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東赤石山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東赤石山
東赤石山
権現山付近から望む東赤石山
標高 1,710 m
所在地 愛媛県 四国中央市 新居浜市
位置 北緯33度52分30秒 東経133度22分30秒 / 北緯33.87500度 東経133.37500度 / 33.87500; 133.37500座標: 北緯33度52分30秒 東経133度22分30秒 / 北緯33.87500度 東経133.37500度 / 33.87500; 133.37500
山系 法皇山脈(石鎚山脈)
東赤石山の位置(愛媛県内)
東赤石山
東赤石山
東赤石山の位置(日本内)
東赤石山
東赤石山
プロジェクト 山
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東赤石山(ひがしあかいしやま)は、四国山地の一部である「石鎚山脈」[注釈 1] のうち、その東部の山並みである、「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)に属する、標高1,710 m [注釈 2] の山である [1] [2] [3] [4] [5] [6] 。

単に「東赤石」(ひがしあかいし)とも呼ばれている[6]。

この山は、行政区画的には、山体の北側が愛媛県 四国中央市(しこくちゅうおうし)(旧;宇摩郡(うまぐん)土居町(どいちょう))に属し、山体の南側が新居浜市(にいはまし)(旧;宇摩郡 別子山村(べっしやまむら))に属しており、その境界に位置する [1] [3] 。

この「東赤石山」と、西に隣接する「西赤石山」(にしあかいしやま、標高 1626 m)などを含む一帯は、「赤石山系」(あかいしさんけい)とも呼ばれている[2][3][5][6] [注釈 3] 。

この山は「日本二百名山」[7]、「花の百名山」[8]、及び「四国百名山」[3]にも選定されており、「石鎚山脈」を代表する山の一つともいえる。

概要・地理

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「東赤石山」の属する「法皇山脈」(ほうおうさんみゃく)とは、「石鎚山脈」[注釈 1] のうち、「ちち山」(標高 1855 m)の東側から、あいだに「銅山川」(どうざんがわ)のつくる深い谷を挟んで2列に分かれ、東西走向に並ぶ山並みのうち、瀬戸内海に面した北側の山脈を言う。一般的には「石鎚山脈」の一部と位置付けられる山脈である [2] [9]。

「法皇山脈」のうち、標高が1500 mを越えるゾーンは、この「東赤石山」(1710 m)、西に隣接する「西赤石山」(1626 m)、および東に隣接する「二ッ岳」(1647 m)、「エビラ山」(1677 m)などを含む「二ッ岳山塊」(ふたつだけさんかい)であり、「法皇山脈」の中核部と言える [1]。

これらの「法皇山脈」の中核部は、「石鎚山脈」では広く分布している高圧型変成岩である「結晶片岩類」とは別の「高度変成岩類」[注釈 4] や、上部マントル由来の「カンラン岩」が分布しており、地質的にも「石鎚山脈」のほかの山域とは異なる。特に「東赤石山」とその周辺は、「東赤石岩体」あるいは「東赤石カンラン岩体」と呼ばれる「カンラン岩」が主稜線に分布しており、四国では珍しい荒々しい岩稜帯を形成している[2] [3] [5] [6]。

また、化学的組成が通常の岩石とは異なる「カンラン岩」は、通常の植物の生育には適さない為、「東赤石山」山稜部の「カンラン岩」分布域では高木はほとんどなく、代わりに「カンラン岩」地帯でも生育できる植物群落が生育しており、固有種「オトメシャジン」を含め、初夏から夏場には、花の咲き乱れる山となる(植生は後述)。

前述の通り「東赤石山」は、「日本二百名山」や「花の百名山」に選ばれていることや、この山でしか見られない、カンラン岩からなる独特の風景があるため、登山者は比較的多い。ただし、南側の登山口から、標高差 1100 mほどあり、頂上稜線部は岩場となっていることもあり、楽に登れる山ではない [2] 。

「東赤石山」の山頂部は、100mほど離れた2つの小ピークに分かれており、西側のピークは、「地理院地図」の表記では標高 1710 mとなっており、標高的にはこの一帯で最も高い [1] 。一方で東側のピークには二等三角点が設置されている。三角点の公式名称は「赤石」、標高値は1706.16 m(作業年月;2024年12月) となっている [10]。

山頂部は東西に長く伸びたカンラン岩からなる岩稜帯の一角であり、ふもとなどから望んでもさほど目立つピークではないが、一方で、樹々がほとんど生えていない岩稜帯であるため、特に三角点のある東側の1706 mピークからは見晴しが良い。北側には、新居浜市の市街地がある平野やその先には瀬戸内海が眼下に広がる眺めが得られる。また南へと目を転じると、あいだに銅山川が刻み込んだ深いV字谷を挟んで、「平家平」(へいけだいら、1693 m)、「大座礼山」(おおざれやま、1588 m)など、「石鎚山脈」の一部である、「高知県/愛媛県の県境をなす山脈」が立ち並んでいるのが良く見える。また東には「法皇山脈」の主稜線上にある「二ッ岳山塊」の険しい山々、西には「西赤石山」(にしあかいしやま、1626 m)やその奥には「ちち山」(1855 m)、「笹ヶ峰」(ささがみね、1860 m)など、「石鎚山脈」中核部の山々も望め、遠望が利く日には遥か西方に「石鎚山脈」の主峰「石鎚山」(いしづちさん、1982 m)も望める[2] [3] [5] 。

「東赤石山」の8合目以上の領域に分布しているこの「カンラン岩」からなる岩稜帯は、主稜線上に長く延びており、東側は「権現越」(ごんげんごえ、1461 m)という峠(コル)あたりまで、西側は、「東赤石山」に連続する岩稜帯である「八巻山」(はちまきやま、1698 m)[注釈 5]へと長く延びており、西端は「前赤石山」(まえあかいしやま、1677 m)という岩峰まで東西走向に2.5 km ほど続いている [11]。またこの岩稜帯となっている主稜線上には登山道が整備されており、四国では珍しく、爽快な岩稜歩きが楽しめる。登山ガイドブック類では、「日本アルプスのような岩稜」と評しているものもある[2][3]。

