矢野貴章

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矢野 貴章 Football pictogram.svg
名前
愛称 キショウ
カタカナ ヤノ キショウ
ラテン文字 YANO Kisho
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-04-05) 1984年4月5日(32歳)
出身地 静岡県浜松市
身長 187cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 アルビレックス新潟
ポジション DF / FW
背番号 19
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 日本の旗 柏レイソル 39 (04)
2006-2010 日本の旗 アルビレックス新潟 152 (30)
2010-2012 ドイツの旗 SCフライブルク 15 (00)
2012 日本の旗 アルビレックス新潟 30 (02)
2013-2016 日本の旗 名古屋グランパス 115 (08)
2017- 日本の旗 アルビレックス新潟
代表歴2
2007-2010[1] 日本の旗 日本 19 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。
2. 2009年6月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手Jリーグアルビレックス新潟所属。ポジションフォワード(FW)、ディフェンダー(DF)。元日本代表。マネジメント会社はサニーサイドアップ

実兄の矢野晴之介は現在、日本体育大学女子サッカー部の監督を務める[2]

来歴[編集]

小学生時代はジュビロ浜北サッカースクール付属少年団に在籍。中学生時代に在籍したヤマハジュビロSSではサイドバックを務めていたが、浜名高校在籍時にフォワードにコンバートされた[3]2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権に出場し、5-1と大敗したフランス戦でゴールを決めた。2002年は、ジュビロ磐田強化指定選手に登録された。

高校卒業時には4クラブから誘われた中からJ1柏レイソルに入団[4]。プロ1年目の2003年開幕戦から先発メンバーに抜擢されるなどリーグ戦18試合に出場したが、2004年の試合出場はわずか9分に留まり、2005年もシーズン前半はベンチ外が続いたが、6月にU-21日本代表としてトゥーロン国際大会に参加したことが転機となり、シーズン後半はコンスタントに出場するようになった[5][6]。しかし、J1・J2入れ替え戦に柏が敗れたため、柏のJ2降格が決定した。

2006年、永田充と共にアルビレックス新潟に完全移籍。2007年3月には日本代表に初招集され、3月24日のペルー戦で国際Aマッチ初出場を果たした[1]。また、9月11日の3大陸トーナメントスイス戦で代表初得点を挙げた[1]。2009年は3トップの右ウィング及びセンターで起用され、プロ入り後最多のリーグ戦8得点を記録した。2010年は副将に就任し、状況によりゲームキャプテンを務めることもあった。5月10日、2010 FIFAワールドカップ最終登録メンバーに選出される。事前に予想されていなかったサプライズ選出であり、新潟在籍選手としては初のW杯メンバーとなった。6月14日に行われたグループリーグ第一戦のカメルーン戦では、後半37分から大久保嘉人との交代で出場し、ワールドカップ初出場を果たした。

2010年8月27日、ブンデスリーガSCフライブルク公式サイトにて、同クラブとの契約が発表され、夢だった海外移籍を実現。代理人は長谷部誠香川真司らと同じトーマス・クロート。9月11日、VfBシュトゥットガルト戦でブンデスリーガデビューを果たすも、その後はレギュラーの座を掴めず、2010-11シーズンは主に途中投入で15試合に出場するも無得点に終わった。翌2011-12シーズンは、ベンチ入りすることもままならず、2011年12月20日にクラブから戦力外通告を受けた。その後、ドイツクラブへの移籍やスイス2部FCアーラウのトライアウトの参加など去就が報じられたが、いずれも契約には至らず、2012年2月8日、古巣新潟への完全移籍での復帰が発表された。背番号は前回所属時の11番をFWブルーノ・ロペスが背負っていたため、空いていた9番を背負うこととなった。1年半ぶりの復帰となった新潟ではリーグ戦開幕から未勝利のまま低迷していたチームの初勝利となった第6節セレッソ大阪戦で決勝点を挙げるなどしたものの、出場したリーグ戦30試合は主に途中出場で、得点も2得点に留まるなど、低迷したチームの中、期待通りの活躍が出来ずにシーズンを終えた。

2013年、名古屋グランパスに完全移籍。3月23日、ナビスコカップ第2節サガン鳥栖戦で決勝点となる移籍後初ゴールを決めた。リーグ戦序盤は負傷のジョシュア・ケネディに代わる長身FWとして先発出場を続けていたが、これが機能せず[7]、ケネディ復帰以後は途中出場が主となった[8]。2014年からは守備陣に故障者が相次ぐチーム事情もあり、主に右サイドバックや右サイドハーフで起用されている[9]。2016年には右SBに古林将太が加わったが定位置を譲らなかった。またボスコ・ジュロヴスキー監督時代には前線で起用される試合もあった。

