南総里見八犬伝

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南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、旧字体: 南總里見八犬傳)は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)による大長編読本里見八犬伝、あるいは単に八犬伝とも呼ばれる。

文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。上田秋成の『雨月物語』などと並んで江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つである。

概要[編集]

伏姫神と犬江親兵衛。歌川国芳「本朝水滸伝剛勇八百人之一個・犬江親兵衛仁」。

『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房国里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれにの文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。

『八犬伝』にもっとも強い影響を及ぼしているのは『水滸伝』である。たとえば『水滸伝』では百八の魔星が飛び散り、のちに豪傑英雄として各地に現われるが、『八犬伝』では八つの数珠玉が飛び散り、のちに八犬士として世に現われる、というように発端と構成が共通する。粗暴な部分もある『水滸伝』の英傑たちの物語を換骨奪胎したものが『八犬伝』であり、忠臣・孝子・貞婦のおこないは報いられ、佞臣・姦夫・毒婦のおこないは罰せられる、儒教的道徳にもとづいた勧善懲悪の物語となっている。

馬琴はこの物語の完成に、48歳から75歳に至るまでの後半生を費やした。その途中失明という困難に遭遇しながらも、息子宗伯の妻であるお路の口述筆記により最終話まで完成させることができた。『八犬伝』の当時の年間平均発行部数は500部ほどであったが、貸本により実際にはより多くの人々に読まれており、馬琴自身「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」と述べる人気作品であった。明治に入ると、坪内逍遥が『小説神髄』において、八犬士を「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と断じ、近代文学が乗り越えるべき旧時代の戯作文学の代表として『八犬伝』を批判しているが、このことは、当時『八犬伝』が持っていた影響力の大きさを示している。

本作は現在に至るまで大衆文学・ドラマ・漫画・アニメなど各ジャンルの創作に影響を与え、多くの翻案が生み出された。「前世の因縁に結ばれた義兄弟」「共通する聖痕・霊玉・名前の文字」「抜けば水気を放つ名刀・村雨」などのモチーフを借りた作品は枚挙にいとまがない(→関連作品)。また、『八犬伝』執筆時の馬琴のエピソードも、芥川龍之介『戯作三昧』などの創作の題材となっている。

なお、里見氏は実在の大名であるが、「八犬伝で有名な里見氏」と語られることがある。『八犬伝』の持つ伝奇ロマンのイメージは安房地域をはじめとする里見家関連地の観光宣伝に資しているが、史実とフィクションが混同されることもある。

構成と出版事情[編集]

『南総里見八犬伝』は9輯98巻106冊からなる。下に掲げるように第9輯が全体の半数以上を占めるという異様な構成になっている。これは馬琴が陰陽思想における陽の極数である9にこだわったためである。

肇輯5冊の刊行は文化11年(1814年)。曲亭馬琴はすでに『椿説弓張月』(文化3年/1806年~)、『俊寛僧都島物語』(文化5年/1808年)などを上梓しており、読本作家としての名声を築いていた。

28年間に版元は3回変わった。第5輯までの25冊を山青堂(山崎平八)が出版し、山青堂から版木を譲られた涌泉堂(美濃屋甚三郎)が第6輯を刊行した。しかし涌泉堂は資金繰りに困り、第7輯刊行には文渓堂(丁子屋平兵衛)の助力を得ている。その後、経営に行き詰った涌泉堂が『八犬伝』の版木を上方の版元に売り渡す事態を起こしているが、文渓堂がこれらの版木を買い戻している。第8輯以降、文渓堂が『八犬伝』の刊行を続けて完成に至るとともに、肇輯から第7輯に関しても刷り出している。

執筆中、馬琴は天保4年(1833年)頃から右目の視力が衰え、やがて視力を失った。9年(1838年)には左目の視力も衰えはじめ、11年(1840年)11月には執筆が不可能になった。やむを得ず、息子の嫁の路(土岐村路)に口述筆記させて執筆を続けた。天保12年(1841年)8月20日、馬琴は本編を完成させた。

輯・帙 冊数 版元 画工 筆工
(浄書)
挿絵彫刻
(剞劂)
出版年
肇輯 5冊(巻之1~巻之5) 第1回~第10回 山青堂 柳川重信 千形仲道 朝倉伊八郎 文化11年(1814年)
第2輯 5冊(巻之1~巻之5) 第11回~第20回 山青堂 柳川重信 千形仲道 朝倉伊八郎 文化13年(1816年)
第3輯 5冊(巻之1~巻之5) 第21回~第30回 山青堂 柳川重信 千形仲道 中村喜作 文政2年(1819年)
第4輯 5冊(巻之1~巻之5) 第31回~第40回 山青堂 柳川重信 千形仲道 中村喜作 文政3年(1820年)
第5輯 5冊(巻之1~巻之5) 第41回~第50回 山青堂 柳川重信
渓斎英泉
田中正造 中村喜作
神田庵驥徳
文政6年(1823年)
第6輯 6冊(巻之1~巻之5下) 第51回~第61回 涌泉堂 柳川重信
渓斎英泉
谷金川
田中正造
中村喜作 文政10年(1827年)
第7輯 7冊(巻之1~巻之7) 第62回~第73回 涌泉堂 渓斎英泉
柳川重宣
筑波仙橘
谷金川
天保元年(1830年)
第8輯
上帙
5冊(巻之1~巻之4下套) 第74回~第82回 文渓堂 柳川重信 谷金川 朝倉伊八
横田守
桜木藤吉
原喜知
天保3年(1832年)
第8輯
下帙
5冊(巻之5~巻之8下套) 第83回~第91回 文渓堂 柳川重信 谷金川
墨田仙橘
朝倉伊八
横田守
桜木藤吉
原喜知
田中三八
天保4年(1833年)
第9輯
上套
6冊(巻之1~巻之6) 第92回~第103回 文渓堂 柳川重信(二世) 谷金川 朝倉伊八
横田守
桜木藤吉
天保6年(1835年)
第9輯
中套
7冊(巻之7~巻之12下) 第104回~第115回 文渓堂 柳川重信(二世) 谷金川
千方道友
横田守
桜木藤吉
高木翦樫
天保7年(1836年)
第9輯
下套上
5冊(巻之13之14~巻之18) 第116回~第125回 文渓堂 柳川重信(二世) 谷金川 横田守
桜木藤吉
鳥山某
天保8年(1837年)
第9輯
下套中
5冊(巻之19~巻之23) 第126回~第135回 文渓堂 柳川重信(二世) 谷金川 横田守
桜木藤吉
森田某
天保9年(1838年)
第9輯
下帙之下
甲号
5冊(巻之24~巻之28) 第136回~第145回 文渓堂 柳川重信(二世)
渓斎英泉
谷金川
白馬台音成
鏤廉吉
森田甲
横田守
常盤園
天保10年(1839年)
第9輯
下帙之下
乙号上套
5冊(巻之29~巻之32) 第146回~第153回 文渓堂 柳川重信(二世)
歌川貞秀
谷金川 沢金次郎
朝倉伊八
常盤園
鏤近吉
天保11年(1840年)
第9輯
下帙之下
乙号中套
5冊(巻之33~巻之35下) 第154回~第161回 文渓堂 歌川貞秀 谷金川 沢金次郎
常盤園
天保11年(1840年)
第9輯
下帙
下編之上
5冊(巻之36~巻之40) 第162回~第166回 文渓堂 柳川重信(二世)
渓斎英泉
谷金川 沢金次郎
常盤園
高谷熊五郎
天保12年(1841年)
第9輯
下帙
下編之中
5冊(巻之41~巻之45) 第167回~第176回 文渓堂 柳川重信(二世) 谷金川 高谷熊五郎
沢金次郎
天保12年(1841年)
第9輯
下帙
下編之下
10冊(巻之46~巻之53下) 第177回
~第180勝回下編大団円
回外剰筆
文渓堂 柳川重信(二世)
渓斎英泉
谷金川
亀井金水
対二楼音成
高谷熊五郎
沢金次郎
米蔵幸太郎
天保13年(1842年)

