荒船山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
荒船山
Mt.Arafune.JPG
標高 1,423 m
所在地 日本の旗 日本
群馬県甘楽郡下仁田町
長野県佐久市
位置 北緯36度12分14秒 東経138度38分13秒 / 北緯36.20389度 東経138.63694度 / 36.20389; 138.63694座標: 北緯36度12分14秒 東経138度38分13秒 / 北緯36.20389度 東経138.63694度 / 36.20389; 138.63694
種類 メサ
荒船山の位置
Project.svg プロジェクト 山
テンプレートを表示
荒船山周辺の地形図

荒船山(あらふねやま)は群馬県甘楽郡下仁田町長野県佐久市に跨る標高1,423mの山である。妙義荒船佐久高原国定公園に属している。日本二百名山のひとつ。

解説[編集]

南北約2km、東西約400mの安山岩でできた台地で、平坦な頂上部と切り立った崖のある山容が、荒波を割って進むを思わせることから、その名が付けられたといわれている。

荒船山は妙義山とともに第三紀にできた本宿カルデラの一部である。地学用語でいうところの溶岩台地ではなく、浸食によって固い部分が残ったもので、こうした差別浸食でできた地形のことをメサという。

一般的な登山ルートは、内山峠から艫岩(ともいわ)を目指すコース。荒船山の北端にある艫岩は荒船山を船に見立てたとき船尾にあたり、高さ200mの岩壁が垂直に切れ落ちる。頂上部は笹原が続き、緩やかな道が最高地点の経塚山(1,422m)へ続いている。

伝承と信仰[編集]

  • 南総里見八犬伝
曲亭馬琴伝奇小説である南総里見八犬伝に荒芽山という山が登場するが、地理的描写から荒船山に比定される。作中、この荒芽山には音音の庵があり、巨田助友が襲撃を仕掛け、五犬士(犬塚、犬川、犬飼、犬田、犬山)の会同と離散の舞台となった。そして彼らは再会までに長い年月をかけることになる。
  • 荒船信仰
群馬県、長野県には、荒船山の名を冠した社寺等がいくつもある。中でも「荒船山出世不動尊」は特に有名だ。川中島合戦のとき武田信玄が、戦場にあった空海作と言われる不動尊を信州側の荒船山麓に遷した。これが「荒船山出世不動尊」であり、長野、群馬、埼玉の人々が中心となり、広く信仰し、「荒船講」を結成し、荒船山や関係社寺など信仰をしている[1]
  • 荒船山の十四郎
江戸時代、荒船山に十四郎という「ニセ金作り」が住んでいた。ある年の大晦日の夜、佐久地方の貧しい家々に真新しい銭が投げ込まれた。この話が役人の耳に入り、十四郎は捕まり、処刑された。村人は十四郎の死を悲しみ冥福を祈った。十四郎のニセ金は見分けがつかぬまま明治まで使用されたという[2]
  • 荒船山の亀松
荒船山麓の内山には明治時代の修身教科書にものった「孝子亀松」の実話がある。天明8年(1788年)当時11歳の亀松(かめまつ)少年は、父親を襲うオオカミに対し、鎌一本で立ち向かい、オオカミの口に鎌を突き立て、父の危急を救った。この話は江戸にも聞こえ、幕府から呼び出され、褒美を貰ったというものである[3]
  • 荒船大明神
荒船大明神(上野貫前之女神)と諏訪の建御名方命が結ばれ、興波岐命(おきはぎのみこと)が誕生した。興波岐命は佐久の祖神として佐久総社新海神社に鎮座する。
  • 赤蟻又兵衛
昔、荒船山の境界線を信州と上州で争った。信州佐久の役人の赤蟻又兵衛(あかありまたべえ)は、江戸の全ての扇子屋に行き「信州荒船山」と刷った扇子を注文した。しかし又兵衛は扇子を引き取らなかったので、扇子屋はその扇子をただのような価格で売りとばした。その後、荒船山は信州のものだと思う人が増えたという[4]

 

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『佐久市志民俗編上』全1706頁中285頁、発行者長野県佐久市、1990年2月20日発行。
  2. ^ 『佐久特集千曲川とその支流』全87頁中83頁、佐久市観光課発行、1976年4月20日。
  3. ^ 『佐久市志民俗編上』全1706頁中1117頁発行者長野県佐久市 平成2年2月20日発行
  4. ^ 『南佐久口碑伝説集』昭和53年11月15日長野県佐久市教育委員会発行全323中204P 

参考文献[編集]

  • 降旗和夫編『長野県 地学のガイド―長野県の地質とそのおいたち』コロナ社、ISBN 9784339075427 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]