押井守

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おしい まもる
押井 守
押井 守
2015年10月イタリア・Lucca Comics & Gamesにて
本名 押井守
別名義 丸輪零
名輪丈
小川守弘
岩崎宏
生年月日 (1951-08-08) 1951年8月8日(66歳)
出生地 日本の旗 日本東京都大田区
国籍 日本の旗 日本
血液型 O
職業 映画監督
ゲームクリエイター
小説家
脚本家
漫画原作者
劇作家
ジャンル アニメーション映画
実写映画
テレビアニメ
活動期間 1977年 -
配偶者 あり
著名な家族 最上和子(姉)
押井友絵(娘)
乙一(娘婿)
主な作品

アニメーション映画

押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本映画監督小説家脚本家漫画原作者劇作家ゲームクリエイター大学教員等としても活動している。

概要[編集]

東京都大田区大森出身[1]東京都立小山台高等学校東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度から2009年度まで東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授を務めた[2]日本SF作家クラブ会員[3]

1977年竜の子プロダクションに入社し、アニメーション業界へ。 1979年スタジオぴえろに移籍。『うる星やつら』のテレビシリーズのチーフディレクターを担当し、1983年うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画初監督。以降『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『機動警察パトレイバー the Movie』、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』などの劇場作品を手がける。 1995年に発表した『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 は米ビルボード誌のビデオ週間売り上げで1位を獲得した[4]2004年に発表した『イノセンス』は、日本のアニメーション映画としては初のカンヌ国際映画祭オフィシャル・コンペティション部門出品作品となった[5]

個人事務所は有限会社八八粍。事務所所在地は東京都港区虎ノ門。押井自身の全額出資によって設立された。

姉は舞踏家最上和子。映画ライターの押井友絵は前妻との間にもうけた長女。押井友絵は2006年小説家乙一と結婚している[6]

2016年度 第44回 米アニー賞において、生涯功労賞にあたる ウィンザー・マッケイ賞英語版が授与された[注釈 1]

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

母親が後妻だったため、年の離れた腹違いの兄と、下の兄、姉の四人兄弟の末っ子として生まれる[1]。父は私立探偵を営んでいたが、収入はもっぱら母によるものだった[7]小学校の高学年の頃から父から英才教育を施されたため、体育以外の学科の成績は全て5であったが[8]中学受験には失敗し、その後父親の教育熱は冷めたという[9]。中学時代にはSF小説に熱中し、SF小説家を志すようになる[10]

東京都立小山台高等学校入学後、不登校がちになる代わりに学生運動に熱中[11]私服警官が家を訪れる事態にまで至り、危機感を持った父親によって高校最後の夏に大菩薩峠の山小屋に軟禁されることになる[12]。そのうちに学生運動のピークは過ぎ、運動に対しても醒めるようになる。学生運動は後に押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。

1970年東京学芸大学入学後は映画に熱中し、年間1000本程の映画を見るようになる[13]。既存のサークルである映画研究会と袂を分かち、新たに「映像芸術研究会」を設立、自ら実写映画を撮り始める[14]。後に『平成ガメラシリーズ』を監督する金子修介はこの時のメンバーで、押井の直接の後輩である。金子のほかに当時一橋大学の学生で後に防衛大学校教授となる荒川憲一が所属していた[注釈 2]。後年『機動警察パトレイバー2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなった人物が荒川である。

大学に入学してからの2年間は、ほとんど授業に出ておらず、2年間で2単位しか取っていなかった[15]。押井は留年することになったが、その後もさらに2年間ほとんど大学に通わなかった(合計4年間)。当時の押井にとって大学は、留年はするけども、1単位も取らなくても4年間は放り出されないことに意義があり、無条件に自分の時間と場所を確保できたこと、それが唯一の成果だったと回想している[16]

学生時代に小学校に教育実習に行ったので子供の扱い方には慣れていると述べており[17]、この時の体験が映画監督としても役立っているという[18]。就職活動では映像関係の仕事を志望し、テレビマンユニオンぴあ国立フィルムセンターを受けるが全て不採用だったため、知人の紹介で知ったラジオ制作会社に内定を得る[19]。卒業とほぼ同時に大学在学中に市民合唱団で知り合った女性と結婚[20][21]