『八犬伝』の版木は明治維新後に和泉屋吉兵衛・兎屋などの手を経て博文館の所有となった。

物語の内容[編集]

長大な物語の内容は、南総里見家の勃興と伏姫・八房の因縁を説く発端部(伏姫物語)、関八州各地に生まれた八犬士たちの流転と集結の物語(犬士列伝)、里見家に仕えた八犬士が関東管領・滸我(こが。史実世界の古河)公方連合軍との戦争(関東大戦、対管領戦)を戦い大団円へ向かう部分に大きく分けられる。抄訳本では親兵衛の京都物語や管領戦以降が省略されることが多い。

発端[編集]

嘉吉元年(1441年)、結城合戦で敗れ安房に落ち延びた里見義実は、滝田城主神余(じんよ)光弘を謀殺した逆臣山下定包(さだかね)を、神余旧臣・金碗(かなまり)八郎の協力を得て討つ。義実は定包の妻玉梓(たまずさ)の助命を一度は口にするが、八郎に諌められてその言葉を翻す。玉梓は「里見の子孫を畜生道に落とし、煩悩の犬にしてやる」と呪詛の言葉を残して斬首された。

時はくだり長禄元年(1457年)、里見領の飢饉に乗じて隣領館山の安西景連が攻めてきた。落城を目前にした義実は飼犬の八房(やつふさ)に「景連の首を取ってきたら娘の伏姫(ふせひめ)を与える」と戯れを言う。はたして八房は景連の首を持参して戻って来た。八房は他の褒美に目もくれず、義実にあくまでも約束の履行を求め、伏姫は君主が言葉を翻すことの不可を説き、八房を伴って富山(とやま)に入った。

富山で伏姫は読経の日々を過ごし、八房に肉体の交わりを許さなかった。翌年、伏姫は山中で出会った仙童から、八房が玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念は解消されたものの、八房の気を受けて種子を宿したことが告げられる。懐妊を恥じた伏姫は、折りしも富山に入った金碗大輔(八郎の子)・里見義実の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。その傷口から流れ出た白気(白く輝く不思議な光)は姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。義実は後を追い自害しようとした大輔を留め、大輔は僧体となって、『犬』という字を崩し丶大(ちゅだい)を名乗り、八方に散った玉を求める旅に出るのだった。

犬士列伝[編集]

大塚物語[編集]

結城合戦に敗れた大塚番作は、鎌倉公方の近習であった父から公方家の宝刀・村雨丸を託されて落ち延び、長い旅の末に故郷の武蔵大塚村に戻った。しかし大塚家の家督と村長の職は、姉の亀篠(かめざさ)と蟇六(ひきろく)の夫婦に奪われており、姓を犬塚と改めて隠棲した。長禄4年(1460年)、番作と妻の手束(たつか)の子として生まれたのが犬塚信乃である。

蟇六夫婦は、番作の隠し持つ村雨を奪おうと画策し、信乃の飼い犬・与四郎が管領家からの御教書を破損したと言いがかりをつける。番作は自害することで信乃を救うとともに、再興された公方家に将来村雨丸を献上することを託す。蟇六夫婦は村人の手前信乃を引き取ることとし、養女浜路の将来の婿とすることにした。蟇六夫婦は下男・額蔵(犬川荘助)を信乃の監視にあてる。しかし、ふとしたきっかけから信乃と荘助は互いが同じ珠と痣を持っている事を知り、義兄弟の契りを結ぶ。二人は表向きは不仲を装いながらともに文武の研鑽に励む。村人の糠助が死に際して珠と痣を持つ息子(犬飼現八)がいたことを語ったこと、梅の木に八房の梅の実が生り、仁義八行の文字が浮かび上がったことから、同じ縁に連なる義兄弟の存在を予感する。

文明10年(1478年)、信乃18歳の夏、蟇六夫婦は信乃に勧めて滸我公方成氏の許に旅立たせる。信乃を亡き者として浜路を陣代の側妾に差し出そうとするたくらみであり、村雨丸は蟇六夫婦の指示で浪人網乾左母二郎(あぼし・さもじろう)が偽物にすりかえていた。信乃を慕う浜路は旅立つ信乃に情を訴えるも聞き容れられず、悲観して縊死を試みたが、浜路を横恋慕する網乾に攫われる。道中の本郷円塚山(まるつかやま)で、網乾が本物の村雨丸を所持していると知った浜路はこれを取り返そうとし、逆に斬られてしまう。そこに煉馬家旧臣犬山道節(実は浜路の異母兄)が現れ、網乾を斬る。浜路は本物の村雨丸を信乃に渡すよう道節に頼み、息を引き取る。

