三浦知良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
三浦 知良 Football pictogram.svg
Kazu Miura at Matsuda tribute match 20120122.jpg
松田直樹追悼試合にて
2012年平成24年))
名前
愛称 カズ
カタカナ ミウラ カズヨシ
ラテン文字 MIURA Kazuyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-02-26) 1967年2月26日(54歳)
出身地 静岡県静岡市葵区
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜FC
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
ユース
1973-1979 城内FC
1979-1982 城内中学校
1982 静岡学園高等学校
1982-1986 CAジュベントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986 ブラジルの旗 サントス 2 (0)
1986 ブラジルの旗 パルメイラス 25 (2)
1986 ブラジルの旗 マツバラ 5 (1)
1987 ブラジルの旗 CRB 4 (0)
1987-1988 ブラジルの旗 キンゼ・デ・ジャウー 25 (2)
1989 ブラジルの旗 コリチーバ 21 (2)
1990 ブラジルの旗 サントス 11 (3)
1990-1998 日本の旗 読売クラブ/ヴェルディ川崎 192 (100)
1994-1995 イタリアの旗 ジェノア (loan) 21 (1)
1999 クロアチアの旗 クロアチア・ザグレブ 12 (0)
1999-2000 日本の旗 京都パープルサンガ 41 (21)
2001-2005 日本の旗 ヴィッセル神戸 103 (24)
2005- 日本の旗 横浜FC 277 (27)
2005 オーストラリアの旗 シドニーFC (loan) 4 (2)
代表歴2
1990-2000 日本の旗 日本 [1] 89 (55)
2012 日本の旗 日本 フットサル 6 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月19日現在。
2. 2012年11月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )、通称カズは、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手、元・フットサル選手。J1リーグ横浜FC所属。ポジションフォワードJリーグ史上最高齢の54歳でJ1リーグでプレーしており、世界最高齢での得点記録を持っている。

ニックネーム“カズ”


日本代表としてもFIFAワールドカップ初出場に貢献。ワールドカップ地区予選では総得点を27点記録するも、ワールドカップ本大会へは未出場。Jリーグ年間最優秀選手賞1回、得点王1回、ベストイレブンを2回受賞、1993年アジア年間最優秀選手賞を受賞。釜本邦茂と共に、国際Aマッチ1試合で6得点の日本代表1試合最多得点記録、通算得点記録(55得点)を持つ(2011年時点)[2]

2012年にはフットサル日本代表としてフットサルワールドカップに出場。

妻はタレントファッションモデル三浦りさ子、長男は俳優三浦獠太[3][4]

経歴[編集]

幼年期[編集]

1967年2月26日、父・納谷宣雄、母・由子の次男(長男は三浦泰年)として静岡県静岡市に生まれた[5]。叔父(母の弟)にサッカー指導者の三浦哲治がいる。知良(かずよし)という変わった読み方の名前は、父方の祖父に付けられたものだという[5]1973年静岡市立城内小学校に入学した[6]。小学時代には、伯父の納谷義郎が監督を務める城内FCに入っていた[7]。小学校4年生の時に両親が離婚、三浦姓を名乗るようになった[8]

ブラジル時代[編集]

1982年12月、私立静岡学園高校を1学年修了を待たずに8カ月で中退し、ブラジルに単身で渡航してCAジュベントスに所属した[9]。当時の三浦は身長が低く、テクニックは持っていたものの他に一流と呼べるような強みはなく、指導者達はブラジルでプロのサッカー選手になりたいという三浦の夢は実現不可能だと考えていた[10]1984年の秋頃、ジュベントスからECキンゼ・デ・ノヴェンブロ(通称:キンゼ・デ・ジャウー)へ移籍した[11]

1985年頃には夢を諦めた上で日本に帰国することも一時検討したが、最終的に翻意しブラジルでの下積みを継続した。後に本人が語ったところによれば、ふと寄ったリオの公園で現地の貧しい少年達がサッカーをしている様子を見かけたことが、帰国を思い止まる切っ掛けを作ったという。三浦曰く、その少年達の中には裸足の子や片足がない子もおり、ボールも古く汚いものだったが、皆楽しそうにボールを追っており、その様子を見て、「自分には両足も、スパイクも、いいボールもある。何を俺は贅沢なことを言っているんだ」と思い、帰国を思いとどまったとのことである[12]。同年8月、SBSユースに出場したキンゼ・デ・ジャウーの一員として静岡に凱旋し、当時静岡高校選抜に選出されていた中山雅史武田修宏らと試合を行った[13]1986年1月[注 1]には、サンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ (U-21) に日本人として初出場した。同大会やキンゼ・デ・ジャウーの育成組織で活躍したことが、後のプロ契約に繋がっていった[11]

1986年2月、サンパウロ州のクラブであるサントスFCと自身初のプロ契約[6]を結んだ。チームメイトであったドゥンガからはデビュー戦でのプレーを叱責された[14]。5月にはSEパルメイラスと特別契約を結び日本でのキリンカップでプロサッカー選手として帰国を果たし[6]ヴェルダー・ブレーメン戦では、後に選手と会長という間柄になる奥寺康彦と数度に渡り激しくマッチアップ、またミランジーニャのゴールをアシストした[15]

サントスFCで出場できたのは1部リーグ2試合のみに留まり、1986年10月にはパラナ州SEマツバラレンタル移籍した。翌1987年2月にはマツバラと正式契約を結ぶと、レギュラーとして南部三州リーグ優勝に貢献し[16]、同年10月アラゴアス州クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル(通称:CRB)に移籍した。このクラブでも三浦はレギュラーとして活躍し、日本人で初めてブラジル全国選手権への出場を果たした[17][18]。またこの時「日本のガリンシャ」とも呼ばれ注目された[19]

1988年、かつてユース時代に所属したサンパウロ州のキンゼ・デ・ジャウーへ移籍した[6]。同年3月19日SCコリンチャンス・パウリスタ戦で日本人としてリーグ戦で初得点を記録し、格上の人気チーム相手に3-2で勝利するという番狂わせ(いわゆるジャイアント・キリング)の立役者の一人[18][20]。このときの試合はブラジル全土にテレビ中継されていたため、「三浦知良」という日本人の名前がブラジル全土に知られるきっかけとなった[21]。同年にブラジルのサッカー専門誌『プラカー』の年間ポジション別ランキングで左ウイングの第3位に選ばれた[22][23]。クラブでの活躍により、三浦はジャウー市から名誉市民賞を贈られている[24]

1989年2月、エドゥーが監督を務めていた、パラナ州コリチーバFCに移籍、チームの中心選手として[25]パラナ州選手権優勝に貢献した[6]。好調を維持していたこの頃、チーム名は明かされなかったが、40万ドルでイタリアリーグのチームへの移籍の話が出た(三浦は後に記者から、ブラジルの選手を多くイタリアリーグに送り込んでいたスカウトマンが、当時セリエAのコモへの移籍を進めていたという話を聞かされた。)[26]。7月にはブラジルにやってきた日本代表と対戦した[27]

1990年、2月、サントスFCへ4年ぶりに再移籍した[6]。サントス在籍時代にマツバラにレンタルされたとき以来、もう一度サントスでプレーして自分の力を証明したいと思っていたこともあり、三浦はサントスへの移籍に際し、他のチームからの移籍の誘いを断ってサントスと交渉した[28]。移籍後にレギュラーの地位を確保すると、同年4月29日のパルメイラス戦では1得点1アシストと活躍し、チームも2-1で勝利した。翌日のブラジルの新聞はスポーツ紙・一般紙を問わず同試合での三浦の活躍を伝え[29]、この試合の三浦のゴールシーンはブラジルのサッカー専門誌『プラカー』の表紙を飾った[30]

Jリーグでの活躍から欧州移籍へ[編集]

1990年7月、Jリーグ発足が現実味を増す中、日本代表W杯出場権獲得に貢献するためにブラジルに残ることよりも代表選考の対象となりやすい日本でプレーすることを決断し、日本サッカーリーグ読売サッカークラブ(ヴェルディ川崎 = 現東京ヴェルディの前身)に移籍した。当初、周囲の期待とは裏腹に日本のサッカーになじめずなかなか日本サッカーリーグのリーグ戦では活躍できなかった[31]が、時間の経過とともに徐々に順応を見せた。1990年10月28日のNKK戦でリーグ戦デビューを果たすと、PKで初ゴールを決めただけでなく、3つのアシストを決め、全得点に絡む活躍で4-0で勝利[32]、このシーズンはリーグ優勝に貢献して、リーグのベストイレブンにも選出された[33]。1991年3月10日、ヤマハ発動機戦では、三浦泰年のゴールをアシスト、弟から兄へのアシストは高校時代以来であった[34]。1992年4月12日のゼロックスチャンピオンズカップ決勝のトヨタ自動車戦では1ゴールを決めて優勝に貢献した[35]1992年のJリーグカップでは9月19日のガンバ大阪戦でリーグカップ史上初めてとなるハットトリックを決めると[36]、準決勝の鹿島アントラーズ戦で決勝ゴールを決め[37]、決勝の清水エスパルス戦でも決勝ゴールを決めるなど[38]、ヴェルディを優勝に導き、大会MVPにも選出された。この活躍が評価され、三浦は1992年日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞した。

Jリーグの開幕年となった1993年シーズンのリーグ戦の第1ステージ、5月26日5節の鹿島アントラーズ戦でJリーグ初ゴールを決めたが[39]、クラブ内の内紛(欧州路線)や日本代表の過密スケジュールの影響を受け18試合5ゴールという成績に終わった。第2ステージからビスマルクが加入。7月17日神戸ユニバー記念競技場で行われたJリーグオールスターサッカーでは2得点を決める活躍を見せ[40]、大会MVPに選出された。その後は調子を取り戻し、自身の結婚式の前日の試合となった7月31日博多の森陸上競技場での第2ステージ第2節ガンバ大阪戦からは6試合連続で得点を記録した[注 2]。12月8日17節浦和レッズ戦ではJリーグでの初ハットトリックを決め[41]、ニコスシリーズ18試合で15ゴールを挙げ、チャンピオンシップの鹿島アントラーズ戦では第1戦、2戦共にゴールを決め、年間優勝に貢献するなど、シーズンを通して日本人選手ではリーグ内でトップとなる20得点を決める活躍を見せた[42]。この活躍が評価され、第1回のMVPを受賞した他、前年に続いて1993年の日本年間最優秀選手賞に輝き、1993年のアジア年間最優秀選手賞をも受賞した。また1993年12月にはACミラン主催のチャリティーマッチに招待され、世界選抜のメンバーとして先発出場(この様なチャリティーマッチへの日本人選手の出場は、これまで釜本邦茂奥寺康彦のみであった[42]。)50分間プレー[42][43]、サイドからのクロスでウーゴ・サンチェスの得点をアシストした[42][44]。前日には世界選抜に選ばれたメンバーの中で唯一、ACミランの練習に参加した[42]。またこの時、セリエA関係者からの興味が伝えられ、イタリアのマスコミから取材を受けるなど注目を集めた[42]

ジェノアCFC[編集]

1994年には移籍を認めたくなかった渡辺恒雄から、1年間のレンタルということでようやく了承を得て[45]イタリアセリエAジェノアCFCに期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。この移籍にはジェノアの会長アルド・スピネッリがプレーぶりを見て魅力を感じたこと[46]、そして商業的な価値を期待してのもので、ジェノアのユニフォームの広告権をケンウッドが獲得したこともあって、加入会見では「スポンサーを得るために獲得したと言われているが、どう思うか?」などと辛辣な質問も浴びせられた[47]

