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鉄道ジャーナル

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鉄道ジャーナル
Railway Journal
愛称・略称 RJ
ジャンル 鉄道趣味誌
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 成美堂出版
編集部名 株式会社鉄道ジヤーナル社[1]
編集長 竹島紀元(1967年5月 - 2007年2月)
宮原正和(2007年3月 - 2025年4月)
ISSN 0288-2337
雑誌名コード 16499
刊行期間 1967年 - 2025年[2]
発行部数 公称15万部(2018年9月[3]自社調べ)
ウェブサイト https://www.rjnet.jp/
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鉄道ジャーナル』(てつどうジャーナル、: Railway Journal)は、東京都に本社を置く株式会社鉄道ジヤーナル社(てつどうジヤーナルしゃ)[1]が編集・発行し、成美堂出版が発売していた日本月刊鉄道趣味雑誌1967年昭和42年)創刊、2025年令和7年)休刊[2]

本項では、発行元の鉄道ジヤーナル社についても記述する。なお雑誌名は『鉄道ジャーナル』だが、登記上の会社名は「鉄道ジーナル社」[1]である。同誌は創刊直後から鉄道ジヤーナル社が編集・発行・発売を一貫して手がけてきたが、2010年1月刊行の2010年3月号(通巻521号)に発売業務を中堅出版会社の成美堂出版へ移管し、雑誌コードも06551から16499に変更された。『鉄道ジャーナル』休刊後も同社は法人として存続している[1]

概要

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従来発行されていた鉄道雑誌が、鉄道車両鉄道模型を中心とした趣味的な視点から編集を行うのに対し、「ジャーナル」の誌名どおり「鉄道の将来を考える専門情報誌」を標榜し、交通政策そのものを含めた社会事情や経済的・政治的な視点から鉄道を客観的に見る記事で構成されていた。「列車追跡シリーズ」という列車の乗車レポート記事を看板に、鉄道の利用実態に関わる現状を詳細にレポートしていた。また他の鉄道雑誌に比べ、鉄道の現場をレポートする記事にも積極的であった。

さらには、鉄道以外の公共交通機関である航空機バスなどに関する記事も、いち早く誌面に盛り込んだ点も画期的な取り組みであった。

竹島紀元編集長は、鉄道撮影により死者が出た京阪100年号事故に対する反省から、鉄道ファンによる撮影への欲求の無闇な過熱を抑えたい、「鉄道を考える」ことを第一としたいという編集方針にこだわり、読者から要望の高い臨時列車ダイヤや撮影地紹介などの鉄道撮影情報をあえて掲載しない編集方針[4]を取っていた。

歴史

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創刊から1990年代まで

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1967年の創刊号の表紙は、国鉄EF90形電気機関車長野電鉄0系電車(OSカー)である。当初は東亜企画が季刊誌として販売したが、同年発行の3号から鉄道記録映画社(のち鉄道ジャーナル社)に引き継がれ、同時に月刊化された。創刊初期には、大学や高校の鉄道研究会有志が社外スタッフとして関わっていた。その経験を活かし、自ら鉄道雑誌を立ち上げた者(『とれいん』の松本謙一平井憲太郎、『レイルマガジン』『RM MODELS』の笹本健次)もいる。

SLブームの最中であった1970年代初期には、すでに特急列車ブルートレインを取り上げ、1970年代後半の「ブルトレブーム」につながる先見性は多くの読者の支持を得た。

1970年代後半、航空機やモータリゼーションが進展して鉄道利用者が減少すると、総合交通体系から鉄道の特性を見つけるべきとして、1980年1月号で特集「鉄道は航空機と共存できるか」を組み、表紙にボーイング747の写真を掲載した。また同年10月号では路面電車特集を組んだ。1984年1月号では、須田寬日本国有鉄道常務理事と利光松男日本航空常務取締役(肩書は当時)が誌上で対談した。

1980年代からはバスに関する情報も掲載した。1980年11月号で「鉄道と自動車」の特集を組み、和田由貴夫(現:ぽると出版社長、『バスラマ・インターナショナル』編集長)による長距離バスに関する記事を掲載。座談会「共存こそ鉄道とバスの生きる道」や、長野電鉄の電車とバス車両をともに掲載した。1985年1月号から、バス情報コーナー「Bus Corner」の連載を開始し、毎号3ページをバス研究第一人者の鈴木文彦が手がけた。まだ『バスラマ・インターナショナル』などのバス雑誌が刊行されていなかった時代には、この「Bus Corner」はバス趣味の情報収集に貴重な手段となった。連載当初は「鉄道雑誌にバスの特集は不要」と反対意見も見られた[5]が、竹島編集長は「他の鉄道雑誌にない記事が必要」と掲載を継続した。

1985年頃に国鉄分割民営化が社会問題化すると、分割民営化に関する問題などを逐次伝え、JR発足後はJR各社の状況を特集した。JR発足直後から1990年代前半まではバブル景気下でJR各社の輸送人員が増加したことを受け、頻繁に「鉄道復権」を特集したため、その編集方針は多くの読者から評価された。また読者投稿欄「タブレット[注釈 1]」で、JR東海初代社長の須田寛が投稿へ回答していた時期もあった。

1980年代から1990年代にかけては、中国の鉄道に注力し、中国改革開放路線に転じた直後の1980年から、ほぼ毎年中国の鉄道ツアーを企画・主催し、本誌に数号にわたり乗車リポートを掲載した。これを機に中国のほか、ベトナムの鉄道や、ロシアシベリア鉄道など、周辺国の鉄道ツアーも、企画・主催した。

