横浜F・マリノス

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横浜F・マリノス
原語表記 横浜F・マリノス
呼称 横浜F・マリノス
愛称 F・マリノス、マリノス
クラブカラー     ブルー[1]
    レッド[1]
    ホワイト[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 神奈川県横浜市[1]横須賀市[1]大和市[1]
ホームスタジアム Nissan Stadium 20101123.jpg
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)[1]
収容人数 72,327[1]
運営法人 横浜マリノス株式会社[1]
代表者 古川宏一郎[1]
監督 フランスの旗 エリク・モンバエルツ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、Yokohama F・Marinos)は、日本神奈川県横浜市[1] および横須賀市[1]大和市[1]をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

日産自動車サッカー部を前身として1991年に創設された、Jリーグ創設時からの加盟チーム(いわゆるオリジナル10)の一つで、元々のチーム名は「横浜マリノス」だったが、1999年に同じく横浜を本拠地としたオリジナル10の横浜フリューゲルスを吸収合併した際に、フリューゲルスを表す「F」の文字を入れた。チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語船乗り水夫海兵隊員などを意味する[1]。Jリーグ公式サイト及びテレビ中継では「横浜FM」、スポーツ振興くじ(toto)では「横浜M」と略される。

チームカラーは「青・白・赤」[1] の三色(トリコロール)。この三色は元々日産自動車コーポレートカラーであった。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したサッカークラブを目指す」[2]

ホームタウンは神奈川県横浜市と横須賀市[1]。横須賀市では1987年より夏島町追浜地区にてサッカースクールを開講している縁で、2005年1月25日にホームタウンの広域化が認められた[3]。ホームスタジアムは横浜市港北区日産スタジアム(横浜国際総合競技場)[1]。Jリーグ発足当初より横浜市神奈川区ニッパツ三ツ沢球技場(三ツ沢公園球技場)を使用していたが、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化した(詳細後述)。

クラブマスコットは、カモメをモチーフとした「マリノス君」と「マリノスケ」である[1]。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生、マリノス君の甥という設定。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加している。2008年に横浜FM非公認のマスコットとして「ワルノス」が誕生し、「ワルノスクイーン」と共に行動している[4]。2008年の開幕戦は「トリコロールランド」でダンスを披露。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場、非売品のグッズ(バンダナなど)のプレゼントや広報活動を行っている。2010年にチームよりTシャツとコインパースが公式グッズとして発売。

クラブ増加、さらに近年オリジナル10のチームのJ2降格が相次ぐ中、下位リーグが創設後も1度も降格経験が無いクラブである。2016年12月現在、創設メンバーで一度も降格がないクラブは他に鹿島アントラーズのみ(合併で消滅した横浜フリューゲルスを除く)。

運営会社[編集]

横浜マリノス株式会社[1]
YOKOHAMA MARINOS LTD.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 222-0033[1]
神奈川県横浜市港北区新横浜2-6-3 DSM新横浜ビル 5F[1]
設立 1992年7月17日
業種 サービス業
法人番号 7020001023990
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 古川宏一郎(代表取締役社長)
資本金 9,900万円(2016年1月期)[5]
売上高 45億6,700万円(2016年1月期)[5]
営業利益 0万円(2016年1月期)[5]
経常利益 200万円(2016年1月期)[5]
純利益 900万円(2016年1月期)[5]
純資産 900万円(2016年1月期)[5]
総資産 16億3,500万円(2016年1月期)[5]
決算期 1月期
主要株主 日産自動車
シティ・フットボール・ジャパン
外部リンク http://www.f-marinos.com
特記事項:1999年2月、日産フットボールクラブ株式会社から商号変更[1]
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運営会社である横浜マリノス株式会社は、元々は日産自動車の全額出資により設立・運営されていた(当時の商号は日産フットボールクラブ株式会社)が、横浜フリューゲルスとの経営統合時に、フリューゲルスの運営母体であった全日空スポーツを合併しており、全日空スポーツの親会社である全日本空輸 (ANA) が資本参加して「日産70%・ANA30%」の資本構成となった。2002年2月1日付でANA出資分を日産が買い取り、再び日産の完全子会社となったが、2005年2月1日付で第三者割当増資を行い、神奈川県に本社を置く7社[注 1]から0.98%ずつの出資を受けた[6]

2014年7月、マンチェスター・シティFCを運営するシティ・フットボール・グループ (CFG) が日産自動車と「グローバルサッカーパートナーシップ」を締結[7]。これに伴い、日産自動車の保有株式(全体の約93%)のうち20%弱を取得し、日産に次ぐ第2位の株主となった[8]。なお、実際のマネジメントはCFGの全額出資により設立された日本法人「シティ・フットボール・ジャパン」となり[9]、2016年には同社社長である利重孝夫がチーム統括本部長に就任している。

歴史[編集]

前身[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2000年

オズワルド・アルディレスが監督に就任。5年ぶりに1stステージで優勝、2ndステージ優勝の鹿島とのチャンピオンシップに敗れた。中村俊輔が史上最年少でMVPを受賞。

2001年

三浦淳宏柳想鉄等が移籍。ファーストステージ途中にアルディレス監督が解任。セカンドステージから、ラザロニが監督に就任。ナビスコカップで初優勝。リーグ戦は1stステージが15位、2ndステージが10位、年間順位13位。

2002年

東京Vから日本代表中澤佑二磐田から奥大介(レンタル)、清水範久札幌からウィルなどを獲得。1stステージは2位、2ndステージは6位、年間順位2位。セカンドステージ途中に成績不振を理由にラザロニ監督を解任。

