高越山
| 高越山 | |
|---|---|
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北東にある切幡寺から望む | |
| 標高 | 1,133 m |
| 所在地 |
徳島県吉野川市 |
| 位置 | 北緯34度01分02秒 東経134度11分45秒 / 北緯34.01722度 東経134.19583度座標: 北緯34度01分02秒 東経134度11分45秒 / 北緯34.01722度 東経134.19583度 |
| 山系 | 剣山地(四国山地) |
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高越山(こうつさん/こうつざん)[注釈 1] は、「剣山地」の北端部、吉野川の中下流部に面する、標高 1133mの山である [1] [2] [3] [4] [5] 。
行政区画的には、山体の東側は徳島県 吉野川市(旧;山川町)に、山体の西側は、美馬郡(みまぐん)つるぎ町に属する。ただし山頂部は吉野川市に属する [1] [3] 。
なお、この山は「四国百名山」の一つに選定されている [3] 。
この山は、山頂部に「高越寺」(こうつじ)という古刹があることでも知られる [2] [3] [6] 。
また、四国最大級の「オンツツジ」群落や、地質の面でも特色のある山である。
概要
[編集]「四国山地」の東部は、一般的には「剣山地」と呼ばれている。この「高越山」は、剣山地の北端部、吉野川の中下流部が作る細長い平野部に面してそびえており、北側の山すそには吉野川本流が流れている。剣山地の主峰「剣山」(つるぎさん、標高 1955m)からは、北北東に約20kmの距離に位置する [1] 。
1500m以上の高さを誇る山々が数多くある「剣山地」の中では、この山は、標高が高い山とは言ないが、吉野川が作る平野部に面しているため、平野部からの標高差は、約1000mと比高は大きく、また北側の平野部から望むと、端正な三角形の姿として望める。里に近いこともあり、標高以上に存在感のある山である [2] [3] 。
端正なその姿から、地元の人々からは「阿波富士」(あわふじ)の別名でも呼ばれ、また親しみを込めて「おこうつさん」[注釈 2] とも呼ばれているといい、地元の人々から愛されている山である [2] [3] [5] 。
また、「衣笠山」、「木綿麻山」、「西上山」(さいじょうさん)、「摩尼珠山」などの多くの別名ももつ [5] [注釈 3] 。
この「高越山」は、見た目が端正な山というだけではなく、いくつかの特色を持つ山である。1つ目は植生の面で、南側の8合目に、国指定の天然記念物となっている「オンツツジ群落」があること、2つ目は信仰の山という面で、古い由来を持つ「高越寺」があり、修験道の山としての歴史も持つということ、3つ目は地質的な面で、日本全国でも数少ない、「エクロジャイト」という、地下深くで変成作用を受けた高度変成岩の存在が確認されている、という面である。これらは以下の各項にて詳しく説明する。
ところで、この山の山頂部には一等三角点が設置されている。三角点の公式名称は、山名と同じく「高越山」、標高値は、1121.91m(作業年月;2024年12月)となっている [7] 。ただし、この三角点の設置地点より南側、直線距離にして約100mのところに最も標高が高い地点があり、その地点の標高値は、1133mとなっている [1] 。
従って、登山ガイドブック類などの文献類の多くは、高越山の標高として、その最高地点の値である、1133mを採用している [2] [3] [4] 。この項でも高越山の標高は、1133mとする。
植生(オンツツジ群落など)
[編集]高越山の植生として特筆すべきものとしては、山頂部の南側、直線距離にして約2kmの位置にある「船窪」(ふなくぼ)と呼ばれる場所に、「オンツツジ」[注釈 4] の大群落(約3ヘクタール(ha))があることが挙げられる。