月岡芳年「芳涼閣両雄動」

芳流閣の決闘・古那屋の惨劇[編集]

信乃は滸我で成氏に謁見したが、村雨丸が贋物であった事から管領方の間者と疑われ襲われる。防戦しながら芳流閣の屋根に追い詰められた信乃を捕らえるべく、犬飼現八が登場するが、二人は組み合ううちに利根川に転落した。下総行徳へと流れついた二人を助けたのは、旅籠・古那屋の主人古那屋文五兵衛と、その子の犬田小文吾であった。しかし古那屋に匿われてまもなく、信乃は破傷風により瀕死の床に就く。

小文吾の妹・沼藺(ぬい)の夫である山林房八は小文吾といさかいを起こしており、沼藺とその幼子大八を実家である古那屋に帰していた。小文吾らの留守中に古那屋に押しかけた山林房八は、お尋ね者になっている信乃を引き渡せと迫り、帰って来た小文吾に斬られる。この中で、兄と夫の間に入った沼藺と大八は房八によって殺傷されてしまう。実はこの惨劇は、房八が自らの家と古那屋との因縁を清算するために仕組んだものであり、信乃に似ている自らの首と引き換えに古那屋の危機を救おうとしたのであった。結果として房八夫妻の犠牲で信乃は救われることとなった。古那屋に居合わせた丶大によって、珠が伏姫の縁に連なることが告げられるとともに、死んだと思われた大八が息を吹き返して珠と痣を示し、大八もまた犬士の一人であることが示される。以後、大八は犬江親兵衛の名を持つことになる。

惨劇の始末をつけた信乃・小文吾・現八は、荘助を迎えるため大塚へ向かう。一方、丶大・文五兵衛・妙真(房八の母)らは親兵衛を伴って安房に向かうが、途中で親兵衛は神隠しに遭う。

五犬士会同・荒芽山の離散[編集]

これよりさき大塚では、蟇六夫妻が荘官たちの不興を買って殺されていた。荘官たちに襲われた荘助はこれを返り討ちにしたが、領主によって捕らえられ、主人殺しの罪が着せられて死罪とされた。三犬士は姨雪世四郎(おばゆき・よしろう、実は犬山道節の郎党)からこのことを聞き、情報を集めて荘助を救うことを計画し、刑場を破る。追手をかけられた四犬士の危地を救ったのは世四郎とその子力二・尺八であった。四犬士は、世四郎とゆかりのある音音(おとね)が暮らす上野国荒芽山に向かった。

四犬士は途中、犬山道節が管領扇谷定正に仇討ちを仕掛けた騒ぎに巻き込まれながら、荒芽山の音音(実は道節の乳母)の家に集結する。珠の因縁を知った道節は村雨丸を信乃に返し、邪法である火遁の術を捨て、犬士の群れに加わる。そこへ巨田助友率いる管領家の軍勢が迫り、犬士たちは離散する。

対牛楼の仇討ち[編集]

武蔵国に逃れた小文吾は、宿を貸した旅人を襲っていた盗賊の並四郎を返り討ちにする。並四郎の妻・船虫は小文吾を罠にかけるために謝礼として尺八(実は領主である千葉家の重宝であった名笛・嵐山)を渡し、石浜城主・千葉家眼代に突き出すが、小文吾がいぶかしんだために罠は不発に終わる。小文吾は千葉家の家老・馬加大記に引き合わされるが、実は大記が嵐山盗難の黒幕であった。大記は小文吾の才覚を見抜き、自らの主家への謀反に加担するよう持ちかけるが断られる。小文吾は警戒した大記によって城に軟禁される。

小文吾は城内で女田楽師の旦開野(あさけの)と出会う。旦開野は実は男であり、かつて大記の策謀で一族を滅ぼされた粟飯原首胤度の遺児・犬坂毛野であった。毛野は仇と狙う馬加大記を対牛楼で討ち果たす。混乱に乗じて小文吾と毛野は城を脱出するが、川を渡るうちに離れ離れとなる。

庚申山の妖猫退治[編集]

諸国を経て下野国を訪れた現八は、庚申山山中にて妖猫と対峙し、弓をもって妖猫の左目を射る。山中で会った亡霊は赤岩一角を名乗り、自らを殺した妖猫が「赤岩一角」に成り代わっていることを告げる。麓の返璧(たまがえし)の里に一角の実子・犬村角太郎の草庵を訪って語らう。角太郎の妻・雛衣の腹は身に覚えのない懐妊の模様を示しており、角太郎は不義とみなして雛衣を離縁、自らは返璧の庵に蟄居していた。

偽赤岩一角(実は妖猫)は、後妻に納まっていた船虫とともに角太郎を訪れ、雛衣を復縁をさせたが、これは偽一角が目の治療のために孕み子の肝とその母の心臓とを要求するためのものであった。孝心に迫られて窮した角太郎を救い、みずからの潔白を明かすために割腹した雛衣の胎内からは、かつて誤飲した珠が飛び出して偽一角を撃った。角太郎は現八と共に、正体を現した妖猫を退治し、名を大角と改めて犬士の一人に加わる。

甲斐物語[編集]

甲斐国を訪れた信乃は、猿石村村長・四六城木工作(よろぎ・むくさく)の家に逗留する。木工作の家には浜路という名の養女がいた。ある夜、この浜路(後の浜路)に大塚村の浜路の霊が乗り移り、信乃に想いを伝える出来事がある。木工作の後妻である夏引(なびき)は、武田家家臣の泡雪奈四郎と不倫の仲にあり、浜路を疎ましく思っていた。奈四郎によって木工作が殺害されると、夏引と奈四郎はその罪を信乃にかぶせようと石禾(いさわ)の指月院で謀議をめぐらす。武田家の眼代によって信乃は村長殺しの疑いで捕縛され、浜路も同道させられた。

実は、眼代は犬山道節が変装していたものであった。指月院は故あって丶大が住持を務めており、この寺は犬士の捜索と結集の拠点になっていたのであった。丶大はまた、浜路は実は里見家五の姫で、幼少時に大鷲に攫われた浜路姫であったということを伝える。