プレシーズンマッチの地中海カップでは、ACミラン相手に好プレーを見せ[48]コパ・イタリア2回戦のチェゼーナ戦で先発出場して公式戦デビュー[49]、サンシーロで行われた、ACミランとのセリエA開幕戦において先発出場し、セリエAデビュー、前半途中にバレージとプレー中に激突し、鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷してしまい、一ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた[50]

復帰後、第12節のサンプドリアとのジェノヴァダービーで先発出場、マニコーネの浮き球からスクラビーがヘディングで落としたボールを右足アウトサイドでゴール隅に決め、セリエA4試合目の出場で初ゴールとなる[49]、先制ゴールを奪ったが、これがジェノアでの唯一の得点となった[51]。16節のパドヴァとの対戦では、サイド突破からマニコーネの決勝点のアシストをした[52]。第31節のユベントス戦では65分から途中出場したが、退場者が出て10人での戦いを強いられたこともあり、シュートすら打てずに試合終了[49]、代表戦の為、残りの試合とセリエB降格プレーオフには出場せず帰国、また1994年10月にはアジア大会への出場のために帰国したことや(セリエA3試合、コパ・イタリア試合を欠場[49]。)、度重なる監督交代も影響して、21試合出場(先発10試合)[53]、第19節のフィオレンティーナ戦でのループシュートはクロスバーに当たり得点ならず[54]、また自身の誕生日に出場したナポリ戦など[55]数回のゴールがオフサイドで取り消されたことなどもあり、シーズン1ゴールのみに終わった。その後、トリノFCスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルといったチームからオファーが来ていたが[56]、シーズン終了後にはヴェルディ川崎へ復帰することとなった[57]。ジェノア在籍時にはジェノヴァの名前を日本に広めたことで、市から特別表彰を受けた[58]。3度の監督交代など[49]様々な事情もあり[45]、成功は収められなかったが、これまでイタリア人がもっていた日本のサッカーとサッカー選手に対しての概念を変えさせ、その後の日本人選手たちのセリエA入りの扉を開いた[46][59]。シーズン終了後、ジェノアCFCの一員として、横浜スタジアムで行われた、ヴェルディ川崎との親善試合に出場、この試合を最後にジェノアを離れ、ヴェルディへ復帰した。また在籍時の1994年12月にはASローマ対世界選抜の試合に先発出場、裏に抜け出し洪明甫のスルーパスからシュートを放つが、シュートはGK正面に飛び得点は奪えなかった[60]

ヴェルディ川崎への復帰[編集]

その後、Jリーグの1995年シーズンは第2ステージから復帰し、復帰初戦、8月12日ベルマーレ平塚戦で2ゴールを決めると、9月2日、6節鹿島アントラーズ戦、9月13日、9節横浜フリューゲルス戦でハットトリックを決めるなど[41]、26試合で23ゴールを挙げ、第2ステージのみの出場にもかかわらず得点ランキングの上位に名を連ねた。

1996年のJリーグは初の一シーズン制となったシーズンとなったが、ヴェルディ川崎は7位に沈んだものの、11月6日のジェフ市原戦でハットトリックを決めるなど[41]、三浦自身はリーグ得点王になるなど個人的な活躍を続け、第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会制覇にも貢献した。また1996年にはFIFAの世界選抜に選出され、ブラジル戦に先発出場した。

1997年シーズン頃から衰えを見せ始めた。怪我の影響もあり同年の試合出場数は全試合数の半数に満たない14試合にとどまり、得点数は4点、チームも初の二桁順位と、三浦個人・チームともに振るわぬ成績に終わった。この年あたりから以前のようなキレが徐々に無くなって行き、怪我も多くなっていたが、追い討ちをかけてW杯最終予選の韓国戦でのラフプレーで尾てい骨を骨折しコンディションを大きく落とす。翌1998年もコンディションは戻ること無くチームも2年連続で二桁順位。さらに年末にV川崎は親会社の事業撤退で大幅な経営縮小のため、高年俸のベテラン選手達のリストラを敢行し、三浦に対しても年俸ゼロ円提示がなされた。

クロアチア・ザグレブ[編集]

カズはクロアチアのクラブチーム、クロアチア・ザグレブ(現GNKディナモ・ザグレブ)へ2年契約で移籍した。これはクロアチア・ザグレブに大きな影響力を持った当時のクロアチア大統領フラニョ・トゥジマンの意向が働いたものとされており、戦力としての評価よりも背後のジャパン・マネーを狙った経済的な期待が大きかった[61]。この時チームメートになったゴラン・ユーリッチのサッカーへの取り組み方や考えに影響を受けた[62]。カズはデビュー戦となったムラードスト127戦ではアシストを決めるも、PKを失敗した。5月23日のオシエク戦では退場処分を受けた[63]。ザグレブはクロアチア・リーグで優勝を果たした。シーズン終了後、新たに就任した日本でも監督経験のあるオズワルド・アルディレス監督に戦力外とされ[63]、本人が熱望していたUEFAチャンピオンズリーグへの日本人初出場はかなわず、1999年6月、契約よりも1年早く日本に帰国した。1999年5月にはマルセイユで行われた、ジャン・ピエール・パパンの引退試合に招待され、フランス代表と対戦[64]、得点は無かったが、クロスバー直撃のシュートを放った。

京都サンガ[編集]

1999年7月、イングランド、スコットランドなどのクラブとの交渉がまとまらず[63]、当時元日本代表監督の加茂周監督からの熱心な誘いを受け[63]京都パープルサンガに移籍。中村忠と再び同僚となった。復帰初戦のヴィッセル神戸戦で2ゴールを決めた[63]2000年5月13日の対神戸戦でJリーグ通算100得点を達成[65]、この試合で101点目となる決勝ゴールも決めた[66]。11月23日の古巣ヴェルディ川崎戦でハットトリックを決めるなど[41]、33歳ながら17得点を記録し得点ランキング3位に入るなど活躍する。しかしこのシーズン、京都はJ2に降格し、自身2回目であるゼロ円提示を受ける。

ヴィッセル神戸[編集]

2001年からは永島昭浩引退直後のヴィッセル神戸に所属し、4年間キャプテンとしてチームの最前線に立った。2節のFC東京戦で移籍後初得点を挙げる。11月24日神戸ウイングスタジアムのこけら落としとなった横浜F・マリノス戦では、巧みなトラップで相手DFをかわし、自身を代表するゴールの一つとなるゴールを決めるなど[67]、11ゴールを決めて健在ぶりをアピールした。2002年は代表でもプレーした城彰二や兵庫県出身でもある播戸竜二が加入。2002年1stステージ第3節ガンバ大阪戦では久々にカズダンスを披露した。しかしこのころからフル出場する試合が徐々に減り始める。2ndステージでは臀部の怪我のため長期離脱しほとんど出場機会を得られなかった。

2003年オゼアス播戸竜二の2トップのバックアッパー的な役割を担うことが多くなり、ベンチスタートとなる試合が増えた。1stステージ8節でシーズン初得点を挙げ、新本拠地での初勝利に貢献した。2ndステージ終盤の残留争いの最中、オゼアスを出場停止で欠き久々にスタメンがめぐってきた鹿島戦では相手ゴール前で素早いターンからこの試合の先制点を決め、ホームでの3か月ぶりの勝利に大きく貢献した。

2004年、1stステージの第11節のガンバ大阪戦でのゴールで[68]、11年連続ゴールを記録。2ndステージに入りエムボマ平瀬智行らが加入しポジション争いは激化。チームは残留争いに巻き込まれたが、シーズン終盤にスタメンを奪取し12節から14節まで3試合連続ゴールを記録するなど[69][70][71]、残留争いを続けるチームにあって重要な役割を果たし播戸竜二に惜しみなくアドバイスを送った。また地域貢献の一環として、小学校での訪問授業をこの時期開始した。その後横浜FCに移籍してからも、同様の活動を続けている。

2005年は、開幕3試合連続ゴールを決めるなどカズとチーム自体も好調なスタートを切ったが、その後チームは低迷し、監督交代が続いた。エメルソン・レオンが辞任し、パベル・ジェハークが就任すると、完全に構想から外れ、主将も三浦淳宏に譲った。7月26日に行なわれたボルトンとの親善試合を最後に神戸を退団した。

横浜FC[編集]

2005年7月、横浜FCに電撃移籍した。8月27日のヴァンフォーレ甲府でのゴールは[72]、移籍後初ゴールとなった。

シドニーFCへの期限付き移籍[編集]

横浜FCに移籍後間もない11月、2005年に設立したばかりのオーストラリアAリーグ初のゲストプレイヤー(Aリーグの公式戦4試合のみ出場が認められる特別枠選手)としてシドニーFC期限付き移籍した。シドニーFCは元Jリーガーで、カズの全盛期を対戦相手としてよく知るピエール・リトバルスキーが監督を務めており、2005年12月に日本で開かれるFIFAクラブ世界選手権のオセアニア地区からの出場権を既に得ていた。カズはリーグ戦4試合に出場し当時首位を走っていたアデレードとの直接対決において2得点と結果を残した。チームでのポジションを確保し、FIFAクラブ世界選手権では準々決勝たる1回戦と5位決定戦の2試合フルタイム出場、得点には絡まなかったもののシドニーFCは5位決定戦勝利に貢献、全6クラブ中最下位を免れた。シドニーでの背番号は21番、FIFAクラブ世界選手権では11番を着けてピッチに立ち、前身のインターコンチネンタルカップを含め、日本人として初めて同大会に出場した選手となった[73]

横浜FC復帰から現在[編集]

2006年2月からは横浜FCの選手兼任の監督補佐に就任するが、登録上は選手扱いである(Jリーグの規定では選手が監督・コーチを兼任することが出来ない)。このシーズン、39試合に出場し6得点、横浜FCのJ1初昇格に貢献した。2007年はシーズン全34試合中24試合に出場。9月15日サンフレッチェ広島戦で日本人選手史上最年長ゴールを記録するなどシーズンで3得点を挙げた。12月1日の最終戦浦和レッズとの試合では、引き分けか、負ければ浦和の優勝が決まるという大一番で、阿部勇樹を左サイドで抜き去り、その後のセンタリングから根占真伍の決勝点をアシストして浦和の優勝を阻んだ。なお、横浜FCはこの試合の前にJ1最下位でJ2降格が決まっていた[74]

2008年はシーズン全42試合中30試合に出場し、主に攻撃的MFとして活躍。チーム事情から自身初となるボランチを務めた試合もあった。10月25日にホームで行われた第41節愛媛FCとの試合にて、自身のJリーグ通算150ゴールとなる[75]、シーズン初得点を挙げ、Jリーグ開幕後16年連続得点を記録した。尚、2008年シーズンはこの1得点しか結果を残せなかった。2009年も横浜FCと契約、第2節ロアッソ熊本戦にてPKで得点を挙げたことにより、Jリーグ開幕後17年連続得点と自身の持つJリーグ最年長得点記録を更新したが、この年の得点は、この1得点のみに終わった。

