中村俊輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
中村俊輔 [1] Football pictogram.svg
Shunsuke2 20080622.png
代表時代の中村俊輔
名前
カタカナ ナカムラ シュンスケ
ラテン文字 NAKAMURA Shunsuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-06-24) 1978年6月24日(39歳)
出身地 神奈川県横浜市戸塚区
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジュビロ磐田
ポジション MF
背番号 10
利き足 左足
ユース
1994-1997 桐光学園高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2002 日本の旗 横浜マリノス/横浜F・マリノス 148 (33)
2002-2005 イタリアの旗 レッジーナ 81 (11)
2005-2009 スコットランドの旗 セルティック 128 (29)
2009-2010 スペインの旗 エスパニョール 13 (0)
2010-2016 日本の旗 横浜F・マリノス 190 (35)
2017- 日本の旗 ジュビロ磐田
代表歴2
1996-1997  日本 U-20 5 (1)
1998-2000  日本 U-23 4 (0)
2000-2010 日本の旗 日本 98 (24)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
2. 2010年6月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中村 俊輔(なかむら しゅんすけ、1978年6月24日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の日本プロサッカー選手である。ポジションはミッドフィールダーJ1ジュビロ磐田所属。元日本代表

2000年2013年JリーグMVPを獲得。Jリーグ史上初のMVP複数回受賞者。ほかにアジアカップ2004MVP、2006-07スコティッシュ・プレミアリーグMVPなどの受賞歴がある。

来歴[編集]

学生時代[編集]

横浜市瀬谷区で男4兄弟の四男として生まれた[注釈 1]。俊輔の名前は母親が命名した。3歳でサッカーボールを蹴りだした。4歳の時、一家は横浜市戸塚区に引っ越した。幼稚園の体操教室では古沼貞雄にも教えを受けた若林可夫の指導を受けた[2][3]1985年、深園FCに入団し、サッカーを始める。1991年4月横浜市立深谷中学校に入学、50倍のセレクションに合格し日産(1993年から横浜マリノス)のジュニアユースに所属し[4]、2度の全国制覇を経験したが[注釈 2]ユースへの昇格が出来ず[注釈 3]、1994年に桐光学園高校へ進学しサッカー部に入部[注釈 4]、1年生次には雑用も経験した[5]。2年生次には第74回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、3年生次には第75回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たした[1]

クラブ歴[編集]

横浜マリノス[編集]

1997年横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入する。マリノスにおいて最初の2シーズンの背番号は25番だった[1]1997年シーズンのJリーグ優秀新人賞を受賞した。[6]

1999年のシーズンから、10番に背番号を変更した[1]。またこのシーズンにはJリーグベストイレブンを初受賞する[7]

2000年のシーズンは、22歳でJリーグ最優秀選手賞[8]日本年間最優秀選手賞を受賞した。Jリーグ最優秀選手賞受賞者の中では最年少である。

レッジーナ[編集]

2002年5月、2002 FIFAワールドカップ日本代表への招集が有力視されていたが、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した[9]。ケガが癒えた直後の同年7月、イタリアのセリエAレッジーナに移籍、レギュラーを確保しプレイスキックを任され、7得点をあげてセリエA残留に貢献した。

2003年6月、FIFAコンフェデレーションズカップ2003で、3得点をあげ『ブロンズシューズ賞』を受賞。2003シーズンは出来うる限り代表戦に出場したがコンディションを崩してしまったこと故障を繰り返したことが響いてリーグ戦出場は激減してしまった。

2004年2月、横浜マリノス時代のチームメート奥大介の夫人・佐伯日菜子(当時)の紹介で知り合ったタレント経験のある元ペットショップ店員と結婚。同年7月、8月に行われたアジアカップ中国大会では、最優秀選手に選ばれた。

セリエA3年目となる2004-2005シーズンは、終盤数戦こそ恥骨炎や膝の負傷などで途中出場があったがほぼスターティングメンバーとして戦いクラブ創設以来の最高順位に貢献。2005年3月にはガゼッタ・デロ・スポルトからレジーナの歴代ベストイレブンに選出された[10]。同年6月、FIFAコンフェデレーションズカップ2005で、1得点2アシストをあげベストイレブンに選出[11]セルティックFCの監督、ストラカンにプレーを高く評価されセルティックに移籍することとなった。

セルティック[編集]

セルティックでプレーする中村(左、2006年)

セリエAで3年間プレーした後、2005年7月に、スコティッシュ・プレミアリーグ(SPL)(UEFAヨーロッパリーグランキング10位)の2強の一角であるセルティックへ移籍(移籍金は推定250万ポンド、約4億9000万円)。リーグ優勝と国内カップ戦優勝の2冠を獲得した[12]