越後物語[編集]

越後国小千谷を訪れた小文吾は、石亀屋次団太の好意によって逗留する。山賊・酒顛二(しゅてんじ)の妻になっていた船虫に襲われるが、珠の奇瑞によって救われる。船虫を知らずに助けた荘助と小文吾は再会する。

二人はこの地を治める長尾景春の母・箙大刀自(えびらのおおとじ)に捕らえられ、危うく処刑されそうになる。荘助の父に恩義のある長尾家家臣・稲戸津衛の助けによって危機を脱した二人は、石禾に向かう途中の信濃路で、乞食姿に身をやつした毛野と邂逅する。二人は毛野に里見家との縁を伝えるが、毛野はもうひとりの仇・籠山逸東太への復讐を誓っており、宿に漢詩を書き残して姿を消した。

鈴茂林の仇討ち[編集]

現八と大角、信乃と道節の四犬士は、武蔵国穂北荘で邂逅する。穂北は、結城合戦残党や豊島遺臣など、管領を快く思わない郷士たちの自治の里であり、犬士たちはこの地を拠点とした。

そのころ毛野は湯島天神で扇谷定正夫人である蟹目前(かなめのまえ)らの知遇を得、奸臣・竜山免太夫の殺害を依頼される。竜山免太夫こそは、毛野の仇・籠山逸東太であった。これを立ち聞きした道節は毛野の仇討ちに乗じ、穂北郷士たちとともに挙兵することを計画する。司馬浜でなおも悪事を続けていた船虫は、結集した六犬士に捕らえられ、出陣の門出として誅戮される。

鈴茂林(すずのもり)で毛野が籠山を討って本懐を遂げたころ、信乃は扇谷の本城である五十子城を攻め落とし、道節は出陣した定正の軍勢を打ち破る。しかし、蟹目前と忠臣・河鯉守如らは自害し、これを知った犬士たちは兵を退く。丶大は下総結城で結城合戦戦死者の大法要を行うこととし、七犬士たちは結城に向かう。

親兵衛再登場以後[編集]

蟇田素藤の乱・八犬具足[編集]

そのころ、上総館山城主蟇田素藤八百比丘尼妙椿から浜路姫の幻を見せられる。浜路姫に横恋慕した素藤は婚姻を願うも、義成に断られる。妙椿の助力を得た素藤は里見家の嫡男・義通を人質にとり、里見家に反旗を翻した。そのころ、富山で刺客に襲われた老侯里見義実の前に、大八が犬江親兵衛と名乗り現れる。大八は伏姫神によって育てられたのであった。親兵衛は速やかに素藤の乱を討つ。

ひとたびは助命され追放された素藤であったが、妙椿とともに再乱の機をうかがう。妙椿は幻術によって義成と親兵衛を離間し、親兵衛を引き離す。親兵衛は不忍池のほとりで、河鯉孝嗣の処刑を政木狐が救う場面に遭遇する。孝嗣は名を政木大全と改めて里見家に仕えることとする。

誤解の解けた親兵衛は、上総館山城を奪って再び反乱を起こした素藤を討つ。妙椿は退治されてその本体を現す。それは、玉梓の怨念の宿った狸であった。親兵衛は結城に向かう。結城では、悪僧徳用と一部の結城家重臣によって法要が妨害される。七犬士は協力して襲撃者と戦う。安房からかけつけた親兵衛も合流し、ここに八犬士は集結する。結城家が介入して事態は収拾される。犬士たちはともに安房に赴き、里見家に仕えることとなった。

親兵衛の京都物語[編集]

里見義成は朝廷への使者として犬江親兵衛を京都に遣わすが、美貌の親兵衛は管領細河政元に気に入られて抑留されてしまう。親兵衛は「京の五虎」と称される武芸の達人と試合を行い、大いに武勇を示した。そのころ、巨勢金岡の描いた画の虎が抜け出て京都を騒がした。親兵衛は虎を退治し、帰国の途に就く。

関東大戦[編集]

文明15年(1483年)冬、犬士たちを恨む扇谷定正は、山内顕定・足利成氏らと語らい、里見討伐の連合軍を起こした。里見家は犬士たちを行徳口・国府台洲崎沖の三方面の防禦使として派遣し、水陸で合戦が行われた。京都から帰還した親兵衛や、行方不明になっていた政木大全も参陣し、里見軍は各地で大勝利を収め、諸将を捕虜とした。

朝廷から停戦の勅使が訪れて和議が結ばれ、里見家は占領した諸城を返還した。信乃は、捕虜となっていた成氏に村雨丸を献上し、父子三代の宿願を遂げる。

大団円[編集]

八犬士は里見義成の八人の姫と結ばれ重臣となる。時は流れ、犬士たちの痣や玉の文字は消え、奇瑞も失われた。丶大は安房の四周に配する仏像の眼として数珠玉を返上させる。

里見家第三代当主の義通が没すると、高齢になった犬士たちは子供に家督を譲り富山に籠った。彼らは仙人となったことが示唆される。里見家もやがて道を失って戦乱に明け暮れ、十代で滅ぶことになる。

回外剰筆[編集]

原典には、馬琴による小説仕立ての「あとがき」が置かれている。里見家の事跡を尋ねる廻国の頭陀(僧侶)との会話という形で、馬琴が用いた参考史料の開示、里見氏の史実(当時の軍記物にもとづく)や安房の地理の解説がなされている。このほか、著者の失明の事実が読者に明かされ、筆記者お路への慰労の言葉が書かれている。

作中の用語[編集]

人名[編集]

物品[編集]

八つの霊玉
仙翁(行者の翁)から伏姫に譲られた水晶の数珠。108つの玉の内の8つの大玉で、「仁義礼智忠信孝悌」と現れていたが、八房が伏姫を恋い慕うようになってからは「如是畜生発菩提心」の8文字がひとつずつ浮かぶようになった。伏姫の自害に伴って数珠が飛散する際にそれぞれの玉の文字が「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と変わったものである。残りの100個の小玉は繋ぎなおされて、丶大法師が数珠として常に携帯している。八犬士同士の距離が近づくと感応しあってその存在を教え、肉体的な傷や病気の治癒を早める力を持っている。
村雨(村雨丸)
鎌倉公方足利家に伝わる宝刀で、殺気をもって抜き放てば刀身から水気が立ち上る。八犬伝世界ではその特徴とともに広く知れ渡った刀である。結城落城の際、公方家の近習であった大塚匠作から一子・番作に託され、番作はその死に際して子の犬塚信乃にこの刀を滸我公方成氏に献上することを託した。

