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屋島

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屋島
海上からの屋島.JPG
サンポート高松のシンボルタワー(ホール棟の屋上広場)より
標高 南嶺292.0 m
所在地 日本の旗 日本
香川県高松市屋島東町・屋島中町・屋島西町・高松町
位置 北緯34度21分20.5秒
東経134度6分16.7秒
座標: 北緯34度21分20.5秒 東経134度6分16.7秒
山系 独立峰
種類 台地の地形(メサ)
屋島の位置
Project.svg プロジェクト 山
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屋島(やしま)は、香川県高松市の東北に位置する、南北に長い台地の地形(メサ)の独立峰[1]

概要

屋島の名称は屋根のような形状に由来し[注 1]、高松市のシンボルになっている[注 2][注 3][2]。また、いにしえから瀬戸内海の海路のランドマークであり、海外交流交易海路に面した要衝であった。

屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルのである[注 4][3]。南嶺の標高は292.0m・北嶺の標高は282m、山頂は平坦で、端部は急崖で囲まれた台地の地形(メサ)である。両者は細い尾根で接続されている[1][4][5]

山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園[6]として初の瀬戸内海国立公園に指定された[注 5]。当初の指定範囲は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である[7][8]

島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから[注 6]1934年(昭和9年)11月10日、国の史跡および天然記念物「屋島」に指定された[9]。史跡および天然記念物指定範囲は相引川以北の全域と、その地先の100メートルの海面区域である[10][11][12]

663年白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上には唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦(治承・寿永の乱)の屋島古戦場である[12]。その他、長崎ノ鼻(ながさきのはな)古墳[注 7]・北嶺山上に千間堂(せんげんどう)跡[注 8]・屋島経塚・長崎ノ鼻砲台跡などがある[13]

屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの登山道沿いの通称「畳石」は、板状節理の露頭である[12]。その他、屋島礫層と通称「雪の庭」と呼ばれる白色凝灰岩が南嶺山上に分布する[14]

ドライブウェイの通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されているが、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[注 9][15][16]

屋島は字義どおり島であるが[注 4][3][4]塩田開発と後の埋め立てにともない、陸続きのようになる。東岸と西岸の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定地内に多くの人が集住している[17]。現在の法定区分では、高松市を形成する四国本島の扱いである。

島々への拠点港を有する新市街地、サンポート高松ウォータフロントからの屋島の遠望は、ハワイダイヤモンドヘッドに似た、シンボル性のあるランドマークである[18]

地形・地質ほか

北方海上から望む

地形の詳細は、巻頭と概要に記述の通り。

屋島は、新生代中新世の約1300万年前~約1500万年前の瀬戸内火山活動の溶岩などでできた讃岐層群からなる。基盤岩は花崗岩で、火山活動の溶岩などがを埋めた後に土地が隆起したとされている。その後、長期にわたる浸食・削剥作用に対して、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなり残った台地の地形である[1][19][20]

塩田跡は埋め立てられ、短い多くの橋が架かり、探索だけでは島を認識することは困難である。四国本島と屋島は、相引川(幅10メートルほどの河川)で分離されている[17]

登山・ハイキング

屋島登山道(中腹)

代表的コースは、最寄駅から屋島陸上競技場屋島小学校屋島寺に至る、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を目指す。車止めを過ぎれば、舗装された歩行者専用道路になる。加持水(かじすい)~不喰梨(くわずのなし)~畳石(たたみいし)を経て、屋島寺の仁王門に到着する。屋島寺の四天門に折り返して西側のみやげ物店を通ると、獅子ノ霊巌(ししのれいがん)の展望所である。遊歩道を歩み、北嶺入口を越えると北東角の、談古嶺(だんこれい)展望所である。北嶺入口に折り返し、舗装された遊歩道を進むと、北嶺周回の三差路に出合う。三差路の奥に千間堂広場が広がる。東西の遊歩道か、千間堂広場から北上する土道の遊歩道を進むと北端で合流する。北方のウバメガシの林を抜けると、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)の展望所である。遊鶴亭から山道をジグザグに下ると、県道の北嶺登山口に出る。県道を横切り林の中の山道を進むと、未舗装の車道に下り立つ。北に進み階段を下れば、海が広がる砲台跡の長崎ノ鼻の先端に到着する。帰路は車道を戻り、県道に出て、右折れして屋島西町方面に進むと、屋島健康ランド前のバス停に到着する。余裕があれば、最寄駅まで歩く。そして、本コースに、山上の南嶺南端の冠ケ嶽の折り返しを加える登山者もいる。また、山上へ往復するシャトルバスを利用した種々のコースで、登山者・ハイカー・山上散策者は楽しむ[15][16][21]

歴史

屋嶋城の城門遺構
談古嶺から古戦場跡を望む

山麓では、浦生の鵜羽神社境内遺跡で弥生時代後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた長崎ノ鼻古墳に至る。山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代屋嶋城の築城に至る[1]