2006年9月、2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに初出場する。グループリーグ第1戦、オールド・トラッフォードで開催されたマンチェスター・ユナイテッド戦でフリーキックによる得点をあげ、UEFAチャンピオンズカップからUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)に改編されてからの日本人初得点者となった[12][注釈 5]。続く対マンチェスター・ユナイテッド戦でもFKから得点、決勝トーナメント進出を果たす。これはセルティックにとって現行のCLとなって初[注釈 6]、日本人選手としても初めての快挙である[注釈 7]。2006年10月14日、ダンディー・ユナイテッド戦で海外リーグ戦における自身初のハットトリックを決めた[13]

2007年4月、セルティックのリーグ戦連覇が決まり、実質日本人で初めて欧州リーグで連覇を経験した選手となった[注釈 8]。2006-07シーズンではリーグトップの12アシストを挙げ、スコットランドPFA年間最優秀選手賞、スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞を受賞、年間ベストゴール賞[注釈 9] も獲得した。アジアの人間が欧州リーグでMVPを取るのは初の快挙である[12]

エスパニョール[編集]

2009年6月22日、横浜F・マリノスなどのオファーを断り、スペイン1部リーグRCDエスパニョールへの移籍が決定した[14]。Goal.comが報じたところによると、「日本人ミッドフィルダーには大きな期待が寄せられたが、スペインでの最初のシーズンはうまくはいかなかった」[15]マウリシオ・ポチェッティーノ監督は中村がエスパニョールで本来のプレーをすることができなかった理由として、「適応」(西: adaptación[16])を挙げた[17]。セルティック時代の恩師ゴードン・ストラカンが監督を務めるイングランド2部所属のミドルスブラFCよりレンタル移籍のオファーを受ける。しかし、2部への移籍となることなどから中村本人が移籍を拒否[18]、代理人が説得へ向かうも中村が拒否したことで、エスパニョールに残留することとなった。2010年2月28日、かつて所属した横浜F・マリノスに移籍が決まった[19]

F・マリノス復帰[編集]

2002年以来のJリーグ復帰となったこの2010年シーズンでは、リーグ戦全34試合のうち32試合に出場を果たした[20]

2011年1月25日、チームは中村俊輔のキャプテン就任を発表し、本人はその中でキャプテン就任について「光栄な事」と語った[21]。3月29日、東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!ドラガン・ストイコビッチ率いるJリーグ TEAM AS ONEの一員として参加した[22]

2013年は自身初のリーグ年間2桁得点を記録、またJ1第30節大分戦では通算17点目となる直接フリーキックを決め、遠藤保仁が持っていたJ1のフリーキック最多得点記録を更新。しかし、11月に胆のう炎で入院し一時チームを離脱。1週間後に退院するも、その後チームは失速し9年ぶりのJリーグ優勝を逃してしまった。それでも、その年のJリーグアウォーズでは史上初の2度目のそして2016年現在最年長でのMVPを受賞した。この受賞について、古巣セルティックからも公式ホームページを通じて祝福のコメントが送られた[23]

2015年1月、5季連続となる主将への就任が決まった[24]。2月16日に左足首の手術を受け、同月20日に退院[25]。その後4月22日に今季公式戦に初出場を果たすも、5月には肉離れで再離脱となった[26]。7月19日のガンバ大阪戦で今季はじめてフル出場。同試合で直接フリーキックを決め、J1直接フリーキック得点ランキング単独1位に躍り出た[27]。このゴールは7月の月間ベストゴールに選ばれた他[28]、イギリスメディアからも称賛された[29]。その後、8月29日の浦和戦、10月3日の仙台戦でも直接フリーキックを決め、日本代表に選出されているG大阪の東口順昭、浦和の西川周作、仙台の六反勇治と現役日本代表GK全てから得点を決めている[30]

2016年1月、クラブ史上最長の6季連続となる主将就任が決まった[31]。開幕戦はインフルエンザの発症により欠場するも、第2節の福岡戦で初出場し、直接フリーキックを決めた[32]。その一方、シティ・フットボール・グループの意向が強く反映され、多くの功労者が減俸・戦力外となった強化方針への不信感は強く、シーズン終了後には「マリノス退団へ」との報道も飛び交った。年末には、共に日本代表で戦った名波浩率いるジュビロ磐田と移籍を視野に交渉した[33]

ジュビロ磐田[編集]

2017年1月7日夜、共同通信社が速報で磐田との大筋契約合意を伝え[34]1月8日に両クラブから正式に発表された[35]。横浜FMからは年俸1億2000万円の提示を受けていたが「サッカーだけに向き合い、燃え尽きたい」と8000万円を提示した磐田への移籍を決めた[36]。横浜FM側から見ればこの移籍による損失は大きく、公式サイトで声明を出すまでに至っている[37]。開幕戦のC大阪戦からスタメンでフル出場し、その試合の走行距離は両チーム合わせて一番だった[38]。3月11日に行われた第3節の大宮アルディージャ戦で移籍後初の得点を得意のフリーキックで決めた[39]。4月1日、第5節の清水エスパルス戦では初の静岡ダービーに挑み、3得点に絡む活躍で勝利に貢献した。