アニメ業界入りから独立まで[編集]

1976年、ラジオ制作会社に就職して番組を制作していたが、給料の不払いが続いたため10ヶ月で退社し[22]、広告代理店の下請けであるCMモニター会社に転職する[23]。この時に後の師匠となる鳥海永行が演出した『科学忍者隊ガッチャマン』を観ており、本格的な演出に感銘を受ける[24]。この仕事にも見切りをつけ、教員採用試験を受けることにするが、願書を預けていた知人が提出し忘れたため採用試験を受けることはなかった[25]

1977年一橋学園駅付近の電柱に貼ってあった求人広告を見て竜の子プロダクションに応募し合格[26]。当初は事務雑用を担当していたが、演出の人手不足からすぐにアニメ演出を手掛けるようになり、やがて、2年早く入社した西久保瑞穂真下耕一うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井は最初から演出を任されていた。独特のギャグの才能をタツノコプロ演出部長の笹川ひろしに買われて、『タイムボカンシリーズ』を長く担当。

1979年、私淑する鳥海永行に続く形でスタジオぴえろに移籍[27]。テレビアニメ『ニルスのふしぎな旅』のレギュラー演出家として鳥海の下につく。

1981年、テレビアニメ『うる星やつら』のチーフディレクターに抜擢。1983年、劇場版第1作『うる星やつら オンリー・ユー』で監督としてデビューするが、出来栄えには満足できなかった[28]。同時期に離婚している[29]。劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』では1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)を記録し、アニメ監督として頭角を現す。

1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社。以後フリーランスの演出家となる。同時期に再婚[30]1985年徳間書店のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA天使のたまご』を完成させるが、興行的に失敗[31]。この頃、宮﨑駿の推薦で劇場版『ルパン三世』の監督を引き受けるが、「ルパンという人物自身が虚構であった」というアイデアの賛同を得ることができず、監督を降板する[32]

Production I.G以後[編集]

作家性の強さが災いし、『天使のたまご』以降3年間アニメの仕事を失う[33]1987年、声優・千葉繁のプロモーションビデオを自主制作する話が発展し、『うる星やつら』も担当した音響制作会社オムニバスプロモーションの製作による実写作品『紅い眼鏡/The Red Spectacles』を監督。これ以後、アニメのみならず、実写にも活動の場を広げる。1991年には『ケルベロス・サーガ』の第2作として『ケルベロス-地獄の番犬』を公開。本作のロケハンで移動中、台北へ向けて搭乗するはずだった飛行機が墜落、乗員・乗客全員死亡という惨事が起こるが、予算の都合で飛行機を諦めてクルマで移動することに変更したことで難を逃れている[34]

1988年、OVA『機動警察パトレイバー』を監督して第一線に復帰。続けて1989年に公開された劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』で第7回日本アニメ大賞を受賞。『機動警察パトレイバー the Movie』を契機として、活動の拠点をProduction I.Gへと移した。以後、Production I.Gにはフリーでの参加ながら、企画者育成のために「押井塾」を主宰するなど、中心的役割を担っている。IGポートの大株主の1人でもある。1993年静岡県熱海市に転居[35]

1995年に発表した『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は米『ビルボード』誌のホームビデオ部門で売上1位を記録。スティーヴン・スピルバーグジェームズ・キャメロンなどに絶賛された。

2004年に発表した『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。カンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであった。

2005年愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。

2008年、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』がヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門ノミネート。フューチャー・フィルム・フェスティバル・デジタル・アワード受賞[注釈 3]。第41回シッチェス・カタロニア国際映画祭で批評家連盟賞とヤング審査員賞を受賞。

2009年は、6月公開の『宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-』で、原案・脚本を手がけた[36]。12月には単独作品としては8年ぶりの実写映画となる『ASSAULT GIRLS』が公開された。

作風[編集]

