大久保嘉人

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大久保 嘉人 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヨシト[1]、百獣の王
カタカナ オオクボ ヨシト
ラテン文字 ŌKUBO Yoshito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-06-09) 1982年6月9日(35歳)
出身地 福岡県
身長 170cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 FC東京
ポジション FW (CF, ST) / MF (OH, SH)
背番号 13
利き足 右足[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006 日本の旗 セレッソ大阪 116 (57)
2005-2006 スペインの旗 RCDマヨルカ (loan) 39 (05)
2007-2009 日本の旗 ヴィッセル神戸 62 (25)
2009 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 9 (00)
2009-2012 日本の旗 ヴィッセル神戸 92 (25)
2013-2016 日本の旗 川崎フロンターレ 130 (82)
2017- 日本の旗 FC東京
代表歴2
2000-2001  日本 U-19/20
2002-2004  日本 U-21/22/23
2003-2014[2] 日本の旗 日本 60 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
2. 2014年6月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は、福岡県京都郡苅田町出身の[3][4]サッカー選手JリーグFC東京所属。元日本代表。ポジションは主にフォワード(FW)[5][1]。史上初の3年連続Jリーグ得点王2013年 - 2015年)。J1通算最多得点記録保持者。

2015年からMr.Childrenナオト・インティライミらが立ち上げた芸能事務所であるエンジンとマネージメント契約を結ぶ[6]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

幼少時は父親が購入したペレディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見たり、父親と一緒に釣りに行ったり野球に親しんでいた[7]。小学校3年時に苅田サッカースポーツ少年団に入団し[3]、本格的にサッカーを始める。当初はストッパーの位置でプレーしていたが、小学校6年時よりFWの位置でプレーするようになった[8]。1994年にはU-12福岡県選抜チームに選出された一方で陸上競技にも取り組み、全国小学生陸上競技交流大会[注 1]に出場した他、鹿島アントラーズ横浜マリノスとの試合の前座で、北九州市選抜チームの一員として福岡県の別のチームと対戦した際に5得点を挙げ、鹿島サポーターから「大久保」コールを受けるという経験もした[7]

三浦淳宏永井篤志を擁して1992年度の全国高校サッカー選手権を制した長崎県立国見高校に憧れ[4]、小学校卒業後に長崎県へ渡り国見町立国見中学校に入学[8]長崎県立国見高等学校サッカー部総監督であった小嶺忠敏が中高一貫でサッカーの指導をするために作った「小嶺アカデミースクール」に入る[7]。国見中学校では2、3年とも全国大会ベスト8に入り、U-15長崎県選抜チームに選出された。

1998年、国見高校に進学。2年生でレギュラーを獲得し、3年時の2000年、松橋章太らとともにインターハイ国体[注 2]選手権を優勝し、高校三冠を達成した[3][4]。ドリブル、パス、シュートを高いレベルで兼備し[10]インターハイでは10得点、高校選手権では8得点を挙げてそれぞれ大会得点王を獲得した[11][3][4]天皇杯全日本サッカー選手権大会には、長崎県代表として2年時 (1999年度) ・3年時 (2000年度) の2度出場した他、U-19日本代表に選出されてAFCユース選手権2000にも出場した[11]

セレッソ大阪時代[編集]

複数のJクラブによる争奪戦が展開されたが[8]小峯からはセレッソ大阪アビスパ福岡を勧められ[12]、2001年に目標の森島寛晃が在籍する[13]C大阪に加入[14]。同年3月17日にJ1・1st第2節浦和戦に途中出場しJリーグデビューを果たす[15][16]ナビスコカップ1回戦磐田戦の先制点[17]がプロ初得点。1st第5節磐田戦でリーグ戦初得点を挙げたが、前半中に退場処分を受けた[16][3]。その後、左三角靱帯損傷によって同年開催のワールドユース出場を逃し[8][18]、リハビリ中の筋力トレーニングでキレを失ったこともあって[8][19]リーグ戦も大半が途中出場で通年2得点に留まった。同年末、C大阪は総合成績で16位となりJ2へ降格したが、高校時の恩師小嶺や先輩に相談を仰いだ上でC大阪残留を選択した[8]