地名[編集]

安房国(あわのくに)
安房国。里見氏の領国であり、八犬伝の主たる舞台である。平群郡安房郡朝夷郡長狭郡の4郡で構成される。
里見氏の由来を記した『里見代々記』・『房総里見軍記』などの軍記物によれば、鎌倉時代以来、平群郡の安西氏、安房郡の神余氏、朝夷郡の丸氏、長狭郡の東条氏がそれぞれの郡を支配してきたとされる。なお、これら4氏は『吾妻鏡』などの歴史書や記録類にも登場している。
荒芽山(あらめやま)
『八犬伝』に登場する架空の山。上野国に位置する。音音の庵があり、五犬士の会同と離散の舞台となった。
地理的描写から荒船山に比定される。
五十子城(いさらごじょう)
『八犬伝』に登場する架空の城。扇谷定正の本城で、武蔵国荏原郡伊皿子付近に位置するとされている。犬塚信乃に攻め落とされ、関東大戦でも占領された。城の名は伏姫の母五十子(いさらご)と同字・同音である。
室町時代中期の関東地方には五十子城という城が実在したが、所在地はまったく異なり(埼玉県本庄市)、「いかこ(いかっこ、いかつこ、いらこ)じょう」と読む。史実の五十子城は山内上杉氏が足利成氏に対抗して築城したもので、上杉顕定に反旗を翻した長尾景春がこの城を攻め落とした五十子の戦い(1477年)は、関東地方の戦国史の画期のひとつである。
国府台(こうのだい)
下総国府台。八犬伝では関東大戦の際に合戦が行われた。
史実では、里見氏と北条氏の間でおよそ前後2度にわたる国府台合戦が行われ、いずれも里見方が敗れている。
富山(とやま)
安房随一の高峰として描かれる八犬伝世界の聖地。発端、伏姫はこの山で自害し、大団円で犬士たちはこの山に消えた。
実在する富山南房総市)は「とみさん」と読み、標高349mの山である。「伏姫洞窟」をはじめとする「八犬伝ゆかりの地」が整備されている。
館山城(安房)(たてやまじょう)
『八犬伝』では発端で安西景連の居城として、大団円では犬江親兵衛に与えられる城として登場する。諸書でもしばしば混同されるが、蟇田素藤が居城とした「館山城」は上総国にあり、安西氏の旧城とは別である。
実際の館山城館山市)には、史実の里見氏が戦国時代末に本拠を移した。現在、模擬天守は館山市立博物館分館となっている。
館山城(上総)(たてやまじょう)
『八犬伝』に登場する架空の城。蟇田素藤の居城で、二度にわたる叛乱の舞台となった。上総国夷隅郡にあり、上総広常の館のあとと設定されている。
穂北(ほきた)
『八犬伝』に登場する架空の荘園で、氷垣残三ら、結城合戦の参加者や豊島家の残党が自治的な支配をおこなっており、管領扇谷定正に戦いを挑む八犬士が拠点とした。
地理的描写からは保木間に比定される。
石禾(いさわ)
石禾は史実世界の石和(現在の笛吹市石和町)で、戦国時代に甲府へ移転される以前の甲斐守護武田氏の居館所在地。馬琴は自身が甲斐を訪れた記録は無いものの兄の興旨が甲府勤番として赴任しており、他作品や随筆などでもしばしば甲斐に関する事情が記される事があり、随筆の中で興旨書簡からヒントを得ている事が記されていることから、興旨を通じて甲斐国に関する知識を得ていたと考えられている。

事件[編集]

結城合戦
『八犬伝』冒頭に配される合戦。永享の乱で滅びた足利持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じた関東の諸将が、永享12年(1440年)結城城に拠って幕府に叛旗を翻した。結城方は破れ、捕らえられた春王丸と安王丸も京都に連行される途中美濃大垣で殺害された。
『八犬伝』では、里見季基・義実親子、大塚匠作・番作親子、井丹三、氷垣残三が、いずれも結城方で参戦している。春王と安王の首は大塚番作によって刑場から奪取され、信濃に埋められている。八犬士結集の場になったのも、結城合戦の死者を弔う法要の場であった。
里見義実の安房入国
『八犬伝』発端部は、江戸時代に里見氏関連の軍記物に書かれた、「里見義実の安房入国伝説」と呼ばれる説話を題材としている。
室町時代後期(諸本によって異なるが、嘉吉永享期)、神余景貞に仕えていた山下定兼が主君を討って所領を奪い、安房郡を山下郡と改めるなどしたために国内が混乱した。それを鎮めたのが里見義実であり、義実は安房一国を平定したというのが「伝説」の骨子である。
八犬伝作中では、神余景貞が神余光弘に、山下定兼が山下定包とされ、安房郡を山下郡に改めたエピソードは、滝田を玉下に改めたという話に利用している。
山下定兼の謀反と動乱を記した書籍は江戸時代の軍記物以前には遡れず、史料的裏づけが得られないため、山下兼定による下剋上が事実であるかは不明である。ただし、建治元年(1275年)に京都の六条八幡宮造営の際に用いられた注文(「六条八幡宮造営注文」)の中に安房の武士として「安東太郎跡、東条悪三郎跡、安西大夫跡、丸五郎跡、多々良七郎太郎跡、山下太郎」の6名(なお、安東氏は安房郡安東郷、多々良氏は平群郡多々良荘を拠点とする在地武士とされている)が記されており、神余氏の代わりに山下氏の名前が記されている点は注目される。山下氏は神余氏の一族であった可能性がある[1]
関東大戦(対管領戦)
『八犬伝』における架空の合戦。作中の文明15年(1483年)冬、関東管領(扇谷定正・山内顕定)・滸我公方(足利成氏)・三浦義同・千葉自胤の連合軍と里見家による戦争。行徳口・国府台・洲崎沖の三ヶ所を戦場とするこの戦争の総称は原典中にはないが、研究者によって「関東大戦」「対(関東)管領戦」などと名づけられている。