  • 押井守が多く用いる映像表現として、アニメにレンズの概念など実写的要素を取り入れたレイアウトシステムの導入、2Dの手描きのアニメと3DのCGIの融合、更にそれら素材にデジタル加工を施し、手描きの絵やCGIでは得られない質感を加えたり、画面全体に統一感を持たせるエフェクト処理(ビジュアルエフェクツ)などがある。
  • 映画の半分は音である」と語るほど音響と音楽を非常に重視する。『紅い眼鏡/The Red Spectacles』以降の音楽はほとんどを川井憲次に任せている。近年の作品では音響作業を米国のスカイウォーカー・サウンドで行うことが多い。
  • 一般的には映画を構成する要素(A「キャラクター」・B「物語」・C「世界観」)はA→B→Cの順番で構築されるケースが多いが、押井作品では逆にC→B→Aとなることが多く、まず「世界観」ありきでそこから無理の無い「物語」・「キャラクター」が逆算で割り出される。
  • 虚構と現実をテーマとして用いることが多い。これに付加して、同じ状況を何度も繰り返すなど「永遠性」を意識した演出も多用される。
  • アニメーションにおいては演出万能論を唱えており、物語もキャラクターも演出家のものであって脚本はあくまで素材や動機に過ぎないとしている。
  • 映画は単に映像の快感原則の連続によってのみ成立するのではなく、あえて流れに逆らう部分が必要という考えから、多くの割合でストーリーの進行とは直接関係ないダレ場が挿入される。
  • 職業監督として、決められた予算で納期までに仕上げることをポリシーとしており、ほとんどの作品で予算と納期を守る優れた管理能力を示している。
  • デジタル技術の登場により、実写アニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであったが、パイロット版を作ったあと、制作は途中で凍結された。このパイロット版の制作で得たノウハウは後に『アヴァロン』に活かされている。
  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、自らの作品における大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を上梓している。
  • 遠浅の東京湾が埋め立てられる過程を見て育ったためか、作品には埋立地が多く登場する。

人物像[編集]

人間関係[編集]

監督・演出家[編集]

鳥海永行
押井が生涯の師匠と呼ぶ人物[24]。押井は竜の子プロダクション入社以前に鳥海が演出した『科学忍者隊ガッチャマン』を観ており、その本格的なつくりに当時から魅了されていた[24]。アニメーション業界入りした押井は鳥海を追うようにスタジオぴえろに移籍し、動画画面設計キャラクターデザイン等の指導を受けた[44]。鳥海とは世界初のOVA作品『ダロス』で監督を共同で手掛けている。
宮崎駿
親交があり、「宮さん」と呼んでいる。押井は宮崎駿がかねてよりその才能を認めていた数少ない同業者の一人であり、『ルパン』製作に押井を推薦するなどしている。宮崎は自分と対等に理論的に話せる相手を欲している、と最初に二人を引き合わせた鈴木敏夫は語っており、押井はその数少ない一人だったといえる。
宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介[31]。「押井版『ルパン三世』」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。
宮崎は押井の特徴を、何かありげに語らせるのなら彼に敵うものはいないと発言している一方で、実写を撮る才能ならは庵野秀明なんかのほうが上とも発言している[45]
最も好きな宮崎作品は『天空の城ラピュタ』と『ハウルの動く城』だという[46]
過去に「犬は残飯で十分だ」と主張する宮﨑駿と、激しい口論になっている[47]
高畑勲
その作品に「ちょっと血が通っていないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」と述べている[48]
宮崎吾朗
彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという[49]。ボツになった企画『アンカー』の会議にも顔を出しており、押井が参考に持っていったTVドラマ『安寿子の靴』に感動していたという。月刊誌『サイゾー』での対談では「宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ」と迫っている[50]。宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている[49]。『スカイ・クロラ』公開時には、庵野秀明や京極夏彦等と共に、公式パンフレットにコメントを寄稿した。
大塚康生
宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている[51]
出崎統
出崎の監督作品『劇場版エースをねらえ!』のビデオを何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している[注釈 4] 。『うる星やつら』では「ニャオンの恐怖」で止め絵演出など出崎統調の演出スタイルで絵コンテを描き、結果的に出崎統演出の『あしたのジョー』のパロディーとなった[52]
安彦良和
かつて押井を非常に高く評価し、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たときには「引退を考えるほどの衝撃を受けた」と語っている[53]。ただし、2007年には雑誌のインタビュー記事で『機動警察パトレイバー2 the Movie』以降の作品については違和を感じていることを表明しており、「今度会ったら『俺、あんたの作品嫌いだよ』と言ってやるつもりだった」とも述べている[54]
庵野秀明
押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、想像を絶する仕事量による「修行僧の世界」に耐えかねて二週間で逃げ出したという[55]。しかし、上記の通り『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではエンドテロップの「special thanks」の中に名前が挙げられている。2012年11月に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』について、押井はニコニコ動画の有料メールマガジンで、庵野の演出能力や制作意欲の高さは評価しながらも、作品としてはテーマや固有のモチーフがなく視聴者の感情移入でそれらが補完されてヒットを生んでいると述べ、そうした構造を持つことで制作者とファンが望む限り『エヴァンゲリオン』は永遠に終わらないと指摘した[56]