663年白村江の戦いの大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が、新羅の侵攻に備え、対馬~九州の北部~瀬戸内海~畿内に至る要衝に、様々な防御施設を築いたことが『日本書紀』に記載されている。667年天智天皇6年の条に、「築 倭國高安城 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」と記載され、古代が築かれている。しかし、山上に遺構が見あたらず、実体のない幻の城であった。1998年、南嶺山上の石塁の発見を契機に城門跡が発掘され、古代山城の存在が明確になる[22][23][24]

古刹の屋島寺は、南面山千光院と号する仏教寺院で、前身は北嶺の山岳寺院、千間堂跡にあったとされる。寺伝では、空海が南嶺に伽藍を移したという。鎌倉時代は盛衰を繰り返し、江戸時代初期の勧進により再興する。その後、藩主の生駒氏・松平氏の庇護を受け整備された[1][22]。また、屋島寺本堂・木造千手観音坐像・梵鐘は、国指定の重要文化財である[25][26]

屋島は源平合戦の摂津一ノ谷の戦いに破れた平氏が、安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(元暦2年2月)に起こった、讃岐屋島の戦いの古戦場である。平家物語他、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた、扇の的を射落としたエピソードなどが知られる[22][27]

観光

獅子ノ霊厳から西を望む
屋島寺と祭事風景
談古嶺から小豆島方面を望む

四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も散策や登山などを楽しむ[注 10]

山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には、四国八十八ケ所霊場第84番札所の屋島寺、蓑山大明神、屋島寺宝物館、新屋島水族館がある。また、屋嶋城の城門遺構の復元と見学路などが整備され、2016年3月19日より、一般公開されている[28][29]

南嶺の獅子ノ霊巌(ししのれいがん)からは、高松市街・五色台瀬戸大橋・琴平山(象頭山)、談古嶺(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からは、多島海が眺望でき、三大展望所とされている。また、夕夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選[30]・「日本夜景遺産[31]・「夜景100選」[32]に選定されている。

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山明石海峡大橋も視野に入る。そして、 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画『二十四の瞳』・『八日目の蝉』のロケ地の小豆島も一望できる。

日本三名狸屋島ノ太三郎(やしまのたさぶろう)狸は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている[33]井上ひさし著の小説『腹鼓記』の屋島ノ禿狸や、アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の太三郎禿狸として知られる。

名物は、「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

屋島ドライブウエイは、南嶺東斜面を縦走する。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西斜面に出て駐車場に至る。東斜面には二か所の展望所があり、中腹には下っているように見える不思議な上り坂がある[注 11][34]。また、このドライブウェイは「日本風景街道」[35]の「源平ロマン街道」[36]に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道である。

屋島ドライブウエイの料金所の手前の山側には、祭神が徳川家康松平頼重の屋島神社(讃岐東照宮)と、四国民家博物館(四国村)が隣接して存在する[27]

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町・牟礼町庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する平家物語他が織り成す史跡が点在する[27]

香川県は、屋島を筆頭とするメサと、飯野山(讃岐富士)を筆頭とするビュート状の小山が混在し、特異な景観を有する[37]。この様子は、屋島山上からも展望できる。

屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年、、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備・屋嶋城の城門遺構の復元他、種々の活性化策が展開されている[2]

その他

  • 屋島の国有林は、四国の「レクリエーションの森の風景林」に指定されている[38]
  • 屋島の818ヘクタールは、香川県の鳥獣保護区に指定されている[39]
  • 山麓から屋島寺に至る屋島登山道と、相引川側に沿った八栗寺に至る道は、国土交通省ルートの「四国のみち」に指定されている[40]
  • 四国百名山」に「屋島」として選定されている[41]
  • 新日本観光地百選」や「日本二十五勝」などに「屋島」として選定されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付き鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と、市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用されている[42]
  • 屋島は当初、国の「名勝」として指定が検討されていた。しかし、屋島を含む備讃瀬戸が日本初の国立公園に指定されたため、名勝的価値は国立公園に委ねられた[43]

アクセス

山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車で有料道路の屋島ドライブウエイを利用、あるいは徒歩の方法がある。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)志度線琴電屋島駅が最寄駅となる。山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自転車・自動車の走行は許可申請を要する。徒歩の場合は、琴電潟元駅・琴電屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を登る。かつては屋島ケーブルがあったが、2004年に廃止された。

ギャラリー

脚注

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注釈

  1. ^ 『屋島の山容』を、卓状およびテーブル状とたとえる例もある。遠望の屋島を東西からは「寄棟形の屋根」、南方からは「切妻形の屋根」、山麓の南からは「屋島富士」にたとえる例もある。
  2. ^ 屋島活性化基本構想では、「世界で誇れる高松市のシンボル」と位置づけられている。
  3. ^ 平家物語とその派生文化では、「八嶋(八島)」と表現されていることが多い。
  4. ^ a b 国土地理院と海上保安庁(日本国政府)は、屋島を「島」と定めている。
  5. ^ 雲仙国立公園および霧島国立公園と同時指定である。
  6. ^ 屋島礫層の発見後は「屋島のメサを溶岩台地と呼ぶのは適切ではない」とされている。
  7. ^ 5世紀初頭の全長45メートルの前方後円墳で、石棺は阿蘇溶結凝灰岩製である。
  8. ^ 屋島寺の前身の仏堂跡(礎石建物)で、基壇から多口瓶が3個体出土している。
  9. ^ 香川県は「瀬戸内海国立公園 屋島案内図」の説明板を、山上の遊歩道と山麓の要所に設置している。
  10. ^ 山麓には小・中学生を対象にした県立の集団宿泊施設、「屋島少年自然の家」がある。
  11. ^ 上りの山側に 『ミステリーゾーン』 の表示板がある。