2010年にはかつて所属していたキンゼ・デ・ジャウーから移籍のオファーがあったが[24]、横浜FCに残留した。さらに、神戸時代の2005年シーズン以来となるチーム主将を務めることになった。シーズンでは右脚の負傷[76]に苦しんで出場機会を大きく減らし、プロ入り以来最少となる10試合、わずか188分(換算して2試合分)の出場にとどまった。しかし出場した際には常に好調なプレーを見せ、8月7日のJ2第21節ファジアーノ岡山戦で得点を挙げ、Jリーグ開幕からの18年連続得点を記録した[77]。9月26日のJ2第28節カターレ富山戦では、久々の直接フリーキックを決めた[78]。更に12月4日のJ2最終節大分トリニータ戦でこのシーズンで初めて先発し、フル出場して得点を挙げ、自らの最年長得点記録を43歳9カ月8日に更新した[79]。これらの印象深い活躍から、少ない出場時間ながら横浜FCの「サポーターが選ぶ年間MVP」に選出された[80]

2011年3月29日に行われた東日本大震災の日本代表のチャリティマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」においてJリーグ選抜に選出され、後半17分から途中出場。後半37分に田中マルクス闘莉王の落としたボールに反応して得点を挙げ、試合前の宣言通りカズダンスを披露した。このゴールは世界に中継されたが、英語実況では「national treasure Miura」と評された。このシーズンでは得点を挙げることができず、「J連続得点記録」は18年でストップ。

2011年12月、カズは横浜FCに所属しながらFリーグエスポラーダ北海道にJリーグ選手枠として登録。2012年1月15日の北海道対府中戦の1試合限定で公式戦に出場した[81]。2012年2月、Fリーグ2011poweredyウイダーinゼリーの表彰式で特別表彰を受賞。

2012年10月、2012 FIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出され[82]、フットサルでも軽快な動きを見せたり、ゴールを決めたりするなど、年齢を感じさせない活躍をしている。

2012年12月22日JFLのチームでJリーグ準加盟の承認も受けているSC相模原から2年契約で完全移籍のオファーを受けたことを報道された[83][84]。J2第16節ガイナーレ鳥取戦でゴールを決め、Jリーグ最年長得点記録を45歳3カ月に更新した。

2013年1月15日、横浜FCと2年契約を結んだ[85][86]。シーズン途中の6月にはかつてプレーした古巣東京ヴェルディが獲得を打診していると報道された[87]。同年7月3日、J2第22節栃木SC戦で開始16秒に今季初得点を記録し、最年長得点記録を46歳4ヶ月7日に更新した。また、11月3日にはJ2第39節松本山雅FC戦でゴールを決め、46歳8ヶ月8日に更新した。

2014年6月5日、JFA国際委員を務める梅田邦夫・駐ブラジル日本大使からの要請を受け、日本サッカー協会が三浦をワールドカップブラジル大会のJFAアンバサダーに任命、同月12日に日本を出発、現地時間同月14日の日本対コートジボワール戦を観戦し、同17日に高円宮妃久子JFA名誉総裁と共にイベントに参加するものの、日本代表への同行や合宿地訪問は行わずに同月20日に帰国する予定となった[88]

2014年シーズンは、2試合のみの出場となってしまったが、2015年シーズンは、3月9日に行われたJ2開幕戦ザスパクサツ群馬戦で、9年ぶりの開幕スタメンとして出場[89]4月5日に行われたジュビロ磐田戦では、ヘディングで先制ゴールを挙げ、自身の持つ最年長ゴール記録を48歳1か月10日に更新した[90]。現役世界年長となったこのゴールは、海外のメディアも取り上げている[91]。かつて所属したイタリアでも「ミウラが日本で奇跡を起こした」「元ジェノアのカズ・ミウラは48歳にもかかわらず日本の2部リーグであるJ2リーグの横浜FCでプレーしている」と報じられた[92]

2015年6月29日、水戸ホーリーホック戦で最年長ゴール記録をまた更新[93]。同年11月11日、横浜FCとの来季の契約延長を発表。カズの背番号に因んで11月11日の11時11分に契約延長が発表された[94][95]。この契約延長はイタリアやイギリス、スペインなど海外でも話題になり、イタリアのガゼッタ・デロ・スポルト紙は「時代を超越した存在」と称賛した[96][97]前園真聖は「還暦(60歳)までやるって言っていましたけど、本当にやるんじゃないか(笑)」とコメントしている[98]

2016年、6月19日に行われた岐阜戦で得点を挙げ自身の持つJリーグ最年長得点記録を更新[99]。さらに同年8月7日に行われたアウェイでのC大阪戦では、69分にチームが2-0で負けている状態で途中出場し、75分に自身の持つJリーグ最年長ゴール記録を49歳5カ月12日に更新するゴールを決めた。また、カズの得点の後、チームは勢いを取り戻し、逆転勝利を挙げた[100]

2017年、背番号11にちなみ、1月11日11時11分に横浜FCのクラブ公式サイトで契約を延長したと発表された[101]。この年の開幕日は誕生日の2月26日であり、開幕と同時に50歳となり初の50代Jリーガーとなる。しかし、本人は冷静に「49歳から1つしか年をとっていない。実際は数字的なもので大した変化はない」「少しずつ全部が衰えていくのが普通。でもサッカーは11人の連動。基礎体力と技術があれば組み合わせ次第で新しい自分が見せられる、ゴール前の動き次第で点が取れる」と述べている[102]。この契約更新はイタリアの大手スポーツ紙『コリエレ・デッロ・スポルト』など世界でも報じられ、イケル・カシージャスが「僕は40歳までプレーしたいと思っているよ。でもこれを読んでいたら50歳までプレーしたいと思った。なんて素晴らしいんだミウラ!」とTwitterに投稿した[103]。なお、この発言をしたカシージャス自身は40歳を迎える前の2020年に引退している。2月26日、開幕戦の松本戦で先発し、Jリーグ史上最年長記録の50歳を更新した。3月12日の群馬戦でもゴールを決め、自身の持つJリーグ最年長得点記録を50歳と14日に塗り替えた[104]。この記録はイングランドスタンリー・マシューズの50歳5日という記録を上回る世界最年長ゴールであり、イギリス紙『ガーディアン』など世界でも報じられ[105]、後に「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」としてギネス世界記録に認定された[106]

2019年3月23日に行われた第5節のFC岐阜戦にスタメンとしてシーズン初出場を果たし、自身の持つJ最年長出場記録を更新した[107]。11月24日、J2最終節の愛媛FC戦で途中出場し、J2最年長出場記録を52歳8カ月29日に更新した。チームは、この試合に勝利してJ1昇格を決めた[108]

2020年1月14日にチームと契約を更新した[109]。9月23日の川崎フロンターレ戦で2007年以来のJ1でのリーグ戦に出場、 中山雅史のJ1最年長出場記録を53歳6ヶ月28日に塗り替えた[110]

2021年3月10日、出場[111]

日本代表[編集]

日本代表デビューからドーハの悲劇まで[編集]

フル代表デビューは1990年9月26日、第11回アジア競技大会、バングラデシュ[112]、先発出場すると、前半4分にPKを奪取、前半26分には長谷川健太のゴールをアシスト、後半15分には倒されて獲得したFKからゴールが生まれるなど、全得点に絡む活躍を見せた[113]。1992年、ダイナスティカップ北朝鮮戦で代表初ゴールを決めた。ハンス・オフト監督の体制下、エースFWとしてダイナスティカップや、AFCアジアカップ1992での優勝に貢献、自身も両大会でMVPを獲得した。

AFCアジアカップ1992のグループリーグ最終戦イラン戦では、後半終了間際に決勝ゴールを決め「魂込めました、足に」とコメントした[114]。決勝のサウジアラビア戦では左サイドからのクロスで高木琢也の決勝ゴールをアシスト、優勝に重要な役割を果たした[115]

1993年FIFAワールドカップ・アメリカ大会予選では、1次予選でのバングラデシュ戦で代表初のハットトリックとなる4ゴールを決めるなど[116]、予選合計9ゴール、最終予選では合計4ゴールを挙げ、エースとして活躍した。北朝鮮戦で2ゴールを決めて[117]最終予選の初勝利に貢献、続く大韓民国戦での決勝ゴールは、日本サッカーが40年もの間超えられなかった壁であった韓国をワールドカップ地区予選で初めて破ったという意味でも値千金であった。最終予選最終戦のイラク戦でも1ゴールを決めたが[118]ロスタイムに同点にされ(いわゆる「ドーハの悲劇」)、ほぼ手中にしていた本大会出場をあと一歩のところで逃した。このことについて、カズは「(センタリングを上げられた)瞬間、やばいと思った。スローモーションのように球の軌道が見えた」と著書『おはぎ』で語っている[119]

フランスW杯に向けて[編集]

その後、ファルカン加茂周と監督が代わっても、カズはコンスタントにゴールを決め続けた。1997年6月22日、仏W杯アジア1次予選グループ4第4戦マカオ戦で6得点をあげ、釜本邦茂に並ぶ日本代表1試合最多得点記録を樹立した(2011年時点。FIFA認定記録ではカズ単独)[2][120]。だが、1997年9月7日の仏W杯アジア最終予選B組初戦のウズベキスタン戦でこそ4得点を挙げたものの[121]、その後ゴールを挙げられず、チームも勝ち切れず、自力での予選突破が消滅した国立競技場でのUAE戦の後には、暴徒化した一部サポーターに罵声を浴びせられ、それに向かっていこうとする姿がマスコミに大々的に報じられた[122]。その理由を「6日後に韓国との試合を控える中で、選手の移動バスを止めたことに腹が立った。」からだと後に語った[122]

その後、ワールドカップ本大会初出場を決めたアジア第3代表決定戦のイラン戦(「ジョホールバルの歓喜」と称される)では、2トップを組む中山雅史と共に交代を命じられ、この時カズが「オレ?」と自分を指差したことが話題となった。交代板には11番が先に出たので、「ゴン(中山雅史)なのか? 俺なのか? どっちだ?」と岡田武史監督に確認を取るためのジェスチャーだったが(番組インタビューなどで本人及び城、岡田監督の両者が語っている)、一般的には「まさか俺を交代させるのか?」と言うアピールだとマスコミに解釈をされてしまい、誤解を受けることとなった。またイランも交代の準備をしていたため、11番が日本の事なのかイランの交代に対してなのか判りづらかったと後日出演したTBS『見ればなっとく!』内で北澤豪は述べている(イランの11番であるアジジは交代することなくフル出場する)。 1998年、ワールドカップ本大会に臨む代表候補25人に選ばれ、スイスでの直前合宿に参加するが、北澤豪市川大祐と共に、本大会出場メンバーの選考から漏れ、苦渋の帰国となった(ニヨンの屈辱[123])。この舞台を切望していたカズが落選した発表はマスコミで大きく報じられた。カズは髪を金髪に染め上げて帰国し、帰国直後に成田国際空港で行われた会見では「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」とコメントした[124]。その後、日本代表はアルゼンチンクロアチアジャマイカと同組になったW杯本戦を1次リーグ3戦全敗、僅か1得点という結果で終えたこともあって、岡田の采配や判断は議論を呼んだ。

岡田武史監督(コーチ)との確執[編集]

岡田がコーチ時代には合宿所の風呂に入っていた岡田の頭を蹴る暴行をしている[125]

また、予定外の交代は、試合前のミーティングでの「FKは中田もしくは名波が蹴ること」との岡田監督の指示を無視してカズ自らが蹴ったことで「少し感情的になってしまった」と後に岡田監督は述懐している[126]

フランスW杯後[編集]