2003年基本フォーメーション <4-4-2>
2003年

監督に岡田武史が就任。広島から日本代表久保竜彦を獲得。1stステージおよび2ndステージ共に優勝、完全優勝で年間王者を獲得。

2004年

岡田体制2年目。清水から韓国代表FWの安貞桓等を補強。昨年度の2ndステージに続きこの年の1stステージでも優勝、3ステージ連続優勝を達成。2ndステージは6位、サントリーチャンピオンシップで2ndステージ優勝の浦和と対戦、ホームは1 - 0で勝利、アウェイは0 - 1で敗退、PK戦で勝利し2年連続の年間王者となった。天皇杯は5回戦でJFL草津Vゴール負け。

2005年

岡田体制3年目。AFCチャンピオンズリーグ2005はグループステージで敗退。リーグ戦9位。

2006年

岡田体制4年目。元名古屋のFWマルケスを補強、開幕4連勝で首位に立ったが、第5節(浦和戦)以降の15試合で2勝と低迷。8月に岡田が監督を辞任、水沼貴史が後任監督に就任、前年と同じ9位で終了。この年が最後の年間負け越しシーズンである。

2007年

みなとみらいの『マリノスタウン』へクラブ事務所などを移転。奥大介久保竜彦ドゥトラなどのベテラン選手が退団、ユース・高校・大学からの若手選手が加入。監督に早野宏史が11年振りに就任し、前監督の水沼はコーチ就任。

FWの大島秀夫坂田大輔、トップ下の山瀬功治が2ケタ得点をマーク。大島は日本人最多得点、坂田はフェアプレー個人賞受賞、山瀬は日本代表にも選出。前年度を上回る7位でリーグ戦を終了したが、目標とした3位以内には届かなかった。天皇杯終了後に監督の早野、コーチの水沼・高橋真一郎・武藤覚らが退任。横浜FCとの横浜ダービーが開催され、横浜FCホームの第2節は0-1で敗れたが、横浜FMホームの第19節はチーム新記録の1試合8得点を記録し、8 - 1で勝利。なお同試合の前夜に日産スタジアム付近で「JUST GEDO」という名称のサポーター団体が横浜FCサポーターを暴行するという事件を起こし逮捕されている。[11]

2008年

磐田元監督の桑原隆が監督就任。4月に3位につけたが、第9節の東京V戦から第19節のFC東京戦まで10試合連続で勝利無し(クラブタイ記録の公式戦6連敗も記録)で、第16節時点で16位へ転落。7月に桑原が解任、後任に統制本部長の木村浩吉が就任。第20節のG大阪戦で勝利を挙げると、第22節の札幌戦の勝利で降格圏を脱出した。年間順位は9位。天皇杯は準決勝でG大阪に敗退。

2009年
チームスローガン:Enjoy・Growing・Victory

木村吉体制2年目。田中隼磨名古屋乾貴士C大阪大島秀夫が新潟に移籍した。

リーグ戦13得点を挙げた渡邉千真天野貴史飯倉大樹などの抜擢・台頭、長谷川アーリアジャスールの成長、坂田大輔狩野健太らの復調など、上位の鹿島、川崎、清水、名古屋にホームゲームで勝利している一方、下位の山形に逆転負けを喫し、この年J2に降格となった千葉に2引き分けした。結局18チーム中10位に終わり、3年契約だった木村は監督契約を解除。

2010年代[編集]

2010年
チームスローガン:ACTIVE

元日本代表でクラブOBの木村和司が監督就任。6年ぶり復帰の波戸康広エスパニョールから8年ぶりの復帰の中村俊輔藤田優人バスティアニーニが入団。本シーズンは入場者数が前年比17.6%の増加となった。リーグ戦は一時上位争いに加わったが、最終順位8位。

最終節前に松田直樹山瀬功治などと契約更新しないと発表。最終節の大宮戦に敗北した後、この決定に反発したサポーターの前で社長の嘉悦朗が「2011年シーズンで3位以内でなければ辞任する」と発表。

シーズン終了後、松田(JFL松本へ移籍)、山瀬(川崎へ移籍)のほか、田中裕介(川崎)、河合竜二札幌)、清水範久福岡)、坂田大輔ギリシャ1部アリス・テッサロニキ)、浦田延尚鳥栖)、JFL金沢に期限付き移籍していた斎藤陽介新潟S)がそれぞれ移籍、草津に期限付移籍していた梅井大輝が退団、藤田優人横浜FC齋藤学愛媛FC田代真一がJFL・町田に1年間の期限付移籍をし、シーズン途中に栃木SCに期限付移籍した水沼宏太が、同クラブへの期限付移籍期間を1年延長した。

2011年
チームスローガン:進化する心・技・体 ACTIVE 2011

木村和体制2年目。清水から青山直晃、川崎からユース出身の谷口博之から小林祐三東京Vから昨シーズンFC東京にレンタル移籍していた大黒将志を獲得、昨シーズン山形にレンタル移籍していた金根煥が復帰。4月30日付けで阿部陽輔が退団した。

リーグ戦は前半戦を首位で折り返した。後半戦も川崎に4 - 0で勝利する(9月14日ナビスコカップ第1回戦)などしたが、やがて優勝争いからも脱落。最終順位5位。天皇杯は準決勝で京都に延長戦で敗退。12月30日、監督の木村和司を解任。

8月12日松田直樹8月4日死去)が在籍時に使用していた背番号3を永久欠番にすると発表[12]Jリーグ創設以来、サポーターナンバーを除いて初の永久欠番となった。

シーズン終了後、波戸康広が現役を引退、横浜FCへ期限付移籍中の藤田優人(柏へ移籍)、秋元陽太愛媛FCへ移籍)、渡辺千真長谷川アーリアジャスール(共にFC東京へ移籍)、端戸仁北九州へ期限付き移籍)、武田英二郎千葉へ期限付き移籍)、金根煥(鳥栖へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍、田代真一が、町田への期限付き移籍期間を1年延長。

2012年
チームスローガン:All for Win

樋口靖洋が監督に就任。東京Vから富澤清太郎福岡から六反勇治中町公祐アトレチコ・ミネイロから2003年に在籍していたマルキーニョスを獲得、愛媛FCへ期限付き移籍していた齋藤学が復帰。シーズン開幕後の3月23日、かつて6シーズン在籍したドゥトラが、約6年ぶりに復帰。

