京都サンガF.C.
京都サンガF.C. | |||
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原語表記 | 京都サンガF.C. | ||
呼称 | 京都サンガF.C. | ||
愛称 | サンガ | ||
クラブカラー | 紫[1] | ||
創設年 | 1922年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J1リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市[1] | ||
ホームスタジアム |
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収容人数 | 21,623[1] | ||
運営法人 | 株式会社京都パープルサンガ[1] | ||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
600-8009 京都市下京区四条通室町東入凾谷鉾町87 ケイアイ興産京都ビル[1] |
設立 | 1994年1月13日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 5130001019476 |
事業内容 | プロサッカークラブの運営他 |
代表者 | 伊藤雅章[1] |
資本金 | 36億0,500万円[2][3] |
売上高 |
32億8898万5000円 (2022年12月31日時点)[3] |
営業利益 |
1億9294万6000円 (2022年12月31日時点)[3] |
経常利益 |
2億0922万1000円 (2022年12月31日時点)[3] |
純利益 |
1億3788万9000円 (2022年12月31日時点)[3] |
純資産 |
6億0583万9000円 (2022年12月31日時点)[3] |
総資産 |
13億0509万1000円 (2022年12月31日時点)[3] |
決算期 | 12月期 |
主要株主 |
京セラ[2] 任天堂[2] 他 |
関係する人物 | 稲盛和夫 |
外部リンク | https://www.sanga-fc.jp/ |
特記事項:1994年6月に株式会社京セラパープルサンガから商号変更。 |
京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、英: Kyoto Sanga F.C.)は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要[編集]
1922年に創設された京都紫光クラブが前身となり[1]、1993年に一般公募で愛称を募り、教育研究社FC京都パープルサンガ に改称。1994年に、京都パープルサンガと改称した。1996年にJリーグへ加盟[1]。
2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した[1]。運営会社は株式会社京都パープルサンガである[1]。
旧クラブの由来は、京都紫光サッカークラブの英語の『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と[1]、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。
ホームタウンは2010年8月まで京都府京都市1市。2010年8月より宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市の5市[1]、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市、2017年9月より南丹市と京丹波町[4]、2019年9月より福知山市、舞鶴市、綾部市[5]、2020年3月より八幡市[6]、2022年4月より宮津市[7]、2023年2月より大山崎町、久御山町[8]、2023年5月より京丹後市[9] がホームタウンに追加された。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている[10]。
ホームスタジアムは亀岡市のサンガスタジアム by KYOCERA。練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド[1](通称:サンガタウン城陽)である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている[1][2]。
歴史[編集]
前史[編集]
1922年創設の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり[1]、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足[1]。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更)[1]。
1994年8月[注釈 1]、Jリーグ準会員に承認[2]。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した[1]。
1996年 - 1999年(Jリーグ)[編集]
- 1996年
節 | 会場 | スコア | 相手 | 節 | 会場 | スコア | 相手 | |
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1 | 等々力 | 0-1● | V川崎 | 10 | 西京極 | 0-3● | 福岡 | |
2 | 西京極 | 0-2● | 市原 | 11 | 日立柏 | 0-2● | 柏 | |
3 | カシマ | 1-5● | 鹿島 | 12 | 三ツ沢球 | 0-1● | 横浜M | |
4 | 西京極 | 0-2● | C大阪 | 13 | 西京極 | 1-2v● | 磐田 | |
5 | 三ツ沢球 | 0-3● | 横浜F | 14 | 国立 | 0-1v● | 浦和 | |
6 | 西京極 | 1-5● | 清水 | 15 | 鳥取 | 2-3● | 名古屋 | |
7 | 広島ビ | 0-3● | 広島 | 16 | 西京極 | 0-3● | 横浜M | |
8 | 万博 | 2-4● | G大阪 | 17 | 磐田 | 1-2● | 磐田 | |
9 | 西京極 | 0-2● | 平塚 | 18 | 西京極 | 1-0○ | 浦和 |
大野俊三や松橋力蔵といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、ジョゼ・オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次、ガンバ大阪から山口敏弘を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。
ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネとクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。
元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。元日本代表の森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜フリューゲルスが横浜Mと合併したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。
清水体制2年目。1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。
2000年(J1)[編集]
加茂体制2年目。黒部光昭、松井大輔、朴智星が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。ゲルト・エンゲルスが後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、J2へ降格した。
2001年(J2)[編集]
エンゲルス体制2年目。三浦知良が神戸、遠藤保仁がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、J1復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。
2002年 - 2003年(J1)[編集]
- 2002年
エンゲルス体制3年目。開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。
- 2003年
朴がPSVアイントホーフェンへ移籍した一方、韓国・水原三星より高宗秀を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム・ファーベークも11月に解任し、木村文治が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。
2004年 - 2005年(J2)[編集]
- 2004年
西村昭宏が監督に就任。市原から崔龍洙を獲得。一方、9月に松井がフランス・ル・マンUCへ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わった。
- 2005年
- クラブスローガン :「ONE for TEAM -すべては勝利のために-」
柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔、福岡から米田兼一郎、湘南から加藤大志を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョが22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモンと2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。
2006年(J1)[編集]
- クラブスローガン :「ONE FOR TEAM -情熱旋風-」
柱谷体制3年目。4月にG大阪から手島和希、5月に名古屋から角田誠を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦が監督に就任したが、11月26日のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。
2007年(J2)[編集]
美濃部体制2年目。2月からクラブ名称を京都サンガF.C.へ変更[1](ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三、甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、総監督の加藤久が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦で広島に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。
2008年 - 2010年(J1)[編集]
- 2008年

- クラブスローガン :「SMILE KYOTO for the better future」
加藤体制2年目。柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。
- 2009年
- クラブスローガン :「前へ。PASSION REALITY OVATION」
加藤体制3年目。名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。
- 2010年
- クラブスローガン :「SHI・N・KA」
加藤体制4年目。李正秀(鹿島→アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団した。
一方で、大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。
リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。
なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針[11] であったが、12月7日に監督を退任した[12]。
2011年 - 2021年(J2)[編集]
- クラブスローガン :「Change」
監督に甲府元監督の大木武[13]、ゼネラルマネージャー(GM)に千葉元GMの祖母井秀隆がそれぞれ就任した。
柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正が讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。
一方で、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が加入、駒井善成、伊藤優汰らがユースから昇格した。
リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也などの活躍もあり、最終順位は7位。
天皇杯は、第82回以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属のFC東京に敗れたが、準優勝の成績を収めた。
