大久保嘉人

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大久保 嘉人 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヨシト
カタカナ オオクボ ヨシト
ラテン文字 ŌKUBO Yoshito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-06-09) 1982年6月9日(34歳)
出身地 福岡県京都郡苅田町
身長 170cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 川崎フロンターレ
ポジション FW (CF, ST) / MF (OH, SH)
背番号 13
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006 日本の旗 セレッソ大阪 116 (57)
2005-2006 スペインの旗 RCDマヨルカ (loan) 39 (5)
2007-2009 日本の旗 ヴィッセル神戸 62 (25)
2009 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 9 (0)
2009-2012 日本の旗 ヴィッセル神戸 92 (25)
2013- 日本の旗 川崎フロンターレ 130 (82)
代表歴2
2003-2014[1] 日本の旗 日本 60 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
2. 2014年6月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 - )は、福岡県出身のサッカー選手Jリーグ川崎フロンターレ所属。元日本代表。ポジションはフォワードミッドフィールダー。史上初の3年連続Jリーグ得点王2013年 - 2015年)。J1通算最多得点記録保持者。

2015年からMr.Childrenナオト・インティライミらが立ち上げた芸能事務所であるエンジンとマネージメント契約を結ぶ[2]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

幼少時は父親が購入したペレディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見たり、父親と一緒に釣りに行ったり野球に親しんでいた[3]。小学校3年時に苅田サッカースポーツ少年団に入団し、本格的にサッカーを始める。当初はストッパーの位置でプレーしていたが、小学校6年時よりフォワードの位置でプレーするようになった[4]。1994年にはU-12福岡県選抜チームに選出された一方で陸上競技にも取り組み、全国小学生陸上競技交流大会に出場した他[3]鹿島アントラーズ横浜マリノスとの試合の前座で、北九州市選抜チームの一員として福岡県の別のチームと対戦した際に5得点を挙げ、鹿島サポーターから「大久保」コールを受けるという経験もした[3]。小学校卒業後は長崎県に渡り国見町立国見中学校に入学[4]長崎県立国見高等学校サッカー部総監督であった小嶺忠敏が中高一貫でサッカーの指導をするために作った「小嶺アカデミースクール」に入る[3]。国見中学校では2、3年とも全国大会ベスト8に入り、U-15長崎県選抜チームに選出された。

1998年に国見高等学校に進学。2年生でレギュラーを獲得し、3年時の2000年、松橋章太らとともにインターハイ国民体育大会全国高等学校サッカー選手権大会でいずれも優勝し、高校三冠を達成した[5]。インターハイでは10得点、高校選手権では8得点を挙げてそれぞれ大会得点王を獲得した[6]天皇杯全日本サッカー選手権大会には、長崎県代表として2年時 (1999年度) ・3年時 (2000年度) の2度出場した他、U-19日本代表に選出されてAFCユース選手権2000にも出場した[6]

セレッソ大阪時代[編集]

複数のJクラブが争奪戦を展開した末[4]、2001年1月9日、セレッソ大阪への入団が発表された[7]。同年3月17日に駒場スタジアムで開催された2001年度Jリーグファーストステージ第2節 (対戦相手: 浦和レッドダイヤモンズ) で、79分から途中出場しJリーグデビューを果たす[8]。 初得点はジュビロ磐田を相手にナビスコカップ1回戦ファーストレグで先制点[9] を記録したもの。リーグ戦初得点も磐田から決めている。ルーキーイヤーである2001年はスーパーサブとしての出場が主で、20試合出場2得点という成績で終えた。しかし、全日程終了時点でセレッソは総合成績で16位となり、J2 へ降格。移籍するという選択肢もあったようであるが、国見高校時代の恩師である小嶺忠敏やサッカー部時代の先輩に相談を仰いだ上でセレッソでプレーし続けることを選択したという[4]

J2を戦場とした2002年には29試合[10] に出場して18得点を挙げ、当時アルビレックス新潟所属のマルクスに次ぐ得点ランキング2位の成績を残した[11]。この大久保の活躍もありセレッソはリーグ戦最終順位2位となり、1年でJ1へと復帰した。

2003年度はファースト・セカンド両ステージで合計24試合に出場し、得点ランキング日本人トップとなる16得点を挙げた[12] 他、12月10日には、同年度AFCより、アジア年間最優秀ユース選手賞を受賞した[13]。またアテネオリンピック予選に臨むU-22代表として活躍する傍ら、5月31日に行われた韓国との国際親善試合に、65分から鈴木隆行との交代で出場し[14]A代表デビューを飾った。