概念[編集]

名詮自性
名はそのものの本性をあらわすという意。仏教用語「名詮自性」[2]を援用したものである。
主要人物の名には、物語世界においてあらかじめ定められた宿命に関わるものがあり、その名の意味が解き明かされることで因果が成就したことを証明する。たとえば、伏姫の「伏」は「人にして犬に従う」意をあらわし、親兵衛の両親である房八・沼藺(ぬい)夫婦の名は「八房・いぬ」を転倒させたものである。
役行者(えんのぎょうじゃ)
仁義八行の数珠を伏姫に授けた。江戸時代の文芸作品で多用された一種の神格であり、高田衛はデウス・エクス・マキナになぞらえている。
如是畜生発菩提心(にょぜちくしょうほつぼだいしん)
伏姫の数珠に「仁義礼智忠信孝悌」に代わって浮き出た文字。八房に取り憑いた玉梓の浄霊とともに文字は元に戻る。のち、蟇田素藤の乱(第二次)で、親兵衛の仁玉に撃たれた妙椿(実は妖狸)の屍骸の背にこの文字が現れた。

出典と解釈[編集]

八犬士の「モデル」[編集]

「里見八犬士」は、もともと『合類大節用集』(槇島昭武編、1717年刊行)に「尼子十勇士」などとともに掲載された武士の名前のリストである(犬山道節・犬塚信濃・犬田豊後・犬坂上野・犬飼源八・犬川荘助・犬江新兵衛・犬村大学)。かれらの活動時期や事跡はもとより、実在したかどうかも明らかではない。馬琴は、実在したかもしれない8人の武士の物語ではなく、彼らの名を借りた伝奇小説(稗史)をつくると言明している。

なお、史実の里見家最後の当主であった館山藩主里見忠義は、江戸幕府によって伯耆国に事実上配流され(倉吉藩参照)、1622年にその地で没した。このとき忠義に殉死した8人の家臣があり、戒名に共通して「賢」の字が入ることから八賢士と称される[3]。彼らの墓は鳥取県倉吉市の大岳院にあり、また倉吉から分骨した墓が館山城の麓に建てられている。この「八賢士」を八犬士のモデルに求める説もある。もっとも、この言説が広まったのは『八犬伝』が一世を風靡してからとも指摘される[4]

漢籍と中国白話小説[編集]

『八犬伝』には博覧強記をうたわれた馬琴の漢学教養や中国白話小説への造詣が、ときに衒学的と評されるほど引用されたり、物語構成に組み込まれたりしている。

作中では折に触れて引用される漢籍は、フィクションである「稗史」の世界に奥行きを持たせている。第一回において、白竜の昇天を見た里見義実が古今の典籍を引用してを解説するくだり(研究者によって「龍学」と呼称される)はよく知られている。

『八犬伝』にもっとも大きな影響を与えたのは『水滸伝』である。馬琴は『高尾船字文』『傾城水滸伝』など翻案作品を執筆しただけでなく、原典の翻訳『新編水滸画伝』の刊行に関わったほか、金聖嘆による七十回本を批判して百二十回本を正統とする批評を行うなど、『水滸伝』の精読者であった。このほか、『三国志演義』が多く参照されている。とくに関東大戦の描写では顕著であり、洲崎沖海戦は赤壁の戦いを焼き直したものである。また、『封神演義』からの影響を指摘する説もある。

軍記物・地誌[編集]

馬琴は「回外剰筆」において、南総里見家について記した「史書」として『里見記』『里見九代記』『房総治乱記』『里見軍記』を挙げ、また『北条五代記』『甲陽軍鑑』『本朝三国志』などの「俗書」にも里見家への言及があることを述べている。また、とくに近年の著として中村国香房総志料』の名を挙げている。

馬琴が「史書」として取り上げた書籍は、今日では創作を交えた軍記物とみなされている。八犬伝は「里見義実の安房入国伝説」を発端部のモチーフとし、後日談として里見義豊里見実堯義堯親子との確執(犬懸の戦い)に触れているが、これらの記述はこうした軍記物に依拠している。今日の歴史学では、同時代史料の検討などを通して、初期里見氏の歴史は従来信じられてきた姿と大きく異なることが指摘されている。

越後小千谷の描写には、当時親交のあった鈴木牧之北越雪譜』の原稿が参照されており、同地で行われる牛の角突きが作中に取り込まれている。

馬琴の「隠微」[編集]

馬琴は、みずからの創作技法として「稗史七則」をまとめ、『八犬伝』に付言として記している。このうち「隠微」は、物語には文外に「深意」があるとするものである。「百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす」という馬琴の言葉には、多くの読者や研究者が魅了されてきた。

『八犬伝』の物語構造や人物配置には仏教説話・日本神話、あるいは民間信仰などのモチーフが複合的に投影されていると解釈する研究者もいる。「隠された出典」と解釈されたものに以下のようなものがあげられる。

八字文殊曼荼羅
高田衛が提唱。獅子(=八房)に騎乗する文殊菩薩(=伏姫)のイメージ(八字文殊菩薩)が投影されているとする。この説によれば「八犬士のうち二人が女装して登場する理由」は、文殊菩薩に従う八大童子のうち二人が比丘(女児)であることに求められ、「犬士の痣が牡丹である理由」は牡丹の匂いが獅子(=八房)の力を抑える霊力があることで説明される。また、後半に現れる政木大全が「準犬士」として遇されるのは文殊菩薩の従者である善財童子が投影されているためとされている。
北斗七星
『八犬伝』刊行開始前に出された刊行予告から、一時馬琴には『合類大節用集』の記述を無視してまで物語を「七犬伝」とする構想があったという。高田衛は八犬士に北斗七星のイメージが投影されているとも指摘している。七星の一つミザールにある「輔星(添え星)」を8番目の星と見なすことにより齟齬をなくしているが、これによって「八犬士のうち一人が子供として登場する理由」も説明できるとする。