- 2012年
- クラブスローガン :「Changing〜俺たちは変わり続ける〜」
大木体制2年目。森下俊が川崎へ完全移籍、中村太亮が新潟へ期限付き移籍した。
一方、中国・陝西宝栄からバヤリッツァ、徳島から倉貫一毅を完全移籍で、浦和から原一樹らを期限付き移籍で獲得した。
開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の北九州戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の鳥取戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、J1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム岐阜戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田にPK負けした。
- 2013年
- クラブスローガン :「必昇」
大木体制3年目。中村充孝が鹿島、水谷雄一が福岡へ完全移籍、チョン・ウヨンが磐田へ期限付き移籍した。
一方、川崎から山瀬功治、湘南から三平和司(2012年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン、愛媛から田森大己、Honda FCから中村祐哉を完全移籍で、G大阪から横谷繁を期限付き移籍で獲得した。7月に久保裕也がBSCヤングボーイズへ完全移籍した。
開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで長崎に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。
- 2014年
- クラブスローガン :「NEVER GIVE UP 勝利へ」
イラン代表元監督のヴァルデイル・ヴィエイラが監督に就任。安藤淳と染谷悠太がC大阪、倉貫一毅が鳥取、秋本倫孝が富山、原一樹が北九州、中村祐哉が長崎、児玉剛が愛媛へ完全移籍した。
一方、名古屋から石櫃洋祐、ブラジル・アメリカFCからアレッサンドロらを完全移籍で、神戸から有田光希、横浜FMから比嘉祐介、杭州緑城から大黒将志を期限付き移籍で獲得した。
開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一が監督に就任し、徳島からドウグラスを期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの祖母井秀隆、強化部テクニカルディレクターの高間武らが退任した。なお、新加入の大黒が26得点でJ2得点王を獲得した。天皇杯は3回戦で名古屋に敗れた。
- 2015年
- クラブスローガン :「SANGA INNOVATION」
元神戸監督の和田昌裕が監督に就任。オ・スンフン、ジャイロが退団。ドウグラス、比嘉祐介、田中英雄が期限付き移籍期間満了につき退団。高橋祐治が讃岐、田村亮介が鳥栖へ期限付き移籍。酒井隆介が松本、工藤浩平が広島、横谷繁が大宮、三平和司が大分、内野貴志が長野へそれぞれ完全移籍した。
一方で、宮吉拓実が富山から、原川力が愛媛から復帰。清水圭介(大分)、山口智(千葉)、菅沼駿哉(磐田)、金南一(全北現代)、黄辰成(AFCテュビズ)、佐々木勇人(仙台)、ダニエル・ロビーニョ(群馬)を完全移籍で獲得。奥川雅也らがユースから昇格した。
前半戦を終えて6勝12敗4引き分け。7月8日の徳島戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任され、ヘッドコーチの石丸清隆が後任の監督に就任した。10月25日の大宮戦の引き分けで7位以下が確定。最終順位は17位。天皇杯は3回戦で川崎に敗れた。
- 2016年
- クラブスローガン :「一丸 よみがえる不死鳥(サンガ)」
石丸体制2年目。ユース出身の駒井善成が浦和へ、伊藤優汰が新潟へ、原川力が川崎へ、宮吉拓実が広島へそれぞれ移籍。
一方で、名古屋から牟田雄祐と本多勇喜、柏から菅野孝憲、松本から岩沼俊介、甲府から堀米勇輝、長崎からイ・ヨンジェ、C大阪から染谷悠太などを獲得。名古屋などでスカウトを務めた小島卓が強化担当で入団した。
開幕から4試合連続引き分けを含む5試合勝利なしで、第5節終了時には15位まで順位を下げるものの、第6節でシーズン初勝利を挙げてからの10試合で7勝2分1敗と躍進、第15節終了時にはプレーオフ圏内の5位に浮上する。その後はシーズン終了までプレーオフ圏内となる6位以上をキープしたものの、第18、26各節終了時の4位が最高で、J1自動昇格となる2位以上とは勝点で引き離されたまま5位でシーズンを終えた。3シーズンぶりに出場したJ1昇格プレーオフは、準決勝でC大阪と引き分け。規定により決勝進出はならなかった。
シーズン終了後、石丸が監督を解任。また、平井、古邊の両コーチ、U-18監督の森岡隆三が退任。矢島卓郎が現役を引退した。天皇杯は2回戦でC大阪に延長戦の末敗れた。
- 2017年
- クラブスローガン :「Josho(上昇-常勝)魂 サンガノタメニ」
監督に前柏ヘッドコーチの布部陽功が就任。
山瀬功治(福岡)、有田光希(愛媛)、佐藤健太郎(山口)らが完全移籍により、アンドレイ・ジロットが期限付き移籍満了でそれぞれ退団。永島悠史が岐阜、沼大希が鳥取、石田雅俊が群馬、山田元気が山口へ期限付き移籍した。
一方で、名古屋から小屋松知哉、望月嶺臣(昨年は山口に所属)、田中マルクス闘莉王を、熊本から永井建成を、山形から伊東俊、韓国クラブからハ・ソンミン、ケヴィン・オリスを完全移籍で、柏から湯澤聖人を期限付き移籍で獲得。大黒将志が山形から復帰、仙頭啓矢(東洋大学)、大野耀平(常葉大学)、岩崎悠人(京都橘高校)が入団した。
闘莉王等の獲得によりJ1昇格候補にも挙げられていたが、シーズンが始まると一時期はJ3降格圏内まで低迷、その後はDF登録の闘莉王がFWで15得点を挙げるなど奮起したがシーズン中1度も1桁順位に浮上することが出来ず最終順位は12位。天皇杯は初戦で沼津に敗れた。
- 2018年
- クラブスローガン :「団結心」
布部が監督を続投。小島卓が強化部長、前名古屋監督のボスコ・ジュロヴスキーがコーチに就任した。山口から宮城雅史、水戸から湯澤洋介が完全移籍。重廣卓也(阪南大学)が入団した一方、高橋祐治が鳥栖、李勇載が岡山に完全移籍した他、吉野恭平(広島に復帰)らが退団した。
開幕から低迷し、10試合を終えた時点で1勝3分け6敗でクラブ史上初のJ2最下位に転落[14]。第13節は休養した布部に代わりコーチのボスコ・ジュロヴスキーが指揮を執った[15]。5月11日、布部の退任とジュロヴスキーの監督就任が発表された。第28節まで最下位で推移。第30節に残留圏内となる20位に上がり、以降は残留圏内を維持したが、最終順位はチーム史上最低の19位に終わった。シーズン終了後、11月18日に強化部長の小島、監督のジュロヴスキーがそれぞれ退任した。天皇杯は2回戦で金沢に延長戦の末敗れた。