序盤はチームワーストの開幕7戦未勝利であったが、第8節(神戸戦)から第22節(川崎戦)まで15戦無敗の成績。シーズン中はマルキーニョス富澤清太郎らのプレッシングに長けた移籍組が年間を通して活躍をみせ、秋口の連敗を経て再度順位をあげてゆき年間最少敗戦、最少失点を含めた4位でシーズンを終えた。天皇杯は準決勝で柏に敗退。

シーズン終了後、松本怜大分へ期限付き移籍)、松本翔(愛媛FCへ期限付き移籍)、金井貢史(鳥栖へ期限付き移籍)、大黒将志杭州緑城へ期限付き移籍)、青山直晃甲府へ移籍)、森谷賢太郎(川崎へ移籍)、小野裕二スタンダール・リエージュへ移籍)、谷口博之狩野健太(共に柏へ移籍)、水沼宏太(期限付き移籍先の鳥栖へ移籍)、金根煥新潟へ移籍)がそれぞれ移籍し、千葉へ期限付き移籍していた武田英二郎鳥取に期限付き移籍。

2013年
チームスローガン:All for Win -Realize-

樋口体制2年目。SAGAWA SHIGA FCから奈良輪雄太、千葉から藤田祥史相模原からファビオを獲得し、町田へ期限付き移籍していた田代真一、北九州へ期限付き移籍していた端戸仁中国スーパーリーグ・杭州緑城へ期限付き移籍していた丁東浩が復帰。開幕から6連勝で第1節から第7節まで首位をキープ。第15、16節で4位に順位を下げたが、第21節で首位に浮上。第23節からは第28節を除いて第33節まで首位に立ったが、第33節、第34節(ホームの新潟戦、アウェーの川崎戦)と勝てば優勝という残り2節を続け様に落とし、残り2節を連勝した広島に優勝を奪われリーグ戦2位の成績。

ナビスコ杯は準決勝で柏に敗退。天皇杯は決勝で広島に勝利。日産FC横浜マリノスの名称であった第72回大会以来の優勝(日産自動車時代を含めて7度目の優勝)[13]

シーズン終了前に、マルキーニョス(後に神戸へ移籍)、丁東浩蔚山現代へ移籍)が退団。
シーズン終了後に、天野貴史(千葉へ期限付き移籍)、田代真一(千葉へ移籍)、比嘉祐介京都へ期限付き移籍)、金井貢史(期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍)、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎(福岡へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍した。 更に、中村俊輔がMVPを史上最年長で受賞した。

2014年
チームスローガン:All For Win -Fight it out!-

樋口体制3年目。新潟から三門雄大大宮から下平匠名古屋から藤本淳吾清水から伊藤翔、川崎から矢島卓郎を獲得。愛媛FCへ期限付き移籍していた松本翔が復帰。

FUJI XEROX SUPER CUPでは2013年シーズンの公式戦は3戦全勝していた広島に0-2で敗れ、初優勝を逃す。

9年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2014では、第5節まで全チーム勝ち点7にひしめく大混戦、最終節で前年王者の広州恒大に敗れ、決勝トーナメント進出を逃す。

リーグ戦、マルキーニョス退団の穴を埋められず得点力不足に陥り、W杯中断中まで12と低迷。得点力不足打破のため、群馬G大阪にも在籍したラフィーニャKリーグ蔚山現代FCから完全移籍で獲得。

天皇杯3回戦では、J2北九州に延長戦を含めシュート30本を浴びせ(北九州は9本)圧倒しながら、延長後半アディショナルタイムに渡大生に逆転ゴールを許し2-3で敗退[14]、また4月から、天皇杯優勝マークをつけた2014年度版の特別ユニフォームをサポーター向けに販売していたが、生産上の理由から発送は9月上旬となっており、サポーターが着用する機会がないまま大会を終えることとなった[15]

8月23日に三ツ沢で行われた神奈川ダービー、川崎戦では、横浜FMゴール裏で観戦していたサポーターが川崎の選手の前でバナナを振り回す差別的行為を行う事件が起きた。クラブ側は当該サポーターに対し、無期限入場禁止処分を下し[16]、Jリーグからはけん責及び制裁金500万円の処分が下された[17]。最終順位7位。

シーズン終了後、樋口監督が退任。小椋祥平G大阪)、藤田祥史、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎湘南)、六反勇治仙台)、松本怜(期限付き移籍先の大分に完全移籍)、松本翔山口へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍。

2015年
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

フランス人のエリク・モンバエルツが監督就任[18]

期限付き移籍していた熊谷アンドリュー比嘉祐介天野貴史が復帰、田口潤人がユースから昇格、中島賢星仲川輝人サンパウロFCからアデミウソンが期限付き移籍で新加入。

4月4日に日立柏サッカー場で、J1 1stステージ第4節が行われ、柏レイソルと対戦し勝利を収めた、柏と対戦し勝利したのは2008年10月25日以来約6年半振り。

5月27日にヤマザキナビスコカップグループB第6節がニッパツ三ツ沢球技場で行われた。結果は川崎フロンターレに1-2で敗戦、決勝トーナメント進出を逃した。シーズンも7位で終えることになった。

シーズン終了後、端戸仁奈良輪雄太(湘南)、比嘉祐介(千葉)、天野貴史長野)、シーズン途中に新潟へ期限付き移籍していた佐藤優平山形)、藤本淳吾(G大阪)、鈴木椋大東京Vへ期限付き移籍)、熊谷アンドリュー金沢へ期限付き移籍)、アデミウソン(期限付き移籍期間満了→G大阪)がそれぞれ移籍した。

2016年
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

モンバエルツ体制2年目。東京Vから前田直輝、千葉から金井貢史Y.S.C.C.横浜から高橋拓也が新加入。開幕後、ラフィーニャの登録を抹消し、代わりにブラジル・フラメンゴからカイケ、ルーマニア・FCボトシャニからキュラソー島代表マルティノスが加入。