なお「東赤石山」の山頂部と、西にある「八巻山」の岩稜帯とのあいだは、北側からの登山道が上がってきている小さな峠(コル)となっており、「赤石越」(あかいしごえ、標高 約1650 m)と呼ばれている[2][3]。

この「東赤石山」や西に位置する「八巻山」、「西赤石山」、及び東に位置する「二ッ岳山塊」は、険しい岩稜が特徴であるとともに後述の「植生」の項に記載のように「カンラン岩」地帯に特有の植物群落があって貴重であるため、愛媛県が指定した、「赤石山系県自然環境保全地域」(「二ッ岳山塊」の一部も含めて、約410ヘクタール(ha))に含まれ、自然保護の対象地域となっている[12]。

なお東赤石山の北側斜面の8合目付近(標高 約1300 m)には、かつてカンラン岩やクロムを採掘していた「赤石鉱山」という鉱山があって、大正期から昭和期の終わり頃まで稼働していたが、現在は廃坑となっている[6][13]。 またその付近には、天然の洞窟状をした「氷室」(ひむろ)もあり、5月末頃まで残雪が残っている興味深い場所であったが [6]、北側からの登山道が荒廃しているので、現状は不明である。

山名

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「東赤石山」という山名の由来は、前述のとおり、頂上付近に分布する赤茶色の「カンラン岩」が元となっているが、古くは「西赤石山」付近もふくめた「赤石山系」全体を、「赤太郎尾」(あかたろうお)と呼んでいたという。その意味は赤っぽい色あいをしたカンラン岩が作る荒々しい尾根、を表したもの、という[6][5]。その後、「赤石山系」の各ピークに名前が付けられるようになり、「赤石山系」のうち東にあるピークが「東赤石」、西側のピークが「西赤石」と呼ばれるようになり、更に語尾に「山」をつけて、「東赤石山」と呼ばれるようになった、とされる[6]。

なお「東赤石山」の西側に続く岩稜帯である「八巻山」(はちまきやま)の名前は、岩場、岩峰を何回も「巻く」必要がある、という意味とも推測されるが、明確な名前の由来は定かではない。

植生

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前述の通り「東赤石山」の植生の特徴の一つは、頂上稜線部のカンラン岩分布域に咲く、固有種をふくめた、様々な草花である。それらは6月~8月に咲くものが多い。

主なものとしては、固有種のオトメシャジン(ツリガネニンジン属で、ツリガネニンジンに似ている)をはじめとして、タカネマツムシソウ、シコクギボウシ、コウスユキソウ、ナンゴククガイソウ、シモツケソウ、アカモノ、ウバタケニンジン、キバナコマノツメ、ゴゼンタチバナなど、北アルプスなどの高山帯、亜高山帯で見られるような花々が、わずか1500~1700 mの標高しかない場所に咲いている。これらの草花は、カンラン岩からなるゴロゴロした大岩や岩場の陰に隠れるように、点々と咲いており、特に「八巻山」の南側斜面に多い[2] [3] [4] [5] [6] [14] 。

上に挙げたこれらの草花は代表的なものであり、「東赤石山」から「八巻山」にかけてのカンラン岩分布域に咲く草花として、ある文献 [6]では、約60種がリストアップされている。また別の文献 [3]では、「東赤石山」の草花として約150種が数えられる、とされている。なお愛媛県の指定した「赤石山系県自然環境保全地域」のなかでも、「東赤石山」から「八巻山」にかけてのカンラン岩分布域は、上記のように固有種もふくめた様々な草花がある場所であることから、「特別地区」に指定されている [12]。

カンラン岩が分布していない中腹部も、自然林となっている場所では、比較的草花が多く、春から夏にかけ、タカネバラ、イシヅチザクラ、シャクナゲ、イワタバコなど様々な花を見ることができる [2] [14] 。

ところで、「法皇山脈」を含めた「石鎚山脈」の標高 1000~1700 m付近の樹林帯としては、ブナ、ミズナラなどの落葉広葉樹と、ウラジロモミなどの常緑針葉樹が混じった針広混交林となっていることが多い。この「東赤石山」もカンラン岩分布域ではない中腹部の樹林帯ではそのような植生となっているが、カンラン岩の分布域である標高 約1500 m以上では、「五葉松」(ごようまつ、「ヒメコマツ」とも呼ぶ)、クロベ、コメツガなどの、「亜高山帯」的な常緑針葉樹が優占種となっている点も、植生における特徴の一つである [2] [3] [4] 。

このうち「五葉松」は、「盆栽用」として「赤石五葉」(あかいしごよう)というブランド名称で販売され、古くは明治期から昭和期の中頃までは、乱獲ぎみに根こそぎに採取されていたという。その後、1976年(昭和51年)に、前述の自然保護の「特別区域」に指定されたことから、乱獲はおさまり、種を採取して、ふもとで栽培する方式に変っている [15]。

また「東赤石山」は、「花の百名山」の一つにも選定されているが、脚本家、作家である田中 澄江は、その著書「花の百名山」で、東赤石山に登った際に、カンラン岩からなり、五葉松の茂る東赤石山の山稜で、オトメシャジン、イワギボウシ、ミヤマリンドウ、タカネマツムシソウ、シラヒゲソウ、タカネオトギリ、ウバタケニンジン、コウスユキソウなど、多くの種類の花を見たことを記している。それ以外にもカンラン岩分布域以外で約20種類の花や五葉松、クロベの森林をみて感心している。また東赤石山を代表する花として、ラン科の、「コイチョウラン」を挙げている [8]。

