ジュビロ磐田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ジュビロ磐田
原語表記 ジュビロ磐田
呼称 ジュビロ磐田
クラブカラー      サックスブルー[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 静岡県磐田市[1]
ホームスタジアム
Yamahastafium05161.JPG
ヤマハスタジアム(磐田)[1]
収容人数 15,165[1]
運営法人 株式会社ジュビロ[1]
代表者 日本の旗 木村稔
監督 日本の旗 名波浩
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社ジュビロ[1]
JUBILO CO.,LTD
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 438-0025
静岡県磐田市新貝2500[1][2]
設立 1992年8月21日[2]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 木村稔
売上高 30億2,700万円 (2015年3月期)[3]
営業利益 2,300万円 (2015年3月期)[3]
経常利益 4,600万円 (2015年3月期)[3]
純利益 2,400万円 (2015年3月期)[3]
純資産 7億6,200万円 (2015年3月期)[3]
総資産 12億3,500万円 (2015年3月期)[3]
決算期 3月期
主要株主 ヤマハ発動機[2]
浜松ホトニクス[2]
静岡銀行[2]
ヤマハ[2]
静岡新聞[2]
静岡放送[2]
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:2014年7月1日,株式会社ヤマハフットボールクラブより商号変更[4]
テンプレートを表示

ジュビロ磐田(ジュビロいわた、Júbilo Iwata)は、静岡県磐田市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) に加盟するプロサッカークラブ。2005年4月よりジャパンラグビートップリーグ所属ヤマハ発動機ジュビロとチーム愛称を共有している。

概要[ソースを編集]

1972年創部のヤマハ発動機サッカー部が前身[1]。1993年にJリーグ準会員[1]1994年にJリーグ正会員となる[1]

運営会社は株式会社ジュビロ[1]ヤマハ発動機等が出資[2]

チーム名「ジュビロ」はポルトガル語(Júbilo)・イタリア語(Giubilo)で「歓喜」を意味する[1]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)[1]、練習場はヤマハ大久保グラウンド[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

女子サッカークラブ「ジュビロ磐田レディース」(静岡県西部リーグ)、フットサルクラブ「DELIZIA磐田(ジュビロ磐田フットサルクラブより改称)」を有する。

歴史[ソースを編集]

1990年代[ソースを編集]

1972年創部ヤマハ発動機サッカー部が前身 日本サッカーリーグ(JSL)1部優勝1回 天皇杯優勝1回等の実績 1992年Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員承認 1993年のJFL1部準優勝、1994年よりJリーグ正会員

1994年、元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。 ファネンブルグサルヴァトーレ・スキラッチブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガなど外国人選手を補強。 1994年に藤田俊哉田中誠奥大介、1995年に名波浩福西崇史、1996年に服部年宏が加入した。

1997年
  • 2ndステージで初優勝。
  • チャンピオンシップ、1stステージ優勝鹿島を破り、初の年間王者を獲得。
  • ドゥンガがMVPを獲得。
  • ドゥンガ、大神友明、名波、中山がベストイレブンに選出。
1998年
  • 1stステージで優勝。2ndステージは2位、Jリーグチャンピオンシップは、鹿島に敗戦。ナビスコ杯で優勝。
  • 中山が27試合出場36得点(現在リーグ戦最多得点記録)を記録。MVP、得点王などタイトルを獲得。
  • ワールドカップに中山、名波、服部、ブラジル代表キャプテンとしてドゥンガが出場。
  • 中山、名波、ドゥンガ、奥がベストイレブンに選出。
  • シーズン終了後、ドゥンガが退団。
1999年
  • 1stステージで優勝、チャンピオンシップ、2ndステージ優勝の清水を破り2度目の王者に。
  • 1stステージ終了後、名波浩がイタリアACヴェネツィアへ移籍。
  • 福西がベストイレブンに選出。
  • アジアクラブ選手権(現ACL)で初優勝。

2000年代[ソースを編集]

2000年 - 2005年[ソースを編集]

