金園英学

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金園 英学
名前
愛称 ZONO[1]
カタカナ カナゾノ ヒデタカ
ラテン文字 KANAZONO Hidetaka
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-09-01) 1988年9月1日(35歳)
出身地 大阪府
身長 184cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足[1]
ユース
0000-
2001-2003
2004-2006
2007-2010
森ノ宮SC
明倫クラブ
立正大淞南高校
関西大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2014 ジュビロ磐田 73 (20)
2015-2016 ベガルタ仙台 36 (7)
2017-2018 北海道コンサドーレ札幌 15 (0)
2018 ヴァンフォーレ甲府 (loan) 20 (6)
2019-2020 ヴァンフォーレ甲府 34 (7)
2021 AC長野パルセイロ 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

金園 英学 (かなぞの ひでたか、1988年9月1日 - ) は、大阪府出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表

来歴[編集]

ユース時代[編集]

4人兄弟の第4子として生まれ[2] 6歳でサッカーを始める。小学生時代は大阪市内の少年サッカークラブに所属した。中学生時代は兵庫県尼崎市内のクラブでプレーし、卒業後、島根県立正大学淞南高等学校へ進学した。金園は舞台俳優を目指してオーディションを受験したが合格できず、大阪府内の高校と立正大淞南とで迷った末後者への入学を選んだと語っている[2]。高校2年次には全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、通算2得点を挙げた。

関西大学[編集]

2007年に関西大学に入学、金園の立正大淞南高校時代の先輩[3] が関西大に進学していたのが進路決定の理由であった[2]

金園は1年次から試合出場の機会を得、関西学生サッカーリーグにでは2008年度には通算16得点、2009年度には15得点を挙げ、2年連続1部リーグ得点王となった[4][5]。3年次には全日本学生選抜チームに選ばれ、2010年3月に開催された定期日韓戦に出場した。また2009年度には第89回天皇杯に出場。同年10月開催の2回戦 ヴァンフォーレ甲府戦にて2得点を挙げたが終盤で追いつかれ、PK戦の末敗退した。この時の2得点について金園は後に「大学でのベストゴール」だと語っている[6]

2010年度は負傷のために試合より約半年遠ざかり[7]、同年12月開催の第59回全日本大学サッカー選手権大会で復帰、決勝戦では前半18分にヘディングから先制点を挙げ[7]、関西大学の43年ぶりの同大会優勝に貢献した。

ジュビロ磐田[編集]

ジュビロ磐田横浜F・マリノスの2クラブから獲得のオファーを受け[8]、2010年6月に金園の磐田への入団内定が発表された[8][9]。2011年3月6日開催の開幕節甲府戦にてリーグ戦初出場、シーズン3試合目の第8節[10]広島戦で後半28分にヘディングでJリーグ初得点を挙げた[11]。序盤はベンチスタートが多かったが、段々先発出場の機会を得るようになった。同年7月23日の第6節G大阪戦で7点目を挙げ、藤田俊哉が1995年に達成した、磐田における新加入選手の得点記録に並んだ[12]。第20節名古屋戦で、8点目を決め、磐田における新人最多得点記録を更新した[13]。最終的に28試合に出場し、12得点を挙げた。これは、渡邉千真横浜F・マリノス)が2009年度シーズンに挙げた13得点に次ぐ新加入選手による得点数記録であり[14]城彰二、渡邉以来史上3人目となった[15]

2012年2月にサッカー日本代表に初招集された[16] ものの、金園はその際の代表合宿中に右第5中足骨を骨折し、全治3か月の診断結果が出された[17]。これにより、日本代表を辞退した。さらに同年6月、復帰間近と言われていた矢先に同じ箇所を再骨折し手術[18] 、再び全治3ヶ月の診断を受けた[19]。その後、第30節仙台戦にて公式戦に復帰した[20]。2013年は主力として活躍するものの、磐田は低迷しJ2に降格。更に足の故障で離脱することが増えていった。