現在は「船窪つつじ公園」という名称で公園状に整備、保護されており、ふもとから車でアクセスできることもあり、5月の開花時期には、臨時駐車場が設けられるほど、花見の人々で賑わい、花の最盛期には一面が濃い赤色に染まっている様は壮観である。公園状に整備されてはいるが、このオンツツジ群落は人の手による植栽ではなく自生の群落であり、その貴重さから、1985年に、「船窪のオンツツジ群落」という名称で、国指定の天然記念物となっている [8] 。
ここのオンツツジ群落は、約1200本が密に群生しており、その中には、樹齢が300~400年以上と推定される古木もあり、四国では他に類を見ないツツジ群落である [8] [9] 。
このオンツツジ群落については、地元 吉野川市主導による学術調査(2022年)[10] が行われている。それによると、群落内はオンツツジが優占種となっていて、一部の場所では純林となっているが、場所によっては、ミツバツツジ、アセビ、リョウブ、イヌツゲなどの低木も混じっている。また林床には、カタクリ、クロフネサイシン、テリハキンバイ(キンポウゲ科)といった草花があることなどが、調査結果により明らかになっている [10] 。
なお、この学術調査 [10] は、オンツツジ群落の現状調査と今後の保護方針立案を主な目的としており、なぜ、「船窪」と呼ばれるこの場所にだけオンツツジ群落が形成されたのか、という植物生態学的な点には踏み込んでいない。従って、このオンツツジ群落の成立と継続の仕組みは未解明である。
高越山といえばこの「船窪」のオンツツジ群落が植生の代表格であるが、後述のとおり、この山は信仰の山でもあって、自然林もある程度保護されてきたため、標高 約900m以上のゾーンには、ブナやカエデ類を主体とした落葉広葉樹の自然林が残っている [2] [5] 。
信仰
[編集]「高越山」の2つ目の特色は、信仰の山である、という点である。山頂部にある「高越寺」(こうつじ)[注釈 5] は、寺に伝わる伝承によると、天智天皇(てんじてんのう)の時代(7世紀)に、伝説的な修験道の行者(本来は「呪術師」)である「役小角」(えんのおずの)[11] [注釈 6] によって開山された、という開山伝承を持つ古刹であり、修験道の一つの中心として栄えた歴史を持つ [6] [12] [13] [14] 。
その後、延暦年間(西暦782-802年)には弘法大師(空海)がこの山に登り、現在もこの寺のご本尊となっている「千手観音菩薩」の木像をここで刻むとともに、「法華経」を納経 [15] の為に山頂に埋めた(埋経)[注釈 7] 、という伝承がある [5] [12] 。
またこの寺は、阿波国(現;徳島県)における修験道の発祥の地と言われ、鎌倉時代に、吉野の地(現;奈良県)より「蔵王権現」を勧請した「高越大権現」を本尊とし、この寺を中心に修験道の信仰圏が形成されていた、と推定されている [5] [6] 。
「高越山」という山名の由来は、「この蔵王権現を勧請した際に、蔵王権現が吉野の地(現;奈良県)からはるばると、山々を高く飛び越えて、この地に来たことから付けられた名前だ」、という説がある [5] [注釈 8] 。
この山が修験道の拠点として最盛期であった時代には、修験道の本拠地ともいえる吉野の地(奈良県)を「東の山上」(あるいは「東上山」)、この「高越山」(高越寺)を「西の山上」(あるいは「西上山」)と呼び、吉野と並び称されるほど栄えていた、という [5] [6] [12] [13] 。
それ以降の、この寺の歴史や修験道の動向は不明な点も多いが、修験道の本拠地として、また周辺の人々の信仰対象としてこの寺は栄え、南北朝の時代にあたる、西暦1361年(正平15年)には平野部に寺の領地(寺社領)を持っていたことや、時代が下って江戸時代には、京都の大覚寺(真言宗の大寺院)を本寺とする寺院になっていた、などの記録が残っている [6] 。
また時代は不詳だが、阿波国(現;徳島県)の広い範囲に、この「高越寺」へ詣でる「高越講」が組織され、多くの人たちが参詣の為にこの山へ登ったという [5] 。その参詣の道(表参道)は現在も、北側のふもとから登るメイン登山ルートとして残っている。