徳田武らによって『八犬伝』に執筆当時の社会情勢への馬琴の批評を見出す解釈も存在する。親兵衛の造形には打ちこわしの際に現れたという大童子の姿が重ねられており、また親兵衛の京都物語に登場する足利義政批判に大御所徳川家斉批判が、虎退治の物語には大塩平八郎の乱1837年)の隠喩があるともされる。また、小谷野敦は里見の領国を日本のミニチュアととらえ、領民を組織して行われた里見家の軍事訓練の描写などに江戸時代後期の海防論との関係を見出している。

研究と紹介[編集]

『八犬伝』は江戸時代の戯作文芸の代表作の一つであり、大衆文化への影響力も大きなものであったが、江戸読本への文学的評価の低さもあいまって、長らく文学研究の主要な対象とはされてこなかった。

1980年に『八犬伝の世界』を上梓した高田衛は、副題に「伝奇ロマンの復権」を掲げ、「典拠」に関する大胆な解釈を打ち出した。これに対しては実証性を問う徳田武との間で論争が行われた。近年は、文学分野での学術研究も進められ、江戸思想史研究の資料として利用されるようにもなっている。八犬伝の研究者には以下のような人物がいる。

海外への紹介[編集]

『八犬伝』原典の他言語への翻訳は、ドナルド・キーンによる部分英訳が知られており、日本文学研究者による私的な翻訳の試みは行われているものの、完訳・刊行は行われていない。

海外では、1983年の映画『里見八犬伝』やアニメ『THE八犬伝』といった派生作品を通じて八犬伝の名が知られている。

文献[編集]

原典[編集]

旧文庫版(1937~41年)、改訂単行版(岩波書店、1984~85年)を文庫化

現代語訳[編集]

アレンジの大きなものは「南総里見八犬伝を題材にした作品」#小説節を参照。

『日本古典文庫19 南総里見八犬伝』(河出書房新社、1976年)の文庫化
抄訳、前半部はほぼ全訳、後半に行くほど省略の度が激しくなり終わりの方はほとんど筋書きに近くなる。
児童書訳。全回を訳している。
  • 羽深律訳『南総里見八犬傳』既刊6巻(全10巻の予定だったが7以降の刊行をみない)(JICC出版局宝島社、1985年~1992年)ISBN 9784880630915ほか
完訳。底本は岩波文庫版(旧版)らしい。巻次の振分は岩波文庫版と一致する。4巻迄は「門坂流 画」とするも、5巻は「吉田光彦」装画である。馬琴の序、跋などもすべて訳している。ある程度原文に用いられている文字を生かそうして振り仮名で読ませようとする個所がある。途中から日本名著全集版をも参照したらしく付録にその一部が取り入れられている。
抄訳
抄訳・翻案あり。読売新聞日曜版に連載(1992~93年)。
抄訳・翻案あり。
抄訳
2冊本でセット函入販売。底本は岩波文庫の旧版。回外剰筆まで訳してあるが、各編の序、跋などは最初のものを除いて訳していない。又、原本の区切りを無視して、独自で章立てを行っている。距離や時間表記を現代のものにしている。逐語訳ではない箇所があり、岩波文庫本の原文と比較すると訳出されていない章句も少なくない。(例えば、「回外剰筆」の「公田」の条など)
抄訳

研究書籍[編集]

『八犬伝の世界』(中公新書、1980年)の改訂増補。
『八犬伝綺想』(福武書店、1990年)の改訂増補。ISBN 482883320X
  • 川村二郎 『里見八犬伝 古典を読む』 (岩波書店、1984年 / 同時代ライブラリー、1997年)
  • 信多純一 『馬琴の大夢 里見八犬伝の世界』(岩波書店、2004年)

図説[編集]

  • 水野稔ほか著『図説日本の古典19 曲亭馬琴』(集英社、1989年)
  • 犬藤九郎佐宏『図解里見八犬伝』(新紀元社、2008年)

南総里見八犬伝を題材にした作品[編集]

歌川国芳「犬阪毛野・岩井紫若」

人気作品であった『八犬伝』は、刊行中からすでに歌舞伎の演目になり、抄録や翻案作品、亜流作品を生み出した。現在も、日本で生まれたファンタジーの古典として多くの作品に参照されており、登場人物の名やモチーフの借用はしばしば行われている。また、現代と価値観の異なる時代に書かれた古典で、しかも長大であることもあり、『八犬伝』の名を冠していても原作から自由に新たな世界を創作している翻案作品が多い。また、原作を志向した作品であってもさまざまなレベルの再解釈が行われ、現代の作品として蘇生されている。以下の外部サイトでも関連作品の列挙と解説が行われているので、参照されたい。

歌舞伎[編集]

その他の伝統的演芸分野[編集]

近代演劇[編集]

映画[編集]

1954年の映画『里見八犬伝』(東映)ポスター
1954年の映画『里見八犬伝』(東映)。東千代之介千原しのぶ
「妖刀村雨丸」「芳流閣の龍虎」「怪猫乱舞」「血盟八剣士」「暁の勝鬨」の5部作
「里見八犬傳」「里見八犬傳 妖怪の乱舞」「里見八犬傳 八剣士の凱歌」の3部作
八犬伝をモチーフにしたSF作品。「リアベの実」を持つ8人の勇士が主人公。「ヒキロク」「カメササ」の名を持つ人物も登場する。
  • 里見八犬伝(1983年、東映・角川映画、監督:深作欣二)
原作は鎌田敏夫の小説『新・里見八犬伝』。
原作は桜庭一樹の小説『伏 贋作・里見八犬伝』。

テレビドラマ[編集]

登場人物の名前が八犬士をモチーフとする。
前世の絆がテーマ。

小説[編集]