- 2019年
クラブ設立25年目の節目のシーズン。中田一三が監督に就任。第22節から第24節まで首位に立ったが、8月以降に4連敗を喫した他、アウェイ戦でも2勝7敗と苦戦。最終節で柏に勝利すれば、プレーオフ進出の可能性があったが、まさかの13-1と大敗した。この記録は、1998年のC大阪対磐田戦で磐田が1-9と大勝した記録を大幅に更新した。この試合で、オルンガに8得点された。最終順位は8位[16]。シーズン終了後、中田が監督を退任した他、ゲルト・エンゲルスがコーチを退任した(INAC神戸レオネッサ監督に就任)。DF田中マルクス闘莉王がこの年限りでの現役引退を発表した。天皇杯は2回戦で水戸に敗れた。
- 2020年
新監督にトップチームコーチの實好礼忠が就任。本拠地をサンガスタジアム by KYOCERAに移した最初のシーズンとなったが、ホームでは前半戦9試合無敗(7勝2分)と圧倒的な強さを見せたものの、逆にアウェーでは12試合で僅か2勝(5分5敗)に留まったこともあり、前半戦終了時点では勝点34、首位北九州に勝点差10の5位に留まった。後半戦に入るとホームでも5勝2分5敗と五分、アウェーでは2勝2分5敗で後半戦は勝点25と前半戦より勝点を挙げられず、年間では勝点59、最終順位は8位に終わった。新加入のピーター・ウタカは22得点でクラブ3人目のJ2得点王を獲得した。シーズン終了後實好が退任した。 また、この年限りで安藤淳、石櫃洋祐が現役を引退した。
新監督に元湘南ベルマーレ監督 曺貴裁が就任。湘南から曹のかつての教え子である、松田天馬と中川寛斗、浦和から武富孝介、岡山から武田将平(昨季は甲府に期限付き移籍)、鳥取から三沢直人が完全移籍加入。札幌から白井康介、FC東京から木村誠二、浦和から福島春樹、荻原拓也が期限付き移籍にて加入した。関西大学から長井一真が加入、ユースから中野桂太がトップ昇格。
上夷克典が大分へ、黒木聖仁が富山へ完全移籍。中川風希は過去在籍していた琉球へ期限付き移籍。
9選手が契約満了となり、宮城雅史が宮崎に、江川慶城がいわきFCに、金久保順が水戸に、ジュニーニョが栃木に、荻野広大がジェイリースFCに、服部航平がFC.Bomboneraに、加藤順大がマッチャモーレ京都山城に、レナンモッタがAAポンチ・プレッタへそれぞれ移籍。期限付き移籍の選手では、大野耀平が富山へ完全移籍移行。C大阪へ移籍中の島村拓弥が今治に完全移籍。横浜FMより加入していた仙頭啓矢は期間満了により退団した(後に鳥栖へ完全移籍)。
曺は試合内容の良さよりも合理性を重視し、湘南監督時に使用していた「湘南スタイル」(ミスを割り切りアグレッシブにトライする攻守一体の堅守速攻)的な堅守速攻を使用した[18][19][20][21][22]。また2021年の京都はリヴァプールFCとの類似性があり[23]、フォーメーション 4-3-3・ゲーゲンプレス的なハイプレス・ハイライン・中央突破のショートカウンター・3ボランチのハードワークなどアグレッシブな戦術が顕著となった[23]。その結果、第6節からの6連勝を含む15戦は無敗で、第15節終了時に3位から首位浮上すると同年のJ1昇格圏の2位以内に留まり続ける。第21節に磐田に首位を明け渡したものの、後半戦も磐田と激しい首位争いを繰り広げ、5回首位が入れ替わった。しかし第31節長崎戦に敗れて首位を明け渡した後は首位に戻れず第38節の磐田との直接対決にも敗れてJ2優勝は逃した。しかし、その後も昇格圏内はキープし、11月28日の第41節千葉戦の引き分けによって、曹貴裁監督就任1年目で2010年以来12シーズンぶりのJ1復帰を果たした。ウタカがリーグ2位の21得点、2019年から復帰していた宮吉が10得点を挙げたが、総得点ではリーグ8位タイの59にとどまりながらリーグ最少の31失点の堅守が上位争いの原動力となった。
なお、シーズン途中の7月9日、福島からイスマイラが完全移籍加入。7月26日に木村が期限付き移籍期間満了により退団。同日に相模原への期限付き移籍が発表された。7月29日に谷内田哲平の栃木への期限付き移籍を発表。
2022年 - (J1)[編集]
- 2022年
- クラブスローガン :「みんな輝け ~サンガに関わる全ての人々が"笑顔で生き生き"と~」
- チームスローガン :「S Adventure 今、冒険が始まる」
曺体制2年目。12年ぶりJ1に向けて大型補強を敢行し、群馬から大前元紀と松原修平、名古屋から山﨑凌吾、C大阪から豊川雄太、岡山から井上黎生人、甲府からメンデス、仙台からアピアタウィア久、徳島から上福元直人、山形からマルティノス、オランダのアルメレ・シティFCからニュージーランド代表GKのマイケル・ウッドが完全移籍で、浦和から金子大毅が期限付き移籍で加入。新卒では法政大学から田中和樹が加入した。昨季札幌から期限付き移籍にて加入していた白井康介が完全移籍加入に移行。荻原拓也は浦和からの期限付き移籍期間を延長し、この年も京都でプレー。谷内田哲平は栃木への期限付き移籍期間を延長している。
契約満了により退団したヨルディ・バイスが岡山へ、森脇良太が愛媛へ、李忠成がアルビレックス新潟シンガポール(シンガポールプレミアリーグ)へ、庄司悦大が岐阜へ、中野克哉が琉球へ、上月壮一郎が1.FCデューレン(ドイツ4部)へ移籍した。中川寛斗が大分に、野田隆之介が琉球へ、曽根田穣が水戸へ、清水圭介がC大阪へ、冨田康平が今治へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍にて加入していた福島春樹が期間満了により退団。琉球へ期限付き移籍中の中川風希が、今治へ完全移籍にて退団した。
前年のスタイルを維持し、開幕戦ではウタカのゴールで1-0と浦和からJ1での12年ぶりの勝利を挙げる。序盤はウタカが3試合連続得点を挙げるなど4月終了時点でリーグトップの7得点の活躍を見せ、チームも第6節から第9節までの4試合を3勝1分と好調をキープ。第9節時点で5位と上位争いに絡む。しかし第10節以降は一転してなかなか勝ち星を挙げることができず、第16節では前年優勝チームの川崎に勝利したものの、後半戦は得点力不足が響いて徐々に順位を下げ、最終成績8勝12分14敗の16位でJ1参入プレーオフにまわった。38失点はリーグ3位タイと前年からの持ち味の堅守をJ1でも発揮した一方、30得点はリーグワースト2位だった。プレーオフでは参入決定戦でJ2・4位の熊本に1-1で引き分けてJ1残留を果たした。
12年ぶりに参戦したルヴァンカップでは、グループ首位でクラブ史上初のグループリーグ突破を果たしたが[24][注釈 4]、プレーオフステージで名古屋に連敗を喫して敗退した。