フランスW杯終了後、フィリップ・トルシエに監督が交代してからもしばらく代表に招集されることはなかったが、サンガ時代の2000年には再び代表に招集され5試合でプレーした。2000年2月5日、カールスバーグカップのメキシコ戦で[127]約2年振りにAマッチに出場、2月16日、アジアカップ予選のブルネイ戦でのゴールは[128]、1997年9月7日のワールドカップ予選、ウズベキスタン戦以来と約2年5ヶ月振りのゴールとなった。2000年6月のハッサン2世国王杯でのジャマイカ戦でのゴールは[129]代表で最後のゴールとなった。それ以降も韓国戦に招集はされたが、結局出場機会はなかった。トルシエは2002 FIFAワールドカップにおいて代表スタッフとしてカズの帯同を望んだが、カズは選手としての参加を望んでいたため、実現しなかった[130]

フットサル日本代表[編集]

2012年にフットサル日本代表に招集され、同年11月にタイで開催されるFIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出された。10月24日に国立代々木競技場第一体育館でのフットサルブラジル代表戦に出場。日本代表として国際試合に出場するのは2000年以来となった[131]

10月27日に北海道旭川市旭川大雪アリーナでのフットサルウクライナ代表戦に出場、前半14分にフットサル選手として初ゴールを挙げた[132]

プレースタイル[編集]

ブラジル時代は左ウイングとして、ブラジルのサッカー専門誌『プラカー』にて年間ポジション別ランキングで左ウィングの第3位に選ばれる[22][23] 等、活躍した。

ドリブルを得意としており、強烈なサイドステップを踏むフェイント[133]シザーズ(またぎフェイント)等で相手を打ち破った。『週刊サッカーダイジェスト』のドリブラー特集でも、名前を挙げられている[134]。ブラジル仕込みの卓越したテクニック、ディフェンスを置き去りにする一瞬のスピードを持っていた[135]。パス、トラップ、シュート等基本的なプレーもずば抜けているとは言えないが、平均して高いレベルで安定している。基本的なプレーをおろそかにせず、守備をしっかりこなすなど、献身的なプレーも見せた[136]

元々身体能力に恵まれた選手ではなく、身体も極めて硬い[135]。年齢の積み重ねとともにスピードは衰えてきているが、それでもボールを扱うテクニックはクラブ内で高いレベルを維持し、巧みな読みで勝負している[135]。また、40歳を超えても高い持久力を維持している[137]

サッカージャーナリストの大住良之は、カズの特質として「並外れた精神力」を挙げている。カズよりもシュート力・テクニック・スピードのある選手はいるが、精神的な強さでカズをしのぐ選手はいないと評している[133]岡野雅行は「ココ一番な場面では必ずゴールを決めるし、大舞台にもビクともしない」とコメントしている[138]プロ野球選手イチローは「価値観が同じというか、種目は違うけど互いの考え方を理解しあえる人。大きなプレッシャーを背負いながら、あれだけの力を発揮できる集中力・精神力はさすが」とコメントしている[139]。また、横浜FCでのチームメイト・早川知伸は「カズさんがすごいのはメンタル。精神力があるからこそ、技術も体力も衰えない」、小野智吉は「本当にサッカーが好き。43歳でも、中学生のような気持ちを忘れない」と話した[140]

若い頃は、カズがクラブや代表でもフリーキックコーナーキックを蹴ることもあった(上記のように2010年にもJ2カターレ富山戦で直接フリーキックによるゴールを決めている)。さらにスイッチキッカーとして左右両足でフリーキックやコーナキックを蹴る稀なプレイヤーであった。都並敏史は「僕も左右で蹴れるけど、カズはその精度が高い」と称えており、カズ自身は「小さい頃から利き足に関係なく、両足で練習していた。それは意識してというよりも、自然な感じで覚えたものだった」と語っている[141]

人物[編集]

パブリック・イメージ[編集]

通称は「カズ」「キング・カズ」など。ブラジルでは「KAZÚ」と「Ú」にアクセント記号が付き、「カズー」と尻上がりに呼ばれた。彼を指す場合、一部のサッカー専門誌(特に『週刊サッカーマガジン』などベースボール・マガジン社の出版物)や新聞(日刊スポーツ)ではフルネームではなく「カズ」と表記し、「三浦カズ」と呼ばれることもある。

1993年8月1日にタレント設楽りさ子と結婚。兄は同じく元Jリーグ選手三浦泰年(通称ヤス)。伯父の納谷義郎は城内FC(地元の少年団)の監督、実父の納谷宣雄は、静岡FCGMとなっている。

サッカー選手として[編集]

日本国籍の選手で2019年現在、ブラジルで成功、活躍し、有名になった唯一の日本人選手である。また、世界各国のサッカークラブを渡り歩いた日本プロサッカー選手の先駆け的存在である。現在のサッカー人気や日本代表ブーム、自身のセリエA移籍などで、ファンが欧州サッカーへの関心を高めるきっかけをつくるなど、サッカーを日本においてメジャースポーツに押し上げた火付け役であり、功労者でもある。特に若手にとって手本とされるのは、その強烈かつストイックなプロ意識[142]

朝一番にグラウンドに訪れ、ランニングでは常に先頭に立つなど精力的に動く。年齢を重ね、若手選手とは親子ほどの年齢差になっても練習は別メニューでなく一緒にこなす。一日に何度も体重を量り、フィジカルトレーナー、マッサージトレーナー、栄養士は個人で雇い入れているほど、徹底した体調管理を行っている[143]シドニーFC在籍時にはピエール・リトバルスキー監督から「カズはサッカー選手のお手本。シドニーFCの選手達はカズからプロ精神を学んだ」と賛辞を贈られている[144]

前述のようなストイックなイメージで知られるが、孤高の存在というわけではなく、欧州でプレーする長友佑都長谷部誠内田篤人香川真司らと食事会(通称「カズ会」)を行うなど面倒をみている。その際、カズの隣の席の争奪戦が起きるほどに慕われている[145]

2004年12月ブラジルサンパウロ州のクラブチームで同州2部リーグに所属するウニオン・サンジョアンECのクラブ買収に乗り出していた。現役選手の視点から、クラブ運営や自分を育ててもらった人材の宝庫と言われるブラジルで、後進の育成にも携わっていく構想を持っているようで、2010年1月にはサッカークラブのオーナーを目指していると東スポに報じられた[146]

スター選手として[編集]

横浜FCはJ2ながらカズが加入したこともあって、横浜FCの関わった試合の平均観客動員が加入前6,079人から加入後10,293人へと上昇する[147] など、アウェイでも注目を集めてJ2の観客動員に貢献した。FIFAクラブ世界選手権2005に出場するシドニーFCへレンタル移籍した際には、カズの認知度は日本でプレーする選手の中でも群を抜いており、日本人初の出場選手として大会の認知度を格段に上げたとスポーツニッポンのコラム内で言及されている[147]。2010年6月、南アフリカW杯中断期間中に沖縄県宮古島でキャンプを行った際には、カズ人気で多くの市民が練習見学に訪れた[148]

北澤豪は読売時代からカズとよく一緒に行動しており、北澤がまだ無名だった頃には、カズはファンにサインする際に色紙の半分を空白にし「こいつ、これから絶対伸びてくる奴だから、今のうちにサイン貰っといた方がいいよ」とよく言っていた。1998 FIFAワールドカップの落選に対し、カズは同じく落選した北澤に「俺たちがやってきたことは間違いない。大事なのはこの後だ」とだけ話し、ネガティブなことは一切言わなかった[149]。またメンバー落選翌日には、日本に帰国する前に合宿先のスイスから北澤を伴いイタリアミラノへ立ち寄り、ホテルの最高級部屋に2人で滞在、1泊20万円ほどしたという代金は後日日本サッカー協会に請求したところ払ってくれたという[150]

韓国代表朴智星はカズと親交があり、韓国でもカズを知らないものはいないと評している。京都パープルサンガでプロデビューし、カズと共にプレーする以前からカズを「アジアサッカー界を代表するスーパースター」と認識しており、自分の原点は京都にあると共に、その中で最も規範となり刺激を与えてくれた選手は間違いなくカズであると語っている[151]

2012年2月、「女性に花を贈る姿が似合う男性」として、初代Mr.フラワーバレンタインに選出された。ヨーロッパなどではバレンタインデーに男性が女性に花を贈ることが通例となっていることから[152]

2016年に記者から「客寄せパンダ的な利用のされ方をするのは嫌じゃないですか」という質問をされると、「J2でも、横浜FCでもよくそう言われるし、書かれているじゃないですか。でも、パンダでないと人は来ないですから。その役割は自負していますよ。僕は客寄せパンダで十分ですよ。だって普通の熊じゃ客は来ないんだもの。パンダだから見に来るんだもの。熊はパンダになれないんだから」と返答している[153]

背番号へのこだわり[編集]

「背番号11」へのこだわりは強い。11番を着けるようになったのはブラジルに渡ってからで、小中学生の頃は14番だった。カズのいた当時のブラジルは背番号固定制ではなく先発選手が1番から11番をつけるシステムになっており、左ウィングの背番号が11番だった。日本に帰国した時にも読売クラブに11番を希望していたがすでに埋まっており、空いていた24番を選択した。翌シーズンには希望通り11番を着けた。94年には日本代表監督に就任したファルカンから代表のキャプテンとして10番を付けるように勧められたが、これを断っているほどであった。京都へシーズン途中に加入した際、Jリーグは固定背番号制に移行していたため、11番はヴェルディ時代も同僚だった藤吉信次が着けておりカズは空き番だった36番を着けたが、藤吉に冗談で「500万円で売ってくれ」と頼んだことがある。ここでもリーグ戦と別に大会独自の背番号の登録が可能な同年の天皇杯は11番で出場し、翌シーズンは正式に11番を着けた。11番はラッキーナンバーとして大事にしており、練習の際のビブスも11番を選んで着用し、車のナンバーを11にしたり、駐車場で11番が空いていたらどんなに狭くてもそこに駐める[154]

その他[編集]

幼少の頃憧れた選手として元ブラジル代表としてワールドカップを制し、清水エスパルスの監督を務めていたこともあるロベルト・リベリーノの名前を挙げた[155]

エピソード[編集]

選手編[編集]

  • 中学3年生の時、進路指導の紙の志望高校を書く欄に「第一希望 ブラジル」と書いて[156]、教師から激怒された。この件について「当時既にブラジルに行く以外考えていなかったので、高校名を書くわけにはいかないと思ったから」と『ジャンクSPORTS』出演時に語っている[157]
  • 契約金の良さにブラジルから帰国したと語っていたが、実はラッシャー板前の家に居候という経済的に困窮していたことを浅草キッドに『ジャンクSPORTS』で暴露された[158]
  • 平成末期、2015年4月12日放送のTBSサンデーモーニング」でスポーツ解説者の張本勲が、当時大ベテランの域に達していた三浦(当時48歳)に対し「カズファンには悪いけど、もう辞めたほうが良い」とコメント[159]。それに対して三浦は、「激励と前向きに受け取っている」と大人の反応を見せた。それに対して張本は4月19日の放送で「カズにあっぱれ!普通なら文句をつける。それを先輩からの助言と受け止める。男らしい、腹が据わっている」と絶賛した[160]
  • ブラジルでプロ入りした直後にプーマとシューズの契約を締結し、以後サッカーの試合では全てプーマのシューズを着用している。ただしフットサル日本代表では全員がアディダス製シューズを履く契約となっていたため、日本サッカー協会がプーマと直接交渉した結果、カズもアディダス製を履くこととなった[161]。ちなみにシューズに「カズモデル」というものは存在せず、刺繍などを除いては市販品と全く同じスペックのものを履いている[114]
  • 平成元年はブラジルでプロ選手としてプレーし、平成最後となる2019年も横浜FCでプロ選手としてプレーしたため、平成30年間唯一プロとしてプレーし続けた日本人選手となった[162]