2004年は22試合に出場し、15得点を挙げた。また、同年3月まで開催されていたアテネオリンピックアジア地区予選での激闘を経て、7月にU-23日本代表としてアテネオリンピック本大会に出場した[15][16] この大会で日本は1勝2敗となり、グループステージを突破することはできなかったものの個人としてはグループリーグ全3試合に出場し[17][18][19]パラグアイ戦では81分に[17]ガーナ戦では37分に[19] 決勝点となるゴールをそれぞれ挙げた。

RCDマヨルカ時代[編集]

アテネオリンピックでの活躍がきっかけとなり2004年11月、リーガ・エスパニョーラ所属のRCDマヨルカへの期限付き移籍が発表された[20]。デビュー戦となった2005年1月9日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で1得点1アシストのデビューを飾り、高い注目を浴びた[21][22]。その後出場機会を失う時期があったが、チームが降格危機に瀕していたラスト4試合で復帰し、アスレティック・ビルバオ戦、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でそれぞれ1得点ずつ挙げる他、2アシストとPK獲得を為しとげる活躍で[23][24]、マヨルカの奇跡的とも言える残留に貢献した[25]。シーズン終了後UEFA選出スペインリーグ・若手ベストイレブンを受賞[26]。2005-06シーズンもレンタル延長という形で参戦[27] し、シーズン序盤にレギュラーポジションを手にするなどしたが、最終的に完全移籍を勝ち取るまでには至らなかった。スペインでの総合成績は39試合5ゴールと6アシスト。 代表ではデビュー以来、五輪に集中している時期を除きジーコ監督に継続的に招集される。当初は抜群の動きで多くのチャンスに絡み評価されていたものの、19試合のチャンスを貰いながら無得点が続いた事で、ついには代表に招集されなくなり、ドイツW杯のメンバーからも外れた。

セレッソ大阪時代(第2期)・ヴィッセル神戸時代[編集]

マジョルカでの契約が終了した2006年6月、セレッソ大阪への復帰が発表された[28]。このシーズンのセレッソは大久保加入までの13試合で勝ち点わずか6と、前年の好調が嘘のように低迷しており、大久保は低迷脱出のカンフル剤として期待されたが復帰当初はあまり活躍できなかった。後半戦に入りセレッソは大久保の復調、監督交代や名波浩などの加入を経て若干巻き返すも、降格圏脱出にまでは至らず最終順位17位となり、J2へ降格(なお個人記録は21試合出場6得点)。年明けに急遽ヴィッセル神戸からのオファーが報じられ、詳細な経緯は不明なもののこの移籍が成立。大久保はセレッソに3億円とされる移籍金を残し、活動の舞台を神戸へと移すこととなった[29][30][31]

2007年シーズン中に当時の松田浩監督に自ら進言して左MFとしても出場した。このことはのちに「チームのことを考えてプレーできるようになった」と語っている[32]

また、同年8月にはカメルーンとの国際親善試合で約1年10カ月ぶりに日本代表に復帰[33] 10月に行われたエジプトとの親善試合で1試合2得点を挙げ[34]。2003年の東アジア選手権以降、代表から遠ざかっていたこともあり、初選出から4年越しでの初ゴールとなった。以後南アフリカワールドカップを目指す日本代表のレギュラークラスのメンバーとして定着。

VfLヴォルフスブルク時代[編集]

2009年1月3日ブンデスリーガVfLヴォルフスブルクへの完全移籍が発表された[35]。当初、ヴォルフスブルクとは金銭面で折り合いがつかなかったが、移籍を望んだ本人の意向に添える形で、神戸側が最終的に譲歩し、推定2億5000万円[36] の移籍金をヴォルフスブルクが支払った。

オーバーヘッドシュートを放った事が理由でフェリックス・マガト監督の怒りを買ってベンチ入りメンバーから外されるという経験もした[37] が、ドイツのサッカーに慣れるに従い、相手選手に体をぶつけられても倒れることなくドリブルで進めるまでになった[37]。この経験について大久保自身は取材に対し、「試合に出れなくて、まぁ、いいや、って思ったら、もう終わりよ。(中略)サッカー選手をやっている以上は、出たい、出たい、って感じで練習もするやん[38]」というコメントを残している。