出典

  1. ^ a b c d e 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』、高松市歴史資料館 編集/発行、2014年、2・8・12・16・25・27頁。
  2. ^ a b 屋島の活性化 - 高松市
  3. ^ a b 香川県のしまっぷ ー第六管区海上保安本部
  4. ^ a b 地図情報(電子国土基本図)・地名集日本2007(地名に関する情報) - 国土地理院
  5. ^ 讃岐ジオサイト (10) 屋島 - 香川大学
  6. ^ 国立公園 - 環境省
  7. ^ 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  8. ^ 瀬戸内国立公園 パークガイド 瀬戸内海 東部地域』、自然公園財団 編集/発行、2004年、33頁。
  9. ^ 当時の史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき、昭和9年11月10日文部省告示第275号によって「史蹟及天然紀念物」に指定された。指定告示には「史蹟及天然紀念物」とあり、史跡と天然記念物とを別々に指定したものではない。
  10. ^ 『髙松市史跡天然記念物屋島保存整備等基本構想』、髙松市 編集/発行、1995年、9・10頁。
  11. ^ 屋島 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  12. ^ a b c 屋島 - 文化遺産オンライン(文化庁
  13. ^ 史跡「屋島」- 高松市
  14. ^ 天然記念物「屋島」- 高松市
  15. ^ a b 『香川の瀬戸内海国立公園 ガイド』、香川県 みどり保全課 編集/発行、2016年、15・16頁。
  16. ^ a b 高松勤労者山の会「屋島」『香川県の山』、山と渓谷社、2010年、30・31頁。
  17. ^ a b 屋島風土記編纂委員会 『屋島風土記』、屋島文化協会、2010年、52・58頁。
  18. ^ 座談会/屋島活性化に必要なこと。四国新聞、2013年11月1日閲覧。
  19. ^ 長谷川修一 他 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年、1~5・50~53頁。
  20. ^ 林 巍 監「屋島」『里山に遊ぶ』、里山悠遊クラブ・自然探訪の会、2003年、84頁。
  21. ^ 「屋島」『野山への招き PARTⅢ』、髙松市ハイキング協会 編集/発行、2001年、47~50頁。
  22. ^ a b c 澁谷啓一 「屋島」『歴史考古学大辞典』、吉川弘文館、2007年、1167頁
  23. ^ 向井一雄 「屋嶋城跡」『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年、525頁
  24. ^ 『 史跡天然記念物屋島』、高松市教育委員会 編集/発行、2003年、63・124頁。
  25. ^ 国指定文化財等データベースー文化庁
  26. ^ 『 香川の文化財』、香川県教育委員会 編集/発行、1996年、11・104・165頁。
  27. ^ a b c 香川県の歴史散歩編集委員会『香川県の歴史散歩』、山川出版社、2013年、41・45~47頁。
  28. ^ 歴史ロマン「開門」。四国新聞、2016年3月19日閲覧。
  29. ^ 『屋嶋城跡ー城門遺構整備事業報告書ー』、高松市教育委員会 編集/発行、2016年。
  30. ^ 高松市 -日本の夕陽百選選考委員会
  31. ^ 屋島獅子ノ霊巌 - 日本夜景遺産事務局
  32. ^ 夜景100選(香川県) - 新日本三大夜景・夜景100選事務局
  33. ^ 『蓑山大明神之屋島太三郎狸』の説明板による。
  34. ^ 坂道錯視 - 北岡明佳の錯視のページ
  35. ^ 日本風景街道 - 日本風景街道戦略会議
  36. ^ 源平ロマン街道 - 四国風景街道協議会
  37. ^ 木原溥幸 編『香川県の謎解き散歩』、新人物往来社、2012年、218頁。
  38. ^ 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁
  39. ^ 『かがわの自然保護マップ』、香川県 みどり保全課 編集/発行、2014年。
  40. ^ 「四国のみち」 - 国土交通省四国地方整備局
  41. ^ 『四国百名山』、山と渓谷社 編集/発行、2000年、89頁。
  42. ^ 大山晃 著「屋島は高松市のシンボルか」『高松の校歌』、高松市図書館、2001年、4頁。
  43. ^ 『屋島名勝調査報告書』、高松市教育委員会・京都府公立大学法人 編集/発行、2016年、報告書抄録。

参考文献

  • 高松市歴史資料館 編 『屋島 ―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』(史跡・天然記念物屋島指定80周年記念企画展)、高松市、2014年。
  • 長谷川修一・鶴田聖子 著 『讃岐ジオサイト探訪』、香川大学生涯学習教育センター、2013年。ISSN 1342-0534。

外部リンク