日本代表[編集]

1996年AFCユース選手権1996英語版の日本代表に選出され、6試合に出場しカタール戦では1得点を決めた[40]

1997年1997 FIFAワールドユース選手権に出場し、コスタリカ戦で1得点を決めた[40]

1998年初頭にはフル代表合宿に初参加した[41]。2月15日のオーストラリア戦で岡田武史が監督を務めるフル代表に初招集されたが、このときは試合に出場することはできなかった[42]。同年12月にはアジア大会U-23日本代表に選出され、クウェート戦で1得点を決めた[40]

1999年、シドニーオリンピック予選では司令塔に抜擢された[43]

2000年U-23代表に選出され、シドニーオリンピックにて4試合に先発出場した[40]。2月13日には、AFCアジアカップ2000 (予選) のシンガポール戦でフル代表として初出場し、同月16日にブルネイ戦にてフル代表初得点を決める[40]。アジアカップ本戦では優勝とベストイレブンを受賞した[44]

2002年2月には東京、渋谷東急東横店壁面への日本代表オフィシャル・ユニフォーム、巨大広告に起用されるなど[45]2002 FIFAワールドカップ日本代表への招集が有力視されていたが、5月、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引いたことや[43]、当時の日本代表監督であったトルシエの選考基準に合致しなかったことなどで落選した[9]

しかし、ジーコが代表監督になると、再び招集され2003年6月、FIFAコンフェデレーションズカップ2003で、3得点をあげ[46]『ブロンズシュー賞』を受賞した[47]

AFCアジアカップ2004では、決勝戦において日本の全3得点に絡み[48]、最優秀選手に選ばれた[1]

2005年6月、FIFAコンフェデレーションズカップ2005で、1得点[49]をあげベストイレブンに選出[50]セルティックの監督、ストラカンにプレーを高く評価されセルティックに移籍することとなった[51]

2006年6月、2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出された。中村は、当時の代表監督ジーコに中心選手として重要視され、グループリーグ全3試合にフル出場したが、2敗1分で敗退した。第1戦のオーストラリア戦ではクロスボールが偶然にも直接得点となり、自身のW杯での唯一の得点となった。

2007年3月24日、キリンチャレンジカップペルー戦は、オシムジャパン発足してからの初選出となり、2アシストで勝利に貢献した。

南アフリカで行われた2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第2戦の対オランダ戦において後半64分に途中出場するにとどまった[52][53][54][55] 。2010年7月1日には、このワールドカップを最後に日本代表を引退する意思を表明した[56]

プレースタイル[編集]

フリーキックを蹴る中村俊輔

プレースキックの名手とされており、特に直接フリーキックを得意としている[57]。ゴールに対して角度のあまりない位置から助走するのが特徴で、軸足を地面に滑り込ませるように踏み込み、勢いそのままに上半身を押し出しながら巻き上げるように足を振り抜く、独特のフォーム(画像を参照)である。元々は大きく弧を描くキックを得意としていたが、レッジーナ移籍後からはスピードに重点を置いたキックを多用している[58]

プロサッカー関係者の評価[編集]

レッジーナ時代には、監督のマッツァーリは「ナカムラはバッジョのようなもので、FWもできるし、MFもできる。素質のある選手はDFを抜くこともパスも出せるんだ。」と評した[59]プランデッリは中村について「創造性があって、相手をかわす能力を持った選手だ」と評した[60]

セルティック時代には、指揮官であるストラカンは「彼は天才だ。」という言葉を残し、また巷でタックルができない選手だと批判されていることについて異議を唱えた[61]。チームメイトであったドナーティは「ナカは技術面ではチームでナンバー1だ。他にもマクギーディブラウンら上手い選手はいるけど、ナカは別格」と述べている[62]

エスパニョールでチームメイトであったデ・ラ・ペーニャは「ナカはチーム内で一番技術が高い選手だ」と述べた[63]

元日本代表監督であったフィリップ・トルシエは2010年5月、守備能力を考えた場合、中村をW杯で起用しないことも検討するべきとコメントした[64]

パヴェル・ネドヴェドはインタビューにて日本人選手について問われた際、中村のテクニックを称賛している[65]

本田圭佑は2009年9月5日のオランダとの親善試合(オランダ・エンスヘーデ)の後半18分に、FKキッカーをめぐり、当時絶対的な存在だった中村と衝突したが、「後にも先にも、シュンさんよりFKがうまいと思ったことは1度もない。ただ、あの時は蹴りたかったから主張した」と述べている[66]

ヨシップ・イリチッチはセットプレーにおいて影響を受けた選手を問われた際、「セルティックにいたナカムラだ。彼は世界一だよ」と述べた[67]