プライベート編[編集]

  • ブラジルの永住権を今でも更新しており、そのために2年に1度はブラジルへ渡航している[163]
  • ブラジルの公用語であるポルトガル語が堪能であり、通訳無しで喋っている映像が残されている他、チームではブラジル人選手の面倒もよく見ており2010年の第28節ではカイオがFKを譲るシーンもあった。このときカイオは「カズさんの今までやってきたことを考えると絶対に譲らないといけないと思うのと、いつもブラジル人たちを手伝ってくれているのもあった」と語っている[164]
  • カズ本人によれば映画『ゴッドファーザー』好きで、自身の時に奇抜なファッションはこの作品に影響を受けたことが原因だと証言している。日本サッカー界屈指の「伊達男」だと自認する。特にスーツを愛好する服好きであり、都内に洋服保存用マンションを購入したほどであり、趣味はマフィア研究である[165]
    • 「ゴッドファーザー」好きは、よく行く店でカズが来店するとBGMに必ず「ゴッドファーザーのテーマ」をかけさせるほど徹底している。前園真聖に「(西麻布の行きつけの飲食店で)この曲がかかってたら必ず俺がいるから」と言っていたことを前園自身が語っている[166] ほか、ミラノフォーシーズンズホテルでもカズが行くとゴッドファーザーのテーマが演奏されることを北澤豪が暴露した(いずれも『ジャンクSPORTS』より)[注 3]
  • 好物は、自著の名前にもなっているおはぎで、「全国おはぎ協会会長」を自負している[167]
  • 2007年、当時9歳の長男に「日本代表の伝説的な背番号11番は誰か知ってるか」と聞いたら、冗談混じりに「巻(誠一郎)!」と言われたと『ジャンクSPORTS』出演時に語っている[157]。2013年、当時15歳の長男は春休みにカズと同じくブラジルにサッカー留学した[168]。この長男は俳優の三浦獠太である。
  • 浜田省吾とはブラジル時代から20年来の付き合いがあり、現在でも一緒に食事に行くことがある。カズは元々浜田のファンで、ブラジル時代にも浜田の曲をよく聴いていたそうだ。2006年8月に発売された『The Best of Shogo Hamada vol.1』『同 vol.2』のCMにも友情出演した[169]。浜田省吾との縁で、浜田省吾が所属するロード&スカイグループとマネジメント契約を結んでいる。
  • 近年(2008年〜)は、矢沢永吉をよく聴いている[170]
  • 2011年には「第24回 日本メガネベストドレッサー賞」においてスポーツ界部門で受賞している。
  • 2012年、日本代表など多くの場面で共にし、同じく長く現役を続けていた中山雅史の引退についてメディアにコメントを求められた際、最も印象に残ってるエピソードとして、92年のオランダ遠征の際、当時よく二人で日本サッカーを強くしようと話していて、その日の夜もオランダの公園の芝で寝ながら二人で「ワールドカップ行こうな」と語り合っていると、ふと気が付くと周りはゲイのカップルだらけで、すぐ帰ろうとなったと話した。また、「寂しくなるが、中山がいたからここまでやってこれた、中山のやってきたことは日本サッカーの、世界のサッカーの宝だと思う」と途中目に涙を浮かべながら話した[171][172][173]
  • ストイックなイメージで知られるが、テキーラを愛飲しており、カズはテキーラについて「走るためのガソリンのようなもの」と表現している。30代の頃は一晩でボトル1本半から2本空けたことがあるという[174]

名前に関するエピソード[編集]

  • ロス疑惑容疑者であった三浦和義とは同音異字。ロス疑惑・三浦和義に関する報道合戦が過熱していた1980年代中頃は、カズはブラジルでプレーしていた。そのため、帰国した後も日本代表のサッカー選手として知名度を得るまでは勘違いされることが多々あったという。
    • ロス疑惑の報道合戦から約四半世紀を経た2007年頃には、サッカー界では1980年代生まれの選手がJリーガー・日本代表の中核を占めていたが、この世代はもはや年齢的にロス疑惑と三浦和義を知らない選手がごく当たり前にいる状況となっていた。このこともあり、2008年2月、サイパンで三浦和義が現地の警察により逮捕された際には、平山相太(1985年生)などが報道を見てカズが逮捕されたと勘違いするという事態が起きた[175]
  • 愛称の「キング・カズ (KING KAZU)」は、1993年のワールドカップ・アメリカ大会アジア最終予選北朝鮮戦にて2ゴール1アシストを決めた翌日、開催地カタールの英字紙「ガルフ・タイムズ」の見出しに使用されたのが初出である[176]。以後、日本国内のメディアでも使われるようになり、移動バスでカズが座る左最後尾の座席が「キングシート」と呼ばれたりした。カズ自身、「キング」は偉大なペレのニックネームと思っていた。しかしながら、横浜FC時代からは自然に受け止められるようになり、その名に恥じない言動を心がけている[177]

両カテゴリーでの優勝[編集]

ヴェルディ川崎においてJ1、横浜FCにおいてJ2での優勝を経験し、その他のタイトルでは天皇杯ナビスコカップも制覇した[注 4]。J2以外ではMVPも獲得している。

カズダンス[編集]

原型となったのは、ブラジルのFWカレッカが得点後にみせたコーナーフラッグ付近でサンバを踊るパフォーマンス[178]。カズが考えた踊りを元に、田原俊彦がアレンジを加えて完成した[179]。「ゴール後のパフォーマンス」を日本に定着させたのはこのダンスであり、Jリーグ開幕直後、小中学生はこぞってゴール後に踊っていた[179]

日本のテレビで初めてカズダンスが放映されたのは、1989年頃にテレビ朝日系列で放送されていた『ビートたけしのスポーツ大将』内のサッカー対戦で、助っ人として出演しゴールを決めた時であるが、後に披露されたカズダンスに比べてシンプルなものであった。本人は初披露は1992年のゼロックス・チャンピオンズ・カップ読売トヨタ)だったと述べている[178]

近年では2000年のJリーグ通算100得点達成(当時京都在籍)後、神戸在籍時の2002年アウェーのガンバ大阪戦、北澤豪引退試合での得点後などで披露した(ラモス瑠偉引退試合でも、得点はならなかったが試合後のセレモニーで披露)。横浜FCに移籍してからは、2005年シーズン第32節徳島戦で逆転ゴールを挙げた後に吉武剛と共に披露(試合はその後再逆転され2-3で敗戦)。そして2007年シーズン第13節大分戦で日本人選手最年長ゴール記録を更新したときも「リクエストに応えて」(本人談)披露した(試合は2-1で勝利)。2010年シーズン第28節富山戦でJリーグ最年長ゴール記録を更新したときも披露した[164]

また、Jリーグ開幕時の前園真聖など、様々なJリーガーもこのダンスを披露している。城彰二が一時期カズダンスをしていたが、そのことを知人から聞いたカズは城を呼び出して説教をした[注 5][157]。それ以来、城は酒の場以外、カズダンスをしていない。また、須田興輔も2005年(当時水戸ホーリーホック在籍)に「次に点を取ったらカズダンスします」と語っている(が、実現はしていない)。なお、コンサドーレ札幌に所属していた相川進也は、2005年第34節徳島戦にて披露している。京都と神戸でチームメイトだった朴康造は韓国代表の試合や2010年最終節浦和戦、2011年第10節川崎戦で「本家公認[180]」というカズダンスを披露している。李忠成(当時所属)も2008年第14節浦和戦で先制ゴールを決めたときに披露した。

2011年3月29日行われた東日本大震災復興支援チャリティーマッチがんばろうニッポン! では、試合前にカズダンスについて「やってもいいんじゃないですかね。いろんな意見があると思うけど、やるのも一つの手だと思う」とゴールを決めた場合にはカズダンスを行うことを示唆[181]。後半37分にゴールを決めた際にはゴール裏でカズダンスを披露した。2015年4月5日に最年長ゴールを決めた試合終了後、カズダンスの全Jリーグ選手への解禁を宣言し「Jリーグなら誰でも公認」となった[182]

語録[編集]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1986 サントス サンパウロ州 2 0
マツバラ  
1987  
CRB アラゴアス州
全国選手権A 4 0
1988 ジャウー サンパウロ州 25 2
1989 コリチーバ 全国選手権A 21 2
1989 パラナ州 24 4
1990 サントス 全国選手権A 11 3
1990 サンパウロ州
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1990-91 読売 24 JSL1部 18 3 1 0 2 1 21 4
1991-92 11 21 6 5 2 5 3 31 11
1992 V川崎 - J - 10 10 5 1 12 15
1993 36 20 1 0 3 3 40 23
1994 22 16 0 0 - 22 16
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1994-95 ジェノア - セリエA 21 1 1 0 - 22 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 V川崎 - J 26 23 - 2 0 28 23
1996 27 23 6 2 5 4 38 29
1997 11 14 4 0 0 2 1 16 5
1998 28 5 0 0 3 2 31 7
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1998-99 ザグレブ 13 1.HNL 12 0 - - 12 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 京都 36[注 6] J1 11 4 0 0 2 1 13 5
2000 11 30 17 7 2 1 0 38 19
2001 神戸 29 11 3 2 2 0 34 13
2002 17 3 1 0 0 0 18 3
2003 24 4 4 0 3 2 31 6
2004 21 4 5 0 0 0 26 4
2005 12 2 6 1 - 18 3
横浜FC J2 16 4 - 1 0 17 4
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2005-06 シドニーFC 21 Aリーグ 4 2 - - 4 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 横浜FC 11 J2 39 6 - 0 0 39 6
2007 J1 24 3 4 0 2 0 30 3
2008 J2 30 1 - 2 0 32 1
2009 30 1 - 0 0 30 1
2010 10 3 - 0 0 10 3
2011 30 0 - 1 0 31 0
2012 14 1 - 0 0 14 1
2013 18 2 - 0 0 18 2
2014 2 0 - 0 0 2 0
2015 16 3 - 0 0 16 3
2016 20 2 - 1 0 21 2
2017 12 1 - 0 0 12 1
2018 9 0 - 2 0 11 0
2019 3 0 - 2 0 5 0
2020 J1 4 0 2 0 - 6 0
2021
通算 ブラジル 全国選手権A 32 5
日本 J1 325 139 49 17 30 14 404 170
日本 J2 249 24 - 9 0 258 24
日本 JSL1部 39 9 6 2 7 4 52 15
イタリア セリエA 21 1 1 0 - 22 1
クロアチア 1.HNL 12 0 - - 12 0
オーストラリア Aリーグ 4 2 - - 4 2
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
OFCOFC CLクラブW杯
2005 シドニーFC 11 - 2 0
通算 OFC - -
FIFA 2 0

受賞[編集]

タイトル[編集]

代表歴[編集]

試合数[編集]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1990 3 0
1991 2 0
1992 11 2
1993 16 16
1994 8 5
1995 12 6
1996 12 6
1997 19 18
1998 1 0
2000 5 2
通算 89 55

2007年JFAが行った検証により1997年のルーマニア戦 2試合が取り消された[1]。このため出場数が91から89へ、得点数が56から55へと訂正された。

JFAとRec.Sport.Soccer Statistics Foundation (RSSSF) は、釜本邦茂(75得点)に次ぐ日本代表歴代2位の得点者としている[183][184]。一方、国際サッカー連盟 (FIFA) は、2009年時点では釜本を三浦と同数の55得点としていたが[185]、2014年時点では80得点としている[186]

