ロード&スカイ

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株式会社ロードアンドスカイ
ROAD AND SKY Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
150-0001
東京都渋谷区神宮前6-33-5
マンション原宿203(注)
設立 1983年4月1日
業種 サービス業
事業内容 マネジメント業務
原盤管理
コンサート事業
代表者 代表取締役社長 高橋信彦
主要子会社 関連会社の項目を参照のこと
関係する人物 愛奴
浜田省吾
外部リンク Road & Sky Group Web Site
特記事項:(注)所属アーティストのファンクラブの住所によるもの。
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株式会社ロードアンドスカイ(ロード&スカイ、ロード・アンド・スカイとも表記。英文社名:ROAD AND SKY Co.,Ltd.)は、東京都渋谷区にある日本芸能事務所1983年4月1日浜田省吾の個人事務所として設立されたが、現在は多数のアーティストやグループ会社を抱えるほどに発展。音楽制作者連盟に加盟。

既存のマスメディアに頼らず、主にライブ活動に軸足を置いた独自の経営を続けており、日本の大手芸能プロダクションとは一線を画している。

概要[編集]

1974年のプロ・デビュー以降、浜田省吾はホリプロに所属していたが、音楽的な方向性の違いやコンサート・ビジネスに対する考え方の違いから、独立を考え始める。特に、1982年に浜田が太陽光発電所での野外ライブを提案した際に、政治色の強いイベントに消極的なホリプロ側との溝を埋められず、最終的に堀威夫社長に直談判し独立を了承された。

事務所の代表取締役社長には浜田のマネージャーである高橋信彦が就任。彼は愛奴の元ベーシストでもある。浜田はあくまで所属ミュージシャンとして契約し、経営には一切参画しないという方針を採った。

事務所設立によって、コンサート会場やバンド・メンバーのブッキングが自由に行えるようになる。事務所を支えるという目的もあって、1980年代は毎年100本近いコンサート・ツアーをこなした。

長らく浜田の個人事務所状態であったが、1990年代に入ってから「そろそろ後輩を育てていく時期じゃないか」ということになり、メジャー・デビューに際してスピッツと契約する。デビュー後しばらくはヒットに恵まれなかったが、1995年に「ロビンソン」が大ヒット。以降、浜田省吾とスピッツの二枚看板で事務所を支えていく(現在、スピッツのマネージメント事務所は「グラスホッパー」として分社化されている)。

また、ラジオ番組で浜田が語ったところによると、メジャー・デビュー時のユニコーンと契約する話が持ち上がったという。同じ広島出身ということもあり話が進められたが、結局実現しなかった。

1995年7月1日にはロード&スカイ所属のアーティストが集まり、阪神・淡路大震災復興支援のチャリティー・シングルとして「我が心のマリア/恋は魔法さ」を発売している。

その後も、尾崎豊(すぐに独立)や斉藤和義Jリーガー三浦知良が所属するなど、日本の芸能・音楽事務所としては中堅規模のグループに発展している。2001年4月には大幅な組織改編が行われ、マネジメント事務所の他に、音楽出版社ファンクラブ運営会社など体系別に分社化された。また、2005年にはアニプレックスと共同で声優のマネジメントを目的とした「ボイス&ハート」という事務所を設立している(現在はマネジメント業務からは撤退)。

社名の由来[編集]

ロード&スカイという事務所名は、浜田省吾が敬愛するアメリカシンガーソングライタージャクソン・ブラウンの楽曲「Road and the sky」から拝借している。

また、「ロード」はコンサート・ツアーを、「スカイ」はレコード制作をそれぞれ意味している。

所属アーティスト[編集]

Road & Sky

Grass Hopper

Rumble Cats

HATTRICK

関連会社[編集]

  • 株式会社ロードアンドスカイ・オーガニゼイション - 所属アーティストのグッズを販売するオンラインショップ「Road & Sky Group ON-LINE STORE」を展開。Origaも生前所属していた。
  • 株式会社グラスホッパー - スピッツ、赤い公園が所属。
  • 株式会社ジェマティカ・レコーズ - レコード会社。ロードアンドスカイからの移籍者もある。
  • ボイス&ハート

かつて在籍したアーティスト[編集]

※ジェマティカ・レコーズに所属している者についてGRと記載する。

外部リンク[編集]