蓼科山

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蓼科山
Tateshinayama-fuyu.JPG
冬の蓼科山
標高 2,531 m
所在地 日本の旗 日本
長野県茅野市北佐久郡立科町
位置 北緯36度06分13秒
東経138度17分42秒
座標: 北緯36度06分13秒 東経138度17分42秒
山系 八ヶ岳連峰
種類 成層火山
蓼科山の位置
Project.svg プロジェクト 山
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蓼科山(たてしなやま)は八ヶ岳連峰の北端に位置する標高2,531mの火山[1][2]。 円錐形の美しい山容から諏訪富士(すわふじ)とも呼ばれる。しかし、北麓側では「諏訪富士」とは言わず、多くの別名がある[3]。山体は八ヶ岳中信高原国定公園に含まれる。日本百名山のひとつ。

特徴[編集]

頂上部は大きな溶岩で覆われているため、樹林が育たず360度の展望がある。また、頂上には蓼科神社の奥社があり、登山口にあたる七合目にその鳥居が立つ。この山域では針葉樹林帯が帯状に枯れる縞枯れ現象が見られるが、この山でも南西斜面にのみこの現象が現われている。

伝承[編集]

  • ビジンサマ

蓼科山にはビジンサマという名のものが住んでいるという伝承がある。姿は球状で、黒い雲に包まれ、下には赤や青の紙細工のようなびらびらしたものが下がっており、空中を飛ぶ。これが山を通る日には人々は山仕事をやめるという[4][5]山神信仰において、山神の祭日に山仕事をやめる風習がしばしば見られることから、このビジンサマも山神の類と解釈されている[6]

  • 天竜川

蓼科山頂に天竜石がある。竜神がこの石を住みかにして、天に昇ったりするという。この石の水滴が諏訪湖に入って流れて行くので「天竜川」の語源になった[7]

  • 霊鳥獣

蓼科山に雷の鳥(らいのとり)がいる。チャボに似て時を告げ、松を喰い岩穴に巣を作る。この鳥の羽でカイコを掃立てると福を得、またこの鳥を見た者は運が開けると言う。 また雷獣もいる。夕立雲がを出る時、岩の上に立ち雲の何に飛び込むと言う。この獣が住む場所は大木が枯れるが、里の人がその毛を得れば雷除けになると言う[8]

  • 蓼科立

蓼科山に雷雲がかかると佐久平は夕立になる。これを蓼科立(たてしなだち)と言う[9]

  • 高皇産霊尊

蓼科山の山頂に鎮座する神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)である。位が高い神なので「高井山(たかいやま)」または「位山(くらいやま)」とも言う。 神聖な山なので昔は女性は峰に登ることが許されなかった[10]

  • 保食神

山頂の高皇産霊尊の相殿には保食神(うけもちのかみ)が坐す。この神は食物の神なので「飯盛山(いいもりやま)」とも呼ばれる。 また山頂の白雪がお供えの鏡餅にも見えるので「御供山(おそなえやま)」とも言う[11]

  • 蓼科神社里宮

北佐久郡立科町に周囲三十六尺の熊野杉があった。寛平年間(889年~898年)にこの杉の幹から霊光が放たれ「蓼科山は高くして 神変怪異があるから婦女登山を禁ず。今からここに社を建てて婦女は参詣するがよい。妊婦を擁護し、子孫繁栄の基を守ってやる。」との神託があり、人々は驚き里宮を建てた。

  • 水分大神・不動明王

蓼科山の余所見滝には役行者が奉斎した「水分大神」が鎮座し、川菜やヒサゴを献上し火除祈願や、雨乞いをした。今はその場所に不動明王が祀られている。

  • 双子池

蓼科山中に二つの山がはさむ格好になった池があり、双子池と呼ぶ。この池には、闇御津羽大神(くらみずはのおおかみ)が鎮座する。夏になると龍神がここから水をあげ、日本中を 潤すという。

  • 大河原峠

ヤマトタケルがこのに来た時に、白衣姿の「諏訪大神」が白馬に乗り出現し、タケルを諏訪に案内した。

  • 徐福

むかし、徐福(じょふく)という人が不老不死薬を求め、支那から蓼科山に移住し、双子を産んだ。この双子がいつも遊んだを双子池と呼ぶという。

  • 雨乞い

干ばつになった時、双子池の水を里に汲み下して雨乞いをする。ただしこの時に井出家から書付を貰って行けないと、山や沢が振動し、水が湧きかえり池に近づけないという。

  • 鬢水(びんみず)

蓼科山から南佐久方面へ行く山道にカエルに似た形の石があり、その背中部分にいつも水があり、涸れたことがない。むかしは、この水で女が整髪したので鬢水という。

  • 鳴石(なるいし)

蓼科山の佐久側の野原の中に鏡のような巨石があり、しめ縄がかけてある。これを鳴石といい、強風時には石が鳴る。石が鳴れば天候が悪化する。あるとき石工がこの石を割ろうとして 叩いたところ、山鳴りや地震がおきて火の雨が降り、石工はもだえ死んだという。

  • 天狗岩

蓼科山の芦田区に天狗岩がある。昔、天狗達はこの岩の上で暮らしていたが、ある時、蓼科大神は、天狗達を集め「世の善悪を分け正せ」と命令をされた。今でもこの岩から、ささやき 笑う声が聞こえるという。

  • 七竈

山頂の七座大神の新嘗祭には七竈(ナナカマド)の枝で箸を作り膳に添えて供える。この箸で食事をすれば毒を消し、百歳まで幸福で暮らせるといい、左ききの子供にこの箸を 与えれば、右手で箸を持つようになるという。