2008-09年度シーズンにおいて、長谷部誠と共にヴォルフスブルク史上初となるドイツ国内主要サッカー大会初優勝達成[39] を経験するが、大久保自身は、グラフィッチエディン・ジェコが好調であった[40] こともあり、あまり出場機会を得ることができなかった。

ヴィッセル神戸時代(第2期)[編集]

前述のとおり、ヴォルフスブルクでは出番を与えられず、ワールドカップ出場を見越してより多くの出場機会を得るため、2009年6月16日、神戸への復帰が決定した[41]

2010年5月10日、W杯南アフリカ大会に臨む代表メンバーに選出された。強化試合として行われた韓国[42]イングランド[43]コートジボワール[44] に出場し、本大会ではグループリーグ三試合と決勝トーナメント一回戦に左サイドハーフとして先発出場し、日本の2大会ぶりとなる決勝トーナメント進出に貢献した。ワールドカップでは献身的に走って活躍したが、帰国後には燃え尽き症候群を発症し怪我が多発、チームの守備的な戦いも影響したためか、17試合で4得点に終わった。 2011年シーズンは細かい怪我はあったもののシーズン通して稼働。中盤でのプレーが主ではあったが、30試合9得点。2011年8月6日、J1第20節浦和戦でJリーグ通算100ゴールを決めた。2012年シーズンは自身の希望もあり、セレッソ時代に背負っていた「10」を背負う[45][46]。前年は中盤でプレーすることが多かったが、開幕からFWに固定されで2得点を挙げ上々の滑り出しを見せた。しかし新加入選手が多く、チーム戦術や共通意識が定まらないこともあり、FWながら中盤に下がらざるを得ない状態となりゴールから遠ざかると、7節の柏レイソル戦で負傷。当初長期離脱が予想されたが、2週間ほどで復帰。しかし、この負傷以降コンディションが上がらず、リーグ戦26試合4ゴールと2010年シーズン以上に低調なシーズンとなり、クラブも降格した。

川崎フロンターレ時代[編集]

ヴィッセルはJ2に降格したものの、本人はJ2へ降格させてしまったことに責任を感じており、契約が2013年末まで残っていたこともありクラブへの残留を希望していた。しかし、クラブ側から慰留する返事がなく、逆に契約交渉の席で移籍を勧められたことで移籍を検討[47]。熱心なオファーのあった川崎フロンターレへ完全移籍が決定した。[48][49] 2013年7月15日、J1第16節浦和戦でJ1通算100ゴールを達成した[50]。その後も磐田戦、大分戦などで終了直前に決勝点を挙げるなど[51][52]、チームの攻撃サッカーを牽引。移籍1年目で自己最多の26得点を記録し得点王に輝いた。

日本代表には、2012年2月24日のアイスランド戦以来招集されていなかったが、2014年5月12日にW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[53]。6月6日の親善試合ザンビア戦(米国・タンパ)では、2008年以来となる代表戦での得点を記録した[54]。W杯グループリーグ第1戦コートジボワール戦は後半途中から出場、第2戦ギリシャ戦と第3戦コロンビア戦はスタメン起用されたが、第2戦で後半23分に決定機を外す等、いずれも得点出来ずチームもグループリーグで敗退した。

2014年8月30日のJ1第22節名古屋戦においてカルビーの広告看板を蹴って損壊させたため、9月13日の第23節と9月20日の第24節の2試合について出場停止処分を受けた[55][56]。同年9月23日のJ1第25節大宮戦にて、C大阪時代以来10年ぶり2度目のハットトリックを達成[57]。このハットトリックが2014年シーズンにおける最初のハットトリックとなり、Jリーグ創設以来最も遅い記録となった。また、10年間のブランクを経てのハットトリックも鹿島時代に柳沢敦が記録した8シーズンを上回り、最長記録となった[58]。最終的にリーグ戦18得点で2年連続の得点王を獲得。単独での2年連続得点王はJリーグ開幕以来初となった[59]

2015年4月25日1stステージ第7節甲府戦で挙げた得点がJ1通算139得点目となった。5月2日の第9節FC東京戦でも得点し、J1通算得点を「140」に伸ばし、三浦知良を抜いて単独4位となった。ゴールパフォーマンスではカズダンスを披露した[60][61]。同年9月19日2ndステージ第11節名古屋グランパスにて自身3度目となるハットトリックを達成し、通算152得点目としてJリーグ史上4人目となる150得点を記録[62][63]。最終的に23得点を挙げ、Jリーグ史上初の3年連続得点王を獲得[64][65]