天皇杯では高知ユナイテッドSC(高知県代表)、清水、栃木、東京Vを破って11年ぶりに準決勝進出。サンガスタジアムでの天皇杯初開催となった準決勝では、広島に延長戦の末に敗れて敗退となった。
なお、シーズン中には、松原が3月31日に札幌へ完全移籍。6月14日には鳥栖から曺の流通経済大学時代の教え子・佐藤響が期限付き移籍で、8月4日にはアル・アラダーFCからアラン・カリウスが完全移籍で、8月10日にはFCメタリスト・ハリコフからパウリーニョが期限付き移籍でそれぞれ加入した。8月18日には加藤久が強化アカデミー本部長を退任し、クラブのブランドアンバサダーの安藤淳が同職を退任して強化部長代理に就任した。
- 2023年
- クラブスローガン :「超・感動 ~力を合わせ"今"を超える感動を~」
- チームスローガン :「Rev up 高みへ」
曺体制3年目。G大阪からパトリック、町田から平戸太貴、大分から三竿雄斗、水戸から木下康介、IFKヨーテボリからスリナム代表のヴァルネル・ハーン、徳島から2019年以来の復帰となる一美和成[注釈 5]が完全移籍で、広島からイヨハ理ヘンリー[注釈 6]が期限付き移籍で加入した。
また昨季から期限付き移籍にて加入していた金子大毅、佐藤響がそれぞれ完全移籍にて加入。パウリーニョは期限付き移籍期間を延長。2021年夏頃から栃木に期限付き移籍をしていた谷内田哲平が1年半ぶりに復帰。新卒では2021シーズンから特別指定選手として在籍していた関西学院大学の木村勇大に加えて明治大学から福田心之助が新たに加入。ユースから平賀大空、植田悠太の2人がトップ昇格を果たした。
一方、昨季までチームの守護神を務めた上福元直人が川崎へ、長井一真が水戸へ、中野桂太が徳島へ完全移籍した他、荻原拓也が期限付き移籍期間満了に伴い浦和へ復帰、田中和樹は千葉へ期限付き移籍。契約満了により退団したピーター・ウタカと武富孝介は甲府へ、大前元紀は南葛FCへ、チーム最古参だった本多勇喜は神戸へそれぞれ移籍した。また、チーフトレーナーの岩城孝次が契約満了に伴い退団している。
また、前年まで松田天馬がキャプテンを務めたが、川﨑颯太が新キャプテンに就任した[25]。
リーグ戦開幕後は、第2節まで無得点で連敗スタートとなるが、第3節のFC東京戦でシーズン初勝利を挙げると、第5節までJ1では21年ぶりとなる3連勝で一気に5位まで浮上する[26]。しかし、その後は守備での勝負弱さが露呈し、2試合連続でオウンゴールでの決勝点を献上するなど第11節から6連敗。第17節新潟戦で連敗を止めて前半戦を13位で折り返す[27]。後半戦では名古屋や広島など前半戦で苦戦した上位チームからも勝利を挙げた一方[注釈 7]、サマーブレイクや代表ウィークによるリーグ戦の中断からの再開直後には得点が奪えず連敗してしまう傾向も目立ち、シーズン終盤には、第29節鳥栖戦でアピアタウィア久が不適切な行為により試合終了間際に退場した直後の2失点で逆転負けを喫してから[28]、3週間の代表ウィークを挟んで第31節まで3連敗。残留決定まであと1勝としながら足踏みが続き、残留争いに巻き込まれつつあったが[注釈 8]、途中加入の原大智の活躍もあって第33節の勝利で残留が確定。最終節でも前年優勝チームの横浜FMに勝利して連勝でシーズンを終えた。前年(2連勝が1回)を大きく上回る4度の連勝(3連勝1回、2連勝3回)を記録した一方で引き分けはリーグ最少タイの4分と連勝と連敗を繰り返すようなシーズンとなったが、最終成績12勝4分18敗の13位と前年からは順位、勝ち点ともに向上させた。
天皇杯は両チーム11人目までもつれたPK戦の末に2回戦で富山に敗れ、ルヴァンカップはグループリーグ敗退となった。
なお、シーズン途中には、7月3日にデポルティーボ・アラベスから原大智[注釈 9]が完全移籍で、7月25日には北海道コンサドーレ札幌から具聖潤が期限付き移籍で加入することが発表された。一方でイスマイラが2月21日にFCシェリフ・ティラスポリへ、7月13日には新たに栃木SCへの期限付き移籍が発表された。7月4日には白井康介のFC東京への完全移籍が発表され、7月13日には飯田貴敬が大宮アルディージャ、8月16日には木村勇大がツエーゲン金沢、マイケル・ウッドがヴァンフォーレ甲府にそれぞれ期限付き移籍することが発表された。契約更新のアナウンスがなかった選手では、3月10日にマルティノス、4月17日にメンデスが退団することが発表されている。
成績[編集]
個人記録[編集]
リーグ戦通算出場上位[編集]
選手名 | 試合数 | 在籍期間 | |
---|---|---|---|
1 | 手島和希 | 242 | 1999 - 2005、2006 - 2009 |
2 | 安藤淳 | 234 | 2006 - 2013、2019 - 2020 |
3 | 宮吉拓実 | 233 | 2008 - 2014、2015、2019 - |
4 | 石櫃洋祐 | 230 | 2014 - 2020 |
5 | 中山博貴 | 221 | 2004 - 2015 |
6 | 平井直人 | 213 | 1997 - 2010 |
本多勇喜 | 2016 - 2022 | ||
8 | 斉藤大介 | 202 | 1999 - 2008 |
9 | 角田誠 | 191 | 2000 - 2003、2006、2007 - 2010 |
10 | 中払大介 | 183 | 2002 - 2007 |
※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの出場試合数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)[29]。
リーグ戦通算得点上位[編集]
選手名 | 得点数 | 在籍期間 | |
---|---|---|---|
1 | パウリーニョ | 66 | 2005 - 2009 |
2 | 黒部光昭 | 62 | 2000 - 2004 |
3 | ピーター・ウタカ | 52 | 2020 - 2022 |
4 | 大黒将志 | 48 | 2014 - 2015、2017 |
5 | 宮吉拓実 | 45 | 2008 - 2014、2015、2019 - |
6 | 田原豊 | 32 | 2002 - 2008 |
7 | 小屋松知哉 | 22 | 2017 - 2019 |
仙頭啓矢 | 2017 - 2019、2020 | ||
9 | 柳沢敦 | 21 | 2008 - 2010 |
三浦知良 | 1999 - 2000 | ||
中山博貴 | 2004 - 2015 |
※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの得点数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)[29]。