  • 不老草

「不老草」という草が蓼科山にあるという。この草は色々の毒を消し、なめれば長生きするという。

  • タンペイ

蓼科山にタンペイ(別名クシビノキ)という木があり、これを鞭にすれば、人馬に病や怪我なく、雷難がないという。

  • 桜谷

蓼科山の北麓に、桜谷にという桜だらけの場所がある。木花咲耶姫が擁護する谷なので、6月には一斉に桜が開花し、花の期間が非常に長いという。

  • 神籠の洞

蓼科山中に「神籠の洞」という洞窟がある。昔、甲賀三郎という人がここに入り、御代田の小沼の泉から出たら龍になった。龍はやがて諏訪湖へ行き、諏訪神になったという。

  • 大男

蓼科山の水井出には身長一丈の巨人が住んでいる。蓼科山の樹木を勝手に伐採すると大男が危害を加えるが、蓼科権現に御神酒を捧げて祈念すれば大丈夫だという。

  • 雪女

蓼科山の鋤柄という所に雪女がいる。非常に美人で夢のようであり、雲霧を隔てたようではっきり見えない。きこりが蓼科山の大木を伐採すると、一夜のうちに鋤柄の谷に 横たえて、橋になっていることがあるが、これは雪女の仕業なので、誰もその木を取ることをしない。

  • 尺取

蓼科山の麦草という場所に尺取(しゃくとり)という化け物がいる。その形は苔むした古木のようで、大きさは一抱えもある。あるとき男三人が尺取に登った。尺取は突然走り出し、 男たちは振り落とされたという。

  • 山姥

蓼科山の唐沢には山姥(やまんば)が住む。白髪を腰まで垂らし、大雨や大風の後に木の根や岩にまたがって衣を乾かし、人を見れば大笑いする。素早く走ったり、山を登るが人へ 害は加えない。

  • デーランボー

昔、デーランボーという巨人がいた。土をてんびん棒でかついでいたら、棒がくじけて蓼科山と浅間山ができた。その時の足跡が蓼科山中と佐久市望月小平に一つずつ残っている。

  • 与惣殿塚

蓼科山の与惣殿塚は与惣兼連の墓。周辺を与惣殿原と呼ぶ。なお与惣兼連は木曽義仲の家臣の今井四郎の長男。父と一緒に京都で戦死したという。

  • 修験草創

醍醐天皇の時の征夷大将軍は「蓼科山を東国修験道草創の峰」と宣言される予定だったが、動乱があり、実現しなかったという。

  • 火雨塚

蓼科山麓の式部に火雨塚(ひなめづか)がある。昔、蓼科山から火の雨が降り、多くの人が焼け死んだ。その遺体を埋葬したのがこの塚だという。

  • 巣場

蓼科山には「巣場」がつく地名が多い。昔、からを捕獲し諏訪大社へ贈ったという。森巣場、麦草巣場、右京巣場、日向巣場、六助巣場、抜井巣場、原小屋巣場、善右衛門巣場などがある。また蓼科山は、鷹が居る山なので「鷹居山」ともいう[12]

  • 風穴

浅間山麓の真楽寺からが出て、蓼科山の双子池から地下に潜って諏訪に行った。今も穴が残っていて「風穴」という。

  • 甲賀三郎の抜穴

蓼科山頂に横穴があり、身を切るような風が吹く。昔、甲賀三郎はこの穴から浅間山麓の真楽寺の泉に至ったといい、この穴を「甲賀三郎の抜穴」と呼ぶ。

  • 赤地蔵

昔、蓼科山の原に地蔵があった。その地蔵を佐久の仙翁寺へ遷祀して「雨神」とした。しかし豪雨となり、地蔵は下流の川中島まで流されてしまったので、新しく地蔵を作って「赤地蔵」とした。

  • 堂小屋

双子池の近くに堂小屋という岩屋の中に観音が祀ってあった。ある夜、観音は飛び上がり佐久の平林に鎮座し、光明を放ったので、ここを月夜平という[13]

周辺にある山小屋[編集]

  • 蓼科山頂ヒュッテ
蓼科山山頂の東南端にあり、標高2,520m、頂上三角点まで約3分。
  • 蓼科山荘
山頂の北東、標高2,350mの将軍平にあり、頂上まで約40分。
  • 大河原ヒュッテ
大河原峠の標高2,100mにあり、頂上まで約2時間から2時間30分。

隣接する山[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ “標高値を改定する山岳一覧 資料1”. 国土地理院. http://www.gsi.go.jp/common/000091072.pdf 2014年3月26日閲覧。 
  2. ^ GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は2,530m。
  3. ^ 『北佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』長野県佐久市教育委員会全434頁昭和53年11月15日発行
  4. ^ 金子総平「ビジンサマ」、『民間伝承』第6巻第8号、民間傳承の会、1941年、 7頁。
  5. ^ 水木しげる 『妖怪大図鑑』II、講談社〈講談社まんが百科〉、1996年、22頁。ISBN 978-4-06-259041-9
  6. ^ 村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社2000年、280頁。ISBN 978-4-620-31428-0
  7. ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434P中152P 154P 昭和53年11月15日発行
  8. ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434P中201P 202P 昭和53年11月15日発行
  9. ^ 『佐久市志民俗編上』全1706頁中1220 1221発行者長野県佐久市 平成2年2月20日発行
  10. ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434P中83P昭和53年11月15日発行
  11. ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434P中83P昭和53年11月15日発行
  12. ^ 『北佐久口碑伝説集佐久編限定復刻版』長野県佐久市教育委員会全434中27P昭和53年11月15日発行
  13. ^ 『南佐久口碑伝説集佐久編限定復刻版』長野県佐久市教育委員会330P昭和53年11月15日発行

関連項目[編集]

外部リンク[編集]