2000年
  • FUJI XEROX SUPER CUPで初優勝。
  • 9月、名波が復帰。
  • 年間順位4位。年間勝点数はに次ぐ2位。
  • 中山が2度目の得点王獲得(29試合20得点)、ベストイレブンに選出。
2001年
2001年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
  • 1stステージ優勝、2ndステージ2位、チャンピオンシップは鹿島に敗戦。
  • ナビスコ杯準優勝、天皇杯ベスト8。
  • 藤田がMVPを獲得。
  • ヴァンズワム、大岩、藤田、福西、服部がベストイレブンに選出。
  • 1999年のアジアスーパーカップ優勝、7-8月にスペインで開催されるFIFAクラブ世界選手権2001への出場が決まっていた。

[5]「世界と戦う」ために名波を中心としたN-BOXを採用。同年の同選手権は運営面の問題で開催不能となる。

2002年
  • リーグ戦は、前後期共優勝。
  • 年間成績26勝3敗1分(リーグ戦1分1敗、天皇杯1敗)。
  • 高原、得点王(27試合26得点)、MVPを獲得。シーズン終了後、高原はドイツハンブルガーSV移籍。
  • ワールドカップに服部、福西、中山が出場。
  • ベストイレブン、同一クラブから史上最多タイ7人(田中、鈴木、名波、福西、藤田、中山、高原)選出。
  • アジアクラブ選手権は3年連続決勝に進出。
2003年
2003年開幕戦。発煙筒の演出があった。
  • 成岡翔大井健太郎菊地直哉らが加入。
  • 8月、藤田がオランダFCユトレヒトへレンタル移籍(翌年に復帰)。
  • 1stステージは2位。
  • 2ndステージでは、最終節の横浜FM戦を敗戦し優勝を逃す(ステージ順位は2位)。
  • ゼロックス杯、天皇杯で優勝。
  • 福西ベストイレブンに選出。
2004年
  • 1stステージ2位。2ndステージ13位。
  • ゼロックス杯で優勝。
2005年

2006年 - 2009年[ソースを編集]

2006年
  • ナビスコ杯は準々決勝敗退、直後に山本昌邦監督が辞任する。
  • 後任に磐田OBアジウソン監督に就任。
  • リーグ戦は5位。
  • 川口が4年ぶりベストイレブンを受賞。
  • ワールドカップに川口、福西が出場。
2007年
クラブスローガン :「VAMOS CONTIGO
2008年
クラブスローガン :「Hungrrrrry!
  • 入れ替え戦終了後、オフト監督が退任。名波浩が現役引退。
  • 馬淵が成績不振と大幅減収の責任で社長を退任、後任にヤマハモーター台湾社長の吉野博行が就任。
2009年
クラブスローガン :「SPEEDY ACTION 2009
  • 磐田元監督の柳下正明が監督に復帰した。
  • 河村崇大が東京V、森下俊が京都、田中誠が福岡へ完全移籍。松井謙弥が京都へ期限付き移籍。一方で那須大亮を東京Vから獲得、ユースから2人昇格。
  • 3月7日の開幕戦で山形に2-6、史上ワースト失点で敗戦したが、その後立て直す。
  • 4月、強化部長代理に服部健二が就任。
  • 現役韓国代表のイ・グノを獲得。イは2010年まで在籍。
  • 7月、押谷祐樹がFC岐阜へ期限付き移籍。
  • シーズン成績は11位。
  • 前田遼一が高原以来7年ぶり日本人得点王を受賞(34試合20得点)、自身初ベストイレブンを受賞。

2010年代[ソースを編集]

2010年 - 2015年[ソースを編集]

