはニューヨーク市でも採用されている。ニューシャムの消防ポンプ車は、並列2気筒のシリンダーに隣接して170ガロンの要領の水槽が取り付けられた基本構造であることはニュルンベルクの消防ポンプと大差が無いが、並列2気筒による放水圧力の安定化(脈動の平滑化)の為に、水槽と放水パイプの上に空気室(プレナム・チャンバー英語版)が設けられており、人力駆動でも高い放水圧力を持っていたことが革新的な点であった[3]。アメリカに導入されたニューシャムの消防ポンプ車は、アメリカ人技術者により様々な改良が加えられていった。だが、ニューシャムの消防ポンプ車の時点でも、放水装置自体は消防ポンプの本体に取り付けられた回転式のグースネック (配管)英語版に依存しており、放水と取水の自由度は大きく制限されたままであった[3]

1776年頃のアメリカの消防活動を描いているとされる絵画。消防ポンプへの水の供給はバケツリレーで行っているが、放水自体はホースを介して行われている様子が描かれている。

ニューシャムの消防ポンプ車に先んじる1672年、オランダで皮製の放水ホースが発明されたが、皮の縫い目からの水漏れが酷く、消防ポンプの水圧には耐えられなかったためにその普及は限定的なものでしかなかった。1792年、ボストンのW.C.ハンフマンは、皮製のホースを消防ポンプ車の取水ホースとして利用するアイデアを実行に移したが、なお耐久性の問題が残されていた。この状況が大きく改善されるのは、1808年(1811年とも)にフィラデルフィアのアブラハム・L・ペノックとジェームズ・セラーにより銅製のリベットを用いて縫い目が補強された革製ホースが発明されたことであった。1822年、ペノックは取水・放水の双方に自製のホースを用いた消防ポンプ車をプロビデンスに納入したが[3]、最初の発明以来1818年に米国特許を取得するまでの間に13000フィートもの革製ホースを自製、或いはサードパーティーに委託製造させていたため、「発明者が何年も商業利用した後に改めて特許申請しても無効である」という判例(ペノック&セラーズ対話英語版)を生む切っ掛けともなってしまった。

1730年年代から1790年代に掛けてアメリカで様々な形態に改良された人力消防ポンプ車の絵画。

ニューシャムの消防ポンプ車はアメリカに導入された後、米国の技術者により様々な改良が検討されたが、その過程の中で本質的には回転ビームによる上下運動により動力が加えられていた消防ポンプに、何らかの構造で回転運動による動力伝達を試みる改良が施された。初めに、消防ポンプの上方に回転ハンドル型のクランクを取り付けるコーヒーミルと呼ばれる構造が開発され、操作員がポンプの上でクランクハンドルを回しつづける事によってポンプを連続駆動させられるようになった。この改良により、それまでの回転ビーム方式がポンプ操作要員に最低でも6人を要し、どんなに熟練した要員でも毎分60ストローク程度がやっとであったものが、2名の操作員で毎分120ストロークを発揮するまでに高速化された。しかし、この改良を以ってしても、「1グループの操作員が全力でポンプを連続駆動できる時間は5分から10分程度がやっと」という制約を越えられなかったため、コーヒーミル型に続いて、消防ポンプのシリンダーを横向きにして、水平方向に回転ハンドル型のクランクを取り付けるサイダー・ミル英語版型の構造が開発され、人力の他に輓獣を用いて消防ポンプを連続回転させる事ができるようにもなった。馬や牛による大馬力の確保は消防ポンプの更なる水圧向上に繋がっていき、この安定した圧力維持の為についには蒸気機関の再導入の欲求へと繋がっていくことになる[3]

