明神智和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
明神 智和 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ミョウジン トモカズ
ラテン文字 MYOJIN Tomokazu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-01-24) 1978年1月24日(39歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 174cm[1]
体重 70kg[1]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 AC長野パルセイロ
ポジション MF
背番号 17
利き足 右足
ユース
1993-1995 柏レイソルユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2005 柏レイソル 252 (12)
2006-2015 ガンバ大阪 250 (14)
2016 名古屋グランパスエイト 15 (0)
2017- AC長野パルセイロ
代表歴2
2000  日本 U-20
2000  日本 U-23
2000-2003  日本 26 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月27日現在。
2. 2016年12月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

明神 智和(みょうじん ともかず、1978年1月24日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手ポジションミッドフィールダー(ボランチ)。元サッカー日本代表

来歴[編集]

2歳年上の兄の影響で小学2年生の頃から、地元神戸市の木津SCでサッカーを始める。小学5年時に兵庫県から千葉県に引越し、イーグルスユナイテッドFCに編入。ジュニアユースチームでもプレーした。

イーグルスユナイテッドFCから柏レイソルユースを経て、1996年柏レイソルへ入団。1997年にはFIFAワールドユース選手権中盤の主力として活躍を見せるとともに、長らくキャプテンを務め、1999年にはクラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝に貢献。2000年にはクラブ初のJリーグベストイレブンを受賞した。

2000年、当時のU-23兼日本代表監督であったフィリップ・トルシエの高い評価を受け、シドニーオリンピック代表に選出された。また、この年A代表にも選出されアジアカップでは2得点を挙げ、日本代表のアジア制覇に貢献。指揮官は「完璧なチームとは、8人の明神と3人のクレイジーな選手で構成される」、「3人の個性派に、8人の明神がいればチームはできる」、「8人の明神と3人の天才がいれば勝てる」といったニュアンスの発言を残し、組織的な日本のチームにおいて不可欠な選手であると絶賛した。 以後、トルシエジャパンのレギュラーの座を獲得、2002 FIFAワールドカップでも3試合に出場し、日本代表初の決勝トーナメント進出に貢献した。2003年には、山本昌邦監督率いるU-22日本代表のテストマッチに(アテネオリンピックオーバーエイジ枠を見据えて)出場したが、本大会には選出されなかった。

2006年、柏のJ2降格に伴い、かつて柏を率いていた西野朗が監督を務めるガンバ大阪加地亮播戸竜二マグノ・アウベス、ガンバユースから平井将生安田理大横谷繁らと共に移籍加入した。 その後、遠藤保仁二川孝広橋本英郎らと共に黄金の中盤と称されながらガンバ攻撃陣の中軸を担い、多くのタイトル獲得に貢献。2009年には当時の鹿島アントラーズ監督オズワルド・オリヴェイラからJリーグ選抜に選出され[2]、韓国・Kリーグ選抜とのオールスターゲームJOMO CUPに出場。また、同年度の日刊スポーツ提供「黄金の脚賞」を受賞し[3]天皇杯決勝の名古屋グランパスエイト戦では豊富な運動量でチャンスを演出し、チームの天皇杯連覇に貢献。

2010年からは前年に松代直樹が現役引退したことで、チーム最年長選手となり、松代から主将を引き継いだ。2011年10月2日Jリーグ第28節・ガンバ大阪創立20周年記念試合において、サポーターが選ぶガンバ大阪歴代ベストイレブンに輝き、またガンバの公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』において、影のMVPにも選出された。

2012年、リーグ戦にて伊東輝悦山田暢久楢崎正剛に続き史上4人目となるJ1通算450試合出場を達成した。1年通して大きな怪我もなく出場したが、チームは極度の不振に陥りJ2へ降格した。

2013年、チーム主将を遠藤保仁に譲った。自身初のJ2でのプレーとなったこの年、開幕当初こそスタメンで起用されたものの、怪我と若手の台頭で徐々に出場機会を減らし、シーズン終盤は右膝靭帯損傷で長期離脱となってしまった。それでも代表の遠藤・今野が不在となったFIFAコンフェデレーションズカップ期間中はチーム最年長としてチームを牽引し、無敗でリーグ戦を折り返した。その後も経験値を活かしながら要所で活躍。出場は天皇杯を含め21試合に留まったがクラブのJ2優勝、J1昇格に貢献した。

