佐藤勇人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
佐藤 勇人 Football pictogram.svg
名前
愛称 ユウト
カタカナ サトウ ユウト
ラテン文字 SATO Yuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-03-12) 1982年3月12日(35歳)
出身地 埼玉県春日部市
身長 170cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足
ユース
1994-1996 ジェフユナイテッド市原ジュニアユース
1997-1999 ジェフユナイテッド市原ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2007 ジェフユナイテッド市原・千葉 158 (26)
2008-2009 京都サンガF.C. 62 (3)
2010- ジェフユナイテッド千葉 213 (29)
代表歴2
2006 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年12月1日現在。
2. 2006年8月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

佐藤 勇人(さとう ゆうと、1982年3月12日 - )は、埼玉県春日部市出身のサッカー選手Jリーグジェフユナイテッド市原・千葉所属。ポジションミッドフィールダー。元日本代表

同じくサッカー選手で元日本代表の佐藤寿人双子であり、森﨑和幸森﨑浩司兄弟と共にJリーグ史上初の双子選手。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

埼玉県春日部市出身。保育園に通い始めた頃からから双子の弟・寿人とともにボールを蹴るようになった。シュートを打つのは寿人で、勇人はいつもパスを出していたという[1]。地元のクラブでサッカーをしていたが、父がジェフユナイテッド市原ジュニアユースの試合を観戦しコーチとも話をした際に、成長できる環境があると確信。双子でセレクションを受験し、寿人が合格したため入団のために家族で千葉県八千代市に引っ越してきた[2]。なお、両親は自営業であったので、埼玉にあった店を畳んで来たというエピソードを持つ。ジェフのセレクションでは、当初寿人のみが合格で入団していたが、毎回の練習時の寿人の要望などにクラブが根負けする形で、およそ半年後に勇人も異例の途中入団をすることとなった[2]

高校時代(ジェフ市原ユース所属)には、束縛されたくないからなどの理由で2度クラブを辞めたと言うエピソードを持っている[1]。それが影響してか生真面目な性格の弟・寿人に対し勇人は自由奔放な性格であったというイメージが定着している[1]が、本人たちによればそれは逆であり、「寿人は言葉がうまいからそう見える」と勇人は笑って話し、寿人も「勇人は(ヒゲを生やして)見た目がヤンチャだから」と返している[1]。しかし当時からその才能は高く評価され、国体少年の千葉選抜に請われ参加。田中マルクス闘莉王(当時トゥーリオ)らと中盤でプレーした。準決勝で大黒将志のいた大阪府選抜を2-0、決勝で静岡選抜を5-0と圧倒した優勝に貢献した。

ジェフのジュニアユース・ユースで同期の阿部勇樹と中盤でコンビを組むことも多かった。春日部出身ながらもユース育ちで中学生から八千代に住んでいることもあってサポーターなどからは実質的に地元出身の選手と見なされている。

ジェフユナイテッド市原[編集]

2000年、寿人や阿部勇樹と共にジェフユナイテッド市原トップチームに加入。加入3年目から出場機会を徐々に増やすと、2004年からは背番号を7に変更。監督であるイビチャ・オシムの薫陶もあり、「オシム・チルドレン」の代表格としてJリーグを代表するボランチへと成長した[2]

2005年には主力としてチームの初タイトルとなるJリーグカップ制覇に貢献。翌年には連覇も達成した。

2006年日本代表に選出される。8月16日アジアカップ予選イエメン戦(新潟スタジアム)において、勇人が後半26分に遠藤保仁と交代出場し、後半44分には弟の寿人が田中達也と交代出場したことから、日本サッカー史上初となる双子選手の国際Aマッチ同時出場が実現した。

2007年シーズンから、キャプテンだった阿部勇樹が移籍したこともあって、彼に代わってキャプテンに任命された。

京都サンガ[編集]

2008年より、京都サンガF.C.へ移籍[3]。2008年シーズンのサンガは当初「エブリバディ・キャプテン」という方針の下、チームとしてのキャプテンを決めていなかったが、6月に行われた鹿児島キャンプにおいて、選手間の話し合いにより勇人がキャプテンに任命された。

2009年9月19日の磐田戦でDF金沢浄との接触で負傷し、下顎骨骨折(全治3週間)と診断された。同年12月14日付で京都との契約満了により同クラブを退団[4]

ジェフユナイテッド千葉復帰[編集]

2010年1月17日に、J2降格となったジェフユナイテッド市原・千葉への加入が発表され[5]、3年ぶりの古巣復帰となった。

2011年および2012年シーズンは主将としてプレーした。2012年12月、左膝半月板損傷の怪我を負い、手術を行った[6]2015年、第38節FC岐阜戦においてJリーグ通算400試合出場を達成した[7]

2017年、11月11日のJ2第41節名古屋戦にて先発。名古屋に移籍していた寿人も先発したことで、8年ぶりとなるピッチでの双子対決が実現した。チームは終盤の7連勝もありJ1昇格プレーオフに進出。PO準決勝では再び名古屋と対戦し、勇人・寿人の先発によりJ1昇格プレーオフ史上初の双子対決となった。

人物・エピソード[編集]

  • 勇人について、弟の寿人は「一番適切な表現は、やっぱり親友なのかな。僕にとって勇人は子どもの頃からずっと頼りになるキャプテンで、ライバル心を持ったことはない。」と話している[1]
  • 寿人の存在や佐藤姓がありふれていることもありサポーター等には「勇人」と呼ばれる。本人もこれを承知していて、Jリーグ及びクラブに対して下の名前で登録したい旨を表明していたこともあり、2007年からユニフォームにYUTOと表記されるようになった。
  • 2008年の京都への移籍時、実家で寿人に移籍の件を相談すると「オレらを落としたクラブに行くのか」と皮肉で返されたという(寿人所属の広島はJ1・J2入れ替え戦で京都に敗れ降格し、勇人は第2戦に臨む寿人の応援の為に広島ビッグアーチまで足を運んでいる)。しかし、移籍の経験が豊富な寿人のアドバイスは参考になったと本人は述べている。
  • 2008年1月5日に、モデルの松本ステファニーと入籍した。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 市原/千葉 29 J1 1 0 2 0 0 0 3 0
2001 26 0 0 0 0 3 0 3 0
2002 14 13 0 6 0 3 0 22 0
2003 28 4 3 0 3 1 34 5
2004 7 29 7 5 1 1 0 35 8
2005 34 8 11 0 1 0 46 8
2006 26 4 10 2 1 0 37 6
2007 27 3 5 1 0 0 32 4
2008 京都 14 34 3 6 1 1 0 41 4
2009 7 28 0 5 1 0 0 33 1
2010 千葉 J2 36 5 - 1 0 37 5
2011 36 1 - 2 0 38 1
2012 31 2 - 1 0 32 2
2013 30 0 - 1 2 31 2
2014 24 0 - 2 0 26 0
2015 26 0 - 1 0 27 0
2016 11 0 - 2 0 13 0
2017 19 0 - 1 0 20 0
通算 日本 J1 220 29 53 6 13 1 286 36
日本 J2 213 8 - 11 2 224 10
総通算 433 37 53 6 24 3 510 46

その他の公式戦

  • 2012年
  • 2014年
    • J1昇格プレーオフ 1試合0得点
  • 2017年
    • J1昇格プレーオフ 1試合0得点

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 1 0
通算 1 0

タイトル[編集]

クラブ

出演[編集]

映画[編集]

書籍[編集]

執筆書籍[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]