俳優・声優[編集]

榊原良子
キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。押井は映画を支えてくれる守護神のような存在と評し、彼女無しでは映画を作る気がしないとまで語る。
竹中直人
『パトレイバー2』の荒川役で仕事をした後、対談し「また一緒にやりましょう!」と意気投合。『ミニパト』を製作する際、再び荒川を登場させるべく押井は竹中に連絡を取ろうとしたが、知らない間に携帯の電話番号が変わっており、その時は実現しなかった。だが、のちに『イノセンス』では連絡が取れ、出演が実現している。その後も『スカイ・クロラ』や『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』などに出演。
兵藤まこ
声優デビュー作となった『天使のたまご』以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。『アヴァロン』制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。『ミニパト』の企画に関しても、彼女に主題歌を歌わせてそれをCD化できることが引き受けた大きな目的だったと語っている。
ひし美ゆり子
高校時代、『ウルトラセブン』でアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子に憧れを抱く。『真・女立喰師列伝』では「鼈甲飴の有理」役、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』では「ユリ」役にひし美を起用、演出している。

作家[編集]

光瀬龍
少年時代からのファンであり、所属していた図書委員会の「図書新聞」の取材のためと題し光瀬をインタビューしている。ファンレターを書いていたこともきっかけとなり、それ以降自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に押井の希望で対談により約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた[57][58]。光瀬が亡くなった時に押井は『アヴァロン』の撮影で海外へ渡航中であり葬儀に出席できなかった。このことを押井は大変悔いていた。光瀬が亡くなった翌年(2000年)の日本SF大会(ZERO-CON)で押井が光瀬との思い出を語る企画が設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)。この後2005年の日本SF大会(HAMA-CON2)においても企画に参加している。押井は2008年より『月刊COMICリュウ』で連載の始まった『夕ばえ作戦』の漫画版で脚色を担当し、初めて光瀬の作品を手がけることになった。新装版『百億の昼と千億の夜』では解説を書いている。
山田正紀
学生時代はSF小説家も志望していたが、ほぼ同い年である山田のデビュー作『神狩り』を読んで才能の差にうちのめされたという[59]。なお、山田は小説『イノセンス After The Long Goodbye』の執筆も手がけており、同作品内で押井は寄稿文を寄せている。

作品[編集]

長編アニメ(監督作品)[編集]

長編アニメ(参加作品)[編集]

OVA[編集]

実写[編集]

短編[編集]

TVアニメ[編集]

ラジオ[編集]

CDドラマ[編集]

ゲーム[編集]

舞台[編集]

その他の作品[編集]

著書[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

映像作品関連[編集]

エッセイ・評論[編集]

共著[編集]

没となった企画[編集]