2016年3月12日の名古屋グランパス戦(等々力陸上競技場)で、J1歴代最多タイの通算158得点を記録[66]。同年シーズンはリーグ戦33試合に出場。4年連続の得点王は逃したが、日本人選手最多タイとなる15得点を記録した[67]

選手としての特徴[編集]

日本最強とも評されるストライカー[68]。フォワードとしてマルチな能力を有する他[69]、ボランチやサイドハーフとしても高い能力を持つオールラウンドプレイヤーである[70]。戦術練習でトップ下、右MF、左MF、ボランチを試され、川崎の監督である風間八宏からは「どこをやっても一番うまい」と評されている[71]。川崎移籍後にシュート精度を向上させ、2013年から3年連続で得点王を獲得している[72]

ペナルティーキックを得意とする[73]

人物・エピソード[編集]

  • 2004年12月に結婚[74]。2008年1月5日に御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)内の施設にて結婚式を挙げ[75]、その際スタジアム内にて夫人側のチームとセレモニーマッチを行った[76]。2005年に長男が、2010年に次男が[77]、2012年に三男が誕生した[78]
  • 川崎移籍後、神戸との練習試合会場に神戸サポーターが「嘉人今までありがとう。またいつか神戸で!」というこれまでの貢献を労う横断幕を掲げている[79]
  • 2014年11月、長崎県島原市に児童学習塾を併設し文武両道を基本方針とするサッカースクール「ベトレーセ」を開校した。校名はスペイン語を語源とした造語で「輝ける13番」を意味しており、自身ゆかりの背番号にちなんでいる[80]
  • 2015年夏、妻が流産。奇胎後hcg存続症と診断され、抗がん剤治療を受ける。同年10月、妻を勇気づけるため、3人の息子と共に、国見高校時代以来14年ぶりに頭を丸刈りにした[81]
  • オリンピックへのこだわりが強く、2008年北京オリンピック・2016年リオデジャネイロオリンピックではオーバーエイジ枠での出場に意欲的であったが[82]、所属クラブの事情などから選出は見送られ[83][84]、のちに改めて「大きな重圧の中でプレーする喜びを味わいたかった」とオリンピックへの思いを吐露している[85]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 国見 13 - - - 1 0 1 0
2000 10 - - - 2 1 2 1
2001 C大阪 15 J1 20 2 1 1 3 0 24 3
2002 J2 29 18 - 2 1 31 19
2003 10 J1 24 16 3 0 5 4 32 20
2004 22 15 2 0 1 0 25 15
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2004-05 RCDマヨルカ 17 プリメーラ 13 3 - - 13 3
2005-06 26 2 1 1 - 27 3
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2006 C大阪 36 J1 21 6 - 0 0 21 6
2007 神戸 13 31 14 5 0 2 1 38 15
2008 31 11 0 0 1 1 32 12
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2008-09 ヴォルフスブルク 8 ブンデス1部 9 0 - 2 0 11 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2009 神戸 50 J1 19 8 - 1 1 20 9
2010 13 17 4 0 0 1 1 18 5
2011 30 9 1 0 1 0 32 9
2012 10 26 4 3 2 1 0 30 6
2013 川崎 13 33 26 8 4 4 3 45 33
2014 32 18 4 2 1 0 37 20
2015 32 23 4 2 3 2 39 27
2016 33 15
通算 日本 J1 338 156 31 11 24 13 393 180
日本 J2 29 18 - 2 1 31 19
日本 - - 3 1 3 1
スペイン プリメーラ 39 5 1 1 - 40 6
ドイツ ブンデス1部 9 0 - 2 0 11 0
総通算 415 179 32 12 31 15 478 206
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA UEFA EL
2008-09 ヴォルフスブルク 8 2 0
通算 UEFA 2 0
AFC ACL
2014 川崎 13 8 1
通算 AFC 8 1
  • 2000年度は強化指定選手としての試合出場はなし

タイトル[編集]

チーム[編集]

ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク

個人[編集]