カップ戦も含めた公式戦通算では、黒部光昭の70得点が最多となる。
ハットトリック[編集]
得点数 | 選手名 | 開催日 | 対戦クラブ | スタジアム | 得点時間 | |
---|---|---|---|---|---|---|
J1 | 3得点 | 黒崎比差支 | 1998年8月8日(1st第17節) | コンサドーレ札幌 | 西京極 | ![]() |
三浦知良 | 2000年11月23日(2nd第14節) | ヴェルディ川崎 | ![]() | |||
黒部光昭 | 2002年4月6日(1st第5節) | 東京ヴェルディ1969 | ![]() | |||
2003年9月13日(2nd第5節) | セレッソ大阪 | 長居 | ![]() | |||
J2 | 4得点 | ピーター・ウタカ | 2020年8月8日(第10節) | モンテディオ山形 | NDスタ | ![]() |
3得点 | 崔龍洙 | 2004年8月21日(第29節) | コンサドーレ札幌 | 西京極 | ![]() | |
パウリーニョ | 2005年10月1日(第34節) | モンテディオ山形 | NDスタ | ![]() | ||
アンドレ | 2007年5月13日(第15節) | アビスパ福岡 | 博多球 | ![]() | ||
パウリーニョ | 2007年6月6日(第22節) | ベガルタ仙台 | 福井 | ![]() | ||
久保裕也 | 2013年6月9日(第18節) | ロアッソ熊本 | うまスタ | ![]() | ||
大黒将志 | 2014年4月5日(第6節) | 大分トリニータ | 大銀ド | ![]() | ||
2014年6月21日(第19節) | ロアッソ熊本 | うまスタ | ![]() | |||
田中マルクス闘莉王 | 2017年4月15日(第8節) | 愛媛FC | 西京極 | ![]() | ||
ピーター・ウタカ | 2021年4月17日(第8節) | ギラヴァンツ北九州 | サンガS | ![]() | ||
天皇杯 | 3得点 | 宮吉拓実 | 2011年11月16日(3回戦) | モンテディオ山形 | NDスタ | ![]() |
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- J2リーグ:2回
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回
個人別[編集]
スタジアム・練習場[編集]
ホームスタジアム[編集]
ホームスタジアムは、京都府が亀岡市に建設した球技専用のサンガスタジアム by KYOCERA(京都府立京都スタジアム)。京都府が主導する球技専用スタジアム建設計画は建設規模や建設候補地の調整に時間がかかり、さらに亀岡への建設が決まっても天然記念物かつ国内希少野生動植物種であるアユモドキの生息地であったことから設計が二転三転したが、2018年から工事着手した。2020年1月に竣工式が行われ、同年シーズンからホームスタジアムとして使用している。
2019年シーズンまではたけびしスタジアム京都(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)を使用していた。西京極はJリーグが定めるクラブライセンスでスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、西京極のライセンス充足化工事の実施及び新スタジアムの建設が計画されていることを理由に、クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015年度以後については行われなかった[30][31]。なお、ホームゲームではないものの、サンガスタジアム移転後も天皇杯では初戦にあたる2回戦は西京極で開催している[注釈 10]。
その他の過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。
練習場[編集]
1998年より京都サンガF.C.東城陽グラウンド[1](通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園(京都府宇治市)などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた[32]。
ユニフォーム[編集]
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
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チームカラー[編集]
- 紫[1]
ユニフォームスポンサー[編集]
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 京セラ | KyOCERa | 1994年 - | 1995年 - 2021年は「京セラ」表記 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | ワコール | WACOAL | 2019年 - | 右側に掲出 1996年 - 2006年は袖 2007年 - 2018年はユニフォームサプライヤー 2019年 - 2020年は「Wacoal」表記 |
堀場製作所 | HORIBA | 2020年 - | 左側に掲出 | |
背中上部 | 任天堂 | 任天堂 | 1994年 - | |
背中下部 | KDDI | RESPECT YOU, au | 2017年 - | 2017年 - 2020年は「au」表記 2021年 - 2022年は1stは「au 5G」、 2ndは「au」表記 |
袖 | 京都銀行 | 京都銀行 | 2007年 - | |
パンツ前面 | 大和証券 | 大和証券 | 2002年4月 - | 2002年 - 2005年の2ndは「大和証券SMBC」表記 |
パンツ背面 | 文化庁 | Agency for Cultural Affairs ▶ moving to Kyoto 文化庁 京都へ |
2023年 - |
- 左胸のエンブレム上の星(★)は第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会(2002年)の優勝を表している。
- 2013年からホームタウンの一つである城陽市の名産品である金糸を使って、エンブレム上の星とユニフォーム右腕の「京都」の文字を刺繍している[33]。
トレーニングウェア[編集]
- KDDI(ロゴマークは2013年からau表記)、ニデック
スーツサプライヤー[編集]
ユニフォームサプライヤーの遍歴[編集]
- 1994年 - 1995年:プーマ
- 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はプーマ