「八賢女」が活躍する人情本
  • 恋のやつふぢ(曲取主人(花笠文京)、1837年)
八犬伝をパロディ化した艶本
  • 犬の草紙(笠亭仙果(二世柳亭種彦)、1848~1881年)
八犬伝のダイジェスト版草双紙。明治初期まで出版が続けられた。
八犬伝のダイジェスト版草双紙。『犬の草紙』と競った。
  • 八犬伝後日譚(二世為永春水、1853~1857年)
八犬士の子や孫を主人公とする作品。
里見忠義の時代を舞台とし、八つの玉をめぐる里見八犬士の子孫と伊賀忍軍との抗争が描かれる。
角川映画「里見八犬伝」の原作。
  • 八犬伝(山田風太郎、1983年)
『八犬伝』物語をたどる「虚の世界」と、執筆者馬琴を描く「実の世界」が同時進行する小説。
敵役に登場する「八猫士」は八犬士の転生。
女子高生の布施直見を主人公とした、八犬伝をモチーフにした小説。
  • 双頭の蛇―獣虫記(2)(久美沙織、1995年)
  • 聖・八犬伝(鳥海永行、1995年)
  • 乱華八犬伝(鳴海丈、2004年)
  • 伏 贋作・里見八犬伝(桜庭一樹、2010年)
  • ネオ里見八犬伝サトミちゃんちの8男子(こぐれ京、矢立肇原案、2011年)

漫画[編集]

「ボール型の痣」を持ち、名に「球」の字を含む9人の超人が登場する。
犬と人の遺伝子を受け継ぐ「里見の国」の「里見七犬士」および「シンベエ」が登場。
比較的馬琴原作に近い漫画化作品。
戦国時代を舞台にした伝奇SF。
近未来を舞台にした作品。同作者の漫画『八犬伝』の要素を含む。
女性主人公・犬塚信乃ら八犬士が、玉梓率いる「妖怪軍」と戦う。他の登場キャラ名も八犬伝由来。
八犬士の転生者による学園伝奇もの。
選手が八犬士の名を持つ高校野球漫画。マネージャーは「静姫」(角川映画版のヒロインと同名)。
日本神話をモチーフにしたファンタジー。「勾玉」がキーアイテムとなる。

アニメ[編集]

仁義八行に「忍」を加えた9つの鎧と戦士が登場する。
原作の翻案。
宝珠を持つ主要人物8名が仁義八行に因む名を持つ。「フセ」「ヤツフサ」の用語も登場する。
8人の「コレクターズ」を集める。原案者麻宮騎亜はモチーフが八犬伝(正確には人形劇『新八犬伝』)としている[6]
同名漫画のアニメ化。

ゲーム[編集]

角川映画版がもととされている。
  • 里見八犬伝(ファミリーコンピュータ:SNK、1989年)
  • 新・里見八犬伝(ファミリーコンピュータ:東映動画、1989年)
角川映画版がもととされている。
ヒロインを含めた8人の少女「八犬士」の仲間探し。関連するのはタイトルだけである。
  • 魔界八犬伝SHADA(PCエンジン:データイースト、1989年)
アクションRPG。
  • BURAI (リバーヒルソフト、1989年)
「八玉の勇士」たちを主人公としたロールプレイングゲーム。
ゲームの主要な流れの一つとして採用。
  • 魔京伝(ニホンクリエイト、1992年)
主要登場人物が玉梓・伏姫・八犬士の転生と設定されている。
「南総」という地名が登場、八つの霊玉や村雨が武器として登場する。
  • 大神(PS2:カプコン、2006年4月)
「里見一族」の巫女「フセ姫」と「ヤツフサ」、宝珠を持つ「八犬士」(犬)が登場。
主要登場人物が伏姫と八犬士の生まれ変わりという設定。
8つの「ミシン犬士」と怨霊が登場する。
館山で「里見八犬伝」のイベントがあり、八徳の玉を集める。
主要登場人物8人は呪いの痣を持つ。主人公が女装など。
仁義礼智忠信孝悌の「宿星」を持つキャラクターが登場。この宿星保持者たちによる特殊技は「里見八方陣」。
天下を救う宝剣「村雨丸」を求めて「宿星」に導かれた英傑達が活躍するほか、「玉梓」などが重要なパーソナリティとして登場する。
『南総里見八犬伝』をモチーフにした、和風ファンタジー・恋愛アドベンチャーゲーム。男装で育った主人公は妖刀村雨丸を関東公方に返上するため、女だということを隠して旅をする。
戦真館學園のキャラクターたちの技名として南総里見八犬伝での登場人物名が用いられた。

南総里見八犬伝の執筆を題材にした作品[編集]

南総里見八犬伝執筆時の馬琴を描いた小説作品として、以下のようなものがある。

南総里見八犬伝を題材にした施設・行事[編集]

施設・名所[編集]

  • 富山(千葉県南房総市)
「伏姫籠窟」「犬塚」などがあり観光地となっている。また「里見八犬士終焉の地」の標柱もある。
  • 伏姫と八房の銅像(千葉県南房総市)
富山最寄りの岩井駅前に建っている。
館山城模擬天守に所在する。浮世絵など、八犬伝関連の資料を収集している。
  • 伏姫桜(千葉県市川市)
国府台に程近い真間山弘法寺にある樹齢400年の枝垂桜は、『八犬伝』に因み「伏姫桜」と称されている。
小湊鉄道に「里見」という名前の駅がある。これはかつて駅所在地が市原郡里見村であったためで、村名は里見氏にちなむという。物語との関わりは不明だが、駅前に「八房」の石像[要出典]がある。
里見忠義と八賢士の墓所

行事・祭事[編集]

  • 南総里見まつり(千葉県館山市)
史実里見氏の顕彰が主となっているが、仮装パレードには伏姫や八犬士も登場する。
大岳院がある倉吉市打吹玉川で、9月第一日曜日開催。
関金温泉で9月第一日曜日開催。

脚注[編集]

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  1. ^ 松本一夫『東国守護の歴史的特質』(岩田書院、2001年) ISBN 978-4-87294-225-5 第三編第八章「安房守護と結城氏の補任」
  2. ^ 成唯識論』の「名詮自性 句詮差別 文即是字 為二所依」による。本来は言語哲学を説くものであり、固有名詞の命名を問題としたものではない。
  3. ^ 「雲凉院」の院号と「心」「賢」の二字が共通する。「心」と「賢」の二字は主君里見忠義の戒名(雲晴院殿前拾遺心叟賢凉大居士)に共通している。
  4. ^ 高田(1980)p.123-124
  5. ^ 高木元「『八犬義士誉勇猛』-解題と翻刻-
  6. ^ 「コレクター・ユイ」という思い出① 、麻宮騎亜ブログ(2009年12月25日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

原文テキスト[編集]

紹介[編集]