野沢拓也

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野沢 拓也 Football pictogram.svg
名前
愛称 ノザ
カタカナ ノザワ タクヤ
ラテン文字 NOZAWA Takuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-08-12) 1981年8月12日(37歳)
出身地 茨城県笠間市
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム オーストラリアの旗ウーロンゴン・ウルブス
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2011 鹿島アントラーズ 254 (50)
2012 ヴィッセル神戸 33 (5)
2013-2014 鹿島アントラーズ 31 (5)
2014-2017 ベガルタ仙台 66 (10)
代表歴
2006 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

野沢 拓也(のざわ たくや、1981年8月12日 - )は、茨城県笠間市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

来歴[編集]

若きゲームメーカーとして鹿島アントラーズユース在籍中の1997年9月3日、同日にG大阪戦とシンガポールで行われたアジアクラブ選手権ゲイラン・ユナイテッドFC戦の2試合をこなす必要があり、さらにW杯アジア地区最終予選の日本代表メンバーであった名良橋晃秋田豊相馬直樹本田泰人が代表の日程の関係上試合出場ができずに、2チームの選手をそろえるには大幅に人数が足りなくなったため、G大阪戦(万博)で高校1年生ながらトップ登録、およびベンチ入りメンバーに入ったが試合出場はなく、試合後すぐにトップ登録抹消となっている。

高校3年生となった1999年には再び2種登録選手の形でトップ登録が行われ、同年4月10日の京都戦で初出場(17歳7ヶ月と30日の出場はクラブ最年少記録)を果たす。同年、ブラジルに短期留学した。

その後しばらくは同じ攻撃的MFの小笠原満男本山雅志など鹿島の厚い選手層の陰に隠れ、持病のケーラー病英語版に怪我も重なり伸び悩んでいた。しかし、2005年にこれまでと異なる1.5列目やFW、ウイング的な役割で起用されると28試合出場10得点を記録。優勝争いを経験する中で、新境地を開くシーズンとなった。

2006年シーズン途中に小笠原がイタリアへ移籍する際には後継者に指名され、レギュラーとしての地位を築いた。12月2日に行われた磐田戦(カシマ)では、自身初となるハットトリックも達成した。

2006年11月11日A代表に初選出された。

2007年シーズンより、前年まで小笠原がつけていた背番号8を受け継ぐこととなった。自身の誕生日である8月12日の甲府戦ではバースデーゴールを挙げ、その得点がチームのリーグ戦通算900得点という記念ゴールにもなった。

2008年は夏場にスタメンから外れることもあったが、最終節の札幌戦でチームをリーグ連覇に導くミドルシュートを決めるなどチームに貢献した。

2009年は怪我もなく、出場停止のゲーム以外はすべてスタメン出場し、32節、33節とゴールを決め、チームのリーグ3連覇に貢献した。2009年時点での通算35得点のうち、11-12月のリーグ戦でチーム歴代最多の13得点を記録している。緊迫したシーズン終盤に特に力を発揮することから、”ミスター・クライマックス”の異名を持つ[1]

2010年はリーグ戦全試合出場。天皇杯決勝では、決勝点となるフリーキックを決める。2011年には、常陽銀行のキャラクターに任命され、初の茨城県出身者から起用された。

2012年ヴィッセル神戸へ完全移籍。神戸にとっては待望のプレースキッカーの加入であり、多くの得点を演出するなどチームの中心として活躍したが、チームはJ2に降格した。2013年に古巣鹿島に完全移籍で復帰した。

2014年8月1日ベガルタ仙台への完全移籍が発表された[2]。背番号は2012年以来の「8」に決まった。加入後は左サイドハーフとしてスタメンに定着、幾度となく決定的なチャンスを作り、チームのJ1残留に貢献した。2018年1月ベガルタ仙台を契約満了に伴い退団することを発表した。

2018年2月、オーストラリアウーロンゴン・ウルブスへ移籍[3]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 1989年 - 1993年 稲田サッカースポーツ少年団
  • 1994年 - 1996年 鹿島アントラーズジュニアユース
  • 1997年 - 1999年 鹿島アントラーズユース(潮来高等学校
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 鹿島 34 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1999 CFZ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 鹿島 25 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2001 5 0 0 0 2 1 7 1
2002 13 0 6 2 3 0 22 2
2003 5 0 1 0 4 2 10 2
2004 16 2 7 3 3 1 26 6
2005 28 10 2 0 3 1 33 11
2006 29 9 11 1 3 0 43 10
2007 8 29 5 6 1 5 0 40 6
2008 27 3 2 0 2 0 31 3
2009 33 7 2 0 4 2 39 9
2010 34 8 2 0 5 2 41 10
2011 34 6 3 0 2 1 39 7
2012 神戸 33 5 4 0 1 0 38 5
2013 鹿島 35 23 4 8 0 2 1 33 5
2014 8 1 4 1 1 0 13 2
仙台 8 16 2 - - 16 2
2015 29 4 3 0 3 1 35 5
2016 18 3 4 0 1 0 23 3
2017 3 1 8 0 0 0 11 1
通算 日本 J1 384 70 74 8 44 12 502 90
ブラジル
総通算 384 70 74 8 44 12 502 90
  • 1999年はユース所属

その他の公式戦

  • 2008年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2011年
    • スーパーカップ 1試合1得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 鹿島 25 2 1
2008 8 6 4
2009 7 2
2010 7 1
2011 7 2
通算 AFC 29 10

その他の国際公式戦

出場歴

代表歴[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

鹿島アントラーズ

脚注[編集]

  1. ^ [1] スポーツ報知 2009年11月15日
  2. ^ “鹿島アントラーズ 野沢拓也選手 完全移籍加入のお知らせ” (プレスリリース), ベガルタ仙台, (2014年8月1日), http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/08/post-1796.html 
  3. ^ オーストラリア移籍が決定の野沢拓也、クラブの発表が力入りすぎ!”. Qoly (2018年2月15日). 2018年2月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]