丸笹山
| 丸笹山 | |
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剣山から北に丸笹山を望む | |
| 標高 | 1,711.8 m |
| 所在地 | 徳島県 三好市・美馬市・美馬郡 つるぎ町 |
| 位置 | 北緯33度52分27秒 東経134度05分24秒 / 北緯33.87417度 東経134.09000度 |
| 山系 | 剣山地(四国山地) |
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丸笹山(まるざさやま/まるささやま)[注釈 1] は、「四国山地」の東部、「剣山地」の中核部に位置する、標高 1712 mの山である。剣山地の主峰「剣山」(つるぎさん、標高 1955 m)のすぐ北側に位置している [1] [2] [3] [4] [5] 。
行政区画的には、徳島県 美馬郡(みまぐん) つるぎ町(旧;一宇村(いちうそん))、三好市(旧;東祖谷山村)、美馬市(旧;木屋平村(こやだいらそん))との境界部に位置している [1] [3] 。
概要・地理
[編集]「四国山地」の東部は、一般的には「剣山地」と呼ばれている。この「丸笹山」は、剣山地の中核部といえる「剣山」を中心とした一帯に位置し、「剣山」の山頂からは、間に「見ノ越」(みのこし、標高 約1450 m)と呼ばれる峠(コル)を挟んでその北に、直線距離にして約2.5 kmの場所に位置している [1] 。
地形的に見るとこの山は、南側にある「剣山」とは「見ノ越」の峠にて繋がっているほか、東側へは尾根沿いに「赤帽子山」(あかぼうしやま、1619 m)や「中尾山」(なかおやま、1331 m)が、西側へは尾根沿いに「塔丸」(とうのまる、1713 m)があり、その東西に延びる長い稜線の、ほぼ中央部に位置している [1] 。
この山は、標高が1700 m台と、「剣山地」のなかでも標高は高い方であるが、この山の8合目付近、頂上から西へ直線距離にして約 1.3 kmの場所にある、「夫婦池」(めおといけ/みょうといけ、標高 約1450 m)[注釈 2] まで自動車道が通じていることから、そこからわずか標高差 250 m程度を登れば山頂に至れるので、初心者や、ファミリーハイクに向いた山、とされている [1] [2] [3] 。
この山の山容は、その名の通り、ドーム状のなだらかな形をしている。また山頂部は、笹原となっている。その為に山頂からの展望に優れている。南には眼前に「剣山」(1955 m)の上部が立ちはだかり、また東には、「剣山地」東部の山々、北には「矢筈山」(やはずやま、1849 m)を始めとした、「矢筈山系」とも呼ばれる「剣山地」北部の山々が望め、西には稜線続きの「塔丸」(とうのまる、1713 m)、その奥には、祖谷川上流部の作る深い谷を挟んで、「剣山地」を代表する名山である「三嶺」(みうね、1864 m)などが望める [2] [3] 。
この山の山頂には三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は、山名と同じく「丸笹山」、標高値は、1711.82 m(作業年月;2024年12月)となっている [7] 。
この山は、隣接する「剣山」などと共に、中腹部以上は「剣山国定公園」の指定範囲に含まれている [8] [9] 。また、この山の一部は、林野庁が指定した「剣山自然休養林」に含まれている [10] [11] 。その為もあって、自然が比較的良く残されている山である(詳細は「植生」の項に記載)。
この山の西側8合目付近(標高 約1450 m)には、前述のとおり「夫婦池」と呼ばれる2つの小さい池がある [12] 。そのほとりには、1969年(昭和44年)に「国民宿舎・剣山荘」が作られ、その後変遷があり、2026年現在は、「ラ・フォーレつるぎ山」という名称の宿泊施設がある [13] 。また「夫婦池」の近くにはキャンプ場も整備されていたが [5] 、2026年時点では、廃止となっている [12] 。 この「夫婦池」は、後述のとおり、「丸笹山」の登山口にもなっている[2] [3]。
山名
[編集]「丸笹山」という名前の由来は、上記のとおりの丸い山容と、笹原が広がる頂上部の景観から付けられた、と推定されている [3] [5] 。