ところでこの「東赤石山」のように、「カンラン岩」や、カンラン岩が水分(H2O)と反応して変化した「蛇紋岩」が分布している山では、高木が少なく、固有種をふくめた高山植物などが多い特有の植生となっていることが多いことが知られている。日本列島において、「カンラン岩」が多い山としてはこの「東赤石山」以外に、北海道の「アポイ岳」(標高 810 m)がある。また「蛇紋岩」が多い山としては、尾瀬の「至仏山」(しぶつさん、 2228 m)、北上山地の「早池峰山」(はやちねさん、1917 m)、北海道の「夕張岳」(ゆうばりだけ、1668 m)、北アルプスの「唐松岳」(からまつだけ、2696 m)の中腹の八方尾根(はっぽうおね)などが良く知られている。いずれの山も、高木が少なく、岩塊斜面状の地形となっており、固有種を含む高山植物が多いという、植生、地形的な特徴を持つ [16] [17] 。

「カンラン岩」及び「蛇紋岩」は、岩石化学的には、マグネシウム(Mg)や鉄(Fe)を多く含んでいる、という特徴をもつ [18] [19] [注釈 6] 。

このように( Mg )、( Fe )などの重金属を多く含んでいるといった化学的な特性や、風化への抵抗性があり、土壌が作られにくく、岩塊斜面になりやすいといった地形学的、土壌学的な特性があることなどから、一般的には植物の生育には適していないとされている [6] [18] [19] [20] [21] 。

この東赤石山のカンラン岩分布域における特徴的な植生自体を研究したものは確認できないが、上記の「カンラン岩」、「蛇紋岩」からなる山々での研究から、これらの要因によって、この東赤石山での特有の植生が形成されている、と考えられている [6]。

登山ルート

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1990年頃までは、この「東赤石山」へ登るには、南側の(旧)別子山村側(四国中央市では「嶺南地域」)ともよぶ)は、都市部となっている瀬戸内側からのアクセスが難しかった為、主に北側の、(旧)土居町(現;四国中央市 土居町)側からの登山ルートが良く使われていたが、[6] 1990年頃の、新居浜市内から(旧)別子山村へと通じる「大永山トンネル」の開通で、南側からの登山口までのアクセスが良くなったことと、2000年代に数度の豪雨災害、台風災害があって、北側からの登山口までの林道が荒廃したため、2000年代以降は、南側(「嶺南地域」)から登るのが一般的になっている[2]。

南側(「嶺南地域」)からの登山口としては、「瀬場(せば)登山口」、「筏津(いかたず)登山口」が主に使われている。両者とも途中で合流し、その後、沢沿いのルート、尾根沿いのルートに再び分岐し、8合目付近の赤石山系の縦走路に出て、その後、頂上稜線部への道を登り、「東赤石山」の山頂に至る[2]。

なお「概要・地理」の項でも触れたが、山頂部はあまり突出した岩峰ではなく、平凡な感じだが、100mほど隔てて東西2つの「頂上」の標識がある。このうち、東側のピークは、「三角点」のあるピークで、標高;1706.2m となっており展望に優れる。西側のピークは、地理院地図では、1710mと記載されており、東の三角点のあるピークより、わずかに高い[1]。

それ以外の登山ルートとしては、東赤石山の山頂部から西へとカンラン岩の岩稜を進み、「八巻山」(はちまきやま、1698m)[注釈 5]と呼ばれるカンラン岩の岩稜部をたどり、「前赤石山」付近で縦走路に合流する、岩稜歩きコースがある。このルールは草花の鑑賞、岩稜歩きを楽しむには良いコースである[2]。

また、「八巻山」の岩稜帯の西端で、上記の岩稜コースと縦走路とが合流するが、そこから西へと縦走路は続き、「西赤石山」、「銅山越」(どうざんごえ)へと縦走ができる[2]。

一方、8合目付近の東西に伸びる縦走路は東へも続いており東へと岩稜帯を進むと、「権現越」(ごんげんごえ;標高;1461m)という峠に至る。「権現越」にはやや荒れているが、南側の「床鍋(とこなべ)登山口」からの登山道が伸びている。また「権現越」の東にある「権現山」(1594 m)付近には、南側は「床鍋登山口」から、北側は関川の上流部にあたる、「五良津・河又」(いらず・こうまた)地域からの、電力会社の巡視道が伸びてきている[2]。

なお、「東赤石山」の南側、8合目付近には「赤石山荘」という山小屋があって、かつては良い拠点となっていたが、2010年代に廃業し、使用不可となっている[2]。

また、北側の(旧)土居町からのルートは、かつては「東赤石山」へと登るメインルートであったが、前述の通り、登山口までの林道、登山道ともに荒廃しているので、説明は略す[2][22]。

地質

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「東赤石山」を含めた「石鎚山脈」の大部分は、日本の「地帯(地体)構造」区分では、結晶片岩類などの高圧型変成岩の存在を特徴とする、「三波川帯」(さんばがわたい)に含まれる [23] [24] 。

「石鎚山脈」の一部である「法皇山脈」全体では、高圧型変成岩類の代表ともいえる、「結晶片岩類」が広く分布しているが、この「東赤石山」とその周辺では、「結晶片岩」類に加え、より変成度の高い「高度変成岩類」[注釈 4] 、および上部マントル由来の岩石である、「カンラン岩」やその仲間である「蛇紋岩」の、3グループの岩石が分布しており、かなり複雑である [11] [25] [26] 。

東に隣接する「二ッ岳山塊」と共に、「赤石山系」全体は、古くから日本の地質学、特に、変成作用の研究や、「沈み込み帯」との関係の研究において注目されてきた場所で、数多くの研究があるが、いまだ不明確な点も多い[24]。

以下では、「東赤石山」とその周辺の地質について、「結晶片岩類」、「高度変成岩類」、「カンラン岩」の3グループに分け、主に最近の詳しい研究結果[26]をもとに説明する。

(1)結晶片岩類

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「三波川帯」の主体をなす結晶片岩類であるが、「東赤石山」のうち、南側山腹では銅山川が流れている山麓部から八合目付近(標高;約1400~1500 m)まで、北側の山腹では、山麓部から五合目付近(標高;約800~1000 m付近)まで、結晶片岩類が分布している。具体的な種類としては、「苦鉄質片岩」(緑色片岩)と「泥質片岩」が多く、「珪質片岩」、「砂質片岩」もある。これらは褶曲などにより、複雑な分布形態をしている[11] [25] [注釈 7]。