これは以下に示す JFA、IFFHS 両者の統計方法の違いによる。

  • JFA - 1988年以前のオリンピック予選および本大会における、プロリーグの存在しない地域の、年齢制限のないオリンピック代表チームとの試合は国際Aマッチとする。
  • FIFA - 1999年に「1960年以降の全てのオリンピック関係の試合が国際Aマッチと認められる訳ではないが、中間部分については更なる分析が行われる」という声明を出し[187]、これを元にした基準を採用している。

なお、RSSSFは「東ヨーロッパスカンジナビア諸国のサッカー協会はFIFAの声明を却下し、信頼できる各国の協会によって認められた統計方法を持っている。日本も大部分のオリンピックの試合を2015年に公式に認めている」という見解を示し、JFAの記録を追認している[187]

得点数[編集]

サッカー
# 月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1 1992年 8月26日 中華人民共和国の旗 中国北京 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 ○ 4-1 ダイナスティカップ1992
2 11月3日 日本の旗 日本広島市 イランの旗 イラン ○ 1-0 AFCアジアカップ1992
3 1993年 3月14日 日本の旗 日本東京 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ○ 3-1 親善試合
4
5 4月8日 日本の旗 日本神戸市 タイ王国の旗 タイ ○ 1-0 1994 FIFAワールドカップ・アジア予選
6 4月11日 日本の旗 日本、東京 バングラデシュの旗 バングラデシュ ○ 8-0
7
8
9
10 4月15日 スリランカの旗 スリランカ ○ 5-0
11
12 4月30日 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦ドバイ バングラデシュの旗 バングラデシュ ○ 4-1
13 5月5日 スリランカの旗 スリランカ ○ 6-0
14 10月4日 日本の旗 日本、東京 コートジボワールの旗 コートジボワール ○ 1-0 アフロアジア選手権
15 10月21日 カタールの旗 カタールドーハ 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 ○ 3-0 1994 FIFAワールドカップ予選
16
17 10月25日 大韓民国の旗 韓国 ○ 1-0
18 10月28日 イラクの旗 イラク △ 2-2
19 1994年 7月8日 日本の旗 日本名古屋市 ガーナの旗 ガーナ ○ 3-2 親善試合
20
21 7月14日 日本の旗 日本、神戸市 ガーナの旗 ガーナ ○ 2-1
22 10月3日 日本の旗 日本尾道市 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 △ 1-1 アジア競技大会
23 10月11日 日本の旗 日本、広島市 大韓民国の旗 韓国 ● 2-3
24 1995年 1月8日 サウジアラビアの旗 サウジアラビアリヤド アルゼンチンの旗 アルゼンチン ● 1-5 キング・ファハド・カップ1995
25 5月28日 日本の旗 日本、東京 エクアドルの旗 エクアドル ○ 3-0 キリンカップサッカー1995
26
27 9月20日 パラグアイの旗 パラグアイ ● 1-2 親善試合
28 10月24日 日本の旗 日本松山市 サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○ 2-1
29
30 1996年 2月19日 香港の旗 イギリス領香港 ポーランドの旗 ポーランド ○ 5-0 カールスバーグカップ
31 5月26日 日本の旗 日本、東京 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア ○ 1-0 キリンカップサッカー1996
32 5月29日 日本の旗 日本福岡市 メキシコの旗 メキシコ ○ 3-2
33 8月25日 日本の旗 日本大阪市 ウルグアイの旗 ウルグアイ ○ 5-3 親善試合
34
35 12月9日 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦アル・アイン ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○ 4-0 AFCアジアカップ1996
36 1997年 3月15日 タイ王国の旗 タイバンコク タイ王国の旗 タイ ● 1-3 親善試合
37 3月25日  オマーンマスカット ポルトガルの旗 マカオ ○ 10-0 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選
38
39 5月21日 日本の旗 日本、東京 大韓民国の旗 韓国 △ 1-1 親善試合
40 6月8日 クロアチアの旗 クロアチア ○ 4-3 キリンカップサッカー1997
41
42 6月22日 ポルトガルの旗 マカオ ○ 10-0 1998 FIFAワールドカップ予選
43
44
45
46
47
48 6月25日 ネパールの旗 ネパール ○ 3-0
49
50 9月7日 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○ 6-3
51
52
53
54 2000年 2月16日 マカオの旗 マカオ ブルネイの旗 ブルネイ ○ 9-0 AFCアジアカップ2000予選
55 6月6日 モロッコの旗 モロッコカサブランカ ジャマイカの旗 ジャマイカ ○ 4-0 ハッサン2世カップ
フットサル
# 月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1 2012年 10月27日 日本の旗 日本旭川市  ウクライナ ○ 3-1 フットサル親善試合

関連情報[編集]

出演[編集]

劇場アニメ[編集]

  • 名探偵コナン 11人目のストライカー(2012年) - 三浦知良 役[188]
    • 名探偵コナン×Jリーグのスペシャルコラボレーション企画を記念して本人役で特別出演した。声優初挑戦のため、アフレコ収録の当日には『名探偵コナン』の主人公・江戸川コナン役である高山みなみが、直接声優指導を担当した。家族もコナンの大ファンだったため、子供たちからも喜ばれていた。また、原作『名探偵コナン』900回記念では歴代ゲスト出演者の一人として、お祝いコメントが掲載された。
  • ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE(2013年) - キング 役
    • ルパン三世×名探偵コナンのスペシャルコラボレーション企画として特別出演した。幼少時からルパン三世の大ファンだったこともあり、志願して出演が決定。特別にルパン三世との絡みのシーンが用意された[189]。知人でもある声優戸田恵子に演技を教えてもらい、ルパンと同じ赤色のジャケット姿でアフレコした[190][191]