江戸時代末の「灯下録」という古文書では、「丸笹山」自体には言及していないが、現在の「夫婦池」を指して「丸笹が池」と呼んでおり、間接的ながらこの山が「丸笹山」と呼ばれていたことを示唆している。また明治期、大正期の地元の地誌には、「丸笹山」、あるいは「丸篠山」(まるしのやま)と記されており、「丸篠山」という表記も使われていた [5]。 なお「篠」(しの)とは、(すず)とも読み、笹の一種、「スズタケ」を意味する言葉であり [14] 、笹が生い茂っている山という意味では、「丸篠山」も「丸笹山」もほぼ同義語といえる。
植生
[編集]「丸笹山」は前述の通り、大部分が「剣山国定公園」、「剣山自然休養林」の範囲内にあることから、植生も比較的豊かである。
中腹部から「夫婦池」の少し上あたりまでは、ブナ、ミズナラ、ウラジロモミなどからなる自然林となっている。また山頂部の笹原はミヤマクマザサを優占種とする草原で、夏季にはフウロソウなど、初秋にはリンドウなどの花も見られる [3] [5] [10] 。
脚本家、作家であり、登山を趣味としていた田中澄江は、著作「花の百名山」[6] で、この「丸笹山」を「花の百名山」の一つに選定し、代表する花として「ワチガイソウ」[注釈 3] を挙げている。
その著作によると、「丸笹山」を訪れた際に、ワチガイソウのほか、ツツジ類、ミズタビラコ、ヒメエンゴサク、ヤマシャクヤク、ミツバツチグリ、イワセントウソウ、フタバラン(ラン科の一種)、ミヤマハコベなど、数多くの花々が見られたことを記している [6] 。
ただし、2000年ころ以降、この「丸笹山」も含め、「剣山地」の広範囲でシカによる食害が広がっており、樹林帯の下草や笹原の笹、更に高木も樹皮をかじられて枯れてしまうなど、植生の大きな変化が生じていて問題なっている。植生の更なる荒廃が懸念されており、林野庁、自治体、自然保護団体などが対策に乗り出している [15] [16] [17] 。
登山ルート
[編集]丸笹山へのメイン登山ルートは、前述の「夫婦池」から登るルートである。「夫婦池」からよく整備された登山道を1時間弱で、頂上に至る [2] [3] 。
また、丸笹山の頂上から東へ延びる稜線上に縦走路があり、東の「中尾山高原」という地点から、「中尾山」(なかおやま、標高 1331 m)、「赤帽子山」(あかぼうしやま、1619 m)[注釈 4] を経由して丸笹山へと至るルートもある [2] [5] 。
また、北側の貞光川(さだみつがわ)上流部、標高 約600mの「葛籠」(つづろお/つづろ)地区から「夫婦池」へと登る登山道がある。昭和時代の中頃(戦後期)に、自動車道が「剣山地」の中核部まで整備されるより前には、「剣山」へと登る登山道としてよく使われていた歴史のある道であり、「地理院地図」[1] にも記載があるが、自動車道ができた以降は、あまり使われていない [3] 。
なお、この山の南側には「見ノ越」の峠(標高 約1450 m)があり、山頂までの距離は近いが、ここから山頂への登山ルートは無い [2] 。
地質
[編集]「丸笹山」は、その名の通り穏やかな山容をしており、岩場などがほとんどないので解りにくいが、この山の地質構造は、かなり複雑である。
まず「四国」の地帯(地体)構造のうち、重要な地質境界線である「中央構造線」より南側の地質構成を大まかにみると、北部には結晶片岩類などの高圧型変成岩類が分布する「三波川帯」(さんばがわたい)が東西走向に分布しており、中部には「ジュラ紀」の「付加体」などからなる「広義の秩父帯」[注釈 5] がほぼ東西走向に分布しており、その南側に「白亜紀」から「古第三紀」にかけての「付加体」を主体とする「四万十帯」が分布している、という構成となっている [18] 。
「剣山地」全体は、「三波川帯」と「広義の秩父帯」にまたがっているが、そのうち「剣山地」の中核部に位置するこの「丸笹山」は、「三波川帯」と、ここでいう「広義の秩父帯」の境界部に位置しており、地質構造がかなり複雑である。以下、北から南へと順に説明する。
まず「丸笹山」の北側の山麓部、前述の「葛籠」(つづろう)集落のある貞光川上流部付近は、「三波川帯」に属する結晶片岩類(主に「泥質片岩」)が分布している [19] 。