スポーツ科学の見地から[編集]

筑波大学体育専門学群教授の浅井武(サッカー方法論)は、中村がフリーキックで蹴る「カーブシュート」の回転速度は毎秒7.5回転程度、ボールのスピードは時速99.7~101キロで(これは世界有数の高速だという。)、25メートル飛ぶ間に横に3メートル以上曲がるとみる。また、ボールの回転軸が斜めであるため、ゴール付近で急激に落ちる軌道になるという。浅井は「中村は体を傾け、全身のバネを使って、大きなパワーを生み出している」とも言う[68]

また、ボールが無回転で揺れる、いわゆる「ブレ球」のシュートを打つことがある。浅井は一般的な「ブレ玉」の蹴り方として、(1)ボールの中心をける(2)足を押し出すようにける(並進運動)(3)強くける(時速72キロ以上)の3点を挙げるが、名古屋大学総合保健体育科学センター体育科学部准教授の布目寛幸(スポーツ科学, スポーツバイオメカニクス)は、中村と本田圭佑の蹴り方を比較分析した上、中村の「ブレ玉」の蹴り方について「本田より内側(インサイド寄り)の得意とする部分でけっている。それ以外の原理は同じだ。」と指摘した。[69]

ピッチに入り乱れる選手の位置を瞬時に把握し、的確なプレーにつなげるには、「スポーツビジョン」(スポーツに必要な視力)と視野の広さが必要と言われる。その中でもサッカーでは、わずかなスペースを見つける能力である深視力の重要性が指摘されている。スポーツビジョン研究会代表の真下一策は、「選手の位置関係を立体的に認識するのが深視力。日本代表らJリーグのトップ選手と、それ以外の選手を比較すると、深視力だけが、最も開きがあった。」「糸を引くようなパスを次々通す人は、位置関係を俯瞰できる能力にたけている。」と述べ、また中村の深視力について過去に中村を指導した経験を持つ浦和アカデミーセンターコーチの池田誠剛は、「シュンは深視力の数値が良かった。」と証言している[70]

その他[編集]

中村のフリーキックは世界的にも評価が高く、海外メディアが選出する名キッカーのランキングにも度々選出されている[71][72]。またコンピュータゲームにおいても能力値は概ね高く設定されており、15,000人以上の選手が実名で登場する『FIFA 17』ではフリーキック能力値9位となっている[73]

人物[編集]

2004年に一般女性と結婚し、子どもが4人(息子3人、娘1人)いる。2012年には日本メンズファッション協会からベストファーザー賞に選ばれている[74]

代表のチームメイトである、中澤佑二遠藤保仁と仲が良い。かつてチームメイトだった川口能活を「師匠のような存在」と慕っている。解説者の中西哲生、タレントの清水圭と親交がある。

所属クラブ[編集]

アマチュア経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1997 横浜M 25 J 27 5 3 0 1 0 31 5
1998 33 9 4 1 0 0 37 10
1999 横浜FM 10 J1 26 7 4 0 3 1 33 8
2000 30 5 4 1 2 0 36 6
2001 24 3 6 2 1 0 31 5
2002 8 4 - - 8 4
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
2002-03 レッジーナ 10 セリエA 32 7 4 1 - 36 8
2003-04 16 2 2 0 - 18 2
2004-05 33 2 0 0 - 33 2
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯 スコティッシュ杯 期間通算
2005-06 セルティック 25 S・プレミア 33 6 4 0 1 0 38 6
2006-07 37 9 0 0 5 0 42 9
2007-08 26 6 0 0 4 1 30 7
2008-09 32 8 3 1 2 0 37 9
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2009-10 エスパニョール 7 プリメーラ 13 0 2 0 - 15 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2010 横浜FM 25 J1 32 5 1 0 2 1 35 6
2011 24 4 2 0 5 2 31 6
2012 31 6 3 0 5 2 39 8
2013 33 10 10 2 6 1 49 13
2014 10 32 3 1 0 0 0 33 3
2015 19 3 0 0 2 0 21 3
2016 19 4 1 1 3 1 23 6
2017 磐田
通算 日本 J1 338 68 39 7 30 8 407 83
イタリア セリエA 81 11 6 1 - 87 12
スコットランド S・プレミア 128 29 7 1 12 1 147 31
スペイン プリメーラ 13 0 2 0 - 15 0
総通算 527 108 44 7 42 9 613 123

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA CL
2006-07 セルティック 25 8 2
2007-08 4 0
2008-09 5 0
AFC ACL
2014 横浜 10 5 0
通算 UEFA 17 2
出場歴

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

各本大会での成績は以下の通り。

年代別代表[40]

  • U-20代表
1996年 AFCユース選手権1996英語版 ベスト4 6試合出場 1得点
1997年 1997 FIFAワールドユース選手権 ベスト8 5試合出場 1得点
  • U-23代表
1998年 アジア大会 2次リーグ敗退 3試合出場 1得点
2000年 シドニーオリンピック ベスト8 4試合出場 0得点