2002年は、J2第3節湘南戦の2得点で自信を取り戻すと[19]、好調を維持して29試合[注 3]に出場し、新潟所属のマルクスに次ぐ得点ランキング2位の18得点を記録[20]1年でのJ1復帰の原動力となった[3]。また、アテネオリンピックに向けた日本代表に選出。

2003年のJ1では通年で合計24試合に出場し、日本人最多得点となる16得点を挙げた他[21]、史上最多得票でオールスターに選出され[3]、同年末にはAFC選出のアジア年間最優秀ユース選手賞を受賞した[22]。U-22代表として活躍する傍ら、同代表の石川直宏及び松井大輔と共に[23]ジーコ率いるフル代表にも招集され、5月31日に行われた韓国との国際親善試合に65分から鈴木隆行との交代で出場[24]国際Aマッチデビューを飾り[3]、同年の国際Aマッチ出場は14試合を数えた。

2004年のJ1は22試合出場15得点。2nd第5節では苦手としていた市原戦でプロ入り後初のハットトリックを記録した[25][26]また、同年3月まで開催されていたアテネオリンピックアジア地区予選では2戦連続得点でチームの窮地を救い[27][28]、7月にU-23日本代表としてアテネオリンピック本大会に出場した[5][29]。同大会では1勝2敗でグループステージ敗退となったが、個人としては3試合に先発出場し[30][31][32]パラグアイ戦では81分に[30]ガーナ戦では37分に[32]決勝点となるゴールをそれぞれ挙げた。

RCDマヨルカ時代[編集]

オリンピックで活躍がきっかけとなり、2004年11月にリーガ・エスパニョーラ所属のRCDマヨルカ期限付き移籍が決定[33]エクトル・クペル監督の評価は好意的で[34]、選手登録が解禁された直後の[35]2005年1月10日、第18節デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で初出場。ルイス・ガルシアの得点をアシストし、自身も1得点を挙げる[36][37][3][38]好デビューを飾ったが、下位に沈むチームにあって2得点目が遠く[39]、一時出場機会を減じた。終盤戦には控えとなったガルシアに代わって先発出場し[40]、第36節アスレティック・ビルバオ戦及び第37節デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でそれぞれ1得点ずつ挙げた他、2アシストとPK獲得の活躍で[41][42]マヨルカの奇跡的とも言える1部残留に貢献した[40][3]。シーズン終了後、UEFA選出スペインリーグ・若手ベストイレブンを受賞[43]

マヨルカからの評価は高く[40]、C大阪との移籍期間延長交渉を経て[3]2005-06シーズンもクラブに残留[44]。しかし同シーズンは途中出場が大半で、シーズン途中に監督に就任したグレゴリオ・マンサーノ体制下でのさらなる出場機会減に危機感を抱き移籍を決意[45]。移籍期間満了後に移籍が決定した。スペインでの通算成績は39試合5得点6アシスト。後に、不遇を託ったことでより良いプレースタイルを考えることができたと述懐している[19]

オリンピック以後も継続的にフル代表に招集されていたが、得点を挙げられないまま2005年10月のヨーロッパ遠征を最後に招集されなくなり、2006年のワールドカップ出場を逃した。結局、ジーコ体制下では無得点に終わった。

セレッソ大阪時代(第2期)[編集]

2006年6月、セレッソ大阪へ復帰[46]。低迷するチームを救うべく[46]登録直後から出場を続けたものの6戦無得点[47]。復帰後7戦目の京都戦で2得点を挙げ、その後はチームと共に復調を見せたが[48]、最終順位は17位となり、J2へ降格(個人記録は21試合出場6得点)。

ヴィッセル神戸時代[編集]

2007年1月、急遽ヴィッセル神戸からのオファーが報じられ、移籍金3億円[注 4]で同クラブへ完全移籍[注 5][50]。同年は三浦淳宏の負傷もあり[1]松田浩監督に自ら進言して左MFでプレー。このコンバートによって「チームのことを考えてプレーできるようになった」と述懐している[51][52]。主将にも任ぜられ、精神面・技術面でチームを牽引[53]