この「三波川帯」の主体をなす結晶片岩類の原岩は、「付加体」であると推定されており、海洋プレート沈み込み帯で「付加体」が形成されたのち、沈み込み帯に沿って地下深くに沈み込み、高圧型変成作用を受けたのち、何らかのメカニズムで地表へと上昇したものである[24]。

「付加体」の形成時代は、南側に隣接する「秩父帯」(ちちぶたい)と同じ「ジュラ紀」であるとする学説と、更に南側に分布する「四万十帯」(しまんとたい)と同じ「白亜紀」であるとする学説があり、明確にはなっていない。また変成ピーク時期については、放射年代の分析結果に幅があるが、大まかには「白亜紀」後期(約100~66Ma)と推定されている [11] [24] [注釈 8] 。

ところで、変成岩の変成度の違いを分類する方法の一つとして、「変成分帯」法による区分方法[注釈 9]と、「変成相」による区分方法 [注釈 10] がある [27] [28]。

また目視レベルでの違いとして、岩石表面に「点紋」(てんもん)と呼ばれる、長石類(アルバイト;albite)からなる白いつぶつぶ状の鉱物結晶が表面に表れているか、現れていないかで、「点紋帯」/「無点紋帯」という、大まかに2つに区分する手法もある [26] [29] 。

「点紋」による区分法では、「東赤石山」とその周辺の結晶片岩類には、ほぼすべて「点紋」があり、変成度が高いことを示している [26] 。

「東赤石山」の北側斜面に分布する「結晶片岩類」と、南側斜面に分布する「結晶片岩類」は、同じく付加体由来であり、目視レベルでの違いはほとんどないが、詳しい研究によると、地中での履歴や変成度が異なる。南側斜面に分布する「結晶片岩類」は「瀬場岩体」(せばがんたい)とも呼ばれているが、後述の「高度変成岩類」や「エクロジャイト」岩体と同じく、「変成相」による区分では、「エクロジャイト相」に達する高度な変成作用を受けた痕跡があることが、近年の詳しい研究によって明らかになっている [26] 。地質図でも例えば「泥質片岩 ;エクロジャイト相の変成作用を経験した岩石」などと記載されている [11] 。

一方で、北側斜面に分布する「結晶片岩類」は、「エクロジャイト相」には達しておらず、変成岩の分類法の一つである「変成分帯」法では、「アルバイト・黒雲母帯」あるいは「ザクロ石帯」とされている[11]。「変成相」では、どの「変成相」なのか明確ではないが、少なくとも「エクロジャイト相」よりは低変成度である。従って、地下深部では別々の地質体として挙動していたことが推定されている[26]。

また「変成分帯」や「変成相」での変成度の違いでいうと、変成度が高いものは、変成ピーク時の深さが、より深いことを示している。「石鎚山脈」における結晶片岩類の多くが、「変成分帯」法では「緑泥石帯」という低変成度のもの、つまり沈み込みの深度はさほど深くないものが多いが、この「東赤石山」付近の結晶片岩類は、「変成分帯」法では「アルバイト・黒雲母帯」、「変成相」では最大で「エクロジャイト相」に達している[11]。このことは、「石鎚山脈」の他の地域より、より深い場所まで沈み込んで、その後、地表に上昇してきたことを示している[26]。

その最大深さは直接的には解らないが、北側斜面の「結晶片岩類」は、最大圧力にして約1.0 G Pa(ギガパスカル)と推定されている[26] [注釈 11]。簡易的に深さに換算すると、約30 kmと推定される[注釈 12]。また南側斜面の「結晶片岩類」は、「変成相」で「エクロジャイト相」(亜相レベルでは「角閃石エクロジャイト亜相」)に達していたとされ、最大圧力にして約1.5~2.0 G Pa(ギガパスカル)と推定されている[26] [注釈 11]。簡易的に深さに換算すると、約50 km以上と推定される[注釈 12]。

いずれにしろ、「東赤石山」とその周辺の結晶片岩類は、「石鎚山脈」の他の地域の結晶片岩類と比べると、かなり深い場所まで沈み込んで、その後地表まで戻って来たことを示している[26]。

(2)「高度変成岩類」

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ここで言う、「東赤石山」周辺に分布している「高度変成岩類」とは、文献、地質図によって、「角閃岩」、「苦鉄質片麻岩」、「片麻岩類」、「変成ハンレイ岩」[6] [11] [25] [26] などと、色々な名称で呼ばれている、「赤石山系」や「二ッ岳山塊」に分布している岩体のことを、説明の為にまとめて、「高度変成岩類」と呼ぶものである[注釈 13]。なお、前述の「結晶片岩類」は、「変成相」が「エクロジャイト相」に達しているものも含めて、ここでは「高度変成岩類」には含めない 。

地質図で見るその分布範囲は、「東赤石山」の北側中腹部から、「二ッ岳山塊」の主稜線部を含む大部分にかけ、比較的広く分布している。この岩体は、まとめて呼ぶ場合は「五良津岩体」(いらずがんたい)と呼ぶが [注釈 14]、岩相や推定される原岩の違いなどを元に、2つに分けることもあり、その場合、この「東赤石山」の北側中腹部の岩体は、西側部分にあたる、「五良津西部岩体」(いらずせいぶがんたい)と呼ばれるものである。地質図上でのその範囲は、東西の長さが、約 5 km 、南北方向の幅が最大で約 2.5 kmの範囲で、楕円形状に分布している。またこの「五良津西部岩体」は大部分が、「苦鉄質片麻岩」(角閃岩)からなり、「東赤石山」の東隣りの「権現山」の北側斜面には、「結晶質石灰岩」(大理石)も分布している [11] [25] [注釈 15] [注釈 16] 。

