巻誠一郎

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巻 誠一郎 Football pictogram.svg
Seiichiro Maki 3571.jpg
アムカル・ペルミ時代(2010年)
名前
愛称 マキ、巻くん、セイちゃん
カタカナ マキ セイイチロウ
ラテン文字 MAKI Seiichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-08-07) 1980年8月7日(38歳)
出身地 熊本県下益城郡小川町(現:宇城市
身長 184cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ロアッソ熊本
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2010 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉 220 (53)
2010-2011 ロシアの旗 アムカル・ペルミ 9 (0)
2011 中華人民共和国の旗 深圳紅鑽 4 (0)
2011-2013 日本の旗 東京ヴェルディ1969 51 (7)
2014- 日本の旗 ロアッソ熊本 142 (8)
代表歴2
2005-2009[1] 日本の旗 日本 38 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月1日現在。
2. 2009年2月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身のサッカー選手。J2ロアッソ熊本所属。ポジションフォワード。 実父はJ2ロアッソ熊本持株会理事の巻昇治、実弟は巻佑樹(元名古屋グランパス所属。現在は名古屋グランパススカウト)、実妹はハンドボール選手の巻加理奈

経歴[編集]

幼い頃は色々なスポーツに触れて育ち、小学1年生からアイスホッケー、小学5年生からサッカーを続け、高校2年生まで両スポーツを両立していた[2]。高校1年時には父親が監督を務めるアイスホッケー熊本県代表チームの選手として国体にも出場した[2]熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。高校時代も本職はFWだったが、DFとしてプレーした際の評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった[3]

高校卒業後は駒澤大学へ進学し、1年目からスタメンとして出場するようになる[3]深井正樹とコンビを組み「大学サッカー史上最高の2トップ」と謳われた。4年次の2002年にはチームを関東大学リーグ初優勝に導き、深井正樹と同数の12得点で得点王にもなった[3]。また2001年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。

2003年、ジェフユナイテッド市原に入団。同年から監督に就任したイビチャ・オシムの下で指導を受ける。1年目は17試合に出場、2年目の2004年は途中出場が多かったもののリーグ戦全試合に出場した[3]。2005年以降は先発FWの主軸として定着した。2005年に自身初の二桁得点となる12得点を挙げ、翌年もまた12得点を記録した。

2005年にジーコから日本代表に初選出され、2005年7月31日の東アジア選手権北朝鮮戦で初出場した[1]。2006年、ワールドカップ・ドイツ大会の日本代表に選出される[4]。5枠あったFWで最後の1人は久保竜彦の選出が有力視されており、巻は直前の強化試合での好プレーによって劇的な滑り込みを果たした[5]。グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場。イビチャ・オシムが代表監督に就任後もジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表に選出される。

2007年シーズン終了後、千葉から主力選手が大量に移籍する中、自身も大宮アルディージャからのオファーを受けたが、残留を選んだ[6]。2008年9月14日にJ1通算13000ゴールを挙げる。2009年5月9日(J1第11節)、自身Jリーグ通算50得点目をヘディングで決めた。2009年はチームと自身共に不調で5得点に終わり、J2降格も経験。また、この年を最後に代表に呼ばれなくなった。

2010年は若返りを目指すクラブの方針もあり先発出場が大きく減り、また6月にはクラブの幹部から翌季の契約見送りの意志を伝えられていたという[6]ロシア・プレミアリーグアムカル・ペルミからのオファーを受け、2010年7月23日に完全移籍が発表された。退団会見では、「笑われるかもしれないが、このクラブ(ジェフユナイテッド)は僕にとってマンUバルセロナと同じ価値がある。また戻ってこられるように頑張りたい」と涙を浮かべながら述べた[7]

アムカル・ペルミ退団後、2011年3月、日本人選手獲得を公言していたフィリップ・トルシエ率いる中国スーパーリーグ深圳紅鑽球倶楽部と契約し、楽山孝志と共に入団したが[8]、右側足首痛症負傷。治療する環境が揃っていない事を理由に契約解除し退団した[9]

2011年8月17日、J2の東京ヴェルディに加入[10]。1年ぶりにJリーグへ復帰した。

2011年11月20日、味の素スタジアムで古巣である千葉相手に決勝点を決めた。ヒーローインタビューでは両チームのサポーターから拍手を受け、巻は「今でも心の中には千葉というクラブがあり続けるし、感謝の気持ちや千葉のサポーターの方々に育ててもらったという思いは僕がサッカーを辞めてもずっと残り続けるもの」とコメントした[11]

2011年12月15日、アイスホッケーチーム東北フリーブレイズのメンタルアドバイザーに就任[12]

2012年は、開幕直後の練習中に顔面骨折で全治3ヶ月の重傷を負って戦線離脱。その後復帰したが、9月20日に右足間接骨折で全治3ヶ月と診断され、残りのシーズンを棒に振った。

2013年は7月に入るまでスタメン出場がないなど調子が上がらなかったが、その後ある程度持ち直しこの年からヴェルディに加入した高原直泰と、元日本代表2トップを組むなどして奮闘した。

2014年1月15日、巻の地元の熊本に本拠地を置くJ2のロアッソ熊本への完全移籍が発表された[13]

2014年シーズンはチームの主力として、途中交代での攻撃の切り札として多くの試合に出場した。

2015年シーズンも同様に途中交代ながらチームに欠かせない選手としてチームを引っ張った。

2016年4月14日に発生した熊本地震を受け、所属クラブの試合は中止を余儀なくされたが、自らはすぐさま復興支援のための募金サイト「YOUR ACTION KUMAMOTO」を立ち上げた他、様々な復興支援活動に尽力した。同年は途中交代の切り札としての出番が多く、2010年以来の公式戦無得点となった。