2007年8月にはカメルーンとの国際親善試合で約1年10カ月ぶりに日本代表に復帰[54]。10月に行われたエジプトとの親善試合で1試合2得点を挙げ[55]、国際Aマッチ出場21試合目、初選出から4年越しでの初ゴールを記録した。以後、2010年のワールドカップを目指す日本代表の主力に定着。2008年開催のオリンピックには選出されなかった(後述)。

VfLヴォルフスブルク時代[編集]

ブンデスリーガVfLヴォルフスブルクフェリックス・マガト監督の強い希望により[56]2009年1月に同クラブへ完全移籍[53]。移籍金交渉は難航したが[53]、移籍を望んだ本人の意向に添う形で、神戸側が最終的に譲歩し、推定2億5000万円で合意[57]

オーバーヘッドシュートを放った事が理由でマガトの怒りを買ってベンチ入りメンバーから外されるという経験もしたが[58]、ドイツのサッカーに慣れるに従い、相手選手に体をぶつけられても倒れることなくドリブルで進めるまでになった[58]。この経験について大久保自身は取材に対し、「試合に出れなくて、まぁ、いいや、って思ったら、もう終わりよ。(中略)サッカー選手をやっている以上は、出たい、出たい、って感じで練習もするやん[56]」というコメントを残している。2008-09年度シーズンにおいて、長谷部誠と共にクラブ史上初となるドイツ国内主要サッカー大会[注 6]初優勝達成を経験したが、大久保自身は、ポジションの重なるグラフィッチエディン・ジェコが好調で[59][注 7]彼ら大柄な選手に合わせたサッカーが展開されていたこともあって[51]、出場機会は乏しかった[59]。自身を評価するマガトの退任と[56]ワールドカップ出場を見据え[59]、1シーズンでの移籍を決断。

ヴィッセル神戸時代(第2期)[編集]

2009年6月、神戸へ復帰[61]

2010年5月10日、ワールドカップ南アフリカ大会に臨む代表メンバーに選出された。強化試合として行われた韓国[62]イングランド[63]コートジボワール[64]に出場し、本大会ではグループリーグ三試合と決勝トーナメント一回戦に左サイドハーフとして先発出場し[65]、攻守に奔走する献身的プレーで[66]日本の2大会ぶりとなる決勝トーナメント進出に貢献した。

帰国後には燃え尽き症候群を発症し怪我が多発、チームの守備的な戦いも影響し、リーグ戦は通年で17試合4得点に終わった。

2011年は細かい怪我はあったものの通年で稼働。中盤でのプレーが主ではあったが、30試合9得点。J1第20節浦和戦でJリーグ通算100得点を記録(J2含む)。

2012年は自身の希望もあり、背番号をC大阪在籍時以来の「10」に変更[67][68]。近年見せていた中盤でのプレーでなく[67]得点への注力を希望し[68]、開幕戦のG大阪戦ではFWで起用され2得点を挙げるなど[69]序盤は好調ぶりを見せていた[70]。しかし、新加入選手が多くチーム戦術や共通意識が定まらずに、中盤に下がらざるを得ない状態となってゴールから遠ざかると、第7節戦で負傷。2週間ほどで復帰したが、以降はコンディションが上がらず、リーグ戦26試合4得点と低調に終わり、クラブも降格した。契約期間を1年残しており神戸に残留するつもりでいたが、最初の契約交渉時に態度を保留したところ[71]クラブからの慰留は無く[72]移籍を勧められ[注 8]。本年限りでの退団を余儀なくされた[73][74]

川崎フロンターレ時代[編集]

2013年1月、熱心なオファーのあった[73]川崎フロンターレへ完全移籍[74]2年契約を結んだ[75]。川崎では自身の役割が得点に特化されたことにより、無駄なファールやスタミナの消耗も減じて本領を発揮[52][76]。シュート精度も向上して[77]多彩な得点パターンで相手DFを脅かし[52]、第16節浦和戦でJ1通算100得点を達成[78]。その後も磐田戦、大分戦など終了直前に決勝点を挙げる試合も多く[79][80]、チームを牽引。自己最多の26得点を記録し得点王に輝いた。