ちなみに、もう一つの「五良津東部岩体」(いらずとうぶがんたい)は、東に隣接する、「二ッ岳山塊」に広く分布している [11] [25]。

それ以外には、「西赤石山」の南側中腹部に「東平岩体」(とうなるがんたい)と呼ばれる「高度変成岩類」が分布しており、その分布東端は、「東赤石山」の南西の中腹部にまで達している。「東平岩体」および「五良津東部岩体」は、ハンレイ岩を原岩とした、「変成ハンレイ岩」と推定されている [11] [25] [26]。

また、「東赤石山」と「西赤石山」との中間に、「物住の頭」(ものずみのかしら;標高;1635 m)というピークがあり、そこから北側へと延びる支尾根上に、「上兜山」(かみかぶとやま;標高;1561 m)という岩峰があり、北側の平野部からも良く目立つ。この「上兜山」の部分も、ここでいう「高度変成岩類」が分布しており、後述の「五良津西部岩体」と同じ、「苦鉄質片麻岩」が大部分を占め、「カンラン岩」も併存している。この「上兜山」が岩峰状となっているのは、周辺部の結晶片岩類と比べて浸食への抵抗性が違うためだと推測されている [6]。 

「五良津西部岩体」の大部分を占める「苦鉄質片麻岩」(角閃岩)は、目視レベル、顕微鏡レベルでは、優白質部分と、優黒質部分とが縞々状に繰り返す、いわゆる「片麻状組織」をしており、また岩石化学的には苦鉄質 [注釈 17]であるため、「苦鉄質片麻岩」とされるものが多くを占める。鉱物組成としては、「(普通)角閃石」(ホルンブレンド)と「ザクロ石」を主とし、「緑簾石」(りょくれんせき)、「バロア閃石」などを含み、さらに「エクロジャイト相」の指標鉱物である「オンファス輝石」を含む場合がある。鉱物組み合わせが複雑であるが、「ザクロ石含有苦鉄質片麻岩」と呼ばれている [26] [29] [30]。

これらの「高度変成岩類」は、「変成相」という変成岩の分類法によると「エクロジャイト相」(より詳しくは、「角閃石エクロジャイト亜相」)に相当する変成作用を受けている痕跡が確認されている。圧力としては約1.6~2.6 G Pa(ギガパスカル)というかなりの高圧と推定されており、その圧力を簡易的に深さに換算すると、深さ 約50 km 以上の深さまで沈み込んで、高度な変成作用を受けていることになる [注釈 11] [注釈 12]。

「五良津西部岩体」を構成しているこれらの「高度変成岩類」の原岩としては、「苦鉄質片麻岩」(角閃岩)は、海洋プレート上部に形成された海山、あるいは海台を構成していた「玄武岩」と推定されている。また「結晶質石灰岩」(大理石)は、その海山あるいは海台の上に形成された、サンゴ礁など礁性の堆積物が原岩と推定されている[26]。

このことから、「五良津西部岩体」の起源は、海洋プレート上に形成された海山、あるいは海台であり、海洋プレート沈み込み帯から地下深部へと沈み込んで「エクロジャイト相」(亜相レベルでは「角閃石エクロジャイト亜相」)に相当する高度な変成作用を受け、その後、何らかのメカニズムで地上まで上昇してきたもの、と推定されている[26][27]。

なお、この「五良津西部岩体」に属する、あるいは隣接する岩石として、特筆すべきものとして、「東赤石山」の東部、「権現越」と呼ばれる峠付近に分布している、「エクロジャイト様岩石」からなる岩体がある。このゾーンに分布している「エクロジャイト様岩石」は、主に濃い緑色の「オンファス輝石」と、赤茶けた「ザクロ石」からなる岩石で、「狭義のエクロジャイト」の定義では、「エクロジャイト」とは言えないが [注釈 18] 、鉱物組み合わせとしては、狭義の「エクロジャイト」と同じであり、広義の「エクロジャイト」と言える。

「エクロジャイト」は高圧下では安定であるが、地表のような低圧下では、主要鉱物の一つ「オンファス輝石」が不安定で、別の鉱物へと分解することが多いことから、日本国内で、広義とはいえ「エクロジャイト」が存在しているのはこの地域だけであり、それだけでも貴重である[30]。 なお、「日本地質学会」により、「愛媛県の岩石」として「エクロジャイト」が選定されている[31]。また2001年には、地元の新居浜市で「国際エクロジャイト会議」が開催されたほど、地質学界では世界的に知られている[31]。

この岩体の「変成相」は、詳細な分析により「藍晶石」(らんしょうせき)という高圧変成鉱物が認められていることから、「エクロジャイト相」のうち下位区分の「藍晶石エクロジャイト亜相」に達している、と判断されている[26]。この変成相における圧力範囲は、「亜相」レベルまで書かれた「変成相図」で確認すると、約2.1~2.6 G Pa になり[27]、いくつかの仮定を置いての概略の深さとしては、約65~80 kmの深さまで沈み込んで高圧型変成作用を受けたことが示唆されている[26]。

なおこの、広義の「エクロジャイト」からなる岩体は「権現岩体」と呼ばれているが[26]、その中でも最大の岩体は、「権現越」のすぐ脇に岩峰状に立っている。この岩峰は古くから、「権現岩」、「権現さま」、あるいは「法皇権現」と呼ばれ、信仰の対象となっていたものである。「権現越」という峠の地名、その東の「権現山」という山名は、いずれもこの「権現岩」という岩峰が名前の由来である[6]。

(3)「カンラン岩」

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「概要」「山名」の項などで述べたように、「東赤石山」という山名のうち「赤石」とは、赤茶けた色をした「カンラン岩」がその由来であり、地質学的には「東赤石山」を特徴づける岩石といえる。

この「東赤石山」とその周辺では、「東赤石山」の山頂部を含み、西側は「東赤石山」の西側に続く、「八巻山」(はちまきやま)と呼ばれる岩稜帯が全てカンラン岩からなっており、その少し西の「前赤石山」(まえあかいしやま、1677m)と呼ばれる小岩峰まで、このカンラン岩が分布している。 一方、東側は、この「東赤石山」の東側にある「権現越」(ごんげんごえ)という峠を越え、「二ッ岳山塊」の南側山腹を横に細く伸び、「黒滝」と呼ばれるあたりまで広がっている。また「東赤石山」の北側山腹では標高 約1000 m付近まで広がっている [11] [25] 。

