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鈴木啓太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 啓太
名前
愛称 ケイタ
カタカナ スズキ ケイタ
ラテン文字 SUZUKI Keita
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-07-08) 1981年7月8日(43歳)
出身地 静岡県清水市(現:静岡市清水区
身長 177cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 東海大翔洋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2015 日本の旗 浦和レッズ 379 (10)
通算 379 (10)
代表歴2
2002-2004  日本 U-23
2006-2008 日本の旗 日本 28 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月9日現在。
2. 2008年5月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表

妻は女優ファッションモデル畑野ひろ子。サッカー選手の水野和樹および水野晃樹は従兄弟。日本プロサッカー選手会元副会長。マネジメントでは株式会社ラボーナ所属。かつてセント・フォースのアスリート部門「ゾーン」に所属していた。

2000年の入団以来、浦和レッズ一筋でプレーしたバンディエラ。2015年10月にアスリートの腸内細菌データをベースにヘルスケア・フードテック事業を展開するAuB(オーブ)株式会社を設立。

来歴

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小学生時代は清水FCに所属し、1993年の第17回全日本少年サッカー大会で準優勝を経験。また、中学時代は東海大一中(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)の一員として全国中学校サッカー大会優勝の原動力となった。

東海大翔洋高校卒業後、2000年浦和レッズに加入[2] し、天皇杯でプロ初出場。翌年のヴィッセル神戸戦でリーグ戦初出場を果たし、そのままレギュラーに定着。2002年からはアテネオリンピックを目指すU-23サッカー日本代表にも招集されるようになり最終予選ではキャプテンも務めるも、監督であった山本昌邦が複数ポジションをこなせるユーティリティプレイヤーを好んで選出したため、本大会には選出されなかった。

2006年、日本代表監督にイビチャ・オシムが就任。A代表に初招集され、同年8月9日キリンチャレンジカップトリニダード・トバゴ戦で初出場し、以後オシムジャパンでは唯一全試合先発出場を続けた。

また、クラブでの活躍により2006年、2007年と2年連続でJリーグベストイレブンに選出され、2007年にはサッカー担当記者選出の日本年間最優秀選手賞を受賞している[2]

2008年は前年まで浦和、日本代表で過密日程の中、フル稼働した疲労が溜まった影響か、扁桃炎の発症や度重なる負傷に苛まれ、苦しいシーズンを送った。また、代表でも扁桃炎で離脱している間に長谷部誠ボランチの定位置を奪われ、病気から復帰した後も本来のプレーを取り戻せないことも相まって2008年6月以降は日本代表に招集されていない。

2009年山田暢久に替わり、チームキャプテンに就任。主に阿部勇樹ボランチでコンビを組み、大きな怪我も無くほぼフル稼働し、浦和の中盤を支え続けた。また、9月19日J1第26節川崎フロンターレ戦では自身2年振りとなるゴールも記録した。

2010年も引き続きチームキャプテンに就任。しかし、細貝萌の台頭などもあり、序盤は阿部勇樹、細貝萌のボランチのコンビが機能していた影響で、自然にベンチを温める機会が多くなった。 8月末に阿部がレスター・シティFCに移籍した影響でボランチの層が薄くなったものの、ここでも怪我などが重なりレギュラー奪取とは行かず、最終的に公式戦出場試合数は前年の約半分程に減った。

2011年ゼリコ・ペトロビッチ新監督からチームキャプテンに指名され[3]、これで3年連続でチームキャプテンを任される形となった。この年はプレシーズンマッチから先発で起用されたが、開幕戦の神戸戦で退場処分を受け、東日本大震災中断明けの第7節名古屋グランパス戦は出場停止となり欠場。その後、出場停止明けの数試合は山田暢久にボランチのポジションを譲ったが、程なくしてレギュラーに復帰。監督が堀孝史に交代後は4-1-4-1システムのアンカーのポジションを任され、J1残留に大きく貢献した。

2012年は阿部勇樹が復帰したことで3年続いたチームキャプテンを譲る形となった。怪我も無く、阿部と共にほぼ全試合に出場した。天皇杯2回戦ヴォルカ鹿児島戦で、後半開始から阿部勇樹センターバック、鈴木啓太ボランチで入ったものの、攻守にバランスが取れなかったことからポジションチェンジが行われ、公式戦で初めてセンターバックに入った。