日本代表には2012年2月のアイスランド戦以来招集されていなかったが、2013年以来の好調が持続していたことや[81]FW柿谷曜一朗やMF香川真司の不調もあって[82]、2014年5月12日にワールドカップブラジル大会の日本代表にサプライズ選出された[83][84]。翌6月の親善試合ザンビア戦では、2008年以来となる国際Aマッチでの得点を記録した[85]。多様な能力を兼備するオールラウンダーであり[86]ポジションはどこでもできるとの自身の言葉通り[83]、FW[87]、トップ下[87]、両サイドハーフ[88]で構想され、チームを活性化させたものの[89][86]、本大会では途中出場の第1戦コートジボワール戦、右サイドハーフで先発し決定機を外した[88]。第2戦ギリシャ戦及び第3戦コロンビア戦のいずれも得点できず、グループリーグで敗退した。

Jリーグでは昨季の得点王として強いプレッシャーを感じながらも[90]得点量産を続け、同年9月のJ1第25節大宮戦でC大阪在籍時以来となる10年ぶり[注 9]2度目のハットトリックを達成[93]。第25節でのハットトリックはJリーグ創設以来最遅。通年では18得点を挙げ2年連続の得点王を獲得。単独での[注 10]2年連続得点王はJリーグ開幕以来初となった[90]。なお、同年8月30日のJ1第22節名古屋戦でカルビーの広告看板を蹴って損壊させたことで2試合の出場停止処分を受けている[94][95]

FC東京からのオファー等あったものの[19][96]契約を更新し川崎に残留。2015年、1st第7節甲府戦でJ1通算139得点目を挙げて三浦知良の持つ記録に並び、同第9節FC東京戦で140得点目を挙げて単独4位となった。ゴールパフォーマンスではカズダンスを披露した[97][98]。同年9月、2nd第11節名古屋戦にて自身3度目となるハットトリック[99]及びJリーグ史上4人目となる通算150得点を記録[100][101]。通年では23得点を挙げ、Jリーグ史上初の3年連続[注 10]得点王を獲得し[102][103][104]日本最高のストライカーとして名を馳せた[105]

2016年もゴールへの嗅覚は冴え[106]、1st第3節名古屋戦でJ1歴代最多タイの通算158得点を挙げ[107]、同6節鳥栖戦でJ1新記録159得点目を記録[108][109][106]。通年ではリーグ戦33試合に出場。4年連続の得点王こそ逃したが、日本人選手最多タイとなる15得点を記録した[110]風間八宏監督に「どこ(のポジション)をやっても一番うまい」と認められ[111]周囲からは攻撃的サッカーの中で活躍を続けていたように見られていたが[104][112]、大久保自身は同年のチームはミスを怖がり縦パスを狙えなくなってしまったと感じており[104][112]、変化を求めていた。同年末の契約満了に伴い、川崎からの慰留も含めて複数クラブによる争奪戦が展開された[113][114]。なお、同年開催のオリンピックには選出されなかった(後述)。

FC東京時代[編集]

FC東京からの2年ぶりの再オファーに熱意を感じ[19][96]、2017年に同クラブへ完全移籍[115][116]。3月18日、第4節の川崎フロンターレ戦では古巣からゴールを奪って移籍後初得点を決めた。

選手としての特徴[編集]

日本最強とも評されるストライカー[117]。フォワードとしてマルチな能力を有する他[118]、ボランチやサイドハーフとしても高い能力を持つオールラウンドプレイヤーである[119]。戦術練習でトップ下、右MF、左MF、ボランチを試され、川崎の監督である風間八宏からは「どこをやっても一番うまい」と評されている[120]。川崎移籍後にシュート精度を向上させ、2013年から3年連続で得点王を獲得している[121]

ペナルティーキックを得意とする[122]