フル代表

2000年 AFCアジアカップ2000 優勝 5試合出場 0得点[40]
2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003 グループリーグ敗退 2試合出場 3得点[46]
2004年 AFCアジアカップ2004 優勝 6試合出場 2得点[40]
2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ2005 グループリーグ敗退 3試合出場 1得点[46]
2006年 2006 FIFAワールドカップ グループリーグ敗退 3試合出場 1得点[46]
2007年 AFCアジアカップ2007 ベスト4 6試合出場 2得点[40]
2010年 2010 FIFAワールドカップ ベスト16 1試合出場 0得点[46]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 出場試合数98 先発出場試合数89 交代出場試合数9 得点24 警告7 退場0 (2000年 - 2010年)[75]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2000 16 3
2001 1 0
2002 6 2
2003 8 4
2004 15 3
2005 11 3
2006 6 1
2007 10 4
2008 9 2
2009 11 2
2010 5 0
通算 98 24

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦チーム 勝敗 試合概要 出典
1. 2000年2月16日 中華人民共和国の旗 中国 ブルネイの旗 ブルネイ ○ 9-0 AFCアジアカップ2000予選 [4]
2. 2000年6月11日 日本の旗 日本 スロバキアの旗 スロバキア △ 1-1 キリンカップサッカー2000 [5]
3. 2000年8月16日 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ○ 3-1 [6]
4. 2002年5月2日 ホンジュラスの旗 ホンジュラス △ 3-3 [7]
5.
6. 2003年3月28日 ウルグアイの旗 ウルグアイ △ 2-2 国際親善試合 [8]
7. 2003年6月18日 フランスの旗 フランス ニュージーランドの旗 ニュージーランド ○ 3-0 FIFAコンフェデレーションズカップ2003 [9]
8.
9. 2003年6月20日 フランスの旗 フランス ● 1-2 [10]
10. 2004年6月9日 日本の旗 日本 インドの旗 インド ○ 7-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 [11]
11. 2004年7月20日 中華人民共和国の旗 中国 オマーンの旗 オマーン ○ 1-0 AFCアジアカップ2004 [12]
12. 2004年7月24日 タイ王国の旗 タイ ○ 4-1 [13]
13. 2005年6月22日 ドイツの旗 ドイツ ブラジルの旗 ブラジル △ 2-2 FIFAコンフェデレーションズカップ2005 [14]
14. 2005年9月7日 日本の旗 日本 ホンジュラスの旗 ホンジュラス ○ 5-4 キリンチャレンジカップ2005 [15]
15. 2005年10月8日  ラトビア ラトビアの旗 ラトビア △ 2-2 親善試合 [16]
16. 2006年6月12日 ドイツの旗 ドイツ オーストラリアの旗 オーストラリア ● 1-3 2006 FIFAワールドカップ [17]
17. 2007年7月13日  ベトナム アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ○ 3-1 AFCアジアカップ2007 [18]
18. 2007年7月16日 ベトナムの旗 ベトナム ○ 4-1 [19]
19. 2007年9月11日  オーストリア スイスの旗 スイス ○ 4-3 3大陸トーナメント [20]
20.
21. 2008年6月2日 日本の旗 日本 オマーンの旗 オマーン ○ 3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 [21]
22. 2008年9月6日 バーレーンの旗 バーレーン バーレーンの旗 バーレーン ○ 3-2 [22]
23. 2009年3月28日 日本の旗 日本 ○ 1-0 [23]
24. 2009年11月18日 香港の旗 香港 香港の旗 香港 ○ 4-0 AFCアジアカップ2011 (予選) [24]

タイトル・記録[編集]

クラブタイトル[編集]

横浜Fマリノス[76]
セルティックFC[77]

個人タイトル[編集]

記録[編集]

その他[編集]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

2012年1月1日の正月特番放送にて、「窓(車両全部ではない)を開けた住宅街を走行するバスに、3分以内で開いた窓にFKを決める」課題に挑戦し見事成功。周囲からも「E難度の技」と絶賛を受けこれを見た2012年1月19日付英紙「メトロ」においても「マンチェスター・ユナイテッド相手に決めた神技健在」と絶賛を受けた。翌年以降も出演している。

CM[編集]

PV[編集]

  • Hi-Fi CAMP 「だから一歩前に踏み出して」(2009年)

出版[編集]

執筆書籍[編集]

関連書籍[編集]

DVD[編集]

  • SHUNSUKE
  • FANTASISTA Shunsuke Nakamura IN SCOTLAND GLASGOW
  • 中村俊輔の“I Love Soccer”サッカー教室〈永久保存版〉
  • 中村俊輔DVDバイオグラフィー 2002 - 2005
  • セルティック 2005 - 2006シーズン リーグチャンピオンへの軌跡
  • SHUNSUKE NAKAMURA THE SECRET OF DIRECT FREE KICK 中村俊輔 直接フリーキックの極意

