細貝萌

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細貝 萌 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ホソガイ ハジメ
ラテン文字 HOSOGAI Hajime
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年6月10日(27歳)
出身地 群馬県前橋市
身長 176cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
ポジション MF (DH) / DF (SB)
背番号 7
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010
2011-2013
2011-2012
2013-
日本の旗 浦和レッズ
ドイツの旗 レバークーゼン
ドイツの旗 アウクスブルク (loan)
ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン
98 (5)
17 (0)
39 (3)
30 (0)
代表歴2
2010- 日本の旗 日本 25 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年4月20日現在。
2. 2014年3月5日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

細貝 萌(ほそがい はじめ、1986年6月10日 - )は、群馬県前橋市出身のプロサッカー選手ブンデスリーガヘルタ・ベルリン所属。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー日本代表。妻はファッションモデル中村明花

来歴[編集]

前橋育英高校時代は背番号10をつけトップ下を本職としていた。高校卒業後の2005年、前年に特別指定選手として加入していた浦和レッズに入団。デビュー1年目のシーズンは天皇杯でセンターバックとして出場した際、安定した守りを見せた。U-22日本代表では右サイドバックでもプレーし、新境地を開いている。ブッフバルト監督体制下においては主にCB、オジェック監督体制下においてはCB、SB、WBで、エンゲルス監督体制下では本職のボランチで起用されていた。フィンケ監督就任後は、本職である堤俊輔が負傷した影響もあり、左SBとして起用されていたが、2010年堤俊輔の復帰と宇賀神友弥の加入で左SBにある程度の人員が揃った事もあり、キャンプや練習試合でもボランチで固定され、Jリーグ第1節、対鹿島アントラーズ戦ではキャプテンの鈴木啓太を押しのける形で先発出場を果たした。これ以降もボランチとしてレギュラーポジションを確保し、前年までと同様にチーム事情、試合展開によっては右SB、左SBを務めることもあった。

U-16から各世代の日本代表を経験しており、2010年8月には2010 FIFAワールドカップ後に再始動した日本代表に初選出され、9月4日に行われた国際親善試合、対パラグアイ戦にボランチで先発フル出場を果たし、国際Aマッチ初出場を記録した。

2010年12月22日、ブンデスリーガ1部の強豪バイエル・レバークーゼンと2013年6月末までの複数年契約で完全移籍し[1]、移籍後2012年6月末まではブンデスリーガ2部FCアウクスブルクへレンタル移籍する事が決定した[2]

2011年1月25日のAFCアジアカップ2011準決勝の韓国戦で、延長前半に本田圭佑のPKのこぼれ球を詰めて代表初得点を挙げた。2月19日、TSV1860ミュンヘン戦に途中出場しデビュー。同年3月19日、SCロートヴァイス・オーバーハウゼン戦で初先発した。3月10日のブログで、ファッションモデル中村明花と3月3日に入籍したことを発表した。

2011-12シーズン、1部昇格を果たしたアウクスブルクは常に残留争いの渦中に立たされるも、自身はレギュラーとして定着し、9月9日の第5節レバークーゼン戦でブンデスリーガ初得点を決めた。2012年3月10日、第25節ボルシア・ドルトムント戦では、首位を走るドルトムントの中心選手である香川真司を激しいマンマークで抑える活躍を見せこの節のベストイレブンに選ばれた[3]。最終的にブンデスリーガ所属の日本人選手では最多の32試合に出場し、クラブの1部残留に貢献した。

2012年6月、アウクスブルクへのレンタル移籍満了に伴い、新たにレバークーゼンと3年契約を結び、併せてレバークーゼンへの復帰が決定した。2012-13シーズン前半戦は左サイドバックのミハル・カドレツの長期離脱により出場機会を得る。しかしシーズン途中に加入したセバスティアン・ボエニシュが好パフォーマンスを見せたこともあり徐々に出場機会が減少。結局シーズン通してレギュラーを獲得するまでには至らなかった。

レバークーゼンは複数ポジションをこなせるユーティリティー性を評価し残留を望んでいたが、ボランチでの出場を希望した細貝は2013年5月、1部に昇格したヘルタ・ベルリンと2017年6月末までの4年契約での完全移籍が発表された[4]。ヘルタ・ベルリンの監督はアウクスブルク時代にともに残留を勝ち取ったヨス・ルフカイであり、そのことが移籍を後押しした。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2004 浦和 32 J1 0 0 0 0 - 0 0
2005 3 0 2 0 3 0 8 0
2006 3 2 0 6 0 4 0 12 0
2007 8 0 2 1 1 0 11 1
2008 26 2 4 0 1 0 31 2
2009 31 2 6 0 1 0 38 2
2010 28 1 5 0 1 0 34 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
2010-11 アウクスブルク 7 ブンデス2部 7 0 - - 7 0
2011-12 ブンデス1部 32 3 - 1 0 33 3
2012-13 レバークーゼン 14 17 0 - 2 0 19 0
2013-14 ヘルタ・ベルリン 7 - 0 0
通算 日本 J1 98 5 25 1 11 0 134 6
ドイツ ブンデス1部 49 3 - 3 0 52 3
ドイツ ブンデス2部 7 0 - - 7 0
総通算 154 8 25 1 14 0 193 9
  • 2004年は特別指定選手

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2007 浦和 3 5 0 3 0
2008 3 1 -
UEFA UEFA EL UEFA CL
2012-13 レバークーゼン 14 4 0 -
通算 AFC 8 1 3 0
通算 UEFA 4 0

その他の国際公式戦

経歴[編集]

タイトル[編集]

浦和レッドダイヤモンズ

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 25試合 1得点(2010年 - )


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2010 3 0
2011 7 1
2012 8 0
2013 6 0
2014 1 0
通算 25 1

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2011年1月25日 カタール、ドーハ 韓国の旗 韓国 △2-2
(PK3-0)
AFCアジアカップ2011

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]