シャーロック・ホームズ
奇しくも登場人物が犬という設定が『名探偵ホームズ』より前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった(パイロットフィルムも存在する)。
フルムーン伝説 インドラ
英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」。キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行。押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。
アンカー
企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏。平凡な浪人生が謎の少女を守って東京を冒険するというストーリー。1987年頃押井はジブリからの誘いに乗り、東京を謎に溢れた暗号化した街として再構成するアイデアを考え、プロットまで作ったが、宮崎所有の山荘で行われた高畑勲、鈴木敏夫(当時高校生だった宮崎吾郎も同席)も交えた企画会議の席上、高畑、宮崎と物語の展開の仕方で大口論になってしまい、結局その段階でお流れになったという。
墨攻
これもジブリからの誘いだが、話が食い違い流れる。
突撃!アイアンポーク
原作・企画・監修・宮崎駿。『宮崎駿の雑想ノート』6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。
押井版ルパン三世
魔法のフェアリー ドリーミィパック
正確にはアニメージュ誌上に掲載されたフェイク企画。卵から生まれた夢の妖精パックが夢を失った人たちや悪夢に苦しむ子供たちを救うために現世にやってくる。 パックは魔法の力で、卵の中で生まれ変わって変身する。卵は魂の再生と復活のシンボルであるとのこと。キャラクターデザイン原案・桜玉吉。
押井版銀河英雄伝説
キャラクターから艦までデザインを変更してもよいという条件で2〜3ヶ月付き合ったが結局断っている。
押井版鉄人28号
劇場アニメ化の企画が舞い込んだ際、「戦争の兵器として作られた28号が、平和の祭典である1964年東京オリンピックの開会式で上空を飛ぶ」というエンディングを予定していたという。また原作のメカ造形が気に入ったこともあり、白紙になっても企画再開の機会を窺っていた。後に舞台化として結実。
最後の立喰い -LAST TACHIGUI HERO-
TV番組『ソリトン』で公表。当初は『トワイライトQ』の一作品になるはずであった。
スクランブル1987
これも『トワイライトQ』の一作品として企画した。
連続ドラマ版『御先祖様万々歳』
脚本・じんのひろあき
押井版強殖装甲ガイバー(実写映画)
実際に制作された実写映画とは別企画で、台湾にあるオープンセットを使用して撮影する計画だったが、結局流れてしまい落とし前として『ケルベロス-地獄の番犬』が制作されることになる。
D
脚本・伊藤和典樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。この企画が流れたことで落とし前として5千万円の予算を出すから好きな映画を撮ってもいいという条件で『トーキング・ヘッド』が制作されることになる。
OVA版『犬狼伝説』
後に『人狼 JIN-ROH』の原型となった。
ガメラ2 レギオン襲来
「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。
NEXT〜未来は誰のために
樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画は『攻殻機動隊』の制作が大詰めを迎える頃から存在しており、パイロットフィルムが制作されるもほどなく白紙になった。この時培った草案の大半は『ガルム戦記』〜『GARM WARS The Last Druid』に活かされる。脚本・伊藤和典、特撮監督・樋口真嗣、・メカニックデザイン・前田真宏
押井版南総里見八犬伝
イノセンス』企画立案時、同時に候補として挙がっていた。
パリ、ジュテーム
監督の一人として参加する予定であったが流れてしまい、後にその時に設定された舞台・プロットを一部変更して、『Je t'aime』が制作された。
エルの乱 鏖殺の島
監督・深作健太、押井は原作・脚本を担当、監督のスケジュール等により製作延期。
009 RE:CYBORG
脚本・神山健治。最初は押井が監督として企画されていた。押井自身は企画自体に消極的であり、「メインキャラのほとんどが死亡、生き延びた009と003が世界を歩きまわりながら謎を突き止めていく」等スポンサーの意向にそぐわない原案を立てていたが、制作委員会と話し合った結果神山に託される形で収まった。

受賞歴[編集]

日本アニメ大賞
  • 第1回 作品賞・アトム賞『うる星やつら』
  • 第2回 個人賞・演出部門『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
  • 第6回 企画賞『機動警察パトレイバー』
  • 第7回 作品賞・日本アニメ大賞『機動警察パトレイバー the Movie』
  • 第7回 企画賞 『御先祖様万々歳!』
毎日映画コンクールアニメーション映画賞
  • 第48回(1993年度)『機動警察パトレイバー2 the Movie』
  • 第63回(2008年度)『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
アニメーション神戸
  • 第1回 作品賞・劇場部門 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
  • 第9回 作品賞・劇場部門 『イノセンス』
日本SF大賞
  • 第25回(2004年)『イノセンス』
アニー賞