2000年代以降

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2000年代に入ると、誌面の掲載内容や質が変化し、鉄道趣味的寄りな論調が増えたり、[独自研究?]2001年8月号における竹島社長兼編集長の歴史見解に関する騒動が起きたり、[要説明]歴史見解以外にも、編集長の姿勢が「雑誌の私物化」として問題視され、読者からの抗議が大量に殺到した(この間、本件に関する返答が遅れていることのお詫びも記載された)。最終的な騒動の終結には約半年も要した。[要出典]

長年同誌で鉄道ライターとして活動していた種村直樹による「レイルウェイ・レビュー」といったオピニオン記事や、マスコミによる鉄道記事を独自の視点で分析する「鉄道記事ざっくばらん」という記事があったが、いずれも2006年7月号で終了し、種村との契約を解除した。また「読者論壇」コーナーも廃止された。翌2007年には編集長を専任者の宮原正和へ交代し、竹島は社長に専念した。

創刊以来の「列車追跡」は、2010年代には車内取材が制限されて消滅し、読者投稿欄「タブレット」も1980年代に比べ投稿数が大幅に減少したことから、2022年12月号限りで休載した。

一方でその後も日本国外の鉄道記事に注力し、2015年2月号でドイツの鉄道を特集している。また2024年時点では「プラハ発欧州鉄道通信」を毎号掲載していた。

休刊

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2025年3月号(1月21日発売)の誌上にて、同年4月21日発売の6月号(通巻704号)をもって休刊することを発表[2]した。神戸新聞社のウェブメディア「まいどなニュース」の取材に対し、鉄道ジヤーナル社は「現状を取り巻く出版状況の厳しさも一因」と回答した[2]

そして予定どおり、2025年4月21日発売の6月号(通巻704号)をもって鉄道ジャーナルは休刊となり、1967年の創刊以来58年の歴史に幕を閉じた。最終号の特集は「東京の電車2025」[6]であった。

後継誌

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鉄道ジャーナルの休刊を受け、本誌で執筆していた佐藤信之らにより『鉄道insight』」が、2025年5月(6月号、以後月刊)から刊行された[7]書泉[8]Amazon[7]などで購入できる。

株式会社鉄道ジヤーナル社

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株式会社鉄道ジヤーナル社
Railway Journal Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
162-8445
東京都新宿区新小川町1番7号[1]
成美堂出版
設立 1965年昭和40年)
業種 情報・通信業
法人番号 3010001023244
事業内容 雑誌・書籍等の出版
代表者 代表取締役社長 深見公子
従業員数 2人(2025年7月時点)
主要株主 成美堂出版
関係する人物 竹島紀元(創業者、元社長)
外部リンク https://www.rjnet.jp/company.html
特記事項:2025年7月9日に本社を千代田区飯田橋4丁目8番6号(日産ビル3階)から現在地へ移転[1]
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鉄道ジヤーナル社は、鉄道映像を記録することを目的に、1965年(昭和40年)に「鉄道記録映画社」として設立され、創業者の竹島紀元が代表取締役を務めた。のちに雑誌『鉄道ジャーナル』の出版を引き継ぎ、1970年(昭和45年)に誌名に合わせて鉄道ジヤーナル社商号変更した。その後は『鉄道ジャーナル』誌および関連図書の編集と発行を主業務とした。そのほか、各種雑誌・書籍の編集・出版、鉄道に関する映像・ビデオ作品の制作・販売を行っていた。

2010年に販売業務を成美堂出版へ移管し、会社自体も同社の傘下となった。同時に代表取締役社長も竹島紀元が引退し、成美堂出版の代表取締役が兼務する。2025年7月現在は深見公子。

雑誌『旅と鉄道』

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主に鉄道旅行を扱う季刊誌『旅と鉄道』は、2007年10月号に月刊誌へ刷新し、2009年2月号(1月10日発行)を最後に休刊したが、2011年9月(11月号)に出版社を朝日新聞出版へ変えて復刊した。発売元は、2017年7月号から山と渓谷社、2024年8月号からイカロス出版へ、それぞれ変更した。

編集長は鉄道ジヤーナル社出身で、株式会社天夢人(テムジン)代表の芦原伸

2024年4月1日付で、株式会社天夢人はイカロス出版へ吸収合併され解散[9]した。

関連人物

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関連雑誌

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制作協力した鉄道紀行番組

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脚注

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注釈

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  1. ^ 由来は閉塞装置から。

出典

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  1. ^ a b c d e f 株式会社鉄道ジヤーナル社の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁. 2025年10月24日閲覧。
  2. ^ a b c d “鉄道ジャーナル休刊へ 58年の歴史に幕「好きだったな」「やはり…」”. まいどなニュース. (2025年1月20日). https://maidonanews.jp/article/15591655 2025年1月20日閲覧。 
  3. ^ 『雑誌新聞総かたろぐ』(2019年版)メディア・リサーチ・センター、2019年5月25日、299頁。ISBN 978-4-89554-049-0 
  4. ^ 編集部「読者投稿欄「タブレット」内「『鉄道ジャーナル』の良識」」『鉄道ジャーナル』No.218、1985年4月、144頁。 
  5. ^ 編集長「こちらジャーナル編集室」『鉄道ジャーナル』No.219、1985年5月、158頁。 
  6. ^ RJNET-JP 鉄道ジャーナル
  7. ^ a b 佐藤信之.jp [@n_satoh_jp] (17 May 2025). “鉄道insight 鉄道ジャーナルの休刊発表の1月20日より発行の準備をしてきました。2〜30年前の鉄道ジャーナルの雰囲気が再現されたと思っております。”. X(旧Twitter)より2025年8月27日閲覧.
  8. ^ 鉄道insight2025年6月号”. 書泉. 2025年8月28日閲覧。
  9. ^ 株式会社天夢人の情報 国税庁法人番号公表サイト、2025年10月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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