2016シーズンはJ1リーグは年間順位10位。

ヤマザキナビスコカップから名称が変わったルヴァンカップではBグループ1位で準々決勝進出を果たすと準々決勝では大宮アルディージャと対戦、アウェイ1-2、ホーム1-0とアウェイゴール差で勝り、2013シーズン以来のベスト4進出を果たした。準決勝ではガンバ大阪と対戦した、結果はアウェイ0-0、ホーム1-1と引き分けにもつれ込んだが、アウェイゴールの差で準決勝で敗退となった。

天皇杯では2回戦で福島ユナイテッドに延長までいかれたが2-0で勝利して3回戦進出、3回戦ではJリーグ創設期にしのぎを削りあった東京ヴェルディと対戦、結果は4-0で圧勝し昨季と同じく4回戦(ベスト16)進出となった。4回戦ではアルビレックス新潟と対戦、後半ATに天野純の直接フリーキックが決まり勝利した、準々決勝ではガンバ大阪と対戦、今季5度目の顔合わせとなった。準決勝では鹿島アントラーズに0-2で敗戦し、2016年のシーズンは終わった。

シーズン後、中村俊輔が磐田へ移籍、ラフィーニャ、小林祐三鳥栖へ移籍)、山口へ期限付き移籍していた北谷史孝長崎へ移籍)が契約満了で退団。榎本哲也が浦和へ、9年間在籍していた兵藤慎剛札幌へ、ファビオと東京Vへ期限付き移籍していた鈴木椋大がG大阪へ、高橋拓也北九州へそれぞれ完全移籍。金沢に期限付き移籍していた熊谷アンドリューが千葉へ、和田昌士が山口へ、田口潤人藤枝へそれぞれ期限付き移籍した。

また、小林の契約満了に伴う退団、3年連続でフルタイム出場した中澤佑二やベテラン栗原勇蔵に対して来季年俸の大幅ダウン提示[19]、モンバエルツ監督の去就などの報道を受けサポーターが反発、チームはホームページ上にお詫びを掲載する[20]異例の事態に追われた。また、中村の移籍に関して移籍までの経緯をホームページ上に掲載した[21]

2017年
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

モンバエルツ体制3年目。新たにCFGの情報網から選ばれ就任したアイザック・ドルが早くから補強に向けて動き、柏から山中亮輔、新潟から松原健、名古屋から扇原貴宏、京都から杉本大地、北九州から鈴木彩貴レッドスターからセルビアリーグで20得点を挙げMVPを獲得したウーゴ・ヴィエイラ、名門バルセロナのカンテラで育ちイニエスタの後継者と呼ばれたマケドニア代表ダビド・バブンスキー1860ミュンヘンからオーストラリア代表のミロシュ・デゲネクが加入。ウーゴ・ヴィエイラ獲得の際に彼の市場価値からすると格安の移籍金を払った以外、新加入選手はフリーでの移籍となった。齋藤学が10番を自ら志願、モンバエルツ監督からキャプテンに任命され、新生マリノスのリーダーとなった。4月27日にホームタウンを横浜市と横須賀市に加え、新たに大和市も追加された事がJリーグ理事会から承認され、同時にクラブ公式ホームページより発表された[22]。5月31日にルヴァンカップでサンフレッチェ広島と対戦した、引き分けでもプレーオフに進出出来る状況であったが逆転負けを喫し敗退となった[23]。中断期間に新潟で行われた短期キャンプにサイ・ゴダード、イッペイ・シノヅカが練習生として参加。良いパフォーマンスを発揮したシノヅカが加入した。ペルーのアンダー世代の代表キャプテンの経験のある日系ペルー人のアオキ・アンソニーが練習に参加した。

成績[編集]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

個人別タイトル[編集]

J1リーグ[編集]

Jリーグカップ[編集]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st) ピンク ピンク ピンク
GK(2nd) 水色 水色 水色
GK(3rd) 黄色 黄色 黄色
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー[編集]

  •    [1]   [1]   [1]

ユニフォームデザイン[編集]

  • 左胸のエンブレム上の星3つ(★)は、1995年・2003年・2004年の各リーグ戦での優勝を表す[24]
  • 2ndユニフォームは、原則上:白、下:青、靴下:白。
    • 2003年から2006年はグレー。
    • 2011年は、上/黄色、下/黒、靴下/黄色。
    • 2013年は、上:白/グレー、下:ダークネイビー、靴下:白/グレー。
  • 2001年は3rdユニフォームを制作(配色は黒)したが、2002年までで3rdユニフォームの採用を取り止めた。
  • 2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これは横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC & AC)で使われた紺と白の概念を取り入れた。
  • 2003年は上下靴下全て紺、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバー。
  • 2009年は期間限定で、横浜港開港150周年記念として、青と白の2色横じま模様(NISSANのロゴ、背番号と選手名ローマ字は赤文字、全日空ロゴは企業カラーの青地に白文字)であしらった特別ユニフォームを制作・着用。
  • 2009年より背番号に選手名を記入。その中で中澤佑二は「BOMBER」、清水範久は「JIRO」と表記されるなど、姓名に捉われないニックネーム表記のものも登場(由来についてはそれぞれの項で参照)。
  • 2012年は、前身の日産自動車サッカー部の80年代後半およびJリーグ発足当初のデザインを現代風にアレンジした、クラブ創設20周年記念の復刻ユニフォームを制作・着用した。ベースカラーに鮮やかなブルー、白い襟にピンポイントのトリコロール。また、2000年モデル以来、胸に黄色の「NISSAN」の文字が入ったものである[25]。このユニフォームはいずれも横浜FMホームゲームの鹿島アントラーズガンバ大阪名古屋グランパス清水エスパルスおよびサガン鳥栖戦で着用。

スポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日産自動車 NISSAN 1993年 -
背中上部 ムゲンエステート MUGEN ESTATE 2016年 -
背中下部 ムンディファーマ イソジン 2017年7月[26] -
日清オイリオグループ 日清オイリオ 2017年 -
パンツ EZインベスト証券 EZインベスト証券 2017年 - FPは黒地に白字、
GKは白地に黒字

ユニフォームサプライ遍歴[編集]

歴代スポンサー年表[編集]

年度 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1992 - 解禁前 - Mizuno /
adidas
1993 NISSAN Kodak BP -
1994
1995
1996 xanavi
1997 adidas
1998
1999 ANA -
2000
2001
2002
2003 GE - /
NATURALLY PLUS
2004 -
2005 MLJ
2006
2007
2008 メガネスーパー Nike
2009
2010 ELGRAND[注 2] KARADA factory
2011 - ANA -
2012 三栄建築設計 ほけんの窓口 adidas
2013 -
2014 日本化成
2015
2016 MUGEN ESTATE -
2017 - /
イソジン
日清オイリオ EZインベスト証券

スタジアム・練習場[編集]

スタジアム[編集]

ニッパツ三ツ沢球技場

ホームスタジアムは横浜国際総合競技場(日産スタジアム、横浜市港北区)。Jリーグ発足当初より三ツ沢公園球技場(横浜市神奈川区)をホームスタジアムとして使用していたが、1999年に横浜国際総合競技場が完成すると主催試合の大半をそちらに移している。以後、両スタジアムを本拠地として併用する形としていたが、Jリーグクラブライセンス制度の兼ね合い[29]もあり、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化している(ただし同年も三ツ沢での開催も継続)。

ホームゲーム開催試合数[編集]

[30]

Jリーグ杯=Jリーグカップ
ACL=AFCチャンピオンズリーグ
(ACWC)=アジアカップウィナーズ選手権
(ACC)=アジアクラブ選手権
年度 リーグ戦 Jリーグ杯 ACL 備考
横浜国
(日産ス)
三ツ沢球
(ニッパ球)
その他
1992 - - - 国立2
平塚2
(ACWC)
会場不明3[注 3]
国内大会はJリーグカップのみ
天皇杯優勝
1993 - 15 国立1
博多陸2
三ツ沢球2
国立1
(ACWC)
三ツ沢球2[注 4]
1994 - 16 国立3
栃木1
博多陸1
平塚1
博多陸1 不参加
1995 - 21 国立5
札幌厚別1
非開催 (リーグ戦)国立=チャンピオンシップ(年間決勝)1を含む
サントリーS(年間前期)・チャンピオンシップ優勝
1996 - 10 国立3
新潟市陸1
長崎1
三ツ沢球7 (ACC)
三ツ沢球1[注 5]
1997 - 15 山形県1 三ツ沢球3 不参加
1998 9 7 山形県1
国立1
三ツ沢球2 横浜国完成。この年より横浜国・三ツ沢球の2か所を本拠として登録
1999 14 0 新潟市陸1 横浜国1
三ツ沢球1
丸亀1
2000 9 5 国立2 三ツ沢球2
山形県1
(リーグ戦)チャンピオンシップ1を含む
第1S(年間前期)優勝
2001 13 1 国立1 三ツ沢球4[注 6]
2002 8 2 国立4
熊本陸1
横浜国2
三ツ沢球1
2003 14 0 国立1 横浜国4 (リーグ戦)第1・2S(年間前後期)完全優勝
2004 14 0 国立2 横浜国1
三ツ沢球2
横浜国1
三ツ沢球2
(リーグ戦)横浜国=チャンピオンシップ1を含む
第1S・チャンピオンシップ優勝(リーグ連覇)
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2005 15 1 国立1 日産ス1
三ツ沢球1
三ツ沢球3 横浜国=命名権採用により「日産ス」に変更
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2006 15 2   日産ス3
三ツ沢球2
不参加 (Jリーグ杯)日産ス=決勝T2含む
2007 15 2   日産ス1
三ツ沢球4
(Jリーグ杯)日産ス・三ツ沢球=決勝T1ずつ含む
2008 14 3   ニッパ球4 三ツ沢球=命名権採用により「ニッパ球」に変更
(Jリーグ杯)ニッパ球=決勝T1含む
2009 13 4   日産ス3
ニッパ球2
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む
2010 14 3   日産ス1
ニッパ球2
2011 14 3   ニッパ球2
2012 14 3   ニッパ球3
2013 14 3   日産ス1
ニッパ球4
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む(予選はニッパ球のみ)
天皇杯優勝
2014 13 4   ニッパ球1 横浜国[注 7] 3 (Jリーグ杯)ACL出場のため決勝トーナメントのみ
2015 15 2   ニッパツ3 不参加 三ツ沢球=命名権呼称を「ニッパツ」に変更[31]
2016 15 2   ニッパツ3 不参加 登録上本拠地を日産Sのみにする

練習場[編集]

マリノスタウンにあったクラブハウス

練習場は日産スタジアムと同じ新横浜公園内にある小机競技場(日産フィールド小机)および新横浜公園球技場を使用する[32]

F・マリノスになってからの練習場は戸塚トレーニングセンター戸塚区、元々はフリューゲルスの練習施設、現在は横浜FCが練習施設として使用)、クラブオフィスは神奈川区新子安にあったが、2005年に両者を横浜市西区みなとみらい地区61街区に移転集約[33]、「マリノスタウン」(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)として運用してきたが、2016年5月にみなとみらい地区の定期借地契約が満了となることを受け、2015年12月末をもってマリノスタウンにおけるクラブの活動を終了することが発表され[34]、本社も新横浜に移転した[1]

所属メンバー[編集]

永久欠番[編集]

  • #3 松田直樹
    • 2011年8月4日に死去。同年8月12日、クラブは「横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには、松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証」として、永久欠番に指定[12]

エピソード[編集]