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ この日は、アルゼンチンで開かれていた第11回ワールドカップ決勝戦の前日であった(スポーツスーパースター|4中村俊輔より)。
  2. ^ ただし、同チームが2年連続全国優勝を果たした3年生時は10番を背負いながら控え選手だった(『中村俊輔物語』より)。
  3. ^ 中村本人は、当時のプレーが悪かったから昇格できなかったのだと語っているが(著書 察知力)、当時の担当者はチームの平均身長が170cmのところ、俊輔は160cmに満たない身長が原因だったと述懐している。『中村俊輔物語』では体格差を個人技で補おうとしたが、そのプレイスタイルがチームの方針に合わなかったことから出場機会を失っていったという。
  4. ^ 1学年上には須藤大輔、同級生(ジュニアユースでもチームメイトだった)に佐原秀樹、1学年下に宇留野純井手口純がいる。
  5. ^ 1992年からCLとして再編成される以前のチャンピオンズカップにおける初得点者は、1978-79年大会の奥寺康彦
  6. ^ UEFAチャンピオンズカップだった40年前に優勝している。
  7. ^ 1992年からCLとして再編成される以前のチャンピオンズカップでは1979年に奥寺康彦が進出している。
  8. ^ 近年の欧州リーグでの優勝に関しては中田英寿がセリエA・ASローマで優勝。
  9. ^ ダンディーユナイテッド戦のループシュート。
  10. ^ 1992年の再編成後、UEFAチャンピオンズリーグ本戦における、日本人初得点。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f PROFILE 中村俊輔オフィシャルウェブサイト 2011年4月17日閲覧。
  2. ^ (1)中村育てた複線教育”. 日本経済新聞 (2001年). 2012年6月16日閲覧。
  3. ^ 第3回「幼年期から小学校時代までの俊輔」”. ゲキサカ. 2012年6月16日閲覧。
  4. ^ 第4回「マリノスジュニアユース時代」”. ゲキサカ. 2012年6月16日閲覧。
  5. ^ ワールドカップ代表“中村俊輔”の挫折”. 江原啓之でしあわせライフ (2007年7月8日). 2012年6月16日閲覧。
  6. ^ http://sukimagazine.com/sports/shunsukenakamura-freekick-legend-goal/
  7. ^ 1999Jリーグアウォーズ Jリーグ公式サイト 2011年4月17日閲覧。
  8. ^ 2000Jリーグアウォーズ Jリーグ公式サイト 2011年4月17日閲覧。
  9. ^ a b Will home beckon Celtic's Japanese star Nakamura?”. ニューヨーク・タイムズ (2009年3月1日). 2011年4月3日閲覧。
  10. ^ レジーナ歴代ベスト11に俊輔選出”. nikkansports.com. 2005年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月26日閲覧。
  11. ^ ドイツキッカー誌の選定による。
  12. ^ a b c 【今日は何の日?】中村俊輔が日本人初の欧州リーグMVP!”. Sportiva (2011年4月22日). 2011年5月23日閲覧。
  13. ^ スポーツ報知 (2006年10月15日). “俊輔ハット!オシム監督見たか…スコットランド・プレミアリーグ”. 2009年3月1日閲覧。
  14. ^ Shunsuke Nakamura to leave Celtic for Espanyol guardian.co.uk 2009年6月22日、2011年4月15日閲覧。
  15. ^ Spanish Inquisition: La Liga Worst Team Of The Season Goal.com 2009年12月29日、2011年4月15日閲覧。
  16. ^ El conflicto Nakamura EL PAÍS.com 2010年2月11日、2011年4月15日閲覧。
  17. ^ 必要とされなかったファンタジスタ (1/2)中村俊輔がスペインで活躍できなかった理由 スポーツナビ、2010年3月1日、2011年4月15日閲覧。
  18. ^ 中村、代理人とボロ移籍の話し合いへ - Goal.com、2010年2月2日
  19. ^ 中村俊輔「スペイン挑戦は失敗だと思わない」 (1/2)横浜F・マリノス入団会見 スポーツナビ 2010年2月28日、2011年4月15日閲覧。
  20. ^ 横浜Fマリノスオフィシャルウェブサイト”. 横浜Fマリノス. 2011年4月26日閲覧。
  21. ^ 2011シーズン キャプテン決定のお知らせ 横浜Fマリノス 2011年1月25日。同年4月11日閲覧。
  22. ^ マッチレポート 日本サッカー協会 2011年3月29日。同年4月11日閲覧。
  23. ^ 中村俊輔、史上初2度目のMVP獲得に古巣セルティックが祝福”. サッカーキング (2013年12月11日). 2015年4月21日閲覧。
  24. ^ 36歳の俊輔が5季連続で横浜主将 nikkansports.com 2015年1月31日。2015年2月25日閲覧。
  25. ^ 俊輔退院、長期離脱も早期復帰に意欲 nikkansports.com 2015年2月21日。2015年2月25日閲覧。