2010年
クラブスローガン :「EVOLUTION 2010
2010年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
  • 中山雅史が札幌、茶野隆行、村井慎二が千葉、萬代宏樹が鳥栖、京都へ期限付き移籍していた松井謙弥がC大阪へ完全移籍。鈴木秀人が現役を引退。
  • パク・チュホを鹿島から、イ・ガンジン釜山から、荒田智之水戸から完全移籍で獲得。
  • 2010 FIFAワールドカップ日本代表に川口、駒野が選出、駒野は全4試合フル出場。川口はその後代表から遠ざかり、後半戦はシーズン初出場。
  • シーズン途中、イ・グノがG大阪、カレン・ロバートが熊本へ完全移籍。
  • 菅沼実古賀正紘から期限付き移籍で獲得。
  • ナビスコカップ、決勝で広島を破り、7年振りにタイトルを獲得した(ナビスコカップは12年ぶり)。MVPに2ゴール1アシストを記録した前田が選出された。
  • リーグ戦17節終了時点で15位の成績。後半戦に入り22節~29節まで無敗、32節、3連覇中の鹿島をアウェーで8年ぶりに破る等7勝4敗6分の成績を残し、最終順位は11位。
  • シーズン17得点の前田が2000年の中山以来通算2度目、2年連続Jリーグ得点王、ベストイレブンに選出される。
2011年
クラブスローガン :「ROAD TO CHAMPION 2011
2012年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012
2013年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013
  • 黄誠秀が群馬、千代反田充が徳島、荒田智之が岡山、ハン・サンウンが韓国の蔚山現代FCロドリゴ・ソウトがブラジル1部のナウチコへ完全移籍。竹重安希彦が新潟、押谷祐樹が岡山へそれぞれ期限付き移籍、岡田隆の移籍期限が延長された。
  • 前年度、期限付き移籍で加入していた植村慶、菅沼駿哉、宮崎智彦、小林祐希を完全移籍で獲得した。神戸から日本代表伊野波雅彦とシーズン途中にフィテッセから日本代表安田理大を完全移籍で獲得、京都からチョン・ウヨンが期限付き移籍で加入。
  • 磐田ユース所属2種登録だった牲川歩見、関西大学から田中裕人が加入。
  • リーグ戦は、開幕7戦を2分5敗、7節時点で最下位。8節の湘南戦でリーグ戦初勝利するが、9節甲府に敗戦、5月4日に森下監督が解任された。
  • ヘッドコーチ長澤徹が監督代行を務め、5月19日よりU-23サッカー日本代表元監督関塚隆が監督に就任(長澤はヘッドコーチに復帰)。
  • しかし第31節で鳥栖に敗れ、翌2014年シーズンはJ1からJ2へ降格。クラブ史上初。
  • 天皇杯3回戦敗退。
  • シーズン終了後、関塚監督、GM服部健二、長澤ヘッドコーチが退任。
2014年
クラブスローガン :「勝!!!
2015年
クラブスローガン :「繋ぐ――Road to J1

2016年 -[ソースを編集]

2016年
クラブスローガン :「繋ぐ 夢の実現へ

成績[ソースを編集]

開幕戦成績[ソースを編集]

年度 月日 会場 ホーム 得点 アウェイ 観客数
1994年 3月12日 J カシマ 鹿島 1-0 磐田 13,990
1995年 3月18日 市原臨海 市原 1-0 磐田 13,637
1996年 3月16日 ヤマハ 磐田 3-0 福岡 13,439
1997年 3月12日 ヤマハ 磐田 2-1 広島 9,545
1998年 3月21日 ヤマハ 磐田 2-0 京都 15,574
1999年 3月6日 J1 ヤマハ 磐田 3-1 神戸 13,349
2000年 3月11日 ヤマハ 磐田 0-1 14,056
2001年 3月10日 ヤマハ 磐田 4-1 市原 15,246
2002年 3月2日 エコパ 磐田 2-0 名古屋 29,763
2003年 3月21日 エコパ 磐田 2-4 横浜FM 32,930
2004年 3月13日 ヤマハ 磐田 2-0 東京V 15,088
2005年 3月5日 日産ス 横浜FM 0-1 磐田 41,868
2006年 3月5日 エコパ 磐田 1-1 福岡 28,564
2007年 3月4日 4-0 磐田 10,960
2008年 3月9日 2-0 磐田 11,210
2009年 3月7日 ヤマハ 磐田 2-6 山形 12,141
2010年 3月6日 ヤマハ 磐田 0-1 仙台 10,440
2011年 3月5日 中銀スタ 甲府 0-1 磐田 15,040
2012年 3月10日 札幌ド 札幌 0-0 磐田 25,353
2013年 3月2日 豊田 名古屋 1-1 磐田 21,748
2014年 3月2日 J2 ヤマハ 磐田 0-1 札幌 11,730
2015年 3月8日 ヤマハ 磐田 3-1 北九州 10,438
2016年 2月27日 J1 ヤマハ 磐田 0-1 名古屋 14,333