2018年7月1日、CF Partners株式会社の社外取締役に就任[14]

所属クラブ[編集]

ユース経歴

プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 大津高 - - - - 1 0 1 0
2001 駒大 9 - - - 2 0 2 0
2002 - - 2 1 2 1
2003 市原/千葉 18 J1 17 2 4 0 3 1 24 3
2004 30 6 5 4 1 0 36 10
2005 33 12 10 4 2 1 45 17
2006 32 12 5 3 1 0 38 15
2007 34 5 6 0 1 0 41 5
2008 30 11 3 0 0 0 33 11
2009 31 5 5 1 3 1 39 7
2010 J2 13 0 - - 13 0
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2010 アムカル 9 プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2011 深圳紅鑽 18 超級 4 0 - - 4 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 東京V 41 J2 14 3 - 2 0 16 3
2012 18 18 1 - 0 0 18 1
2013 19 3 - 2 2 21 5
2014 熊本 36 38 2 - 1 0 39 2
2015 39 3 - 2 0 41 3
2016 35 0 - 0 0 35 0
2017 30 3 - 2 0 32 3
2018 -
通算 日本 J1 207 53 38 12 11 3 256 68
日本 J2 206 15 - 9 2 215 17
日本 - - 5 1 5 1
ロシア プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 超級 4 0 - - 4 0
総通算 426 68 38 12 25 6 489 83

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 38試合 8得点 (2005年-2009年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2005 3 0
2006 14 3
2007 9 4
2008 9 1
2009 3 0
通算 38 8

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2006年2月10日 アメリカサンフランシスコ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ●2-3 親善試合
2. 2006年2月22日 日本横浜市 インドの旗 インド ○6-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
3. 2006年5月9日 日本、大阪市 ブルガリアの旗 ブルガリア ●1-2 キリンカップサッカー2006
4. 2007年3月24日 日本、 横浜市 ペルーの旗 ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ2007
5. 2007年7月16日 ベトナムハノイ ベトナムの旗 ベトナム ○4-1 AFCアジアカップ2007 グループリーグ
6.
7. 2007年9月11日 オーストリアクラーゲンフルト スイスの旗 スイス ○4-3 3大陸トーナメント
8. 2008年2月6日 日本、さいたま市 タイ王国の旗 タイ ○4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選

エピソード[編集]

ジェフ千葉の入団懇親会で、当時監督のイビチャ・オシムが「お父さん、あなたは子供さんを最後まであきらめずに走る子に育てましたか」と尋ねたところ、巻の父親は「うちの子は下手です。でも親として、監督が今おっしゃったことだけは自信があります」と答え、オシムは「そうなら、わたしが責任を持って育てます」と約束し、巻を徹底的に鍛えた[15]

上記のようにオシム語録には巻と関わり深いものが多い。下記はその代表的な例である。

  • 「一生懸命頑張った人間が報われた典型的な例だ」 (巻のW杯メンバー入りに対して)[16]
  • 「まずは俺の練習を100%でやれ。今のおまえに足りないものは、その練習に全部詰まっている」(巻に「自分には何が足りないんですか?」と聞かれて)[3]
  • 「巻はジダンにはなれないでしょう。でも、ジダンにはないものがあります」[17]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c “巻 誠一郎”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ma/seiichiro_maki.html 
  2. ^ a b WEBサッカーマガジン”. 本誌連動インタビュー「止める蹴るしゃべる」ノーカット版! 巻誠一郎(ジェフユナイテッド市原) (2004年5月26日). 2010年7月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 【ワールドカップイヤー特別コラム:巻誠一郎(千葉)】ワールドカップの代表メンバー入りを実現させた『ONE FOR ALL』のプレー(06.05.31)”. J's GOAL (2006年5月31日). 2010年7月25日閲覧。
  4. ^ メンバー発表の記者会見においてジーコが23番目に「巻」と発表すると、記者からどよめきが起こった。
  5. ^ 森雅史 (2015年12月15日). “巻誠一郎はなぜ記者に心を閉ざしたのか 日本代表で刺激されたコンプレックス”. ぐるなび みんなのごはん. 2018年5月22日閲覧。
  6. ^ a b 「生涯千葉」に非情…移籍の巻クビだった”. nikkansports.com (2010年7月19日). 2010年7月25日閲覧。
  7. ^ 涙浮かべる巻「このクラブは僕にとってマンUと同じ価値がある」 スポニチ 2010年7月27日
  8. ^ 巻誠一郎がトルシエ率いる中国超級深セン入り発表
  9. ^ 巻、中国超級リーグ深セン退団していた スポーツ報知 2011年7月9日
  10. ^ 巻 誠一郎 選手 加入のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2011年8月17日
  11. ^ 2011 Jリーグ ディビジョン2 第36節 東京ヴェルディ公式サイト 2011年11月20日
  12. ^ アジアリーグアイスホッケー”. 東北フリーブレイズ スタッフ追加登録のお知らせ (2011年12月15日). 2011年12月16日閲覧。
  13. ^ 巻 誠一郎選手、東京ヴェルディより完全移籍加入のお知らせ ロアッソ熊本公式サイト 2014年1月15日
  14. ^ 巻誠一郎と安藤梢“二足のわらじ”IT会社の取締役日刊スポーツ
  15. ^ 2006ドイツ大会ひたむきに出番待つ =「泥臭さ」発揮できるか - 5人目のFW 巻誠一郎選手 時事通信 2006年6月20日
  16. ^ 千葉・オシム監督、巻の代表選出に喜ぶ 一方阿部の落選には複雑な表情 スポーツ報知 2006年5月15日
  17. ^ 【J1:第3節】千葉 vs 福岡:オシム監督(千葉)記者会見コメント(2006.03.18) J's GOAL

関連項目[編集]

外部リンク[編集]