  • 新設または大幅改修後のスタジアムのこけら落とし試合をアウェイチームとして迎えた試合は以下の通り。
年度 試合会場 対戦相手 スコア 備考
1993年 国立霞ヶ丘陸上競技場 ヴェルディ川崎 ○2-1 Jリーグ開幕戦
1998年 横浜国際総合競技場 横浜フリューゲルス ●1-2 会場自体のこけら落としはダイナスティカップ1998(日本代表vs韓国代表)
2001年 埼玉スタジアム2002 浦和レッドダイヤモンズ ○2-0
札幌ドーム コンサドーレ札幌 △1-1
御崎公園球技場 ヴィッセル神戸 △1-1
2005年 千葉市蘇我球技場
(フクダ電子アリーナ)
ジェフユナイテッド市原・千葉 △2-2
2012年 日立柏サッカー場 柏レイソル △3-3 改修後のオープニングゲーム
  • 1シーズン制に移行した2005年以降、J1へ初昇格したクラブとのリーグ戦初対戦において5クラブ連続で敗れていたが[注 8]、2014年リーグ戦第3節で徳島ヴォルティスに勝利し連敗記録は止まった。

育成組織[編集]

横浜F・マリノスの育成組織はトップチームを頂点としたピラミッド型となっており、第2種(高校生世代)のユース、第3種(中学生世代)のジュニアユースとジュニアユース追浜、第4種(小学生世代)の選抜クラスであるプライマリー、プライマリー追浜がある。

また、日産自動車サッカー部時代の1985年に発足したサッカースクールは、対象の年代は幼児から中学生で、女子は小学生から中学生以上までとなっている。2015年時点で、3500人を超えるスクール生がいた[35]。2017年現在では、次の8校で活動している。

追浜校
追浜校
二俣川校
二俣川校
大和校
大和校
東山田校
東山田校
リーフスタジアム校
リーフ
スタジアム校
中山テクニカル校
中山
テクニカル校
Shunsuke Park校
Shunsuke Park校
小机校
小机校
横浜F・マリノスの位置
横浜F・マリノス スクール 2017年現在
  • 追浜校
  • 二俣川校
  • 大和校
  • 東山田校
  • リーフスタジアム校
  • 中山テクニカル校
  • Shunsuke Park校
  • 小机校


育成組織の沿革[編集]

1985年4月に横浜の新子安にて、日産サッカースクールが開校した。スクールを立ち上げたのは、日産自動車サッカー部監督の加茂周であった。加茂は、ドイツを何度も訪問して地域に密着したドイツサッカークラブの組織の姿にすばらしさを感じており、これを日本でも展開しようとした[36]。新子安のスクールの指導は、日産自動車OBの下条佳明樋口靖洋らが担当した。スクールには予想を超える多く入校希望者が集まり、翌1986年には早野宏史が担当した追浜スクール、1987年には坂木嘉和が担当した左近山スクールが開校した。また、ジュニアユースは1985年、ユースは1986年に立ち上がった。ユースとジュニアユースの立ち上げは、かながわサッカークラブにいた永井洋一が加茂に話を持ちかけることで実現した[37]。なお、左近山スクールは1990年に閉校した。

1993年にJリーグが開始すると、横浜マリノスサッカースクールへ名称を変更。マリノススクールの知名度は一気に上がり、会員数も激増した[38]1997年にはマリノスジュニアユース出身の中村俊輔がトップチームに入団し、1年目から主力選手となった。

1999年に横浜マリノスが横浜フリューゲルスと合併すると、フリューゲルスのスクールは横浜F・マリノス菅田サッカースクールとなった。フリューゲルスジュニアユースは、監督の前田治ら6名の指導者を引き継ぐ形で横浜F・マリノス菅田ジュニアユースとなった[39]。菅田スクールと菅田ジュニアユースの活動は2000年までで終了してスクールは閉校となり、元フリューゲルスのスタッフは横浜F・マリノスの他のスクールに異動したり、クラブ内の別の業務に就いたりした。ジュニアユースの監督だった前田治は2000年までで横浜F・マリノスから離れた。フリューゲルスユースの選手は合併時に横浜F・マリノスユースに移籍し、その中の坂田大輔田中隼磨はのちにトップチームの主力選手となった。また、フリューゲルスが行っていた地元の小学校を巡回指導する「サッカーキャラバン」事業も横浜F・マリノスへ引き継がれた[40]

2004年から2006年は、プライマリーが全日本少年サッカー大会で3連覇した。

2007年にマリノスタウンがオープンすると、新子安の横浜マリノスサッカースクールはみなとみらい校へ移転した。また、2004年から2014年にかけて、NAS二俣川校(のちの二俣川校)、大和校、港北校(のちの東山田校)、リーフスタジアム校が開校した。2015年、マリノスタウン閉鎖にともない、みなとみらい校は閉校となった。その後、2016年に中山テクニカル校、2017年にShunsuke Park校と小机校が、それぞれ開校した。Shunsuke Park校は、そごう横浜店屋上にある中村俊輔プロデュースフットサルコートで開催される。

なお、横浜F・マリノスの育成組織は2006年以降、マリノスフットボールアカデミーと呼ばれている。

年表[編集]