久保竜彦からは「一緒にやったFWで一番スゴいと思ったのが嘉人でした。っていうか、チーターっていうか、体の使い方がうまい」と評されている[123]

人物・エピソード[編集]

  • 姉2人の3人姉弟[10]
  • 短気で[1]試合中に悔しいとカッとなる[8]と申告し、強気な言動でも知られ[19]、闘争心の現れによる無用な警告・退場も多かった[52]。2015年10月に松下裕樹がJリーグ史上初となる通算100枚目のイエローカードを提示されたが、同時点で大久保のイエローカード数は99を数えていた[124]。一方、ピッチ外ではシャイな性格の持ち主[52]。神戸在籍時に親交のあった安達貞至からは、世間の印象とは逆で周りの人間を本当に大事し、自分からは前に出ないもの静かな男、記者が大久保の発言を大げさに報じても苦笑いで済ませ、若手にいじられてもニコニコしていると評されている[125]
  • 2004年12月に結婚[126]。妻の父は大久保の中学生時のサッカーの恩師[127][128]。2008年1月5日に御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)内の施設にて結婚式を挙げ[129]、その際スタジアム内にて夫人側のチームとセレモニーマッチを行った[130]。2005年に長男が、2010年に次男が[131]、2012年に三男が誕生した[132]。2015年夏には妻が流産。奇胎後hcg存続症と診断された。同年10月に抗がん剤治療中の妻を勇気づけるため、3人の息子と共に、国見高校在学時以来14年ぶりに頭を丸刈りにした[133][134]
  • ペナルティーキック(PK)は「めちゃくちゃ緊張」するので「嫌い」だが、得点で勝利に貢献したいという気持ちから他の選手にキッカーを譲らないため[135]、PKによる得点も多い[136]。J1通算100得点目も中村憲剛が獲得したPKを自ら決めている[137]。PK時のリラックス法は「外すことを考えること」[138]
  • 川崎移籍後、神戸との練習試合会場に神戸サポーターが「嘉人今までありがとう。またいつか神戸で!」というこれまでの貢献を労う横断幕を掲げている[139]
  • 国見[140]、神戸、川崎、FC東京、日本代表で着用した背番号13には思い入れがあり[141]、2014年11月に妻の出身地である[142]長崎県島原市に開校した学習塾併設のサッカースクール「Btrece(ベトレーセ)」もスペイン語を元に「輝ける13番」を意味する造語である[127]。2015年1月には島原市ふるさと納税大使に任命された[142]
  • オリンピックへのこだわりは強く、2004年アテネ大会敗退の悔しさから「もう1度出て日本を勝たせたい」とオーバーエイジでの出場に意欲的だったが[143]、実際に打診のあった2008年北京大会では所属クラブの神戸が拒否[144]2016年リオデジャネイロ大会に際しても、Jリーグ4期連続得点王獲得よりもオリンピック出場を望むほどだったが[145]川崎が招集を拒否したため[146]、リスト最上位にありながらも[147]選出を見送られた[148][149]。大会後、改めて「大きな重圧の中でプレーする喜びを味わいたかった」とオリンピックへの思いを吐露している[150]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 国見 13 - - - 1 0 1 0
2000 10 - - - 2 1 2 1
2001 C大阪 15 J1 20 2 1 1 3 0 24 3
2002 J2 29 18 - 2 1 31 19
2003 10 J1 24 16 3 0 5 4 32 20
2004 22 15 2 0 1 0 25 15
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2004-05 RCDマヨルカ 17 プリメーラ 13 3 - - 13 3
2005-06 26 2 1 1 - 27 3
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2006 C大阪 36 J1 21 6 - 0 0 21 6
2007 神戸 13 31 14 5 0 2 1 38 15
2008 31 11 0 0 1 1 32 12
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2008-09 ヴォルフスブルク 8 ブンデス1部 9 0 - 2 0 11 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 神戸 50 J1 19 8 - 1 1 20 9
2010 13 17 4 0 0 1 1 18 5
2011 30 9 1 0 1 0 32 9
2012 10 26 4 3 2 1 0 30 6
2013 川崎 13 33 26 8 4 4 3 45 33
2014 32 18 4 2 1 0 37 20
2015 32 23 4 2 3 2 39 27
2016 33 15 0 0 6 5 39 20
2017 FC東京 2 1 0 0
通算 日本 J1 371 171 31 11 30 18 432 200
日本 J2 29 18 - 2 1 31 19
日本 - - 3 1 3 1
スペイン プリメーラ 39 5 1 1 - 40 6
ドイツ ブンデス1部 9 0 - 2 0 11 0
総通算 448 194 32 12 37 20 517 226
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA EL
2008-09 ヴォルフスブルク 8 2 0
AFC ACL
2014 川崎 13 8 1
通算 UEFA 2 0
AFC 8 1
総通算 10 1
  • 2000年度は強化指定選手としての試合出場はなし
出場歴