そのゾーンの南側、この「丸笹山」の北側斜面、前記の「葛籠」集落の少し上にあたる、標高800 m付近に、北東ー南西走向の、1つ目の明確な地質境界線がある。文献によってはこの地質境界線を、「京柱峠 ー 菅生断層(きょうばしらとうげ すげおいだんそう)」と呼んでいる。それより南側、すなわち「丸笹山」の北側の中腹部は、「御荷鉾緑色岩類」(みかぶりょくしょくがんるい)[注釈 6] と呼ばれる地質体の分布域となっている。「丸笹山」付近での「御荷鉾緑色岩類」は、南北方向の幅が約2~3 kmで、北東 ー 南西走向に細長く分布しており、その西側は、「塔丸」へと続いている [19] 。
「御荷鉾緑色岩類」は、関東山地から四国地方まで、「三波川帯」の南側に沿うように、数百キロメートルもの長さで細長く分布している地質体であるが、その由来、履歴、帰属などについて不明な点が多く、古くから議論の多い地質体である [注釈 7] 。
最近の研究による解釈としては、形成時代は「ジュラ紀」(もしくはそれ以前)で、海洋プレート上部を形成していたと推定される玄武岩類が原岩であり、「白亜紀」に、「三波川帯」の変成岩と同じ変成作用を受けた「変成玄武岩」が主体となっている、と考えられている [20] [21] [22] [23] 。
「御荷鉾緑色岩類」が「三波川帯」の結晶片岩類と違うのは、「変成作用」は受けているが、「変形作用」をあまり受けてないことで、結晶片岩類のような「片理構造」[24] [注釈 8] は、ほとんど見られない。
なお「丸笹山」の北東部、「赤帽子山」へと続く稜線の途中には、「御荷鉾緑色岩類」の一部として、「上部マントル」を構成する「カンラン岩」が原岩と推定される、「蛇紋岩」(じゃもんがん)の小規模な岩体が分布している [19] 。
「御荷鉾緑色岩類」分布域の南側、「丸笹山」の北側の、標高 1400~1600 m付近には、「御荷鉾緑色岩類」分布域の南側を区切る、2つ目の、北東ー 南西走向の明確な地質境界線がある。この地質境界線の南側にあたる、「丸笹山」の山頂部や「夫婦池」付近、及び山体の南側斜面は「見ノ越」付近まで、主に「泥質千枚岩」の分布域となっており、一部には「変成チャート」、「石灰質片岩」の岩体が含まれている。その南北幅は、「丸笹山」の南斜面では約1~2 kmとなっている [19] 。
この地域における、この地質境界線は、「オトコヤコ―名頃断層」[注釈 9] とも呼ばれており、「剣山地」の中核部を斜めに切るように北東―南西走向に延びる、明確な地質境界線である [21] [22]。ただし活断層ではない 。
この「泥質千枚岩」を主体とする地質体の位置付けは、必ずしも明確ではないが、最近の研究によると、泥質岩中の「放散虫」(ほうさんちゅう)[注釈 10] に基づく年代より、原岩は「狭義の秩父帯」(=「秩父北帯」)と同じ「ジュラ紀」の付加体であり、「白亜紀」に「三波川帯」と同じ高圧型変成作用の影響を多少受けている地質体、と考えられている [21] [22] 。
この「泥質千枚岩」を主体とするゾーンの南側、「見ノ越」付近には、北東 ー 南西走向の、3つ目の地質境界線がある。それより南側にあたる「剣山」の北側斜面は、「ジュラ紀」に形成された「メランジュ相」の非変成の「付加体」からなり、「狭義の秩父帯」、すなわち「秩父北帯」に属する、と位置付けられているいる [19] [21] [25] 。
ギャラリー
[編集]- 頂上から剣山が目前に
- ラ・フォーレつるぎ山
- 登山口近くの夫婦池
- 丸笹山山頂直下
- 丸笹山から剣山方面
- 剣山からの丸笹山
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ この「丸笹山」の読みは、文献によって、「まるざさやま」とするものと、「まるささやま」とするものがある
- ↑ 「夫婦池」の読みは、文献によって、「めおといけ」とするものと、「みょうといけ」とするものがある。なお「夫婦池」についてはウィキペディア内の「夫婦池」の項も参照のこと
- ↑ 「ワチガイソウ」は、4~6月に白系の花を咲かせる山野草で、四国の他の山でも見られるほか、分布域としては、本州、九州にも分布しており、「丸笹山」の固有種というわけではない。詳細はウィキペディア内の「ワチガイソウ」の項なども参照のこと
- ↑ 「赤帽子山」の標高は、「地理院地図」によると、三角点のある地点が1612m、最も標高の高い地点が1619mである