  26. ^ 横浜FM、4月末に復帰した中村俊輔が太もも肉離れで再離脱…全治3週間”. サッカーキング (2015年5月3日). 2015年5月3日閲覧。
  27. ^ 【横浜M】俊輔、J1単独最多FK弾 極限集中力で“ゾーン”入った”. スポーツ報知 (2015年7月20日). 2015年8月12日閲覧。
  28. ^ 7月の月間ベストゴールは横浜FM中村俊輔の直接フリーキックに決定”. サッカーキング (2015年8月11日). 2015年8月31日閲覧。
  29. ^ MF中村俊輔の直接FKを英メディアも称賛「ベッカムのように曲げた」”. サッカーキング (2015年7月22日). 2015年8月31日閲覧。
  30. ^ 中村俊輔が直接FKで通算20得点目。今季3本目で自身の持つJ最多記録更新”. フットボールチャンネル (2015年10月3日). 2015年8月31日閲覧。
  31. ^ 横浜MF中村俊輔、井原超えクラブ最長6年目主将 nikkansports.com 2016年1月28日。2016年2月10日閲覧。
  32. ^ 横浜中村俊輔が鮮やかFK インパクト強く技あり弾”. 日刊スポーツ (2016年3月6日). 2016年3月6日閲覧。
  33. ^ “横浜M主力流出危機…俊輔は磐田と交渉、斎藤らも退団の可能性”. デイリースポーツ. (2016年12月30日). http://www.daily.co.jp/soccer/2016/12/30/0009791295.shtml 2017年1月8日閲覧。 
  34. ^ [‪https://this.kiji.is/190425521667966461‬ “‪横浜M中村、磐田移籍へ‬”]. 共同通信社. (2017年1月7日). ‪https://this.kiji.is/190425521667966461‬ 2017年1月8日閲覧。 
  35. ^ “中村 俊輔選手が完全移籍加入” (プレスリリース), ジュビロ磐田, (2017年1月8日), http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=5240&year=2017&month=01 2017年1月8日閲覧。 
  36. ^ “マリノス中村俊輔、ジュビロ磐田移籍に大筋合意「お金じゃない…」 年俸1億2千万円蹴って8千万円の磐田へ”. 産経新聞. (2017年1月8日). http://www.sankei.com/sports/news/170108/spo1701080006-n1.html 2017年1月8日閲覧。 
  37. ^ “中村俊輔選手の移籍に関して” (プレスリリース), 横浜F・マリノス, (2017年1月8日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-01-08/150000/121642 2017年1月8日閲覧。 
  38. ^ “38歳中村俊輔、1番走った 磐田10番デビュー‪‬”. 日刊スポーツ. (2017年2月26日). http://www.nikkansports.com/m/soccer/news/1784257_m.html?mode=all‪‬ 2017年3月14日閲覧。 
  39. ^ [‪http://www.asahi.com/sp/articles/ASK3C42R4K3CUTQP00X.html‬ “中村俊輔FK、新天地で一閃 GKの逆を突く技あり弾‪‬”]. 朝日新聞. (2017年3月11日). ‪http://www.asahi.com/sp/articles/ASK3C42R4K3CUTQP00X.html‬ 2017年2月26日閲覧。 
  40. ^ a b c d e f g h i 中村俊輔 日本サッカー協会 2011年4月13日閲覧。2008年6月14日までに中村が出場した全ての年代の代表の試合の一覧を見ることができる。
  41. ^ 俊輔の代表初選出に、先輩選手は“アイツ何なの”? Sports Watch、2009年4月18日
  42. ^ 選手情報 中村俊輔 日本サッカー協会 最終更新日2010年06月29日、2011年4月13日閲覧。
  43. ^ a b トルシエ元日本代表監督、東京スポーツに「俊輔外し」の真相語る。” (2008年6月24日). 2011年5月28日閲覧。
  44. ^ 中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ) スポニチ 最終更新日不明、2011年4月17日閲覧。
  45. ^ 一足先に熱い商戦がキックオフ! 渋谷・ワールドカップ関連ビジネス事情”. シブヤ経済新聞 (2002年2月22日). 2011年5月11日閲覧。
  46. ^ a b c d e Shunsuke NAKAMURA FIFA.com 2011年4月15日閲覧。
  47. ^ 正式には"adidas Golden Shoe"賞第3位FIFA Confederations Cup France 2003”. FIFA.com. 2011年4月19日閲覧。より
  48. ^ 日本、開催国・中国を破りアジアカップ連覇!”. sportsnavi (2004年8月7日). 2011年4月28日閲覧。
  49. ^ 試合記録”. 日本サッカー協会 (2005年5月22日). 2011年4月19日閲覧。