タイトル[編集]

チーム[編集]

個人[編集]

得点王[編集]

  • 全国高校総体 (2000年)
  • 全国高校選手権 (2000年)
  • Jリーグ (2013年、2014年、2015年)

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 60試合 6得点 (2003年 - 2014年)[2]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 14 0
2004 3 0
2005 2 0
2007 2 2
2008 12 3
2009 9 0
2010 11 0
2012 1 0
2014 6 1
通算 60 6

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年10月17日 日本大阪市 エジプトの旗 エジプト ○ 4-1 アフロアジア選手権
2.
3. 2008年02月06日 日本、さいたま市 タイ王国の旗 タイ ○ 4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
4. 2008年06月02日 日本、横浜市 オマーンの旗 オマーン ○ 3-0
5. 2008年11月13日 日本、神戸市 シリアの旗 シリア ○ 3-1 キリンチャレンジカップ2008
6. 2014年06月06日 アメリカタンパ ザンビアの旗 ザンビア ○ 4-3 国際親善試合

出版[編集]

書籍[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 本文中では「陸上の全国大会」(p. 47) とのみ記されており、大会の正式名称は登場しない[7]
  2. ^ この時の少年男子長崎県選抜チームの選手は全員が国見高校サッカー部から選出されていた[9][4]
  3. ^ この年度のJ2は全44節。
  4. ^ 当時のJリーグは、基本年俸に移籍係数を乗じて移籍金を算出する制度が存在していたため、移籍金が高騰しやすかった。
  5. ^ 大久保は移籍理由について、J1で引き続きプレーする事で日本代表へ復帰するためだとのコメントしている[49]
  6. ^ ブンデスリーガ1部、ドイツカップなどを通して。
  7. ^ グラフィッチは28得点、ジェコは26得点を挙げ、2008-09年度ブンデスリーガの得点ランキング1位2位を独占[60]
  8. ^ 後に本人曰く、事実上の戦力外であったことが判明し、この時JのクラブからのオファーがなければKリーグのクラブなどの移籍も考えていたという。
  9. ^ 10年ぶりのハットトリックはJリーグ史上最長。柳沢敦が2006年に記録した8年ぶりのハットトリックを大幅に更新した[91][92]
  10. ^ a b 前田遼一が2009年と2010年、ジョシュア・ケネディが2010年と2011年の2年連続得点王を達成。
出典
  1. ^ a b c d e f g PLAYER'S DATABASE”. 2008年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月20日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ a b “大久保 嘉人”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_a/yoshito_okubo.html 
  3. ^ a b c d e f g h i j k 大久保嘉人プロフィル 日刊スポーツ
  4. ^ a b c d e 国見4度目V高校3冠、大久保嘉人が得点王 / 復刻 日刊スポーツ (2017年1月9日)
  5. ^ a b c 第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)およびKIRIN WORLD CHELLENGE キリンチャレンジカップ2004(7/25長居、7/30国立)U-23日本代表チームメンバーについて”. 2004年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月20日閲覧。日本サッカー協会 (2004年7月16日)
  6. ^ 大久保 ミスチル事務所とマネジメント契約「心強い仲間できた」”. スポニチアネックス (2015年11月23日). 2015年11月24日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]