その他[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 60試合 6得点(2003年 - 2014年)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 14 0
2004 3 0
2005 2 0
2007 2 2
2008 12 3
2009 9 0
2010 11 0
2012 1 0
2014 6 1
通算 60 6

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2007年10月17日 日本大阪市 エジプトの旗 エジプト ○ 4-1 アフロアジア選手権
2.
3. 2008年2月6日 日本、さいたま市 タイ王国の旗 タイ ○ 4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
4. 2008年6月2日 日本、横浜市 オマーンの旗 オマーン ○ 3-0
5. 2008年11月13日 日本、神戸市 シリアの旗 シリア ○ 3-1 キリンチャレンジカップ2008
6. 2014年6月6日 アメリカタンパ ザンビアの旗 ザンビア ○ 4-3 国際親善試合

出版[編集]

執筆書籍[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b “大久保 嘉人”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_a/yoshito_okubo.html 
  2. ^ 大久保 ミスチル事務所とマネジメント契約「心強い仲間できた」”. スポニチアネックス (2015年11月23日). 2015年11月24日閲覧。
  3. ^ a b c d 『日本代表戦士 23人の少年時代』 日本スポーツ企画出版社、東京都、2010年、44-49頁。ISBN 978-4-930942-95-1本文中では「陸上の全国大会」(p. 47) とのみ記されており、大会の正式名称は登場しない。
  4. ^ a b c d FOOTALK 大久保嘉人 目覚めたスタイル”. WEBサッカーマガジン (2002年4月18日). 2010年6月26日閲覧。
  5. ^ この時の少年男子長崎県選抜チームの選手は全員が国見高校サッカー部から選出されていた。『2000年とやま国体 サッカー競技 公式プログラム』 p.75参照。
  6. ^ a b 第79回全国高校サッカー選手権 国見 3冠達成 8年ぶり4度目のV”. 長崎新聞社 (2001年1月9日). 2011年2月5日閲覧。
  7. ^ 新加入選手についてのお知らせ”. セレッソ大阪公式サイト 2001.1.9付ニュースリリース (2001年1月19日). 2011年2月5日閲覧。
  8. ^ 2001 Jリーグ ディビジョン1 1st ステージ 第2節第1日 浦和レッズ対セレッソ大阪”. セレッソ大阪公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  9. ^ 2001 Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 1回戦第1戦 ジュビロ磐田対セレッソ大阪”. セレッソ大阪公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  10. ^ この年度のJ2は全44節。
  11. ^ 得点順位表 2002Jリーグ ディビジョン2 【第44節】”. Jリーグ公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  12. ^ 得点順位表 2003Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 【第15節】”. Jリーグ公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  13. ^ 大久保嘉人選手AFCヤングプレイヤーオブザイヤー受賞”. セレッソ大阪公式サイト 2003.12.10付ニュースリリース (2003年12月10日). 2011年2月5日閲覧。
  14. ^ 財団法人日本サッカー協会. “公式記録 国際親善試合 日本代表対韓国代表 (PDF)”. JFA公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  15. ^ 大久保 嘉人選手U-23日本代表に選出”. セレッソ大阪公式サイト 2004.7.16付ニュースリリース (2004年7月16日). 2011年2月5日閲覧。
  16. ^ 第28回オリンピック競技大会 日本代表選手団:サッカー 大久保嘉人”. JOC公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  17. ^ a b Olympic Football Tournaments Athens 2004 - Men Match Report: Paraguay - Japan” (英語). FIFA (2004年8月12日). 2010-06-26T07:40Z閲覧。
  18. ^ Olympic Football Tournaments Athens 2004 - Men Match Report: Japan - Italy (英語) FIFA公式サイト 2004.8.15付リリース
  19. ^ a b Olympic Football Tournaments Athens 2004 - Men Match Report: Japan - Ghana” (英語). FIFA公式サイト (2004年8月18日). 2010-06-26T07:40Z閲覧。