タイトル[ソースを編集]

国内タイトル[ソースを編集]

国際タイトル[ソースを編集]

表彰[ソースを編集]

個人記録[ソースを編集]

J1リーグ戦通算出場記録[ソースを編集]

  • 300試合出場
    • 鈴木秀人 328試合 引退
    • 名波浩 314試合 引退
  • 250試合出場
    • 太田吉彰 268試合 継続中
    • 高木和道 252試合 継続中
  • 200試合出場
    • 森下仁志 202試合 引退
  • 150試合出場
    • 山本康裕 195試合 継続中
    • 大井健太郎 191試合 継続中
    • 藤田義明 184試合 継続中
    • 上田康太 172試合 継続中
    • 佐藤洋平 164試合 引退
  • 100試合出場
    • 松浦拓弥 115試合 継続中

J2リーグ戦通算出場記録[ソースを編集]

  • 100試合出場
    • 森島康仁 165試合 継続中
    • 齊藤和樹 156試合 継続中
    • 小林祐希 138試合 継続中

※2015シーズン終了まで。他チームでの出場も含む ※現在磐田に所属中、引退時に磐田に所属していた選手を中心に記載

リーグ戦記録ゴール[ソースを編集]

J1リーグ[ソースを編集]

  • 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】

J2リーグ[ソースを編集]

  • 14000得点目 川辺駿 【2015年第27節(8月1日)・岡山戦】

リーグ戦通算GK最小防御率[ソースを編集]

  • ヴァン・ズワム 0.89点

ハットトリック[ソースを編集]

J1リーグ[ソースを編集]

  • 5得点
    • 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
  • 4得点
    • 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
    • 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
    • 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
  • 3得点
    • スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
    • スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
    • 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
    • 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
    • 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
    • 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
    • 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
    • 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
    • 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
    • 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
    • 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
    • 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】

J2リーグ[ソースを編集]

  • 3得点
    • ジェイ【2015年第28節(8月8日)・京都戦】

エピソード[ソースを編集]

清水FC(エスパルス)との統合計画[ソースを編集]

  • Jリーグ加盟に際し、ヤマハサッカー部も初年度からの加盟を目指した。この時の加盟申請において、当時のヤマハ発動機東山総合グラウンドでは基準に満たないため、静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市)をホームとして手続きしていた。清水市(現・静岡市清水区)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた
  • 全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案、ヤマハは単独クラブでのJリーグ参加を目指すとして拒否
  • ヤマハもプロチーム設立へ向けた法人化の手続き、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとり、初年度参加メンバーから落選。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立、1993年ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立柏レイソルフジタ湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた

スタジアム・練習場[ソースを編集]

ホームスタジアム[ソースを編集]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)である。また、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパ)でも不定期にホームゲームを開催している。

ホームゲーム開催数はジュビロ磐田の年度別成績一覧#会場別主催ゲーム開催数を参照。

過去に浜北市(現:浜松市浜北区)で計画された複合スタジアムについては浜北市#複合スタジアム構想を参照。

練習場[ソースを編集]