  50. ^ ドイツキッカー誌の選定によるドイツ『キッカー』誌が選んだコンフェデ杯ベスト11に中村が選出”. @nifty (2005年7月1日). 2011年4月19日閲覧。
  51. ^ Nakamura arrival excites Strachan”. BBC SPORT (2005年7月29日). 2011年4月19日閲覧。
  52. ^ 2010.06.14 マンガウング/ブルームフォンテーン”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
  53. ^ 2010.06.19 ダーバン”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
  54. ^ 2010.06.24 ルステンブルク”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
  55. ^ ラウンド16 2010.06.29 ツワネ/プレトリア”. SAMURAI BLUE. 2011年4月26日閲覧。
  56. ^ 俊輔 代表引退認める「うん、そうだよ」”. スポーツニッポン (2010年7月1日). 2010年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月24日閲覧。
  57. ^ THE LIST: Nos 40-31 of the greatest free-kick kings in history-Daily Mail 2009年 4年 7日
  58. ^ [1] 中村俊輔らW杯を彩るFKの名手たち 2006年06月11日
  59. ^ [2] 指揮官絶賛「俊輔はバッジオ」 SerieA.jp、2004年9月14日
  60. ^ 中田、中村が前日練習 8日に直接対決 ? 共同通信、2002年12月7日
  61. ^ [3]-Celtic Secure Second Successive Championship! 2007/04/25
  62. ^ 俊輔同僚「ナカムラのテクニックはチーム一だ」 ? 欧州通信、2007年10月3日
  63. ^ 必要とされなかったファンタジスタ(2/2)”. スポーツナビ. 2010年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月24日閲覧。
  64. ^ サッカー=中村俊を起用しないことも検討すべき─トルシエ氏”. ロイター (2010年5月26日). 2011年5月28日閲覧。
  65. ^ ネドヴェド氏「日本人選手は確かな戦力とみなされている」”. サッカーキング (2013年1月17日). 2015年5月23日閲覧。
  66. ^ 本田が封印解いた!俊輔と衝突した“6年前のFK” - 日本代表”. 日刊スポーツ (2015年9月6日). 2015年9月6日閲覧。
  67. ^ FKの名手イリチッチ、手本とするキッカーは中村俊輔「彼は世界一」”. サッカーキング (2015年11月22日). 2015年11月23日閲覧。
  68. ^ 高速回転 3メートル以上カーブ”. YOMIURI ONLINE (2010年6月17日). 2011年4月19日閲覧。読売新聞は「カーブボール」の具体例として2006年11月にUEFAチャンピオンズ・リーグ、セルティック対マンチェスター・ユナイテッドの試合で決めたフリーキックを挙げる。
  69. ^ 1/100秒間に強く「押す」”. YOMIURI ONLINE (2010年6月9日). 2011年4月19日閲覧。この中で中村本人は「無回転を狙う時は、足で押すようなイメージ」と発言している。また、読売新聞は「ブレ玉の」具体例として2010年3月20日の横浜対川崎の試合で決めたゴールを挙げる。
  70. ^ 「スペース」瞬時に把握”. YOMIURI ONLINE (2010年7月10日). 2011年5月28日閲覧。
  71. ^ 中村俊輔のFKはメッシやCR7より上! 歴代ベストフリーキッカーTOP10に堂々ランクイン”. theWORLD (2016年2月18日). 2016年9月16日閲覧。
  72. ^ “俊輔の左足”がメッシを抜いた! 英メディア選定「FKキッカー世界トップ5」にランクイン”. Football ZONE WEB (2016年4月11日). 2016年9月16日閲覧。
  73. ^ 中村俊輔が“FK能力値”で世界の十傑入り サッカーゲーム「FIFA17」でワールドクラス認定”. Football ZONE WEB (2016年9月16日). 2016年9月16日閲覧。
  74. ^ 俊輔、ベストファーザー賞”. サンケイスポーツ (2012年6月6日). 2012年6月16日閲覧。
  75. ^ 選手情報 中村俊輔 日本サッカー協会 最終更新日2010年06月29日 2011年4月13日閲覧。
  76. ^ クラブヒストリー 横浜Fマリノス 2011年4月13日閲覧。
  77. ^ brief history Celtic Football Club 2011年4月13日閲覧。
  78. ^ 俊輔2ゴールも最後は森島!!”. JOMO ALL STAR SOCCER (1999年7月31日). 2011年4月29日閲覧。
  79. ^ 【磐田】伝家の宝刀が炸裂!中村俊輔が直接FK得点記録を23に塗り替える移籍後初ゴール”. サッカーダイジェスト (2017年3月11日). 2017年3月11日閲覧。

外部リンク[編集]