CM[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

  1. ^ a b ]【日本代表チームデータベース検討委員会】日本代表戦の検証と認定結果(07.06.15)”. 2007年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月12日閲覧。
  2. ^ a b 日本サッカー協会編「日本代表公式記録集The Yearbook of JFA 2011」
  3. ^ 三浦カズ&りさ子の長男、グランメゾン東京で俳優デビュー”. NEWSポストセブン. 2020年6月1日閲覧。
  4. ^ カズ長男が芸能界入り 中村倫也・松坂桃李ら擁する「トップコート」に所属を発表”. スポーツ報知. 2020年6月1日閲覧。
  5. ^ a b 一志1993、13頁。
  6. ^ a b c d e f 三浦知良2006、254-255頁。※生誕から2006年1月までの略歴
  7. ^ 一志1993、12頁。
  8. ^ 一志1993、19頁。
  9. ^ 一志1993、14頁。
  10. ^ 一志1993、29頁。
  11. ^ a b 一志1993、51頁。
  12. ^ 一志1993、50頁。
  13. ^ SBSカップについて - SBSカップ公式サイト
  14. ^ 三浦知良インタビュー「デビュー戦でドゥンガにこっぴどく叱られた」”. www.soccer-king.jp. 2020年4月9日閲覧。
  15. ^ サッカーマガジン 1986年7月 no.322号 p.24-34 ベースボールマガジン社
  16. ^ 一志1993、52-58頁。
  17. ^ 一志1993、58-61頁。
  18. ^ a b 田崎健太「国境なきフットボール」第8回 カズの足跡を辿って(後編) - スポーツコミュニケーションズ(2008年5月9日)
  19. ^ カズ20歳、ブラジルでの洗礼と栄誉 必殺ドリブルと“日本のガリンシャ””. number.bunshun.jp. 2020年4月9日閲覧。
  20. ^ 綾野1997、113-117頁。
  21. ^ 一志1993、69頁。
  22. ^ a b 三浦知良( 2006、176頁。
  23. ^ a b 一志1993、77頁。
  24. ^ a b カズ、ブラジル移籍浮上!古巣からラブコール - スポーツニッポン(2009年12月24日)
  25. ^ カズ、ジーコ…鹿島初のブラジル人監督が語る日本の思い出 ページ2”. sportiva. 2021年2月26日閲覧。
  26. ^ サッカーストライカー 1989年7月号 p.46-47 小学館
  27. ^ カズ20歳、ブラジルでの洗礼と栄誉 必殺ドリブルと“日本のガリンシャ”その5”. number.bunshun.jp. 2020年4月9日閲覧。
  28. ^ 一志1993、84頁。
  29. ^ 一志1993、85頁。
  30. ^ 綾野1997、135頁。
  31. ^ 一志1993、99-101頁。
  32. ^ 本場仕込みの実力/記者が選ぶカズの思い出ゴール1”. www.nikkansports.com. 2020年6月30日閲覧。
  33. ^ 30年前、カズが日本に帰ってきた!”. news.yahoo. 2020年10月28日閲覧。
  34. ^ ストライカー (雑誌) 1991年5月3日号 学研 p.36-37
  35. ^ ストライカー (雑誌) 1992年6月号 学研 p.6-9
  36. ^ Jリーグカップ ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  37. ^ 92Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 準決勝”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  38. ^ 92Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 決勝”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  39. ^ 三浦 知良”. j-league. 2020年4月9日閲覧。
  40. ^ 93JリーグKodakオールスターサッカー”. j-league. 2020年4月9日閲覧。
  41. ^ a b c d Jリーグ ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  42. ^ a b c d e f エプソンカップ 1994 ヴェルディ川崎 VS ACミラン 公式パンフレット P.42
  43. ^ Stelle di natale 2016
  44. ^ 『週刊サッカーマガジン』1994年1月26日号 no.439、107-111頁。
  45. ^ a b カズがわずか1年でイタリア1部・ジェノアを退団した真相”. news.livedoor.com. 2020年5月10日閲覧。
  46. ^ a b カズ、中田、中村、本田…セリエAを彩った歴代日本人選手の「リアル評」は? イタリア人記者に訊く”. www.soccerdigestweb.com. 2020年4月9日閲覧。
  47. ^ Sports Graphic Number 765号 二宮寿朗「越境ワールドマップ 世界を席巻する日本人フットボーラー約120人」、2010年10月28日発売。
  48. ^ 94年、三浦知良。「金を払って選手をねじ込む」“マーケティング主導”の揶揄の中、築いた礎 セリエA日本人選手の記憶(1)”. www.footballchannel. 2020年10月28日閲覧。
  49. ^ a b c d e 週刊サッカーマガジン 1995年6月7日 no.507 p.112-115 ベースボールマガジン社
  50. ^ 三浦知良2011、54-56頁。
  51. ^ 三浦知良2011、60-62頁。
  52. ^ 週刊サッカーダイジェスト 1995.2.15 P.13
  53. ^ 一志1998、48頁。
  54. ^ 週刊サッカーマガジン 1995年3月8日 no.495 p.154-155
  55. ^ C・ザグレブのカズ32歳バースデー弾ならず/復刻”. www.nikkansports. 2020年10月28日閲覧。
  56. ^ 『週刊サッカーダイジェスト』NO. 271 1995 7.5 今週のTOP NEWSページ番号記載無ページ
  57. ^ 一志1998、53-63頁。
  58. ^ 『週刊サッカーダイジェスト』1995.2.22、15頁。
  59. ^ 三浦知良から吉田麻也まで「イタリアに上陸した12人の日本人選手」が伊で特集”. www.soccerdigestweb.com. 2020年5月10日閲覧。
  60. ^ 週刊サッカーマガジン 1995年」1月25日 no.489号 p.20-21
  61. ^ 宇都宮徹壱『ディナモ・フットボール 国家権力とロシア・東欧のサッカー』みすず書房、2004年、p.224-239。ISBN 4-622-03389-5
  62. ^ 第141回スペシャル 三浦知良”. www.nhk. 2020年4月16日閲覧。
  63. ^ a b c d e カズ2発 キングが日本に帰って来た!!/復刻”. www.nikkansports. 2020年10月26日閲覧。
  64. ^ 刺激は疲れを超える-Boa Sorte Kazu 2011年6月17日掲載
  65. ^ カズプロフィル-日刊スポーツ
  66. ^ 千両役者ぶり披露/記者が選ぶカズの思い出ゴール2”. www.nikkansports.com. 2020年6月30日閲覧。
  67. ^ カズ、DF置き去りのトラップ&ターンに反響 19年前の“伝説”ゴールをJ公式が公開”. headlines.yahoo.co.jp/. 2020年4月18日閲覧。
  68. ^ 2004Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第11節”. data.jleague. 2021年4月13日閲覧。
  69. ^ 2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第11節”. data.jleague. 2021年4月13日閲覧。
  70. ^ 2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第12節”. data.jleague. 2021年4月13日閲覧。
  71. ^ 2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第13節”. data.jleague. 2021年4月13日閲覧。
  72. ^ 2005Jリーグ ディビジョン122 2ndステージ 第28節”. data.jleague. 2021年4月13日閲覧。
  73. ^ 三浦知良の契約更新を古巣シドニーFCも紹介”. www.soccer-king.jp. 2020年4月9日閲覧。
  74. ^ 矢内2009、261-262頁。
  75. ^ 横浜FCヒストリー”. 横浜FC. 2021年4月13日閲覧。
  76. ^ FW三浦知良選手負傷について 横浜FC (10.06.04) - J's GOAL(2010年6月4日)
  77. ^ 三浦知がJ2最年長得点を更新 43歳5カ月、今季初得点 - 47NEWS、共同通信(2010年8月7日)。
  78. ^ 43歳、カズが今季2号!最年長記録を更新”. 2010年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月26日閲覧。 - サンケイスポーツ(2010年9月27日)
  79. ^ “三浦知が最年長ゴールを更新 43歳9カ月8日”. 47NEWS(共同通信). (2010年12月4日). http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120401000321.html 2010年12月5日閲覧。 
  80. ^ “カズがサポーター選んだ年間MVP”. 日刊スポーツ. (2010年11月29日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20101129-707900.html 2010年12月5日閲覧。 
  81. ^ カズ弾捨てて勝ちダンス!「僕のゴールは重要じゃない」…fリーグ”. 2012年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月17日閲覧。 - スポーツ報知(2012年1月16日)
  82. ^ “IFAフットサルワールドカップ タイ2012(11/1〜18)フットサル日本代表メンバー”. Fリーグ公式サイト. (2012年10月19日). http://www.fleague.jp/news/detail.jsp?id=20121019-00 2012年10月19日閲覧。 
  83. ^ “カズがJFL参戦!?SC相模原「完全移籍」で電撃オファー”. スポーツニッポン. (2012年12月22日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/12/22/kiji/K20121222004827550.html 2013年1月13日閲覧。 
  84. ^ “カズ、横浜FC残留「最優先」初めて口に”. 日刊スポーツ. (2013年1月4日). http://www.sanspo.com/soccer/news/20130104/jle13010405030000-n1.html 2013年1月13日閲覧。 
  85. ^ “カズ 横浜FC始動日に契約更新「優勝を意識してやる」”. スポーツニッポン. (2013年1月15日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/15/kiji/K20130115004986920.html 2013年1月16日閲覧。 
  86. ^ “横浜FCカズ、2年契約も50歳現役の野望へ正念場の今季”. 夕刊フジ. (2013年1月16日). http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20130116/soc1301160710000-n1.htm 2013年1月16日閲覧。 
  87. ^ “カズ、15年ぶりヴェルディ復帰へ!近日中にも正式オファー”. スポーツニッポン. (2013年6月18日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/06/18/kiji/K20130618006037000.html 2013年6月18日閲覧。 
  88. ^ “カズ選手をブラジル派遣 大使としてW杯へ 日本サッカー協会”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2014年6月5日). http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKE0661_V00C14A6000000/ 2014年6月6日閲覧。 
  89. ^ “48歳カズ 9年ぶり開幕先発!魂震えた「ちょっと緊張したね」”. スポニチ (スポニチ). (2015年3月9日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/03/09/kiji/K20150309009943460.html 2015年3月9日閲覧。 
  90. ^ “キングカズ健在、J最年長弾でカズダンス「みんなが見たいと待っているから」(12枚)”. ゲキサカ (ゲキサカ). (2015年4月6日). http://web.gekisaka.jp/photonews/detail/?160412-160412-pn 2015年4月6日閲覧。 
  91. ^ “キングカズの現役世界年長ゴールを英メディアも注目! 史上最年長ゴールは…”. フットボールチャンネル (フットボールチャンネル). (2015年4月5日). http://www.footballchannel.jp/2015/04/05/post81048/ 2015年4月5日閲覧。 
  92. ^ カズの偉業がイタリアでも話題に「元ジェノアのミウラが奇跡を起こした」”. サッカーキング (2015年4月6日). 2015年6月12日閲覧。
  93. ^ カズ決勝弾!J2最年長ゴール更新 J1はジーコ 日刊スポーツ 2015年6月29日
  94. ^ J2:48歳三浦知良、来季も現役 横浜FCと契約更新 毎日新聞 2015年11月11日
  95. ^ カズ、49歳シーズンも現役!横浜FCと契約更新、“11並び”発表 YAHOO!ニュース 2015年11月11日
  96. ^ カズの契約延長を各国メディアも称賛「時代を超越した存在」 フットボールチャンネル 2015年11月12日
  97. ^ 48歳カズの契約延長に世界が驚く 各国メディアが報道 Goal.com 2015年11月12日
  98. ^ 前園真聖、カズの現役続行に驚き「還暦まで本当にやるんじゃないか」 スポーツニッポン 2015年11月12日
  99. ^ 49歳カズ、J最年長ゴール記録更新 岐阜戦で得点 朝日新聞 2016年6月19日
  100. ^ カズが最年長ゴール記録を49歳5カ月12日に更新! 反撃弾で大逆転勝利に導く livedoorニュース2016年8月7日
  101. ^ カズ契約更新、開幕日に初の50代Jリーガーへ 読売新聞 2017年1月11日
  102. ^ 三浦知良が前人未到の50歳シーズンへの思い明かす 「選手のまま死にたい」 スポニチアネックス 2017年1月1日
  103. ^ カシージャスも50歳まで現役続行!? カズの契約更新に ゲキサカ 2017年1月12日
  104. ^ カズが今季初ゴール!J最年長ゴール記録更新でカズダンスも披露”. サッカーキング (2017年3月12日). 2017年3月12日閲覧。
  105. ^ 50歳カズの得点が世界でも話題!「不死身」「歴史的ゴール」「60歳まで現役」”. サッカーキング(毎日新聞) (2017年3月13日). 2017年3月13日閲覧。
  106. ^ 三浦知良、最年長ゴールでギネス認定「僕自身はそれほど意識しなかったが光栄」”. GOAL.com (2018年2月15日). 2018年2月16日閲覧。
  107. ^ 52歳三浦知良が最年長出場記録を更新へ…岐阜戦で今季初のスタメン入り サッカーキング 2019年3月23日
  108. ^ キングがJ1に帰ってくる!横浜FC昇格決めた!最年長出場更新の52歳三浦知良「イニエスタの股抜きたい」 中日スポーツ 2019年11月24日
  109. ^ 「本当のラストサムライ」「信じられないほどの忠節な物語」 伊メディア、三浦知良の契約延長に驚嘆! サッカーダイジェストWeb 2020年1月15日
  110. ^ 横浜FC 53歳の三浦知良 J1最年長出場記録 更新”. nhk (2020年9月24日). 2020年10月29日閲覧。
  111. ^ 横浜FC カズが名古屋とのリーグ戦にベンチ入り J1最年長出場更新なるか”. デイリースポーツ (2021年8月9日). 2021年8月9日閲覧。
  112. ^ “日本代表vsバングラデシュ代表 1990年9月26日”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19900926/ 2020年4月17日閲覧。 
  113. ^ サッカーストライカー 1990年12月号 p.8-13 小学館
  114. ^ a b 鎌田直秀 (2017年3月13日). “カズ“市販”スパイクで偉業! こだわりないこだわり”. 日刊スポーツ. 2020年1月8日閲覧。
  115. ^ 【Play Back!!】 1992 Asian Cup 決勝 日本 vs サウジアラビア”. qoly.jp (2011年1月17日). 2020年5月7日閲覧。
  116. ^ “FIFAワールドカップアメリカ'94 アジア地区1次予選 日本 vs バングラデシュ”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19930411/ 2021年4月5日閲覧。 
  117. ^ “FIFAワールドカップアメリカ'94 アジア地区最終予選 日本 vs 北朝鮮 1993.10.21”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19931021/ 2020年4月17日閲覧。 
  118. ^ “FIFAワールドカップアメリカ'94 アジア地区最終予選 日本 vs イラク 1993.10.28”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19931028/ 2020年4月17日閲覧。 
  119. ^ 三浦知良2005、28頁。
  120. ^ やっぱりカズだ、日本代表タイ記録の6発!”. www.nikkansports.com (2016年6月23日). 2020年5月3日閲覧。
  121. ^ “日本 vs ウズベキスタン 1997”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19970907/ 2020年4月17日閲覧。 
  122. ^ a b 30歳カズが激怒した夜/記者が振り返るあの瞬間”. www.nikkansports.com (2014年6月5日). 2020年5月12日閲覧。
  123. ^ カズ、親善大使招集 ロビー活動でアシスト”. ZAKZAK (2014年6月5日). 2015年4月3日閲覧。
  124. ^ 三浦知良の名言”. number.bunshun.jp (2016年10月11日). 2020年5月7日閲覧。
  125. ^ 「間違いなく飛躍している。しかし...」名波浩が語るサムライブルーの今と昔!!!
  126. ^ 一志1998、157-159頁。
  127. ^ “日本 vs メキシコ 2000”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/20000205/ 2020年4月17日閲覧。 
  128. ^ “日本 vs ブルネイ 2000”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/20000216/ 2020年4月17日閲覧。 
  129. ^ “日本 vs ジャマイカ 2000”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/20000606/ 2020年4月17日閲覧。 
  130. ^ 三浦知良2011、136-140頁。
  131. ^ カズ初出場!日本、ブラジルと分ける - サンケイスポーツ 2012年10月24日閲覧
  132. ^ カズ、代表初得点!日本が快勝 - サンケイスポーツ 2012年10月27日閲覧
  133. ^ a b 綾野1997、204-205頁。※大住良之の寄せ書き
  134. ^ 『週刊サッカーダイジェスト』 2010年8月17日号 日本人ドリブラー列伝「名手の系譜」
  135. ^ a b c プロフェッショナル 仕事の流儀「キング・カズ 走り続ける理由がある」 (NHK総合、2010年3月23日放送)
  136. ^ ワールドカップ予選の年 頼むぞカズ - サッカーの話をしよう No.175 大住良之オフィシャルアーカイブサイト 1997年1月6日発行
  137. ^ カズ驚異の心肺 横浜C奥も久保も40歳にドッキドキ!!”. 2007年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月26日閲覧。 - スポーツ報知(2007年1月20日)
  138. ^ 綾野1997、198-199頁。※岡野雅行の寄せ書き
  139. ^ 綾野1997、196-197頁。※イチローの寄せ書き
  140. ^ “横浜FC カズ涙…仲間へ惜別弾”. 日刊スポーツ. (2010年12月5日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20101205-710164.html 2010年12月5日閲覧。 
  141. ^ 一志1993、179-180頁。
  142. ^ カズの向こうに世界が見える。〜Jリーグ開幕とW杯への夢〜(4/7) - ナンバーW杯傑作選(2010年5月7日)
  143. ^ 横浜FC 三浦知良選手を追った2か月間 - goo ニュース(2010年3月23日)
  144. ^ 矢内(2009)、228頁。
  145. ^ “カズ会、5時間…激しい“ポジション争い”も”. デイリースポーツ. (2011年6月24日). オリジナルの2011年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110625175812/https://www.daily.co.jp/soccer/2011/06/24/0004202695.shtml 2013年2月13日閲覧。 
  146. ^ カズがブラジルでクラブ買収計画”. 2010年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月29日閲覧。 - 東京スポーツ(2010年1月8日)
  147. ^ a b だからカズは移籍した〜シドニーFC移籍の真相〜 [リンク切れ] - スポニチワールドサッカープラス(2005年11月10日)
  148. ^ 横浜FC、宮古島で調整 カズ人気で大勢の市民”. 琉球新報 (2010年6月15日). 2010年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月22日閲覧。
  149. ^ 三浦知良2011、142-146頁。
  150. ^ カズ、W杯落選翌日に泊まったミラノのホテルは1泊20万!「協会が払ってくれたね」”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2019年2月11日). 2019年2月12日閲覧。
  151. ^ 三浦知良2011、222-226頁。
  152. ^ 女性に花を!カズ 初代「Mr.フラワーバレンタイン」に - スポーツニッポン(2012年2月6日)
  153. ^ 「僕は客寄せパンダで十分」三浦知良が現役を続けられる最大の理由 AERA dot. 2016年3月27日
  154. ^ 三浦知良2005、147-148頁。
  155. ^ カズ史上最高のゴールとゲームは? Jリーガー一問一答 三浦知良(横浜FC)-スポーツナビ 2020.2.24
  156. ^ 綾野1997、64頁。
  157. ^ a b c ジャンクSPORTS - トークダイジェスト Archived 2008年11月3日, at the Wayback Machine. - フジテレビ公式サイト 2007年1月7日放送分
  158. ^ ジャンクSPORTS - トークダイジェスト”. 2005年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月2日閲覧。 - フジテレビ公式サイト 2005年8月14日放送分
  159. ^ 相沢光一 (2015年4月21日). “張本氏の「カズ引退勧告」はまだしも「J2は2軍」の認識は問題だ”. ダイヤモンド・オンライン. 2020年1月9日閲覧。
  160. ^ 張本氏 引退勧告したカズに「あっぱれ!」”. 日刊スポーツ (2015年4月19日). 2020年1月9日閲覧。
  161. ^ スペシャルインタビュー 三浦知良(横浜FC)第3回「プーマ生活31年のカズが、一度だけアディダスを履いた大会とは?」- KING GEAR(NDPマーケティング)、2016年7月1日
  162. ^ 横浜FC・三浦知良 平成30年間、プロとして続ける唯一の日本人選手 ニッポン放送 2019年2月28日
  163. ^ 田崎健太「国境なきフットボール」第7回 カズの足跡を辿って (前編) - スポーツコミュニケーションズ(2008年4月11日)
  164. ^ a b J2 第28節 横浜FC vs 富山 試合終了後の各選手コメント - J's GOAL 2010年9月26日付 2010年10月29日閲覧
  165. ^ INLIFE 男の履歴書 三浦和良
  166. ^ ジャンクSPORTS - トークダイジェスト Archived 2008年5月2日, at the Wayback Machine. - フジテレビ公式サイト 2008年3月9日放送分
  167. ^ 三浦知良2005、207-210頁。
  168. ^ 三浦りさ子 息子も15歳でブラジルに” (2013年3月30日). 2015年9月8日閲覧。
  169. ^ 日刊スポーツ』2006年7月25日、24頁。
  170. ^ AERA』2008年3月3日号、74頁
  171. ^ 生ける伝説”カズ、ゴン魂継ぐ!感極まり涙 - サンケイスポーツ(2012年12月5日)
  172. ^ カズ、ゴン引退に涙 - デイリースポーツ(2012年12月5日)
  173. ^ カズ、中山引退に涙「ゴンがいたからここまで来られた」…横浜C”. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月16日閲覧。 - スポーツ報知(2012年12月5日)
  174. ^ 三浦知良、"カズ伝説"語る「スーツ専用マンション」「テキーラはガソリン」 - マイナビニュース(2015年4月5日)
  175. ^ 平山衝撃!カズさん逮捕された? - スポーツニッポン(2008年2月25日)
  176. ^ David James、三浦和良 (2011年4月20日). “Dear KAZU カズへの手紙 from David James (1/3)”. Number Web. 2011年5月14日閲覧。
  177. ^ David James、三浦和良 (2011年4月20日). “Dear KAZU カズへの手紙 from David James (3/3)”. Number Web. 2011年5月14日閲覧。
  178. ^ a b 三浦和良「教えて カズ先生 〜44歳のキングに44の質問〜」『Sports Graphic Number』778号、文藝春秋社、東京、2011年5月、 27頁、2011年5月13日閲覧。
  179. ^ a b 矢内2009、26頁。
  180. ^ “神戸・朴がV弾!出た〜本家公認カズダンス”. デイリースポーツ. (2011年5月7日). http://www.daily.co.jp/soccer/2011/05/08/0004042231.shtml 2011年5月14日閲覧。 
  181. ^ やるぜカズダンス!被災地へ届け勇気の舞 - デイリースポーツ(2011年3月29日)
  182. ^ スポーツニッポン (2015年4月21日). “カズダンス本家がGOサイン「Jリーグなら誰でも公認だよ!」”. sponichi.co.jp. 2015年6月15日閲覧。
  183. ^ Players with 100+ Caps and 30+ International Goals”. RSSSF.com. 2016年9月21日閲覧。
  184. ^ 日本代表歴代記録”. 財団法人日本サッカー協会. 2016年9月21日閲覧。
  185. ^ More goals than caps”. FIFA.com (2009年6月3日). 2016年9月21日閲覧。
  186. ^ 80 days to go”. FIFA.com (2014年3月23日). 2016年9月21日閲覧。
  187. ^ a b Matches Players with 100+ Caps and 30+ International Goals”. RSSSF.com. 2016年9月21日閲覧。
  188. ^ 名探偵コナン 11人目のストライカー”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月11日閲覧。
  189. ^ キング・カズが憧れのルパン三世と共演! 赤いジャケットでアフレコ臨む 2012年11月7日 ムービーコレクション
  190. ^ カズ 声優再挑戦!殺し屋「キング」“憧れ”ルパンと共演 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
  191. ^ スペシャル・ゲスト
  192. ^ “横浜FCの三浦知良さんが「スーパーカップ」のCMに”. ヨコハマ経済新聞. (2016年8月30日). http://www.hamakei.com/photoflash/2991/ 2016年8月30日閲覧。 
  193. ^ “リポD新CMキャラクターのカズ 夢は「サッカー上手くなりたい」”. スポニチアネックス. (2016年9月14日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/09/14/kiji/K20160914013350330.html 2016年9月14日閲覧。 
  194. ^ “<新・KIRIN FIRE 誕生。>三浦知良さん 柳楽優弥さん 坂本龍一さんを新たにイメージキャラクターに起用し新CMを展開!”. PR TIMES. (2016年10月4日). http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000017850.html 2016年10月11日閲覧。 
  195. ^ ガリバー、日本サッカー界のレジェンド・三浦知良選手をブランドアンバサダーに起用 CarWatch 2021年1月25日

