大島秀夫

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大島 秀夫 Football pictogram.svg
名前
愛称 オーシ、キング(山形在籍時)
カタカナ オオシマ ヒデオ
ラテン文字 OSHIMA Hideo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-03-07) 1980年3月7日(36歳)
出身地 群馬県伊勢崎市
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1995-1997 前橋育英高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998 横浜フリューゲルス 6 (0)
1999-2000 京都パープルサンガ 4 (0)
2001-2004 モンテディオ山形 166 (49)
2005-2008 横浜F・マリノス 112 (34)
2009-2011 アルビレックス新潟 66 (8)
2011 ジェフ千葉 (loam) 9 (3)
2012 コンサドーレ札幌 20 (0)
2013-2016 ギラヴァンツ北九州 111 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大島 秀夫(おおしま ひでお、1980年3月7日 - )は、群馬県出身の元プロサッカー選手ポジションFW

来歴[編集]

1998年に前橋育英高校から横浜フリューゲルスに入団。当時のレシャック監督の抜擢により、開幕戦にスタメン出場するなど順調な滑り出しを果たした。しかし、クラブが横浜マリノスに吸収合併されたため、同期入団である遠藤保仁辻本茂輝らとともに京都パープルサンガへ移籍した。京都では思い通りの活躍が出来ず、2000年のシーズンオフに京都からゼロ円提示を受けて事実上の戦力外になる。しかし、2001年に移籍したモンテディオ山形ではレギュラーに定着し、2004年には22得点を挙げ、川崎フロンターレ我那覇和樹と並びJ2の日本人得点王(得点ランク2位タイ)となった。同年の天皇杯4回戦の横浜FM戦では鮮烈なダイビングヘッドを決め、このことが翌年の横浜F・マリノス移籍につながった。なお、この試合は山形が1-2で負けている。

2005年、横浜F・マリノスに移籍。奇しくもフリューゲルスの合併相手のクラブへの入団となった。また、移籍1年目にして9得点を挙げた。

2007年は神戸大久保嘉人と並ぶ14得点を挙げて、J1の日本人得点王(得点ランク7位タイ)となった。また、ヘディングでの得点8点は、リーグ単独首位である。

2008年も開幕からレギュラーとして出場し続けるも、シーズン途中に成績不振により解任された桑原隆の後を受けた木村浩吉が監督に就任してからは、持病の腰痛により万全に動けなかったことと戦術に合わなかったことから出場機会が激減し、11月26日に戦力外通告を受け、横浜FMを退団した。

千葉神戸清水などのクラブからオファーがあったが、大分に次いでリーグワースト2位の得点力不足で質の高いFWの補強が急務となっていたアルビレックス新潟に移籍。山形時代の恩師である鈴木淳監督の下で再びプレーすることとなった。2009年は3トップの中央、あるいは2トップの左翼に起用され、33試合に出場し4得点を記録した。2010年は2年連続開幕戦先発出場を果たしたが、シーズン中盤からはベンチスタートが増えた。矢野貴章の移籍後は2トップの右翼で先発出場を重ね、最終的には28試合に出場し4得点を記録した。

2011年は副将に就任するも、左足裏などの負傷や若手を積極起用する黒崎久志監督の方針により開幕前から遅れを取り、出場機会が激減。8月に以前もオファーを受けた千葉に期限付き移籍した。

2012年コンサドーレ札幌に完全移籍。

2013年ギラヴァンツ北九州へ完全移籍[1]

2016年シーズン終了後に現役引退を発表した[2]

エピソード[編集]

  • 1997年、サンフレッチェ広島スカウトをしていた小林伸二が、大島と契約寸前にまで至り、家族同伴で事務所に連れてきた。しかし、当時広島は経営悪化から球団消滅の噂がたっており、また吉田サッカー公園が建設中で練習設備をアピールできなかったことから、土壇場で横浜Fへ入団することとなった。しかし、フリューゲルスも1998年に親会社・佐藤工業の経営難からマリノスに吸収合併されてしまい、結局1年で退団して京都に移籍した。
  • 2000年に京都を戦力外になった時、大島は呆然と事態を飲み込めないまま横浜F時代に同期で入団した遠藤保仁と選手数人でゲームセンターに行ったという。
  • 特技である似顔絵はかなりの腕前である。
  • 山形在籍時代にエースとして活躍し、サポーターからは「キング」のニックネームで人気を博した。
  • 2006年シーズンはリーグ戦での得点は4点にとどまり、シュートがクロスバーに弾かれる姿を毎試合のように披露していた。そのため、一部のサポーターからは「クロスバーが恋人」などと揶揄されていた。しかし、2007年シーズンでは大島自身初のJ1リーグにおける年間2桁得点を達成し、日本人得点王にもなっており、「恋人」とは別れたようである。
  • 2006年10月8日、Jサテライトリーグ・対甲府戦で、GK榎本達也と交代し後半から出場していた秋元陽太が負傷し、プレー続行が不可能となった。そこでFWにハーフナー・マイクを投入し、急遽GKとして大島が起用された。また、山形時代の2001年J2第4節・対水戸戦ではロスタイムに退場となったGK鈴木克美に代わりゴールを守り、相手のFKをセーブした。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1998 横浜F 28 J 6 0 0 0 1 0 7 0
1999 京都 18 J1 4 0 3 0 0 0 7 0
2000 0 0 1 0 0 0 1 0
2001 山形 9 J2 43 12 2 0 3 0 48 12
2002 38 6 - 1 0 39 6
2003 42 9 - 3 3 45 12
2004 43 22 - 1 1 44 23
2005 横浜FM 15 J1 28 9 3 0 0 0 31 9
2006 25 4 8 0 3 0 36 4
2007 30 14 9 4 2 2 41 20
2008 29 7 8 0 2 0 39 7
2009 新潟 16 33 4 6 0 4 1 43 5
2010 28 4 5 0 3 0 36 4
2011 5 0 - - 5 0
千葉 31 J2 9 3 - 0 0 9 3
2012 札幌 23 J1 20 0 5 1 0 0 25 1
2013 北九州 9 J2 35 3 - 1 0 36 3
2014 15 33 1 - 3 0 36 1
2015 32 0 - 1 0 33 0
2016 11 0 - 1 0 12 0
通算 日本 J1 208 42 48 5 15 3 266 50
日本 J2 286 56 2 0 14 4 302 60
総通算 494 98 50 5 29 7 568 110

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2005 横浜FM 15 5 1
通算 AFC 5 1

その他の国際公式戦

脚注[編集]


関連項目[編集]

外部リンク[編集]