  20. ^ 大久保 嘉人選手 スペイン1部リーグ・マジョルカ 期限付き移籍合意について”. セレッソ大阪公式サイト 2004.11.8付ニュースリリース (2004年11月8日). 2011年2月5日閲覧。
  21. ^ ESPN Soccernet. “Mallorca 2 - 2 Deportivo La Coruña” (英語). 2011年2月5日閲覧。
  22. ^ 鈴井智彦 (2005年2月4日). “大久保の2ゴール目はきっと近い。”. Number web. 2011年2月5日閲覧。
  23. ^ ESPN Soccernet. “Mallorca 4 - 3 Athletic Bilbao” (英語). 2011年2月5日閲覧。
  24. ^ ESPN Soccernet. “Deportivo La Coruña 0 - 3 Mallorca” (英語). 2011年2月5日閲覧。
  25. ^ マジョルカ奇跡的残留、大久保も残留濃厚 日刊スポーツ大阪版 2005.5.31付記事[リンク切れ]
  26. ^ DIVINANET.COM (2005年6月3日). “大久保、若手ベスト11に選出”. 2008年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月3日閲覧。
  27. ^ 大久保嘉人選手 マジョルカ移籍期間延長決定”. セレッソ大阪公式サイト 2005.6.14付ニュースリリース (2005年6月14日). 2011年2月5日閲覧。
  28. ^ 大久保 嘉人選手復帰のお知らせ”. セレッソ大阪公式サイト 2006.6.15付ニュースリリース (2006年6月15日). 2011年2月5日閲覧。
  29. ^ 大久保 嘉人選手 ヴィッセル神戸へ完全移籍のお知らせ”. セレッソ大阪公式サイト 2007.1.15付ニュースリリース (2007年1月15日). 2011年2月5日閲覧。
  30. ^ この時大久保は移籍の理由について、J1で引き続きプレーする事で日本代表へ復帰するためだとのコメントを残している。大久保 嘉人選手 ヴィッセル神戸へ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2007.1.15付ニュースリリース参照。
  31. ^ セレッソ大阪よりFW大久保嘉人選手完全移籍加入決定”. ヴィッセル神戸公式サイト 2007.1.15付ニュースリリース (2007年1月15日). 2011年2月5日閲覧。
  32. ^ Jリーガーの素顔「大久保嘉人選手編」”. スカパー!サッカーページ Jリーグコラム Jリーガーの素顔 (2011年7月19日). 2011年8月16日閲覧。
  33. ^ FW大久保嘉人選手、日本代表(8/22vs.カメルーン)選出!”. ヴィッセル神戸公式サイト 2007.8.18付ニュースリリース (2007年8月18日). 2011年2月5日閲覧。
  34. ^ 公式記録 AFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007 日本代表 対 エジプト代表 (PDF)”. JFA公式サイト. 2011年2月5日閲覧。
  35. ^ FW大久保嘉人選手の海外移籍について”. ヴィッセル神戸公式サイト (2009年1月3日). 2011年2月5日閲覧。
  36. ^ 大久保がドイツで会見”. Live!VISSEL(神戸新聞ヴィッセル神戸応援ページ) (2009年1月6日). 2011年2月5日閲覧。
  37. ^ a b ミムラコウスケ (2009年7月10日). “ブンデスリーガ蹴球白書 大久保嘉人は通用しなかったのか。~日本代表FWがドイツを去った理由~ 1”. Number web. 2011年2月5日閲覧。
  38. ^ ミムラコウスケ (2009年7月10日). “ブンデスリーガ蹴球白書 大久保嘉人は通用しなかったのか。~日本代表FWがドイツを去った理由~ 2”. Number web. 2011年2月5日閲覧。
  39. ^ ブンデスリーガ1部、ドイツカップなどを通して
  40. ^ グラフィッチは28得点、ジェコは26得点を挙げ、2008-09年度ブンデスリーガの得点ランキング1位2位を独占した。Bundesliga Comment: Grafite And Dzeko - A Match Made In Heaven (英語) Goal.com 2009.5.23付記事参照。
  41. ^ ヴォルフスブルク(ドイツ1部)より大久保嘉人選手移籍加入決定”. ヴィッセル神戸公式サイト 2009.6.16付ニュースリリース (2009年6月16日). 2011年2月5日閲覧。
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  47. ^ 後に本人曰く、事実上の戦力外であったことが判明し、この時JのクラブからのオファーがなければKリーグのクラブなどの移籍も考えていたという。
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  84. ^ 山本昌邦「FootBallマネジメント」 サッカー五輪「OA枠」選定にもっとも重要なものは? U-23日本代表・手倉森監督の決断 - 講談社現代ビジネス」 2016-6-22
  85. ^ 【七色コラム】サッカー・大久保嘉人 結果が全ての世界 重圧の中戦う幸せ - スポーツ報知 2016-08-10

関連項目[編集]

外部リンク[編集]