  • ヤマハ大久保グラウンド:トップチームの練習場。ピッチサイドにはクラブハウスが併設されている[6]。元々ヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用されていた野球場であったが、ジュビロ磐田がJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、ジュビロ磐田の専用グラウンドとして使用されるようになった。野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残っている。また、マスコットとロゴマークが描かれたバックスクリーンも残されていたが、撤去された。グラウンド北側にはラグビー場が設けられており、ジャパンラグビートップリーグヤマハ発動機ジュビロが練習場として使用している。
  • ジュビロ上大之郷グラウンド:ジュビロ磐田U-18、ジュビロ磐田U-15などの試合・練習場[7]。人工芝グラウンド1面。人工芝フットサルグラウンド2面。
  • ヤマハ加茂グラウンド:ジュビロサッカースクール磐田会場専用の練習場。人工芝グラウンド1面。

ユニフォーム[ソースを編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色[1] [1] 水色[1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー[ソースを編集]

  •     サックスブルー[1]
    • Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。
    • 2003年、クラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦で着用
    • 2005年、レアル・マドリード及びバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で全身紺色を着用
    • 2006年からは練習試合用としてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
    • 背番号下のネームはオ段の伸びる音「H」が表記されている。
    • エンブレム上(2011年までは襟後ろ)の3つの星(★)は3度のJ1年間優勝を表す。

ユニフォームスポンサー[ソースを編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤマハ発動機 YAMAHA 1993年
2009年 -
1997年 - 2008年は袖、
2007年 - 2008年はパンツ
背中上部 サーラグループ SALA 2011年 - 2009年 - 2010年は袖およびパンツ
背中下部 ゼンウェルオーダード zen 2016年2nd -
浜松ホトニクス HAMAMATSU 2012年 -
パンツ チェンジ チェンジ 2013年
2015年 -
  • 練習着 - ヤマハ発動機(YAMAHA)

ユニフォームサプライの遍歴[ソースを編集]

  • 1994年 - 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
  • 1997年 - 現在:プーマ

歴代ユニフォームスポンサー年表[ソースを編集]

年度 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1993 YAMAHA 解禁前 PUMA
1994 Nestle Buitoni KitKat Mizuno /
PUMA
1995
1996 KitKat
1997 Buitoni YAMAHA PUMA
1998 KINCHO
1999
2000
2001
2002 – /
VW
2003 VW
2004
2005
2006 飯田産業 Nestle KitKat
2007 Nestle MILO YAMAHA
2008 joinvest ジョインベスト証券
2009 YAMAHA ARTNER SALA SALA
2010 銀座deフットサル
2011 SALA 百年住宅 アートネイチャー
2012 HAMAMATSU - /
KONDO LEASE
2013 チェンジ
2014 静岡新聞
2015 チェンジ
2016 - /
zen

スポンサー[ソースを編集]

下部組織[ソースを編集]

構成[ソースを編集]

  • U-18(高校生):ジュビロ磐田U-18
  • U-15(中学生):ジュビロ磐田U-15、ジュビロSS磐田、ジュビロSS浜松、ジュビロSS掛川
  • キッズ・ジュニア(年少~小学6年):ジュビロサッカースクール(磐田・浜松/鶴見・浜松/早出・浜松/志都呂・浜松/浜北・浜松/浜北西・浜松/有玉・掛川・島田・レディース)

タイトル[ソースを編集]

その他クラブ情報[ソースを編集]

ロゴマーク[ソースを編集]

静岡県鳥のサンコウチョウと「三つの光」=「月・日・星」、サッカーボールを表す

クラブエンブレム[ソースを編集]

ロゴマーク、チーム名、ホームタウン磐田市を流れる天竜川と静岡県内の大河、大井川安倍川富士川を象徴する上下の青い帯が描かれている

マスコットキャラクター[ソースを編集]

モチーフは静岡県の県鳥、サンコウチョウ[1]

ジュビロくん
1993年11月16日生まれ。磐田市出身。身長182センチ、体重78キロ
ジュビィちゃん
2003年3月21日生まれ。浜松市出身。身長163センチ、体重52キロ。ジュビロくんのガールフレンド。未婚

シーズンシート[ソースを編集]

シーズンシート名は「コルテアズー(Corte Azul)」。ポルトガル語で「水色の宮廷」の意味[8]