2014年、リーグ戦の出場はG大阪移籍後では最も少ない12試合に留まったが、ヤマザキナビスコカップ5試合、天皇杯4試合に出場し、 試合前などチームを引き締める姿勢は指揮官の長谷川健太から絶大な信頼を寄せられた[4]。この年、ガンバは昇格1年目にして国内三冠を達成し、自身にとってはプロ入り19年目にして初のリーグ優勝となった。

2015年シーズン終盤、G大阪から契約を更新しないことを通知されコーチ就任を打診されたが、現役続行を決断。2016年1月6日、名古屋グランパスエイトへの完全移籍が発表された[5]。名古屋ではリーグ戦15試合に止まり、2016年シーズン終了後に契約満了により退団[6]

2017年よりAC長野パルセイロへ完全移籍により加入した[1]

人物・エピソード[編集]

  • やべっちFC』記念すべき第1回のゲスト。2007年5月の月間「巧」を受賞。
  • 夫人のフードコーディネーター真理子氏は「週刊サッカーマガジン」で、2010年10月から2年間延べ100回にわたり「鉄人のつくり方」というレシピを紹介するコーナーを連載し、多彩なメニューと食が育む力、楽しさや素晴らしさ、奮闘記を紹介した。
  • 愛用のスパイクシューズ・ウェアはumbro[7]
  • お気に入りのファッションブランドは「SOPHNET.」「WACKOMARIA」「MEN'S MELROSE」とはコラボレートTシャツ[8] を製作している。

「GENTIL BANDIT」[9]

  •  ゴルフやサーフィンをするなど趣味は幅広い。
  • ガンバ大阪が運営するファンクラブの感謝祭2012では、映画テルマエ・ロマエで阿部寛が演じた主人公に扮して会場を驚かせ、2013には2年前と同じムエタイ選手になりきって寸劇[11] に登場するなど、身体的特長を生かした立ち居振る舞いで観客を湧かせた。
  • 2014年のファンミーティングはスポンサーブースやガンバフェスティバルの競技に登場し、ステージ上のカラオケコンテストではAKB48の「恋するフォーチューンクッキー」(サビの部分)を歌う。イベントで結成された黒チームは健闘するも今回のコンテストで敗れ罰ゲーム(ゴリラのものまね)をする事に。観客の笑いを誘った。また選手企画プログラムではTRFDJ KOOのものまねを披露。EZ DO DANCEを熱唱した。
  • 2013年8月17日に父親が67歳で他界。翌日のコンサドーレ札幌との試合では、プロサッカー選手として気丈に振る舞い、勝利に貢献した。
  • 2015年1月14日、紀陽除虫菊株式会社[12]よりインタビューの内容がWEB掲載される。
  • 2015年8月1日、週刊女性PRIME新企画「Jのアイドルを探せ!」〜G大阪編【4】〜[13]よりインタビューの内容がWEB掲載される。
  • 2015年10月15日、(公財)ダノン健康財団運営サイト「ごはんだもん!げんきだもん!」 (前編)[14] 2015年11月16日(後編)[15]よりインタビューの内容がWEB掲載される。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1996 - J 11 0 2 0 0 0 13 0
1997 17 13 1 6 0 1 0 20 1
1998 28 0 4 1 2 0 34 1
1999 J1 30 1 4 0 3 0 37 1
2000 7 29 2 2 0 2 0 33 2
2001 29 0 4 0 1 0 34 0
2002 27 1 1 0 0 0 28 1
2003 29 1 4 0 2 1 35 2
2004 28 5 6 0 0 0 34 5
2005 28 1 4 0 1 0 33 1
2006 G大阪 17 25 0 2 0 5 0 32 0
2007 33 2 10 0 2 0 45 2
2008 32 3 4 0 5 0 41 3
2009 31 2 2 1 5 2 38 5
2010 29 4 1 0 3 0 33 4
2011 27 2 0 0 1 0 28 2
2012 31 1 2 0 5 1 38 2
2013 J2 20 0 - 1 0 21 0
2014 J1 12 0 5 0 4 0 21 0
2015 10 0 3 0 1 0 14 0
2016 名古屋 15 0 3 0 0 0 18 0
2017 長野 J3 -
通算 日本 J1 497 26 69 2 43 4 609 32
日本 J2 20 0 - 1 0 21 0
日本 J3 -
総通算 517 26 69 2 44 3 630 32