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 外部リンクに映像
  2. ^ 『機動警察パトレイバー2 the Movie』公開直前の『アニメージュ』1993年8月号に荒川へのインタビューとプロフィールの紹介記事(「PKOと押井さんのこと」」)が掲載された。
  3. ^ ヴェネツィア国際映画祭の協賛団体フューチャー・フィルム・フェスティバルが優れたデジタル技術を使った作品に贈る賞
  4. ^ 「でかいTVと映画の違いは何なんだ」って、ずっと考えてたんです。「どうやったらアニメーションは映画になるんだろうか」って。自分がやった最初の映画はね、どう見ても映画に見えなかった。ところが、大して動いていない——3コマで時々動いているだけ、カメラだけはよく動いてる——そんな、出崎さんの『エースをねらえ!』は、映画の迫力に満ちててね、映画を観たという実感が感じられた。感動したと言ってもいい。それで何か秘密があるはずだと思って何度も観たんです。『オンリー・ユー』から『ビューティフル・ドリーマー』に至る間の話ですよ。(アニメスタイル 2000 第(2)号 美術出版社 『ロングインタビュー 押井守のアニメスタイル』 66頁より引用)
  5. ^ TOKYO WAR - 機動警察パトレイバーを加筆・修正
  6. ^ B-CLUB』誌16〜21号に掲載されるが、序盤途中で頓挫。

出典[編集]

  1. ^ a b 押井守 2008, p. 176.
  2. ^ 押井守監督 東京経済大客員教授に メディア制作を担当 アニメ!アニメ!”. 2017年2月7日閲覧。
  3. ^ 会員名簿 - SFWJ”. 2017年2月7日閲覧。
  4. ^ Ghost in the Shell Anime Special Edition”. ICv2. 2017年2月7日閲覧。
  5. ^ Festival de Cannes (2003年). “Festival de Cannes - From 16 to 27 may 2012”. Festival de Cannes. Festival de Cannes. 2012年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月28日閲覧。
  6. ^ 速水由紀子「現代の肖像 作家 乙一 すべては行間にある」、『AERA』第28巻第50号、朝日新聞出版、2015年、 48-52頁。
  7. ^ 押井守 2008, p. 178.
  8. ^ 押井守 2008, p. 186.
  9. ^ 押井守 2008, p. 187.
  10. ^ 押井守 2008, p. 188.
  11. ^ 押井守 2008, p. 189.
  12. ^ 押井守 2008, p. 193-194.
  13. ^ 押井守 2008, p. 200.
  14. ^ 押井守 2008, p. 204.
  15. ^ 『押井守特別講演録』 押井監督を招く会 p.9
  16. ^ 『押井守特別講演録』 押井監督を招く会 p.10
  17. ^ NHK総合テレビ課外授業 ようこそ先輩』2008年7月20日放映回での発言。
  18. ^ 押井守 2008, p. 202.
  19. ^ 押井守 2008, p. 208-210.
  20. ^ 押井守 2008, p. 205.
  21. ^ 押井守 2008, p. 211.
  22. ^ 押井守 2008, p. 213.
  23. ^ 押井守 2008, p. 214.
  24. ^ a b c 押井守 2008, p. 215.
  25. ^ 押井守 2008, p. 217.
  26. ^ 押井守 2008, p. 218.
  27. ^ 押井守 2008, p. 228.
  28. ^ 押井守 2008, p. 231.
  29. ^ 押井守 2008, p. 236-237.
  30. ^ 押井守 2008, p. 239.
  31. ^ a b 押井守 2008, p. 240.
  32. ^ 押井守 2008, p. 241.
  33. ^ 押井守 2008, p. 242.
  34. ^ 参考文献 DVD-BOX『押井守シネマ・トリロジー初期実写作品集』解説書「押井守の《映画》をめぐる冒険」間宮庸介インタビュー
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]