- 1997年 - 2002年:アンブロ
- 2003年 - 2006年:ミズノ
- 2007年 - 2018年:ワコール(2007年 - 2012年は「CW-X」、2013年 - 2018年は「Wacoal」表記)
- 2019年[34] - 現在:プーマ
歴代ユニフォーム[編集]
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
FP Other | ||||
---|---|---|---|---|
歴代ユニフォームスポンサー表記[編集]
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1994 | KyOCERa | 解禁前 | 任天堂 | 解禁前 | - | 解禁前 | 解禁前 | PUMA | |
1995 | 京セラ | ||||||||
1996 | Wacoal | Mizuno / PUMA | |||||||
1997 | UMBRO | ||||||||
1998 | |||||||||
1999 | |||||||||
2000 | |||||||||
2001 | |||||||||
2002 | 大和証券 (1st) 大和証券 SMBC (2nd) | ||||||||
2003 | Mizuno | ||||||||
2004 | |||||||||
2005 | |||||||||
2006 | 大和証券 | ||||||||
2007 | 京都銀行 | CW-X | |||||||
2008 | |||||||||
2009 | |||||||||
2010 | |||||||||
2011 | |||||||||
2012 | |||||||||
2013 | Wacoal | ||||||||
2014 | |||||||||
2015 | |||||||||
2016 | - | ||||||||
2017 | au | ||||||||
2018 | - | ||||||||
2019 | - | Wacoal | PUMA | ||||||
2020 | HORIBA | - | |||||||
2021 | WACOAL | au 5G (1st) au (2nd) | |||||||
2022 | KyOCERa | ||||||||
2023 | RESPECT YOU, au | Agency for Cultural Affairs ▶ moving to Kyoto 文化庁 京都へ |
スポンサー[編集]
アカデミー・育成[編集]
概要[編集]
育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GKの4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている[33]。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。
主な大会の結果・成績[編集]
- Jユースカップ:優勝2回(2001年, 2017年)
- 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会:優勝2回(1999年, 2007年)
- 高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会:優勝2回(2011年)
- JFAプレミアカップ:優勝3回(2010年, 2011年, 2015年)
- Manel Pons Cup:優勝1回(2010年)
- Torneo de Futbol Virgen del Pilar:優勝1回(2010年)
出身選手[編集]
スカラーアスリートプロジェクト[編集]
2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した[35]。
2006年度から、産の京セラ、学の立命館、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された[36]。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。
SP京都FCとの提携[編集]
2014年1月22日、SP京都FC(当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は森岡隆三(サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、國領一平および齊藤隆成が育成型期限付き移籍で加入した[37]。
エピソード[編集]
Jリーグ初の試合中止[編集]
1996年のJリーグカップ、柏レイソル戦(8月14日、大分市営陸上競技場=サンガ主催ゲーム)が台風のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。
なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で8月24日に開催された。
五山送り火と同日のホームゲーム[編集]
毎年8月16日の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火」が行われる[38]。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。
Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。
J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。
守備放棄試合[編集]
メディア[編集]
- KBS京都(テレビ)
- エキサイティング!J(ホーム全試合と一部のアウェーゲームを中継)
- VALUE!サンガ(1995年)
- 旧JFL期の番組。TKOの2人が出演していた。
- サンガレボリューション(1998年 - 2000年)
- 1998年は週1回の15分番組として放送されたが、翌年以降縮小した。
- 京スポ〜SPORTS NEWS ENTERTAINMENT〜(2004年 - 現在放送中)
- サンガ@LOVE(2006年)
- 試合ハイライトや選手のインタビューを中心とした番組であった。
- ぽじポジたまご
- 朝日放送(ABC)
- Jフットニスタ(2015年 - 現在放送中)
- 毎日放送(テレビ)
- KICK OFF! KANSAI(2023年 - 現在放送中)
- KBS京都(ラジオ)
- Sanga Today
- 伊舞なおみのみんながメダリスト(番組内で実況中継を行う場合あり)
- Jリーグ中継(不定期に京都ローカルで中継する場合がある)