その他の公式戦

  • 2004年
  • 2005年
    • J1・J2入れ替え戦 1試合0得点
  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2015年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2006 G大阪 17 3 0 -
2008 11 1 3 0
2009 5 0 -
2010 6 0 -
2011 5 0 -
2012 5 0 -
2015 4 0 -
通算 AFC 39 1 3 0

その他の国際公式戦

Jリーグ

タイトル[編集]

クラブ[編集]

柏レイソル
ガンバ大阪

個人[編集]

代表歴[編集]

日本代表

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 26試合 3得点(2000年 - 2003年)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 9 2
2001 7 0
2002 10 1
2003 0 0
通算 26 3

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2000年10月24日 レバノンの旗 レバノンベイルート イラクの旗 イラク ○4-1 AFCアジアカップ2000
2. 2000年10月26日 中華人民共和国の旗 中国 ○3-2
3. 2002年04月17日 日本の旗 日本横浜市 コスタリカの旗 コスタリカ △1-1 キリンチャレンジカップ2002

出演[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • 六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント VOL.1/VOL.2 - 監督・編集 岩井俊二(2002年)

CM・広告[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d “明神智和選手 名古屋グランパスより完全移籍加入のお知らせ” (プレスリリース), AC長野パルセイロ, (2016年12月27日), http://parceiro.co.jp/news/top/201612275490.html 2016年12月27日閲覧。 
  2. ^ 『8/8@韓国 JOMO ALLSATAR SOCCER 2009』に遠藤選手、明神選手が選出! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2009年7月6日
  3. ^ 11/27(土)横浜FM戦にて 日刊スポーツ新聞社提供「ミスターGAMBA黄金の脚賞」発表! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年11月23日
  4. ^ “首位浮上も不変のルーティン。泰然自若と引き締め役。2人のベテランが支えるG大阪に慢心なし”. フットボールチャンネル. (2014年12月3日). http://www.footballchannel.jp/2014/12/03/post59065/ 2014年12月15日閲覧。 
  5. ^ 明神 智和選手 名古屋グランパスへ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2016年1月6日
  6. ^ 契約満了選手のお知らせ 名古屋グランパス公式サイト、2016年11月10日
  7. ^ umbro×GAMBA 明神智和スペシャルムービー サッカーキング (SoccerKingJP) 2013年6月29日
  8. ^ スペシャルコラボレーション"J"砂川誠&明神智和×MEN'SMELROSEコラボレートTシャツ MEN'S MELROSE 2014年4月5日
  9. ^ ジャンティバンティ FRIENDS
  10. ^ Jリーグ My Best&Worst 明神智和(ガンバ大阪) J SPORTS 2012年7月8日
  11. ^ ファン感謝デー2013 寸劇「イナ太郎」 GAMBA -FAMILY.NET 2013年7月20日
  12. ^ 「アスリートタブに関するガンバ大阪 明神選手へのインタビュー」 紀陽除虫菊 2015年1月14日閲覧
  13. ^ 37歳の寡黙なアイドル候補 明神智和選手はなぜモテる? 週刊女性PRIME 2015年8月1日閲覧
  14. ^ スポーツ食育インタビュー Vol.27 前編 ガンバ大阪 明神 智和選手 (公財)ダノン健康栄養財団 2015年10月15日閲覧
  15. ^ スポーツ食育インタビュー Vol.27 後編 ガンバ大阪 明神 智和選手 (公財)ダノン健康栄養財団 2015年11月16日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]