ベガルタ仙台[編集]

2015年1月7日、ベガルタ仙台への移籍が発表された[21]。1年目は29試合に出場するも、2年目は怪我の影響もあり7試合の出場にとどまった。

北海道コンサドーレ札幌[編集]

2016年12月22日、北海道コンサドーレ札幌への完全移籍が発表された[22]。2017年3月4日、第2節の横浜F・マリノス戦でJ1通算100試合を達成した。

ヴァンフォーレ甲府[編集]

2018年1月6日、ヴァンフォーレ甲府への期限付き移籍が発表された[23]2019年1月11日、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍[24]。この年は前年に負った怪我の影響でシーズンの半分をリハビリに務めるが、7月12日の第24節ファジアーノ岡山戦で戦列復帰。第32節の柏レイソル戦での同点ゴールを皮切りにスーパーサブとして結果を残し、チームのJ1参入プレーオフ進出に大きく貢献した。 2020年も度重なる怪我で戦線離脱を繰り返し、試合出場は13試合(先発出場2試合)にとどまり、12月23日、契約満了による退団が発表された[25]

AC長野パルセイロ[編集]

2021年、AC長野パルセイロへ加入した[26]。シーズン終了をもって現役を引退[27]

引退後[編集]

2022年2月9日に、ジュビロ磐田のトップチームマネジメント部スカウト担当に就任することが発表された[28]

エピソード[編集]

  • 磐田、甲府、長野で背負った背番号17番にこだわりを持っているが、これは金園の出身チームである立正大淞南高校サッカー部のエース番号が17番であったため。関西大学においても金園が同大学に入るきっかけとなった選手[3] から受け継ぐ形で、3年次より17番を用いていた[2]
  • また金園は舞台俳優を目指していた過去があるが、2011年のシーズン中のオフ日にチームメイトと東京に買い物に行った際に、金園がサッカー選手とは知らなかった芸能事務所のスカウトマンから声をかけられた[29]
  • 公式サイトのプロフィールにて、ジュビロ磐田やコンサドーレ札幌でプレーした中山雅史を好きな選手であると回答している[30]
  • ゴールパフォーマンスでよくする胸の前で両手を上げるポーズは、金園が尊敬するアーティストTERRY THE AKI-06の「Tサイン」である[31]

所属クラブ[編集]

成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 関大 17 - - - 2 4 2 4
2011 磐田 J1 28 12 3 0 2 0 33 12
2012 5 1 0 0 1 0 6 1
2013 30 6 6 3 0 0 36 9
2014 J2 10 1 - 1 2 11 3
2015 仙台 11 J1 29 7 3 1 3 0 35 8
2016 7 0 1 0 0 0 8 0
2017 札幌 22 15 0 4 0 1 0 20 0
2018 甲府 17 J2 20 6 5 3 0 0 25 9
2019 13 6 - 2 0 15 6
2020 21 1 - - 21 1
2021 長野 J3 7 0 - 1 0 8 0
通算 日本 J1 114 26 17 4 7 0 138 30
日本 J2 64 14 5 3 3 2 72 19
日本 J3 7 0 - 1 0 8 0
日本 - - 2 4 2 4
総通算 185 40 22 7 13 6 220 53

獲得タイトル[編集]