この、東西方向に約5 km、南北方向の最大幅 約2 kmと、かなり広い範囲に分布しているカンラン岩体は、「東赤石岩体」あるいは「東赤石カンラン岩体」と呼ばれている。「カンラン岩」は「上部マントル」を構成している岩石とされていることから、この「東赤石カンラン岩体」も、上部マントル起源の岩体と推定されている。但し、「東赤石カンラン岩体」が地下30~40 km以下の位置にある上部マントルと直接繋がっているわけではなく、鉛直方向の厚みは最大でも400 m程度と推定されており、上部マントルからは孤立していて、かつ褶曲により折りたたまれたような状態になっている、いわば上部マントルの断片といえる岩体である[26]。[注釈 19]

「東赤石山」を含め、「赤石山系」のカンラン岩体は、表面が赤茶けた色合いをしていて、「赤石」の名前の通りであるが、これはカンラン岩中に含まれる鉄分(Fe)が酸化して表面に酸化鉄(Fe2O3)ができている為である。内部の新鮮面は、カンラン岩を構成している鉱物、「カンラン石」、「直方輝石」(=「単斜輝石」)、「斜方輝石」の3つの鉱物が、いずれも緑色系の色合いであるため、緑色~深緑色をしている[18][19]。[注釈 20]

本来、地殻よりも深い場所にあり、また「上部マントル」内では安定だが、地殻内では水分(H2O)と反応して、「蛇紋岩」に変化しやすいという化学的特性がある「カンラン岩」が、新鮮な状態で地表にあるのは、比較的珍しい。

そのため、日本国内でも、「蛇紋岩」が分布している場所であれば、例えば北上山地の「早池峰山」(はやちねさん、1917 m)、尾瀬の「至仏山」(しぶつさん、2228 m)、北海道の「夕張岳」(ゆうばりだけ、1668 m)などあちこちに点在しているが[17]、蛇紋岩化していない、新鮮な「カンラン岩」の、まとまった岩体が見られるのは、この「赤石山系」以外では、北海道 日高山脈の「アポイ岳」(標高 810 m、岩体としては、「幌満カンラン岩体」(ほろまんカンランがんたい)と呼ばれている)のみであり、日本の地質学的には非常に重要な岩体である [17] [18] 。

なお「アポイ岳」は、その貴重さが評価され、ユネスコの「世界ジオパーク」(「アポイ岳ジオパーク」)に認定されている[32]。一方で「東赤石カンラン岩体」はジオパークなどには指定されてないので、一般的な知名度は低いが、地質学の分野では、古くからさまざまな研究が行われてきた、謎の多い岩体である[26]。

この「東赤石カンラン岩体」の起源や履歴、上昇メカニズムについては、さまざまな研究、仮説があるが、定説と言えるものはない[23]。ここでは主な研究、仮説を解説する。

まず、これまでしばしば推定されていたメカニズムとしては、「上部マントル」を構成している「カンラン岩」が、マグマ化することなく固体状態で、何らかのメカニズムで地殻へと「固体貫入」した、という見解が、古くは20世紀前半よりあった[26]。[注釈 21]

最近の、この岩体の変成履歴に関する詳しい研究によると、海洋プレート沈み込み帯から沈み込むプレート(=「スラブ」;slab)の上盤側(hanging wall)にあたる、「ウエッジマントル」(あるいは「マントルウエッジ」)と呼ばれる上部マントルの一部が、この岩体の起源であり、「ウエッジマントル」部でのマントル対流によって、圧力にして約3.0 GPa(ギガパスカル)、簡易的な深さに換算して、地下100km付近までいったん沈み込んで、「エクロジャイト相」相当の高度な変成作用を受け、さらにその後に「スラブ」由来のほかの岩体と接合したのち、何らかのメカニズムで地表へと上昇した、という仮説がある[24] [26] [33] 。

また「カンラン岩」は、構成する鉱物の組み合わせによっていくつかのサブタイプに分けられるが [注釈 20]、鉱物組成の観点からの研究によると、「東赤石カンラン岩体」では、構成する鉱物として「カンラン石」が多い「ダナイト」と呼ばれるタイプが大部分を占め、また、輝石類の多い層とダナイト層とが、層状の構造を形成していることなどから、いつの時点かは不明だが、一度部分溶融して、融点が相対的に低い「直方輝石」(斜方輝石)や「単斜輝石」が溶融し、溶け残りの「カンラン石」が集積して「ダナイト」が形成されている、という仮説もある[24][26]。

また、この「東赤石カンラン岩体」や西赤石山のものも含め、マントル由来の「カンラン岩」が、なぜ地表に上昇してきたのか、というメカニズムは、「三波川帯」のような「高圧型変成帯」を構成している「結晶片岩類」などの変成岩が地表に上昇するメカニズム自体が解っていないため、いまだ、『地質学上の大問題』[26]、と位置付けられている。

特に「東赤石カンラン岩体」は、地下100 km以上という相当な深さまで一時は沈み込んでいたことが推定されているが、それが、そこまでの深さ(変成条件)に至っていない、付加体由来の「結晶片岩類」や、「高度変成岩類」などと共に上昇してきたプロセス、メカニズムは、不明である[26]。

ところで、この東赤石山には、前述の「東赤石カンラン岩体」のほかに、地質図によると、北側山腹部の「結晶片岩類」分布域の中にも、数十~数百メートルサイズの小規模な「蛇紋岩体」が点在している[11][25]。この蛇紋岩体は、元々は上部マントルを構成している「カンラン岩」が起源で、地殻内で水分(H2O)と反応して「蛇紋岩」へと変化したものと推定される。ただし蛇紋岩化しているために、その経歴や結晶片岩類の中に混在するようになったメカニズムなどは不明である。