2013年Jリーグでは、那須大亮の加入もありゲーム終盤では、トップ下に入る試合が増えた。また、ACLでは那須がボランチ出場するためベンチスタートが続いたが、永田充の怪我で那須のセンターバック起用によってACLでもボランチ出場している。

2014年は序盤スタメン出場が続いていたが、青木拓矢が怪我から復調すると徐々にベンチスタートが多くなっていった。 シーズン中盤からは再びスタメン出場を続けていたが、Jリーグ第31節横浜F・マリノス戦の試合途中に突然体調不良に見舞われハーフタイムで交代した。その後の診断結果で不整脈と診断されドクターが付き経過を観察していたが、状態が安定して来た為、第34節名古屋グランパス戦でベンチ入りし後半86分に途中出場したものの、皮肉にも自身のパスミスからカウンターを喰らい永井謙佑に逆転ゴールを奪われ[4]、逆転負けを喫してしまった。シーズンオフに入り不整脈の手術を受ける事を決断したが、オフにもう一度精密検査を受けた結果手術の必要が無い事が分かった。

2015年10月20日に自身のFacebookで同年限りで浦和を退団することを発表した。同年は怪我の影響などもありリーグ戦は4試合の出場であった。11月22日、明治安田生命J1リーグ2ndステージ第17節ヴィッセル神戸戦終了後、鈴木の退団セレモニーが行われ、現役を引退した[5]

現役引退後は実業家に転身してAuB(オーブ)株式会社代表取締役を務めている[6]

2016年11月、Jリーグ功労選手賞を受賞した[7]

2017年7月17日、埼玉スタジアム2002で自身の引退試合が開催され、2ゴールを奪った[8]

エピソード

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ファッションモデルの畑野ひろ子と結婚し、2009年1月4日にザ・ペニンシュラ東京で挙式、披露宴を行った[9]。同年に第1子女児が誕生し、2013年12月に第2子女児が誕生した[10]

2008年10月下旬に、PRIMA★STELLA RECORDSより、スペイン音楽より本人が選曲したコンピレーションアルバムTRIP IN SPAIN」が発売された。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 浦和 31 J2 0 0 0 0 2 1 2 1
2001 13 J1 15 1 2 0 4 0 21 1
2002 26 1 4 1 1 0 31 2
2003 29 1 10 1 1 0 40 2
2004 25 0 8 0 4 0 37 0
2005 29 0 6 2 4 0 39 2
2006 31 1 6 0 5 0 42 1
2007 33 1 0 0 1 0 34 1
2008 23 0 1 0 2 0 26 0
2009 32 1 7 0 1 0 40 1
2010 17 0 5 0 3 0 25 0
2011 26 1 6 0 2 0 34 1
2012 31 2 2 0 3 0 36 2
2013 30 0 4 0 0 0 34 0
2014 28 1 3 0 1 1 32 2
2015 4 0 0 0 0 0 4 0
通算 日本 J1 379 10 64 4 32 1 441 15
日本 J2 0 0 0 0 2 1 2 1
総通算 379 10 64 4 34 2 443 16

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2007 浦和 13 12 0 3 0
2008 1 0 -
2013 4 0 -
2015 5 0 -
通算 AFC 22 0 3 0

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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浦和レッズ