  • 1985年 - 日産サッカースクール開校。ジュニアユース立ち上げ
  • 1986年 - 日産追浜スクール開校。プライマリー、ユース、立ち上げ
  • 1987年 - 日産左近山スクール開校。ユース、日本クラブユース選手権優勝
  • 1988年 - ジュニアユース追浜立ち上げ。ジュニアユース、日本クラブユース選手権3位
  • 1989年 - プライマリー追浜立ち上げ。プライマリー、神奈川県少年サッカー選手権優勝
  • 1990年 - 日産左近山スクール閉校
  • 1992年 - 横浜マリノスサッカースクール、横浜マリノス追浜サッカースクールへ名称変更
  • 1999年 - 横浜F・マリノスサッカースクールへ名称変更。横浜F・マリノス菅田サッカースクール開校
  • 2000年 - 横浜F・マリノス菅田サッカースクール閉校
  • 2004年 - NAS二俣川校開校
  • 2006年 - マリノスフットボールアカデミーへ名称変更。大和校(高座渋谷)開校
  • 2007年 - マリノスタウンオープン。新子安校、みなとみらい校へ移転。港北校開校
  • 2008年 - 大和校が、高座渋谷から鶴間へ移転
  • 2010年 - 港北校が東山田校へ移転
  • 2011年 - NAS二俣川校から二俣川校へ名称変更
  • 2014年 - リーフスタジアム校開校
  • 2015年 - マリノスタウン閉鎖。みなとみらい校閉校
  • 2016年 - 中山テクニカル校開校
  • 2017年 - Shunsuke Park校開校、小机校開校


主な全国大会結果[編集]

横浜F・マリノスユース
ジュニアユース追浜
プライマリー
  • 2004年 第28回全日本少年サッカー大会 優勝
  • 2005年 第29回全日本少年サッカー大会 優勝
  • 2006年 第30回全日本少年サッカー大会 優勝
プライマリー追浜

決算[編集]

育成組織の決算は、つぎのとおり。

育成組織の決算
年度 収入 経費 所得
2011 425 295 130
2012 458 315 143
2013 455 314 141
2014 464 310 154
2015 413 293 120
2016 315 225 90
  • 収入、経費、所得の単位: 百万円
  • 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。201120122013201420152016

ユース出身者[編集]

参考文献[編集]

  • 『マリノスフットボールアカデミー30年史』、2015年

ホームタウン活動[編集]

サッカー教室[編集]

ホームタウンである横浜市、横須賀市を中心とした地域の学校やスポーツセンターで横浜F・マリノス専属コーチによるサッカー教室を行っている。サッカー教室は大きく分けて小学生以下の子供を対象とした「ふれあいサッカー教室」、「サッカーキャラバン」と成人を対象とした「ENJOY FOOTBALL」に分かれる。

障がい者サッカー[編集]

2004年より、障がい者サッカープロジェクト「futuro(フトゥーロ)」が行われている。「futuro」では横浜ラポールで行なわれている「体験・育成」プログラムと連携しながら横浜F・マリノスのコーチを中心に基本的な技術や個人・チーム戦術のトレーニングを行い、大会に参加している。

地域イベントへの参加[編集]

横浜市、横須賀市、大和市の商店街や大学、メインスポンサーである日産の工場関連のイベントにブースを出展している。また、公式チアリーディングチームであるトリコロールランサーズによる演技が披露されることもある。また、2012年時点で200を越える地元商店街にチームフラッグやポスターの掲出をしている。 マスコットキャラクター「マリノスケ」は大半のイベントに登場してくる。

学校との業務提携[編集]

ホームタウン活動の一環として、関東学院大学横浜国立大学神奈川大学の3大学および日本工学院専門学校と提携し、サッカーチームのコーチ派遣や、地域コミュニティー活動、人材育成などの連携を実施している。関東社会人サッカーリーグ所属の日本工学院サッカー部のトップチームは横浜F・マリノスとチーム名を共有しており、「日本工学院F・マリノス」と呼称している。

トピック[編集]

トリパラ[編集]

応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」があり、試合に勝つとトリパラをコーヒールンバをベースにした応援に合わせて回す(コーヒールンバを基調にした応援はボカ・ジュニアーズヴァンフォーレ甲府なども行っている)。 2004年頃から一部サポーター有志が特注で製作し普及し始めたが、2006年にクラブがオフィシャルショップで販売を開始してからはゴール裏を中心に爆発的に広まり定着、下記の応援番組のタイトルともなっており、横浜F・マリノスサポーターの応援の代名詞となった。

メディア[編集]

トリコロールマーメイズ[編集]

2007年、公式チアリーディングチームとして「トリコロール・ランサーズ」が結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。その後、2008年6月28日から「トリコロールマーメイズ」と名称を変更しリニューアルした。

海外クラブとの提携[編集]

2008年6月にフランスのオリンピック・リヨンと、サッカーの発展と強化およびスポーツ・教育・文化の各領域における協同と友好の促進を目的に業務提携を締結した[41]

2014年1月、カンボジア・リーグに所属するトライアジア プノンペンFCと提携を発表した。だがトライアジア プノンペンFCの事業が親会社のトライアジアグループから譲渡されたことにより、2014年12月31日をもって提携は解消された[42]

その他[編集]

  • Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていた横浜マリノスと横浜フリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、横浜Mが三ツ沢(球)、横浜Fは九州地方(特別活動地域の長崎県熊本県鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日に横浜Mと横浜Fの主催試合を重複開催することは皆無となった。
  • マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がいる。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。
  • 日産スタジアムで行われるホーム試合開催日ではトリコロールランドで行われるステージにおいて横浜出身のバンド「CHURU-CHUW(ちゅるっちゅう)」が出演した場合、横浜F・マリノスのサポーターの為のサポーターズソング「Winning flags」が披露される。
  • 2015年10月、ドイツのソフトウェア大手SAPと提携。SAPの技術を利用し、選手のパフォーマンス向上やクラブチーム運営業務の効率化、ファン満足度向上のためのマーケティング活動などに取り組むことを発表した。SAPはITを活用したスポーツビジネスにおいてドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンを優勝に導いた実績を持っており、同サービスを利用した横浜F・マリノスのチーム強化と成績向上が期待されている。[43][44][45]

決算[編集]

横浜F・マリノスの決算は、つぎのとおり。

損益[編集]