特別招待事業「磐田市小学生一斉観戦授業」[ソースを編集]

磐田市の地域社会への貢献の一環として、ジュビロでは選手の磐田市内全小学校への訪問事業を展開、毎年5月を基本として「磐田市民デー」を開催。バックスタンドのフリーゾーンアウェー(一部除く)を貸切にし、地元の小学生5-6年生とその保護者を招き「磐田市小学生一斉観戦授業」を行っている。

ジュビロの試合観戦し、チームへの愛着、磐田市をふるさととして誇りに思い、将来にわたって磐田市への愛着を持続させることを目的として2011年より始めている。該当試合はフリーゾーンアウェイ席の販売を行わない、フリーゾーンホーム席の一部も招待客専用となる。[9][10]

オフィシャルテーマソング[ソースを編集]

1994年に発売されたDR(デ・レーテ)が歌っている「ジュビロ・オレ!」がジュビロ磐田のオフィシャルテーマソングとなっている。

2013年8月3日に榛葉樹人が歌うクラブアンセム「フォッツァ ジュビロ! 〜歓喜への讃歌〜」が発表された[11]

シーズンソング[ソースを編集]

オフィシャルテーマソングの他にシーズンソングがあり、スタジアムやジュビロTV内などで流れる。

年度
タイトル
アーティスト
2011 ハレルヤ!!!!!!![12] ソナーポケット
2012 必死マン[13] シクラメン
2013 キミサンバ[14] GOLD RUSH
2014 ウィーアーワン[15] シクラメン
2015 君の風になって USAGI

ジュビロTV[ソースを編集]

2011年より、クラブの企画・制作・撮影によるオリジナル番組『ジュビロTV』を開始。スタジアムのビジョンで上映される『ジュビロTV〜stadium channel〜』、SBSテレビ(静岡放送)で放送される『ジュビロTV〜SBS channel〜』、スカパー!で放送される『ジュビロTV PLUS』の3種類がある。2012春からスマートフォンで視聴できる「ジュビロTVモバイル(会員登録必要)」がスタート

脚注[ソースを編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v クラブガイド:ジュビロ磐田”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年12月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 会社概要”. ジュビロ磐田. 2013年10月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 2014年度(平成26年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年7月29日閲覧。
  4. ^ a b 法人名変更のお知らせ ジュビロ磐田公式サイト 2014.6.25付ニュース
  5. ^ 同大会のグループリーグで、レアル・マドリード(スペイン)と初戦で対戦、ロサンゼルス・ギャラクシーアクラ・ハーツ・オブ・オークとの対戦が予定されていた。
  6. ^ ジュビロ磐田クラブハウスの建設についてヤマハ発動機公式サイト 2001年11月21日付
  7. ^ 「ジュビロ上大之郷グラウンド」使用開始についてジュビロ磐田公式サイト 2008.8.11付ニュース
  8. ^ コルテアズー”. ジュビロ磐田. 2013年10月23日閲覧。
  9. ^ 5/12(土)鹿島戦のホームゲームイベント ~磐田デー~ ジュビロ磐田公式サイト 2012.5.10付ニュース
  10. ^ 5/12(土)鹿島戦のフリーゾーン着席エリア ジュビロ磐田公式サイト 2012.4.6付ニュース
  11. ^ クラブアンセム発表「フォッツァ ジュビロ! ~歓喜への讃歌~」 ジュビロ磐田公式サイト 2013.8.3付ニュース
  12. ^ 2011 シーズンソング発表!!! ジュビロ磐田公式サイト 2011.3.3付ニュース
  13. ^ 2012 シーズンソング決定 ジュビロ磐田公式サイト 2011.12.15付ニュース
  14. ^ 2013シーズンソング決定 ジュビロ磐田公式サイト 2012.12.19付ニュース
  15. ^ 2014年シーズンソングアーティスト「シクラメン」に決定 ジュビロ磐田公式サイト 2014.1.14付ニュース

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]