- ↑ ここでいう「広義の秩父帯」とは、「白亜紀」の高圧型変成岩からなる「三波川帯」と、「白亜紀」から「古第三紀」にかけての付加体からなる「四万十帯」との間の地域に分布している、各種地質体をまとめた「地理的地帯」(分布域)を意味する用語として使用する。具体的な地質体としては、「狭義の秩父帯」(地体)としての「ジュラ紀の付加体」のほか、「ペルム紀の付加体」、「黒瀬川(構造)帯」と呼ばれる古生代前期から中期の各種地質体群、「トリアス紀」~「ジュラ紀」の高圧型変成岩類、「白亜紀」の堆積物層などを含む。この用語は、この項での説明の為のものであり、オーソライズされているものではない。「秩父帯」という地帯の定義が、研究が進むにつれ逆に不明確になっているため、このような表現とした
- ↑ 「御荷鉾」とは、関東山地にある「御荷鉾山」(みかぼやま)から取られたものであるが、日本の地質学界の慣習で、「みかぼ」ではなく「みかぶ」と呼ぶ
- ↑ 「御荷鉾緑色岩類」の、地帯構造区分上の帰属は、研究者、文献類によって見解が異なり、「三波川帯」の一部とするもの、「広義の秩父帯」の一部とするもの、あるいは「御荷鉾帯」という独立した「地帯」と位置付けるものなど、研究者、文献類によって見解が異なる。この記事では、「広義の秩父帯」に属する、とした
- ↑ 「片理構造」(へんりこうぞう)とは、「片状構造」や単に「片理」とも呼ぶが、岩石を構成している鉱物結晶が、一定方向に配列して生じる、線状あるいは面状の構造を意味する学術用語である。結晶片岩類は、典型的な面状の片理構造を持つ変成岩類であり、雲母類、緑泥石、緑簾石などの鉱物結晶が面的に配列している。その為に結晶片岩類は、目視レベルでも、パイのような薄いシートが重なったような構造が明確に確認される。なおこの注釈は、出典に挙げた「地質事典」を参照して記載した
- ↑ 「オトコヤコ」とは、「奥祖谷」地域のうち、祖谷川の支流である「谷道川」沿いにある地名。「名頃」(なごろ)は、「奥祖谷」地域のうち、祖谷川本流沿いの集落名
- ↑ 「放散虫」とは、古生代から現世まで存在する海生プランクトンの一種で、時代による形態の変化が顕著なため、主に堆積岩の形成時代を決定する「示準化石」として、地質学ではよく使われる
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 “地理院地図(電子国土WEB)”. 国土地理院. 2026年7月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 「「中尾山・赤帽子山・丸笹山」の項」『分県登山ガイド(35)徳島県の山』(2018年版)山と渓谷社、2018年7月30日、44-47頁。ISBN 978-4-635-02065-7。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 石川 道夫、清家 一明、谷山 省一郎、井本 淳作、ほか3名(共著)「「丸笹山」の項」『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、129頁。ISBN 4-635-53028-0。
- ↑ “丸笹山”. 山と渓谷オンライン. 山と渓谷社 (2026年5月7日). 2026年7月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 角川日本地名大辞典 編纂委員会 編「「丸笹山」の項」『角川日本地名大辞典(36)徳島県』(2009年版)角川学芸出版社、2009年9月25日、659頁。ISBN 978-4-04-622953-3。
- 1 2 3 田中 澄江「(96番)「丸笹山・ワチガイソウ」」『花の百名山』(新装版)文藝春秋社〈文春文庫〉、2017年6月10日、427-429頁。ISBN 978-4-16-790875-1。
- ↑ “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2026年7月5日閲覧。
- ↑ “表「国定公園の概要」”. 環境省 (2026年4月10日). 2026年7月5日閲覧。
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