地形

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「東赤石山」の地形的な特徴の一つは、山頂部を含む「カンラン岩」からなる岩稜帯である。これは、「植生」や「地質」の項で述べたように、浸食に対する抵抗力が強い点、風化しても土壌が形成されにくい点、植物の生育が阻害されることなどで、岩稜を形成しているものと推定されている [6]。

ところで、「法皇山脈」の山麓部と平野部との境界は、明瞭な地形的境界であるとともに、地質境界線、活断層系でもある「中央構造線」が東西に伸びている。「東赤石山」を含む「赤石山系」の北麓にも、「中央構造線」が位置している [34]。

この「赤石山系」の北側山麓部にある、活断層系としての「中央構造線」は、「石鎚断層」[26]、あるいは「石鎚活動セグメント」[35] と呼ばれている。この「石鎚活動セグメント」は、「石鎚山」の北麓(愛媛県 西条市)付近を西端とし、「法皇山脈」の北麓の山地部と平野部との地形的境界線に沿って東へと延びており、この「赤石山系」の北麓を経て、「翠波峰」の北麓付近を東端とし、複数の並走する断層群として、ほぼ直線的に約30 kmの距離で伸びている活断層(群)である。

北麓の平野部から、この「赤石山系」を含む「法皇山脈」の山稜への斜面が急角度になっているのは、この「中央構造線」の活断層としての活動の影響が大きい。形成されているこの急斜面は「石鎚断層崖」(いしづちだんそうがい)と呼ばれ、地形学の分野ではよく知られている[34]。

特に「赤石山系」付近では断層崖の標高差が約1700mにおよび、日本でも有数の断層崖である。また山麓部では、尾根の末端部分が断層によって断ち切られて、「三角末端面」と呼ばれる、独特の断層地形をしている点も、地形学の分野では有名である [34] [36]。

この山麓部にあるこの「中央構造線活断層系」の「石鎚活動セグメント」が活断層として活動する場合は、この「法皇山脈」に沿う地域では、水平方向では「右横ずれ」の活動センスを示すが、鉛直方向では南側上がり(北側下がり)の活動センスを持つ。従ってこの「東赤石山」を含む、「法皇山脈」側が隆起することになり、「法皇山脈」を含めた「石鎚山脈」の隆起の大きな原動力となっている、と考えられている[34][35]。

なお「東赤石山」を含む「法皇山脈」の南側斜面の下部も、比較的急な傾斜となっているが、こちら側は銅山川の浸食(下刻)によるものであり、断層地形ではない。

このように、「東赤石山」とその周辺が、四国の山々のなかでも有数の険しい山容となっているのは、一つには地質学的に、堅くて浸食に対して強い「カンラン岩体」が稜線部に分布していることに加えて、「中央構造線」活断層系の活動によってその北側斜面が比高 1700mにおよぶ大きな断層崖となっている、という2つの要因があることになる。

ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. 1 2 「石鎚山脈」の範囲については、文献類によってその範囲が異なるが、この項では「石鎚山脈」の範囲を、「法皇山脈」および、銅山川をはさんでその南側に並走する、「愛媛県/高知県の県境をなす山脈」を含めたものとし、東端を吉野川が四国山地を横切っている「小歩危渓」(こぼけきょう)付近とする。また西側は、「皿ヶ嶺連峰」などと呼ばれる、松山平野の南側に立ち並ぶ山々を含めたものとし、西端は、「三坂峠」とする
  2. ↑ 東赤石山の山頂部は、100mほど離れた2つの小ピークに分かれており、東側の三角点のあるピークの標高は地理院地図によると、1706.2m、西側のピークの標高は、地理院地図によると1710mである。そのため「東赤石山」の標高について文献類によって、三角点の値である1706mとしているものと、最も高い地点の1710mとしているものがある。ここでは最も高い地点の標高値である1710mを、「東赤石山」の標高とする
  3. ↑ 「赤石山系」の範囲は文献類によって異なり、狭義に「東赤石山」、「西赤石山」を含む一帯とするものと、広義に「東赤石山」の更に東側に連なる「二ッ岳山塊」とも呼ばれる一帯を含むとするものがある
  4. 1 2 この「赤石山系」において、文献、学術書、地質図によって、「角閃岩」、「片麻岩類」、「苦鉄質片麻岩」、「変成ハンレイ岩」など、様々な名前で呼ばれている、「結晶片岩類」とは異なる変成岩を、ここでは説明の為、「高度変成岩類」と呼ぶ
  5. 1 2 「八巻山」は、1698mのピークに山頂の標識があるが、元々は、「東赤石山」の西側に続く、カンラン岩からなる岩稜帯全体を意味している
  6. ↑ 「カンラン岩」を構成する主な鉱物は、「カンラン石」((Mg・Fe)2・(SiO 4 ))と、「直方輝石」類(「斜方輝石」とも呼ぶ)、「単斜輝石」類の3つである。このうち「カンラン石」が水分子(H2O )と反応して、「蛇紋石」((Mg・Fe)3・(Si 2・O 5 )・(OH)4 ))という鉱物になるのが、鉱物レベルでみた「カンラン岩」が「蛇紋岩」へと変化する主要な化学反応である。 実際の「蛇紋岩化」はもっと複雑な反応であるが、詳細はウイキペディア内の、「カンラン岩」、「蛇紋岩」、「カンラン石」、「蛇紋石」の項などを参照のこと
  7. ↑ 「泥質片岩」の原岩は「泥岩」、「苦鉄質片岩」の原岩は主に「玄武岩」、「珪質片岩」の原岩は「チャート」、「砂質片岩」の原岩は「砂岩」、と推定されている
  8. ↑ "Ma" は、百万年前を意味する単位
  9. ↑ 「変成分帯」法(Metamorphic zonal mapping)とは、大まかにいうと、出現する変成鉱物の組み合わせによって、定性的に変成度の度合いを区分する方法である。一般的には、高変成度から順に、(高変成度);「オリゴクレース・黒雲母帯」>「アルバイト・黒雲母帯」>「ザクロ石帯」>「緑泥石帯」(低変成度)、の4区分が使われる。参照した「20万分1日本シームレス地質図」では、この「変成分帯」法による区分が使われている。なお「変成分帯」法は、イギリスの地質学者、G. Barrowによって考案されたものである
  10. ↑ 「変成相」(Metamorphic facies)による変成度の区分とは、大まかにいうと、横軸に温度(T)、縦軸に圧力(P)とした2次元のグラフを作り、その中を、「緑色片岩相」、「青色片岩相」、「角閃岩相」、「エクロジャイト相」などと名付けたいくつかのゾーンに区分して、変成作用の温度(T)、圧力(P)を区分する方法である。なお「変成相」は、ウイキペディア日本語版に項目がないので、「出典」に挙げた専門書や、ウイキペディア英語版の(Metamorphic facies)などを参照のこと。この「変成相」(Metamorphic facies)の考え方は、フィンランドの地質学者、P. Eskora によって考案されたもので、「変成分帯」法とは直接的な対応関係はない
  11. 1 2 3 "G Pa " は、「ギガパスカル」という圧力の単位であり、10の9乗パスカルを意味する。地質学でよく使われる、”k bar”(キロバール)という圧力単位との関係は、1K bar=0.1G Pa である
  12. 1 2 3 「変成相図」から圧力範囲は読み取れるが、深さに換算するには、前提が必要となる。ここでは、地下100km付近までの平均密度を約3g/cm 3 とし、また動的な圧力がない「静岩圧条件」(lithostatic)という前提で、大まかに深さに換算した
  13. ↑ 「法皇山脈」に分布している、ここでいう「高度変成岩類」はさまざまな名称で呼ばれているが、「角閃岩」と呼ぶ場合は、主要鉱物として「角閃石」を含むことに着目した名称である。「片麻岩」と呼ぶ場合は、岩相として「片麻状組織構造」を持っていることに着目した名称である。「変成ハンレイ岩」と呼ぶ場合は、変成作用を受ける前の原岩に着目した名称である
  14. ↑ 「五良津」(いらず)とは、「東赤石山」の北側中腹部の地名である
  15. ↑ 詳しい説明は省くが、「五良津西部岩体」には本文に記載した以外に、「ディオプサイトホルンブレント岩」という「角閃岩」の一種や、「珪質片麻岩」なども分布している
  16. ↑ ここでいう「結晶質石灰岩」は、石灰岩を原岩とする変成岩であるが、文献や地質図によっては、「大理石」や、「石灰質片岩」とも呼ばれている。ここでは「結晶質石灰岩(大理石)」と表記する
  17. ↑ 「苦鉄質」(くてつしつ)とは、岩石の化学的組成を示す用語の一つで、シリカ(SiO2)分が比較的少なく、鉄(Fe)、マグネシウム(Mg)の割合が比較的多いものを言う
  18. ↑ 狭義の「エクロジャイト」(岩石)の定義としては、「オンファス輝石」と「ザクロ石」が合計、75質量%以上、とされている。比率がそれ未満の岩石は「エクロジャイト様岩石」や、「エクロジャイト状岩石」、「狭義のエクロジャイト」、などと呼ばれることが多い
  19. ↑ 「東赤石カンラン岩体」を構成している岩石に関し、本文では主要な岩石である「カンラン岩」についてのみ説明するが、細かくいうと「カンラン岩」以外に、「単斜輝石」(=「直方輝石」)主体の「輝石岩」(「輝岩」、「パイロキシナイト」ともいう)や、ザクロ石を多く含んだ「ザクロ石輝石岩」、また「カンラン岩」が部分的に蛇紋岩化した、「片状蛇紋岩」(「アンチゴライト片岩」ともいう)なども含んでいる
  20. 1 2 「カンラン岩」を構成する主要な鉱物は、「カンラン石」、「単斜輝石」、「直方輝石」(=「斜方輝石」)の3種類であるが、それらの含有比率により、「カンラン岩」は、「ダナイト」、「ハルツバージャイト」、「レールゾライト」、「ウエールライト」といったいくつかのサブタイプに分類される。「東赤石カンラン岩体」はそのうち「ダナイト」タイプが多く、「ウエールライト」タイプも含んでいる
  21. ↑ 「貫入」(かんにゅう、(英) intrusion)とは、地質学用語であり、岩体の一部が部分溶融して「マグマ」化し、そのマグマ全体、あるいはマグマのうち主に液相成分(メルト)が、他の岩体のなかへと侵入していく現象を指す。一方、部分溶融(マグマ化)せずに、固体状態のまま、他の岩体へとめり込んでいく、と想定する現象を「固体貫入」(こたいかんにゅう)という。ただし一般的に良く使われる学術用語ではなく、「地学事典」などにも記載がない用語である

出典

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  33. ↑ 榎並 正樹; 水上 知行 (2004年). “四国中央部・三波川帯、東赤石超苦鉄質岩体のP-T-D 履歴; ーウエッジ・マントル カンラン岩の沈み込み過程ー”. 地学雑誌 第113号 (第5号): pp.617-632.
  34. 1 2 3 4 太田 陽子、ほか 著「6-5章 「石鎚山地北麓の中央構造線」」、太田 陽子、成瀬 敏郎、田中 眞吾、岡田 篤正(共編) 編『日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国』東京大学出版会〈日本の地形シリーズ〉、2004年6月4日、264-269頁。ISBN 4-13-064716-4。
  35. 1 2 “起震断層・活動セグメント検索”. 活断層データベース. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2026年8月4日). 2026年9月20日閲覧。
  36. ↑ 貝塚 爽平、太田 陽子、小畦 尚、小池 一之、野上 道男、町田 洋、米倉 伸之(共編) 編「11-1章 横ずれ断層地形;石鎚山脈北麓の中央構造線活断層系」『写真と図でみる地形学』東京大学出版会、1985年11月30日、162-163頁。ISBN 4-13-062080-0。


関連項目

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外部リンク

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