イギリスの蒸気消防車。馬が曳く事で移動する馬車であり、蒸気機関は消防ポンプの駆動のみに用いられた。

1802年、リチャード・トレビシックが世界初の実動する蒸気機関車を発明し、1814年ジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車を実用的なものにした。その後、蒸気機関の改良は進み、1829年には、イギリスにおいてジョン・ブレースウェイト英語版ジョン・エリクソンが、蒸気消防車英語版の製作に成功する。2人が製作した消防ポンプは10馬力で、毎分900リットルから1200リットルの水を約30メートルの高さまで放水できるものであり、消防機器の機械化第1号と言える[5]

1871年式アモスケーグ・マニファクチュアリング・カンパニー英語版製蒸気消防車。蒸気機関による自走が可能となったモデルである。

1840年にアメリカ合衆国はイギリス人技師のポール・ラムゼイ・ホッジ(Paul Ramsey Hodge)を招き、ニューヨーク市公会堂の国旗掲揚塔を越える放水能力を持つ蒸気ポンプの製作を依頼する。ホッジは1841年3月末に蒸気ポンプを完成させ、公開試験で性能を披露した。このホッジの蒸気ポンプは、自力走行できる性能を持っていたため、消防自動車第1号と言える[5][6]

日本では、1870年に東京府消防局がイギリスから蒸気ポンプを輸入したのを始め、1899年には日本製蒸気ポンプを市原ポンプ製作所が製作している[5]

手押し式ポンプに比べ、数倍の性能をもつ蒸気ポンプだが、普及はスムーズには進まなかった。イギリス(ロンドン)では充分な水の供給ができないことと、一般市民と火災保険会社が対立したことなどから蒸気ポンプは不採用となった[5]。アメリカ合衆国では、蒸気ポンプの使用によって、これまでの手押し式ポンプが無用となることや、消防職員の仕事がなくなるのではないかといった理由からニューヨーク市消防局で反対の声が起こり、やはり蒸気ポンプの採用は見送られた[5]。日本の場合、輸入した蒸気ポンプは東京市内の道路が狭くて効果的に移動できないこと、操作が複雑で十分に使いこなせないことなどから、1876年には北海道支庁の函館に売却される。しかし、函館でも十分な利用は行えず、1885年には盛岡市に再売却されてしまった[5]

1905年のノックス・オートモーティブ製消防ポンプ自動車。

1905年、アメリカのノックス・オートモーティブ・カンパニー英語版が、実用化されて間もないガソリンエンジン駆動のトラックに消防ポンプを載せるという革新的なアイデアを実行に移し、近代的な消防自動車の第一号となった。ノックスの消防自動車のアイデアは、瞬く間にアメリカ内外の自動車メーカーにも追従されていく事になった。内燃機関を用いる自動車への消防ポンプの搭載は、1875年にオズボーン・レイノルズにより概念自体は発明されていたものの、人力・蒸気機関の何れを用いても最大回転速度の問題で実現不可能と言われていた遠心ポンプの実用化にも繋がることになり、消防ポンプ車は飛躍的な性能向上を果たすことになる[7]

その後、技術進歩もあって、日本においては1911年に大阪市がドイツからベンツ社製の消防ポンプ車を輸入し[8]、1914年に開催された東京大正博覧会でのイギリス・メリーウェザー英語版社、ドイツ・ベンツ社の消防ポンプ車出展を見た横浜市がメリーウェザー社の物を、名古屋市がベンツ社製の物を購入した[5][9]。1917年には東京市もアメリカン・ラフランス社から消防ポンプ車を購入する。日本製消防ポンプ車の製作は1939年からとなる[5]

日本の消防車は赤い塗装であるが、これは1911年に大阪市が輸入した消防車が赤色であったためである。1951年制定の道路運送車両法保安基準第49条第2項によって、消防自動車は朱色であることが法律上定められた[8]。日本以外においても、消防車に赤い色を採用している地域はイギリス、フランス、スイス、オーストリアなど多いが、ドイツは赤または紫色を採用し、アメリカでは各消防局ごとに色が異なる。

ギャラリー[編集]

構造・機能[編集]

運用[編集]

日本の消防車[編集]

出典・脚注[編集]

関連[編集]