明治維新後の廃仏毀釈の嵐の時代でも、この「高越寺」は廃寺とはならず、「摩尼珠山護国院」と号し、現在に至るまで真言宗 大覚寺派の寺として信仰を集めている [3] [5] [6] 。
また修験道の伝統は現代にも続いており、旧暦の8月18日には、「高越寺」に山伏姿の修験道者が集まって、「十八山会」(じゅうはちやまかい)と呼ばれる祭礼(紫灯護摩)を行っている、という [3] [5] 。
なお現在のご本尊の名称は文献類によってやや異なり、「千手観音」と「蔵王権現」とするものが多いが [5] [6] [12] 、「金剛蔵王尊」とする文献類もある [13] [14] 。
地質
[編集]高越山は地質学的な面でも、「概要」の項で述べたように、「エクロジャイト」という珍しい高度変成岩があることも、特色の一つである。
まず「四国」の地帯(地体)構造のうち、重要な地質境界線である「中央構造線」より南側の地質構成を大まかにみると、北部には結晶片岩類などの高圧型変成岩類が分布する「三波川帯」(さんばがわたい)が東西走向に分布しており、中部には「ジュラ紀」の「付加体」などからなる「広義の秩父帯」[注釈 9] がほぼ東西走向に分布しており、その南側に「白亜紀」から「古第三紀」にかけての「付加体」を主体とする「四万十帯」が分布している、という構成となっている [16] 。
「剣山地」は「三波川帯」と「広義の秩父帯」にまたがっているが、そのうち「剣山地」の北部に位置するこの「高越山」は、高圧型変成岩帯である「三波川帯」(「三波川変成コンプレックス」や「三波川コンプレックス」とも呼ぶ)に属している [17] 。
具体的な地質としては、結晶片岩類の一種である「苦鉄質片岩」(緑色片岩)が、山頂部から中腹部など分布しており、山麓部は、「泥質片岩」と「苦鉄質片岩」が入り混じった分布を示す [18] [19] [20] 。
高越山の地質として特筆すべき点は、この山の東側山麓部において、「エクロジャイト(広義)」[20] [注釈 10] という、高度変成作用を受けた変成岩が存在していることである [21] 。
その他に、結晶片岩類の一種で、「緑色片岩」よりも高圧化で形成され、これも日本では比較的珍しい「青色片岩」(せいしょくへんがん、「藍閃石片岩」(らんせんせきへんがん)ともいう)[注釈 11] [20]も確認されており、「エクロジャイト」は、「青色片岩」岩体の中にわずかに含まれている。
「エクロジャイト」も「青色片岩」も原岩は、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)と同じく、玄武岩やハンレイ岩などの、海洋プレートを形成している岩石(苦鉄質の火成岩)と推定され、海洋プレート沈み込み帯から地下深くに沈み込んで、高圧型変成作用を受けた変成岩である [20] 。
高越山で確認されている「エクロジャイト(広義)」は、具体的には、「バロア閃石エクロジャイト」(バロアせんせきエクロジャイト)という岩石と、「藍閃石エクロジャイト」(らんせんせきエクロジャイト)という種類の岩石が確認されており、まとめて「高越エクロジャイト」(こうつエクロジャイト)と呼ばれている [17] 。[注釈 12]
岩石としての「エクロジャイト(広義)」は、「変成相図」[注釈 13] 上での「エクロジャイト相」(eclogite facies)に達していたことを示しており、少なくとも地下40km以上の深さ(圧力で約1.2GPa以上)の条件にて変成作用を受けたことを示すものである [22] [23]。
高圧型変成帯である「三波川帯」の中でも、「エクロジャイト相」に達していたと推定されている高度変成岩(「エクロジャイト(広義)」そのものや、「エクロジャイト相」に達していた痕跡を持つ結晶片岩類は、日本全国でみても、石鎚山脈の「東赤石山」(1710m)付近にしか確認されておらず、かなり稀少なものである [17] 。
この「高越エクロジャイト」は、変成ピーク時の推定圧力が約1.4~2.5GPaに達していたと推定され、簡易的に深さに換算すると、約40~75kmほどの深さとなる [注釈 14] 。また変成ピーク温度は約600℃と推定されている [24] 。