注釈[編集]

  1. ^ 書籍『足に魂こめました』『三浦知良物語』では1986年1月と記載されている。本人公式サイト『HISTORY - BOA SORTE KAZU!』、および書籍『蹴音』『たったひとりのワールドカップ』の略歴では1985年1月と記載されている。
  2. ^ この連続得点試合数6試合という三浦の記録は、1997年に当時横浜マリノス所属していたサリナスがリーグ戦第2ステージ最終戦で7試合に亘って連続得点を決めるまでJリーグ史上最多記録であった。また、Jリーグ登録の日本人選手による記録としては2016年12月現在も史上最多記録である
  3. ^ 妻の三浦りさ子も一緒にいる場合は、ゴッドファーザーの演奏を終えると彼女のテーマ曲として映画『ゴースト/ニューヨークの幻』の主題歌を演奏するようになっている。
  4. ^ これら4タイトルの獲得経験のある選手は、他に藤ヶ谷陽介栗澤僚一がいる。
  5. ^ カズ本人が2007年1月7日放送の『ジャンクSPORTS』にてこの件を問われた際「真似をしてもらうのはうれしい。でも城のダンスを見たら変だったので、やるならちゃんとやってくれ、と言った」と語っている。
  6. ^ 天皇杯のみ11

著書[編集]

  • 三浦知良『おはぎ』講談社、2005年。ISBN 978-4063077544
    • 『ラストダンスは終わらない: essay 2001-2005』(『おはぎ』を改題・文庫化、2012年、新潮文庫、9784101383910
  • 三浦知良『蹴音―三浦知良伝説の言葉』ぴあ、2006年。ISBN 978-4835616186
    • 『カズ語録』(『三浦知良 伝説の言葉- 蹴音 -』を改題・文庫化、2012年、PHP文庫、9784569677996
  • 『やめないよ』(2011年、新潮社ISBN 4106104059
  • 『日めくり KAZU 魂のメッセージ 底力』(2011年、PHP研究所)4569799159
  • 三浦知良『Dear KAZU 僕を育てた55通の手紙』文春文庫、2011年。ISBN 978-4167901288
    • Sports Graphic Number』にて掲載された連載「カズへの手紙。」をまとめ、一部加筆されたもの
  • 三浦知良『カズのまま死にたい』新潮新書、2020年。ISBN 978-4106108518

関連書籍[編集]

  • 綾野まさる『KAZU-十五の旅立ち 三浦知良物語』小学館、1997年。ISBN 978-4092901919
  • 一志治夫『足に魂こめました―カズが語った「三浦知良」』文藝春秋、1993年。ISBN 978-4163478807
  • 一志治夫『たったひとりのワールドカップ―三浦知良、1700日の闘い』幻冬舎、1998年。ISBN 978-4877286415
  • 『ズバリ、一流のストライカーに育てる本 - カズ、ヤスの母親に学ぶ』(三浦由子(三浦兄弟の母)著)ベストセラーズ、1993年。
  • 『三浦知良写真集 KAZU KING THE VISUAL DOCUMENTARY』(山崎敏文 編集)小学館、1994年。
  • 『KAZU―ハーブ・リッツ作品集』(ハーブ・リッツ 撮影)パルコ出版、1995年。
  • 『三浦知良―素顔の青春』(三浦知良担当記者グループ 著)
  • 『KAZU(カズ)とJリーグ』(岡 邦行 著)
  • 『KAZU(カズ)―ザ・スーパーストライカー』(加藤 高尚 著)
  • 『カズに賭ける夢―セリエAからワールドカップへ』(田中 孝一 著)
  • 『三浦知良夢のゴールへ』(三浦知良研究会 著)
  • 『三浦知良のサッカー留学物語―日本人で初のブラジル・プロになった男』(大貫 哲義 著)
  • 矢内由美子『Jリーグ15年の物語 カズ&ゴンたちの時代』講談社、2009年。ISBN 978-4062150446

写真集[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]