年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2005 4822 2551 933 335 1003 4816 3896 2105 920 6 -4
2006 4559 2520 826 304 909 4508 3467 2210 1041 51 -110
2007 4909 2626 837 293 1153 4674 3732 1961 942 235 -1
2008 4092 1836 859 279 1118 4089 2704 1290 1385 2 0
2009 3505 1322 846 263 1074 3505 2733 1165 772 0 -36
2010 3565 1414 932 251 968 3905 2962 1374 943 -340 -341
  • 金額の単位: 百万円
  • 人件費は事業費に含まれる。

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 3463 1197 795 254 425 792 3975 1441 322 405 295 0 1511 -512 -518
2012 3717 1364 783 220 458 892 4217 1601 331 442 315 0 1528 -500 -499
2013 4315 1513 1069 228 455 1048 4306 1701 341 443 314 0 1506 9 1000
2014 4590 2059 958 226 464 883 4584 1765 334 508 310 0 1667 6 178
2015 4567 2256 948 204 413 746 4567 1860 331 485 293 0 1598 0 9
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 20112012201320142015

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 4696 2366 1005 224 315 509 277 4696 1966 354 395 225 0 351 1405 0 10
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016

資産[編集]

年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 2231 2205 25 30
2006 2462 2547 -84 30
2007 2425 2510 -85 30
2008 1426 1511 -85 30
2009 739 860 -121 31
2010 719 1182 -462 30
2011 637 1685 -1048 31
2012 491 2168 -1677 31
2013 1778 2456 -677 31
2014 1516 1515 1 99
2015 1635 1626 9 99
2016 2074 2055 19 99

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位: 百万円

注釈[編集]

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  1. ^ 相模鉄道崎陽軒タカナシ乳業神奈川新聞テレビ神奈川横浜信用金庫サカタのタネの7社。
  2. ^ スポンサー名義は日産車体
  3. ^ 当初は4の予定が1回戦不戦勝のため
  4. ^ 当初は3の予定が2回戦不戦勝のため。また準決勝は日程が過密になりスケジュール調整ができなかったため出場辞退
  5. ^ 当初は2の予定が1回戦不戦勝のため。準々決勝は中立地開催
  6. ^ 決勝戦は中立扱いのため含めず
  7. ^ ACLでは命名権が使用できないため「横浜国」扱い
  8. ^ 対戦相手は大宮アルディージャ(2005年)、ヴァンフォーレ甲府(2006年)、横浜FC(2007年)、モンテディオ山形(2009年)、サガン鳥栖(2012年)の5クラブ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai クラブガイド:横浜F・マリノス”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月29日閲覧。
  2. ^ クラブプロフィール”. 横浜F・マリノス. 2013年9月29日閲覧。
  3. ^ “横浜F・マリノスのホームタウン広域化を承認” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2005年1月25日), http://www.jleague.jp/release/article-00000509/ 2017年1月7日閲覧。 
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  5. ^ a b c d e f g 2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年8月20日閲覧。
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  7. ^ “日産とシティフットボールグループ グローバルサッカーパートナーシップを締結” (プレスリリース), 日産自動車, (2014年7月17日), https://newsroom.nissan-global.com/releases/140717-02-j 2017年1月7日閲覧。 
  8. ^ Fマリノスから「NISSAN」ロゴが消える日”. 東洋経済オンライン (2014年7月20日). 2017年1月7日閲覧。
  9. ^ “シティ・フットボール・ジャパン発足のお知らせ” (プレスリリース), マンチェスター・シティFC(シティ・フットボール・グループ), (2015年3月3日), http://マンチェスターシティ.jp/News/Club-news/2015/March/City-Football-Japan-3001 2017年1月7日閲覧。 
  10. ^ 【J1:第33節 横浜FM vs 東京V】”. J's GOAL (2008年11月29日). 2013年6月30日閲覧。
  11. ^ “横浜ダービー」で場外乱闘、マリノスサポーターを逮捕/港北署”. 神奈川新聞. (2008年1月11日). https://web.archive.org/web/20080115122957/http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiijan0801157 2008年1月11日閲覧。 
  12. ^ a b 背番号「3」永久欠番のお知らせ”. 横浜F・マリノス公式サイト (2011年8月12日). 2013年2月3日閲覧。
  13. ^ 横浜マリノスと名前が変わってからは初優勝。しかもJリーグ発足以来では8チーム目の国内3大タイトル(J/J1・ナビスコ杯・天皇杯)全獲得となった。
  14. ^ “【第94回天皇杯 3回戦 横浜FM vs 北九州】レポート:ディフェンディングチャンピオンが3回戦で散る。北九州は“普段仕様”のスタイルで金星奪取!”. J'S GOAL. (2014年8月21日). http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00177443.html 2014年8月23日閲覧。 
  15. ^ “波乱続出の天皇杯。横浜FMは限定ユニ発送前に敗退、予約したファンは困惑”. フットボールチャンネル. (2014年8月21日). http://www.footballchannel.jp/2014/08/21/post47981/ 2014年8月23日閲覧。 
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  17. ^ “Jリーグの裁定内容及び再発防止策等に関して”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2014年8月29日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2014-08-29/180000/172124 2014年8月30日閲覧。 
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  20. ^ “F・マリノスファン、サポーターの皆様へ”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2016年11月11日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2016-11-11/144500/145948 2017年1月9日閲覧。 
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  34. ^ “横浜F・マリノス マリノスタウンからの移転に関するお知らせ” (プレスリリース), 株式会社横浜マリノス, (2015年5月21日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2015-05-21/100000/195538 2017年1月7日閲覧。 
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  40. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, pp. 30-31.
  41. ^ オリンピックリヨン×横浜F・マリノス 業務提携締結のお知らせ”. J's Goal (2008年6月3日). 2017年9月28日閲覧。
  42. ^ トライアジアプノンペンFCとのパートナーシップに関して”. 横浜F・マリノス公式サイト (2015年1月30日). 2015年1月30日閲覧。
  43. ^ 独SAPと日産、横浜F・マリノスが提携、技術をマリノス強化に活用
  44. ^ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは
  45. ^ バイエルン・ミュンヘンと、これからのブンデス・リーガ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]