このように、海洋プレート沈み込み帯にて沈み込んだ、海洋プレート由来の地質体が、地下深くまで沈み込んで変成作用を受けたのち、再度上昇してくるメカニズムはいまだ解っておらず、地質学、地球物理学における第一級レベルの課題とされている。そういう点で、この「高越エクロジャイト」は、地質学、地球物理学において重要な地質体といえる。
ところで、この「高越エクロジャイト」に関しては、石鎚山脈の「東赤石山」付近ほど多くは無いが、いくつかの研究報告がある。詳細は省くが、より詳しく知りたい人の為に、以下に、2000年以降の主な参考文献を記載する。[25] [26] [27] [28] [29] [30] [31]
ギャラリー
[編集]- 法輪寺付近から望む
- 山頂
- 高越寺
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ この「高越山」の読みは、「こうつさん」とする文献と、「こうつざん」とする文献がある
- ↑ 「高越山」の愛称の発音は、「(お)こうっさん」、「(お)こうっうさん」、「おこおっつぁん」など、文献により色々書かれており定まりはない
- ↑ 「高越山」の別名のうち、「摩尼珠山」は山頂部にある「高越寺」の「山号」の一部でもある。また「衣笠山」、「西上山」は、権現信仰と関連した別名である。「木綿麻山」の由来は不明だが、現在の地名(字)になっている
- ↑ 「オンツツジ」(学名Rhododendron weyrichii)とは、九州、四国、紀伊半島に分布域を持つ、ツツジ科の低木で、5月の花期には、鮮やかな朱色の花を咲かす。詳しくはウイキペディア内の「オンツツジ」の項なども参照のこと
- ↑ 「高越寺」の由来や歴史などは、ウイキペディア内の「高越寺」に詳しいのでそちらも参照のこと)
- ↑ 「役小角」は「役行者」(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれるが、奈良時代(7世紀)の呪術師で、修験道の開祖のような位置付けの伝説的な人物である。例えば紀伊山地の「大峯山」や四国の「石鎚山」も「役小角」によって開山されたという伝承があり、また様々な呪術を使うことができ、鬼を従えていたなど、伝説、伝承は数多い。ただし、それらの伝説、伝承は、後世の人々による脚色も多いとみられている。詳しくはウイキペディア内の「役小角」の項も参照のこと
- ↑ 写経した「お経」を山中(主に霊山とされる山の山頂部)に埋める宗教行事は、「納経」(のうきょう)あるいは「埋経」(まいきょう)と呼ばれ、平安時代から鎌倉時代にかけ、広く行われた祈りの儀式の一種である。「お経」を埋めた場所は、「経塚」(きょうづか)と呼ばれる。全国あちこちに「納経」(埋経)の伝承があり、「経塚山」という山名の山も「地理院地図」で調べると、全国に16座を数える。一部の場所では実際に、お経を入れた筒である「経筒」(きょうどう)が発掘されている。一例として四国では、「横倉山」(よこぐらやま、高知県)や、「楢原山」(ならばらさん、愛媛県)で「経筒」が発掘されている
- ↑ 「高越寺」へと勧請した「権現」の名称は、「蔵王権現」と記されている文献が多いが、「吉野権現」、「吉野蔵王権現」と記されているものもある。この記事では、「蔵王権現」に表記を統一する
- ↑ ここでいう「広義の秩父帯」とは、「白亜紀」の高圧型変成岩からなる「三波川帯」と、「白亜紀」から「古第三紀」にかけての付加体からなる「四万十帯」との間の地域に分布している、各種地質体をまとめた「地理的地帯」(分布域)を意味する用語として使用する。具体的な地質体としては、「狭義の秩父帯」(地体)としての「ジュラ紀の付加体」のほか、「ペルム紀の付加体」、「黒瀬川(構造)帯」と呼ばれる古生代前期から中期の各種地質体群、「トリアス紀」~「ジュラ紀」の高圧型変成岩類、「白亜紀」の堆積物層などを含む。この用語は、この項での説明の為のものであり、オーソライズされているものではない。「秩父帯」という地帯の定義が、研究が進むにつれ逆に不明確になっているため、このような表現とした
