アジア太平洋映画祭
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アジア太平洋映画祭(あじあたいへいようえいがさい)とは1954年に創設されたアジア映画製作連盟が主催する映画の賞である。最初の名は東南アジア映画祭。次にアジア映画祭(1957~83)。
東南アジア映画市場開拓に力を入れる日本の大映代表取締役社長の永田雅一を主催とし、フィリピンのマニュエル・デ・レオン、タイのバアヌ・ユガラ、インドネシアのオスマー・イスマイル、香港、シンガポールのロク・ワン・トオ(陸運濤)、ランラン・ショウ(邵逸夫)、ランミー・ショウ(邵仁枚)らの署名と業界の一致によって創設された映画祭。
目次
- 1 歴代各賞
- 1.1 第1回(1954年)
- 1.2 第4回(1957年)
- 1.3 第5回(1958年)
- 1.4 第6回(1960年)
- 1.5 第7回(1962年)
- 1.6 第8回(1962年)
- 1.7 第11回(1965年)
- 1.8 第12回(1966年)
- 1.9 第16回(1970年)
- 1.10 第20回(1974年)
- 1.11 第21回(1975年)
- 1.12 第22回(1976年)
- 1.13 第23回(1977年)
- 1.14 第24回(1978年)
- 1.15 第28回(1982年)
- 1.16 第29回(1983年)
- 1.17 第30回(1984年)
- 1.18 第35回(1990年)
- 1.19 第37回(1992年)
- 1.20 第38回(1993年)
- 1.21 第40回(1995年)
- 1.22 第44回(1999年)
- 1.23 第45回(2000年)
- 1.24 第48回(2003年)
- 1.25 第49回(2004年)
- 1.26 第55回(2012年)
歴代各賞[編集]
第1回(1954年)[編集]
- 作品部門
- 最高賞『金色夜叉』
- 俳優部門
- スタッフ部門
第4回(1957年)[編集]
- 作品部門
- 最高賞 『朱雀門』
- スタッフ部門
- 特別部門
- ゴールデン・ハーベスト賞 市川雷蔵 (8代目) 『朱雀門』
第5回(1958年)[編集]
- スタッフ部門
第6回(1960年)[編集]
- 俳優部門
- スタッフ部門
- 編集賞 黒岩義民『黒い画集 あるサラリーマンの証言』
第7回(1962年)[編集]
- スタッフ部門
第8回(1962年)[編集]
- スタッフ部門
第11回(1965年)[編集]
- 作品部門
- 最高賞 『仇討』
- スタッフ部門
- 編集賞 宮本信太郎
第12回(1966年)[編集]
- スタッフ部門
- 編集賞 『にっぽん泥棒物語』
第16回(1970年)[編集]
- スタッフ部門
- 監督賞 チャン・チェ『ヴェンジェンス 報仇』
第20回(1974年)[編集]
- スタッフ部門
第21回(1975年)[編集]
- 俳優部門
第22回(1976年)[編集]
- 俳優部門
第23回(1977年)[編集]
- スタッフ部門
第24回(1978年)[編集]
- 俳優部門
- 主演男優賞 高倉健
第28回(1982年)[編集]
- 俳優部門
- 主演男優賞 高倉健
第29回(1983年)[編集]
- 作品部門
- 最高賞『細雪』
- スタッフ部門
- 監督賞 市川崑『細雪』
第30回(1984年)[編集]
- 俳優部門
- 特別賞
第35回(1990年)[編集]
- スタッフ部門
- 編集賞 飯塚勝
- 俳優部門
- 主演男優賞 高倉健
第37回(1992年)[編集]
- スタッフ部門
第38回(1993年)[編集]
- 俳優部門
- 助演男優賞 チェ・ミンシク
第40回(1995年)[編集]
- スタッフ部門
- 最優秀音楽賞 谷川賢作
第44回(1999年)[編集]
- 俳優部門
- 主演男優賞 高倉健
第45回(2000年)[編集]
- 俳優部門
- 助演男優賞
- スタッフ部門
第48回(2003年)[編集]
- 俳優部門
第49回(2004年)[編集]
- スタッフ部門
- 撮影賞 モハマド・アズラ・カマルディン
第55回(2012年)[編集]
- 俳優部門
- スタッフ部門