- ニュース610 京いちにち(月曜日に「スポーツ京都版」を放送)
- Foot Style 京都(ホームゲームハイライトなどを放映)
- α-MORNING KYOTO(「What's Up with Sanga,Today」を放送)
決算[編集]
京都サンガの決算は、つぎのとおり。
損益[編集]
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 2,058 | 1,308 | 245 | 153 | 352 | 1,830 | 1,435 | N.A. | 395 | 228 | 158 |
2006 | 2,230 | 1,447 | 334 | 251 | 198 | 2,120 | 1,738 | 1,072 | 382 | 110 | 47 |
2007 | 2,125 | 1,460 | 301 | 131 | 233 | 2,085 | 1,683 | 1,051 | 402 | 40 | 11 |
2008 | 2,502 | 1,571 | 450 | 233 | 248 | 2,505 | 2,095 | 1,334 | 410 | -3 | 1 |
2009 | 2,416 | 1,515 | 419 | 227 | 255 | 2,596 | 2,216 | 1,503 | 380 | -180 | -248 |
2010 | 2,311 | 1,484 | 348 | 220 | 259 | 2,416 | 2,030 | 1,308 | 386 | -105 | -251 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 2,140 | 1,395 | 199 | 100 | 131 | 315 | 1,896 | 895 | 174 | 156 | 126 | 0 | 545 | 244 | 253 |
2012 | 2,039 | 1,354 | 250 | 89 | 129 | 217 | 1,521 | 591 | 134 | 166 | 126 | 0 | 504 | 518 | 297 |
2013 | 1,930 | 1,235 | 260 | 107 | 134 | 194 | 1,681 | 692 | 135 | 156 | 145 | 0 | 553 | 249 | 151 |
2014 | 1,761 | 1,136 | 229 | 100 | 138 | 158 | 1,667 | 695 | 128 | 155 | 129 | 0 | 560 | 94 | 61 |
2015 | 1,897 | 1,133 | 193 | 89 | 150 | 332 | 1,792 | 796 | 133 | 155 | 129 | 0 | 579 | 105 | 12 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 1,743 | 1,122 | 200 | 93 | 136 | 58 | 134 | 2,008 | 965 | 143 | 154 | 127 | 0 | 34 | 585 | -265 | -284 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016
金額の単位: 百万円
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資産[編集]
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2005 | 1,000 | 787 | 213 | 3,605 |
2006 | 926 | 666 | 259 | 3,605 |
2007 | 822 | 552 | 270 | 3,605 |
2008 | 1,577 | 1,304 | 272 | 3,605 |
2009 | 1,154 | 1,131 | 23 | 3,605 |
2010 | 1,269 | 1,497 | -228 | 3,605 |
2011 | 1,159 | 1,134 | 25 | 3,605 |
2012 | 1,314 | 992 | 322 | 3,605 |
2013 | 1,045 | 572 | 473 | 3,605 |
2014 | 1,037 | 503 | 535 | 3,605 |
2015 | 1,055 | 508 | 547 | 3,605 |
2016 | 765 | 502 | 263 | 3,605 |
![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなった。
- ^ 「一心」は野性的とも言える石刻の鋭い打ち込みからゴールに突き刺さるシュートの軌跡をイメージした「一」、あえて安定感を求めず右上がりの勢いを持たせて躍動感やクラブの一体感をイメージした「心」、勝利を目指す不動の信念の表現。
- ^ 「HUNT3」は「HIGH INTENSITY」「ULTIMATE」「NEWBORN」「TOUGH」「勝点3」の頭文字5文字を途切れのない集合体にすることで強い結束を表現し、見ている人が引き込まれるインテンシティと究極に勝負にこだわる姿勢を見せ、新しいチャレンジを恐れずにタフに戦い続け、一年間を通じてエネルギーを保つために外側に見える一気なパワーだけではなく内側にも凝縮するエネルギーを込める事の表現。
- ^ 最初からトーナメント形式でグループリーグを行わなかったシーズンもあるため、Jリーグカップにおける過去最高成績ではない。
- ^ 2019年はG大阪からの期限付き移籍にて在籍
- ^ 前年は期限付き移籍で熊本に在籍
- ^ 前半戦は自身(13位)よりも下位の5チームには無敗だった一方で上位相手には1勝11敗と苦戦したが、後半戦は前半に敗れた11チーム相手に6勝2敗3分と大きく勝ち越した。
- ^ 2024年からJ1のチーム数を20チームに増やすため、2023年の降格は1チームのみ。
- ^ 2022-23シーズン途中からは期限付き移籍でシント=トロイデンVVに在籍
- ^ 主管はクラブではなく京都府サッカー協会のため中立開催扱い。サンガスタジアム移転初年度の2020年は、新型コロナウイルスの影響で変則的な開催となったため不出場。2021年は4回戦(ラウンド16)も開催。
出典[編集]
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関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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