2017年より古巣・新潟に復帰[10]

特徴・評価[編集]

長身を利した高さや身体を張ったプレーだけでなく、ドリブル突破、スペースへの飛び出しを得意とする[11]。また、豊富な運動量や前線からの守備が得意であり、チームの為に労を惜しまない選手である[12][13][14]。その一方で、シュート精度に課題があり、J1リーグ戦におけるシュート決定率や90分平均得点は低いものとなっているが[15]、殆ど角度のない位置からのシュート(通称:貴章ゾーン)を決める事が多い選手でもある[12]

エピソード[編集]

  • スポーツニッポン静岡版の記事によると、母校である静岡県立浜名高等学校の恩師に「将来はどうするつもりだ?」との回答に、「いつかは地元(ジュビロ磐田を指していると思われる。)でプレーをしたい」と語っている。
  • 父親が亡くなった直後に試合に出場してゴールを決め、その試合をたまたま見ていた関係者の目にとまり、日本代表に選出された。
  • 2010年W杯メンバーに選出されたとき、岡田武史監督(当時)はFWである矢野に、フィジカルとセットプレー時の守備に期待していると語っていた。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2003 18 J1 18 2 2 0 0 0 20 2
2004 2 0 1 0 1 0 4 0
2005 19 2 1 0 2 0 22 2
2006 新潟 11 33 6 6 1 2 1 41 8
2007 33 7 6 1 1 0 40 8
2008 33 6 3 0 2 0 38 6
2009 33 8 1 0 4 5 38 13
2010 20 3 2 0 0 0 22 3
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2010-11 フライブルク 22 ブンデス1部 15 0 - 0 0 15 0
2011-12 0 0 - 0 0 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2012 新潟 9 J1 30 2 4 0 2 0 36 2
2013 名古屋 19 29 1 5 1 1 0 35 2
2014 26 2 6 1 4 0 36 3
2015 28 3 7 0 0 0 35 3
2016 31 2 3 0 0 0 34 2
2017 新潟
通算 日本 J1 335 44 47 4 19 6 401 54
ドイツ ブンデス1部 15 0 - 0 0 15 0
総通算 350 44 47 4 19 6 416 54
  • 2002年は強化指定選手として公式戦出場は無し。

その他の公式戦

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 19試合 2得点 (2007年 - 2010年)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2007 7 1
2008 5 0
2009 4 1
2010 3 0
通算 19 2

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年9月11日 オーストリアクラーゲンフルト スイスの旗 スイス ○4-3 3大陸トーナメント
2. 2009年5月31日 日本東京 ベルギーの旗 ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “矢野 貴章”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ya/kisho_yano.html 
  2. ^ 初先発・ビューティー川澄2発/女子W杯 - サンケイスポーツ、2011年7月15日
  3. ^ 日刊スポーツ 高校サッカー2002 金の卵を探せ!注目選手紹介 第6回 矢野貴章(浜名3年)
  4. ^ 「止める蹴るしゃべる」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2003年9月30日号 No.941、61-63ページ
  5. ^ 人 of the Week『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2005年8月9日号 No.1037、66ページ
  6. ^ 永田充×矢野貴章 対談『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2006年2月7日号 No.1063、96-97ページ
  7. ^ 名古屋が低迷の末に陥った悪循環 中断期間中に求められる攻撃の整備 スポーツナビ (2013年5月24日)
  8. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2013年12月7日)
  9. ^ 右サイドバック、矢野貴章が大活躍 名古屋、6試合ぶりとなる見事な勝利 共同通信 (2014年5月1日)
  10. ^ “名古屋グランパスから矢野 貴章選手 完全移籍加入のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2016年12月30日), http://www.albirex.co.jp/news/top_team/50753 =2016-12-30閲覧。 
  11. ^ 『週刊サッカーマガジン増刊 2007 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社) 、『週刊サッカーダイジェスト』(日本スポーツ企画出版社)2008年6月17日号 No.953 p29等の記述によった
  12. ^ a b 『週刊サッカーマガジン増刊 2008 J1&J2リーグ選手名鑑』(ベースボール・マガジン社)の記述によった
  13. ^ “J1新潟・矢野、ドイツで羽ばたけ サッカー欧州移籍 契約交渉へ出発”. CHUNICHI Web (中日新聞社). (2010年8月27日). http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100827/CK2010082702000134.html 2010年9月11日閲覧。 
  14. ^ “【Jリーグ】「新潟の誇りもって南アへ」矢野、得点逃すも6季ぶり4連勝に貢献”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年5月15日). http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100515/scr1005152003007-n1.htm 2010年9月11日閲覧。 
  15. ^ TBS スーパーサッカー の選手データによった

関連項目[編集]

外部リンク[編集]