- ↑ 「エクロジャイト」(eclogite)という岩石は、“IUGS”(国際地質科学連合)が定めた最近の定義では、「ザクロ石」(ガーネット、garnet)という鉱物と、「オンファス輝石」(omphacite)という鉱物との合計の質量比率が75%以上のもの、とされている。しかし、実際に世界各地で確認されているものはその比率が75%以下のものも多く、広義では「ザクロ石」と「オンファス輝石」が主体の岩石という意味で使われていることも多い。「広義のエクロジャイト」は、日本の文献では「エクロジャイト様岩」などとも記載される。この記事内では、「エクロジャイト(広義)」)と表記する。この注釈は、出典とした挙げた「岩石図鑑」(西本著)のほか、ウイキペディアの(英語版)、(ドイツ語)などを参照して記載した
- ↑ 「青色片岩」(blue schist)とは、その名の通り、青みがかった色合いの結晶片岩類で、その青色は「藍閃石」(らんせんせき、(glaucophane))という濃い青色をした鉱物を多く含むことによる。日本の高圧型変成帯でも「青色片岩」がまとまって分布している場所は少ない。なおこの注釈は、出典として挙げた「岩石図鑑」(西本著)を参照して記載した。「藍閃石」については、ウイキペディア内の「藍閃石」の項を、「青色片岩」については「結晶片岩」の項も参照のこと
- ↑ 岩石としての「エクロジャイト(広義)」(eclogite)は、(注釈10)で説明の通り「オンファス輝石」という鉱物と「ザクロ石」という鉱物を主成分とするが、特に「オンファス輝石」がかなり高圧化でしか安定でない鉱物なので、地表へと上昇する過程で「後退変成作用」により別の岩石に変化することが多く、地表で見られるのはかなり稀である。また「バロア閃石」(barroisite)とは、「角閃石」(かくせんせき)グループに属する鉱物。「バロア閃石」、「藍閃石」とも、高圧化でないと安定でない鉱物で、逆にこれを含む岩石は、高圧条件下を経験していることを示す。岩石としての「エクロジャイト」及び、鉱物としての、「オンファス輝石」、「ザクロ石」、「角閃石」は、ウイキペディア(日本語版)内に項目があるのでそちらも参照のこと。より詳しくは、ウイキペディア(英語版)も参照のこと
- ↑ 「変成相図」とは、変成岩、変成作用を解析する為に用いるもので、圧力(P)を縦軸に、温度(T)を横軸に取ったグラフ(図)で、その中をいくつかのゾーンに区分したもの。その各ゾーンを「変成相」(metamorphic facies)と呼び、例えば「エクロジャイト相」、「緑色片岩相」、「青色片岩相」などと、そのP/T条件下で出来る代表的な変成岩の名称が使われている。但し、原岩の化学組成によって、同じP/T条件下でも形成される変成岩の種類は異なる。ウイキペディアの日本語版には項目がないので、出典として挙げた「ウイキペディア英語版」の(metamorphic facies)の項も参照のこと
- ↑ 圧力から深さへの換算は、静岩圧条件、地中の岩石の平均密度を3g/cm3として計算した
出典
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- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 石川 道夫、清家 一明、谷山 省一郎、井本 淳作、ほか3名(共著)、清家 一明、谷山 省一郎、井本 淳作、ほか3名(共著)『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、142-143頁。ISBN 4-635-53028-0。
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- 1 2 3 4 5 6 7 角川日本地名大辞典 編纂委員会 編「「高越寺」の項」『角川日本地名大辞典(36)徳島県』(2009年版)角川学芸出版社、2009年9月25日、311頁。ISBN 978-4-04-622953-3。
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