代表・選抜歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 週刊サッカーダイジェスト 選手名鑑 2011 J1&J2』日本スポーツ企画出版社東京都、2011年、p.92頁。JAN 4910239980317 
  2. ^ a b c d 「ジュビロ磐田2011 ルーキー対談」『2011 JÚBILO YEAR BOOK』ヤマハフットボールクラブ、静岡県、2011年、21-23頁。ISBN 978-4-7838-9800-9 
  3. ^ a b JFLMIOびわこ草津所属選手の阪本晃司
  4. ^ 『第87回関西学生サッカーリーグ前期 第38回関西学生サッカー選手権大会 公式プログラム』関西学生サッカー連盟大阪府、2009年、68頁。 
  5. ^ 『第88回関西学生サッカーリーグ前期 第39回関西学生サッカー選手権大会 公式プログラム』関西学生サッカー連盟大阪府、2010年、68頁。 
  6. ^ 堀健二 関西大・金園英学 ゴンの背中追う点取り屋 イザ! 2010.7.26付記事 (アーカイヴ)
  7. ^ a b 内田弘嗣 (1 2011). “FOCUS リハビリの先の、報いと歓喜”. エル・ゴラッソ (東京都: スクワッド) No.960: 12. 
  8. ^ a b 関大スポーツ 金園英学、ジュビロ磐田入団内定! 日刊スポーツ 2010.6.11付記事 (アーカイヴ)
  9. ^ 金園英学選手の新加入内定について ジュビロ磐田公式サイト 2011.6.11付ニュースリリース
  10. ^ 東日本大震災の影響で第2-6節が延期され、第7節からシーズンが再開されたため。2011 Jリーグ 再開後の日程ついて Jリーグ公式サイト 2011.3.24付ニュースリリース
  11. ^ 磐田FW金園プロ1号で引き分け/J1 日刊スポーツ 2011.4.30付記事 (アーカイヴ)
  12. ^ 「雑草日本代表」金園 クラブ新人タイ7発目 スポーツニッポン 2011年7月24日付記事
  13. ^ 金園8ゴール 藤田超え新人最多/J1 日刊スポーツ 2011年8月8日付記事
  14. ^ 金園2発!新人最多得点へあと1狙いたい スポーツニッポン 2011年11月20日付記事
  15. ^ J史上3人目!!磐田の新人・金園が2ケタ得点 スポーツニッポン 2011年10月16日付記事
  16. ^ 駒野選手、金園選手、前田選手が日本代表メンバーに選出 ジュビロ磐田公式サイト 2012.2.17付ニュースリリース
  17. ^ 金園英学選手の負傷について ジュビロ磐田公式サイト 2012.2.21付ニュースリリース
  18. ^ 金園、右足再び骨折 静岡新聞 2012.6.7付記事
  19. ^ 金園英学選手の負傷について ジュビロ磐田公式サイト 2012.6.12付ニュースリリース
  20. ^ 2012 J1リーグ公式戦 30節 vs.ベガルタ仙台 ジュビロ磐田公式サイト 2012.10.27付
  21. ^ 金園英学選手がベガルタ仙台へ完全移籍 ジュビロ磐田公式サイト 2015.1.7付ニュースリリース
  22. ^ キム ミンテ、金園英学 両選手 北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍のお知らせ ベガルタ仙台公式サイト2016年12月22日付
  23. ^ 金園 英学選手 ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍のお知らせ”. 北海道コンサドーレ札幌オフィシャルサイト. 2018年1月20日閲覧。
  24. ^ 金園 英学選手 北海道コンサドーレ札幌より完全移籍のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府オフィシャルサイト. 2019年1月11日閲覧。
  25. ^ 契約満了選手のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府オフィシャルサイト. 2021年1月1日閲覧。
  26. ^ ヴァンフォーレ甲府より金園英学選手 完全移籍加入のお知らせ”. AC長野パルセイロオフィシャルサイト. 2021年1月11日閲覧。
  27. ^ 金園英学選手 現役引退のお知らせ”. AC長野パルセイロオフィシャルサイト. 2021年12月28日閲覧。
  28. ^ 金園 英学氏 トップチームマネジメント部スカウト担当就任のお知らせ”. ジュビロ磐田. 2022年2月9日閲覧。
  29. ^ Jリーガーとは知らなかった…磐田新人、芸能界にスカウトされた スポーツニッポン2011年6月13日付記事
  30. ^ 選手&スタッフ 金園英学 ジュビロ磐田公式サイト 2011.12.12 00:11 (UTC) 閲覧
  31. ^ PLAYER’S リレーインタビュー 第78回 関西大学・金園英学選手

関連項目[編集]

外部リンク[編集]