個人

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代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 28試合 0得点(2006年 - 2008年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 7 0
2007 13 0
2008 8 0
通算 28 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2006年08月09日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ブラジル ○2-0 イビチャ・オシム キリンチャレンジカップ
2. 2006年08月16日 日本の旗新潟県 新潟スタジアム  イエメン ○2-0 アジアカップ予選
3. 2006年09月03日 サウジアラビアの旗ジッダ  サウジアラビア ●0-1 アジアカップ予選
4. 2006年09月06日 イエメンの旗サヌア  イエメン ○1-0 アジアカップ予選
5. 2006年10月04日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ガーナ ●0-1 キリンチャレンジカップ
6. 2006年10月11日 インドの旗バンガロール  インド ○3-0 アジアカップ予選
7. 2006年11月15日 日本の旗北海道 札幌ドーム  サウジアラビア ○3-1 アジアカップ予選
8. 2007年03月24日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ
9. 2007年06月01日 日本の旗静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム  モンテネグロ ○2-0 キリンカップ
10. 2007年06月05日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  コロンビア △0-0 キリンカップ
11. 2007年07月09日 ベトナムの旗ハノイ  カタール △1-1 アジアカップ
12. 2007年07月13日 ベトナムの旗ハノイ  アラブ首長国連邦 ○3-1 アジアカップ
13. 2007年07月16日 ベトナムの旗ハノイ  ベトナム ○4-1 アジアカップ
14. 2007年07月21日 ベトナムの旗ハノイ  オーストラリア △1-1(PK4-3) アジアカップ
15. 2007年07月25日 ベトナムの旗ハノイ  サウジアラビア ●2-3 アジアカップ
16. 2007年07月28日 インドネシアの旗パレンバン  韓国 △0-0(PK5-6) アジアカップ
17. 2007年08月22日 日本の旗大分県 大分スポーツ公園総合競技場  カメルーン ○2-0 キリンチャレンジカップ
18. 2007年09月07日 オーストリアの旗クラーゲンフルト  オーストリア △0-0(PK3-4) 3大陸トーナメント
19. 2007年09月11日 オーストリアの旗クラーゲンフルト  スイス ○4-3 3大陸トーナメント
20. 2007年10月17日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  エジプト ○4-1 アジア・アフリカチャレンジカップ
21. 2008年01月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  チリ △0-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ
22. 2008年01月30日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ボスニア・ヘルツェゴビナ ○3-0 キリンチャレンジカップ
23. 2008年02月06日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  タイ ○4-1 ワールドカップ予選
24. 2008年02月17日 中華人民共和国の旗重慶  北朝鮮 △1-1 東アジア選手権
25. 2008年02月20日 中華人民共和国の旗重慶  中華人民共和国 ○1-0 東アジア選手権
26. 2008年02月23日 中華人民共和国の旗重慶  韓国 △1-1 東アジア選手権
27. 2008年03月26日 バーレーンの旗マナマ  バーレーン ●0-1 ワールドカップ予選
28. 2008年05月27日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  パラグアイ △0-0 キリンカップ

出版

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執筆書籍

[編集]

脚注

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  1. ^ a b 鈴木啓太 現役引退のお知らせ”. 浦和レッズ オフィシャルサイト. 2015年11月22日閲覧。
  2. ^ a b “浦和“鈴木啓太”引退試合開催へ 埼スタ7月17日、浦和OBら対戦”. 埼玉新聞. (2017年5月2日). http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/05/02/07_.html 2017年5月10日閲覧。 [リンク切れ]
  3. ^ 主将は鈴木啓太、副将に平川忠亮|浦和レッドダイヤモンズ公式サイト[リンク切れ]
  4. ^ なぜ浦和は同じ負け方を繰り返す?最古株・鈴木啓太に見えた“壁”。 NumberWeb 2015年2月27日
  5. ^ 鈴木啓太 退団セレモニー 浦和レッズ 2015年11月22日
  6. ^ 元浦和レッズ鈴木啓太氏が選んだ起業家の道”. ASCII (2016年2月22日). 2016年11月16日閲覧。
  7. ^ 鈴木 啓太氏、山口 智氏が功労選手賞を受賞』(プレスリリース)Jリーグ、2016年11月16日http://www.jleague.jp/news/article/7516/2016年11月16日閲覧 
  8. ^ 埼玉新聞 2017年7月19日朝刊1面
  9. ^ “親族ビックリ!畑野ひろ子“大変身”披露宴”. スポニチ Sponichi Annex. (2009年1月5日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/01/05/kiji/K20090105Z00001610.html 2022年2月3日閲覧。 
  10. ^ “畑野ひろ子、第2子次女出産「とにかく幸せを感じてます」”. ORICON NEWS. (2013年12月15日). https://www.oricon.co.jp/news/2032012/full/ 2022年2月3日閲覧。 
  11. ^ 全試合に出場し「今大会最も成長した選手」と評された(雑誌『Number』686号(2007年9月13日発売)、評論家(後藤健生田村修一佐山一郎)の総評)。

外部リンク

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