山瀬功治

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山瀬 功治 Football pictogram.svg
名前
愛称 コウジ
カタカナ ヤマセ コウジ
ラテン文字 YAMASE Koji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-09-22) 1981年9月22日(35歳)
出身地 北海道札幌市南区
身長 173cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 北海高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 コンサドーレ札幌 52 (9)
2003-2004 浦和レッズ 42 (11)
2005-2010 横浜F・マリノス 157 (32)
2011-2012 川崎フロンターレ 33 (8)
2013-2016 京都サンガF.C. 128 (19)
代表歴2
2000-2001  日本 U-20
2002-2004  日本 U-23
2006-2010  日本の旗 日本 13 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月28日現在。
2. 2010年4月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山瀬 功治(やませ こうじ、1981年9月22日 - )は、北海道札幌市出身[1]のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

元サッカー選手の山瀬幸宏は弟。父はサラエボ冬季五輪バイアスロンで出場した山瀬功

来歴[編集]

小学校時代はSSS札幌サッカースクールに所属し、同級生に赤井秀一畠山昌人がいる。SSS札幌で頭角を現したのち、中学時代には単身ブラジルへサッカー留学をする。その後、北海高校へ進学した。1学年後輩には北野貴之がいる。1999年には強化指定選手としてコンサドーレ札幌に登録された(トップでの試合出場はなし)。 2000年、札幌に入団。同年、北海高校から系列の北海学園大学経済学部に進学。二足の草鞋を履く生活。2000年3月にはユース代表に初選出される。5月4日の湘南ベルマーレ戦でプロ初出場、Vゴールを決める。J1に昇格した2001年には主力として24試合に出場しチームのJ1残留に貢献、Jリーグ新人王に輝いた。2002年にはチーム史上日本人として初めて背番号10を背負い副主将に任命されるも、シーズン途中に右膝靭帯断裂の重傷を負う。

2003年、浦和レッドダイヤモンズに移籍。チームをナビスコ杯優勝に導く。

2004年、アテネオリンピック最終予選に出場するが本大会には落選。クラブでは初のハットトリックを達成するなど活躍するも、今度は左膝靭帯断裂の重傷を負う。

2005年には札幌時代の恩師である岡田武史が指揮を執る横浜F・マリノスに移籍した。しかし、今度はヘルニアに悩まされる事となり、コンディションが完全に戻ったのは2006年シーズンの中盤以降となった。

2006年8月5日、キリンチャレンジカップのトリニダード・トバゴ代表戦の追加メンバーとして初めてA代表に招集され、8月9日に初出場。

2007年シーズンには横浜FMの副主将に任命され、8月22日に約1年ぶりの代表復帰となったカメルーン代表戦で代表初得点(A代表通算900得点目)を挙げ、J1リーグ戦で自身初の2桁得点を挙げた。

2008年にはコンスタントに代表に招集されるようになった。とりわけボスニア・ヘルツェゴビナ戦では2ゴール1アシストを記録し横浜FMの同僚である中澤佑二とともに恩師岡田監督を盛り立てた。第4節のFC東京、第6節の柏レイソル戦でキレを見せるが、5月ごろから右踵を痛めチームも失速。第24節ヴィッセル神戸戦で右足首を捻挫してからは出場機会が激減した。

2010年に代表復帰を果たしたが、11月28日にクラブから戦力外通告を受けたと自身のブログで発表した。

2010年12月25日、川崎フロンターレへの移籍が発表された。契約期間は2011年2月1日~2013年1月31日の2年間である。

2013年、京都サンガF.C.へ完全移籍[1]。2014年に主将を務めた[2]

2015年12月、ホリプロからよしもとクリエイティブ・エージェンシーにマネージメント先を変更した[3]

2016年シーズンは、チーム最多の7得点を挙げたが、シーズン終了後に契約満了により京都を退団した[4][5]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 札幌 28 J2 14 2 1 0 3 0 18 2
2001 18 J1 24 3 0 0 1 0 25 3
2002 10 14 4 2 0 0 0 16 4
2003 浦和 8 24 6 6 2 1 0 31 8
2004 18 5 7 2 0 0 25 7
2005 横浜FM 10 19 1 4 0 0 0 23 1
2006 20 6 1 0 3 0 24 6
2007 32 11 10 3 2 0 44 14
2008 25 4 3 0 1 0 29 4
2009 28 5 9 5 2 1 39 11
2010 33 5 6 1 3 2 42 8
2011 川崎 13 34 6 4 2 3 0 41 8
2012 17 2 2 0 2 2 21 4
2013 京都 14 J2 33 8 - 2 0 35 8
2014 38 3 - 2 1 40 4
2015 23 1 - 0 0 23 1
2016 34 7 - 1 1 35 8
通算 日本 J1 288 58 54 15 18 5 360 78
日本 J2 142 22 1 0 8 2 151 23
総通算 430 80 55 15 26 7 511 101
  • 1999年は強化指定選手としての試合出場は無し。

その他公式戦

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 13試合 5得点 (2006年 - 2010年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 1 0
2007 1 1
2008 10 4
2009 0 0
2010 1 0
通算 13 5

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1 2007年8月22日 日本大分 カメルーンの旗 カメルーン ○ 2-0 キリンチャレンジカップ2007
2 2008年1月30日 日本、東京 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ ○ 3-0 キリンチャレンジカップ2008
3
4 2008年2月20日 中国重慶 中華人民共和国の旗 中国 ○ 1-0 東アジアサッカー選手権2008
5 2008年2月23日 韓国の旗 韓国 △ 1-1

タイトル・表彰[編集]

個人

エピソード[編集]

  • 札幌時代、ルーキーイヤーでの活躍が認められ、カウントダウンサッポロ2001にゲスト出演。大泉洋鈴井貴之ら出演者や観客らとともに、テーマソングであった坂本サトル明日の色」の大合唱に参加。
  • 自身のブログでは主に食事関係の話題が多い。イチゴが好物。反対にキュウリが苦手。
  • 天野貴史によれば「山瀬さんは何をやるにもマジメ。その一方で共々ゲーム、漫画が趣味。」らしい[6]
  • 元韓国代表の朴智星から、サッカーセンスを大変に評価をされていた選手のひとりで、彼のインタビューの中では山瀬を気遣うコメントが多い。吉崎エイジーニョ著

脚注[編集]

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  1. ^ a b 山瀬功治選手 完全移籍加入のお知らせ”. 京都サンガF.C. (2012年12月27日). 2014年12月28日閲覧。
  2. ^ 2014シーズン キャプテン決定のお知らせ 2014年2月20日 京都サンガF.C.公式サイト
  3. ^ 京都・山瀬、横浜M・斎藤がよしもとマネジメント契約 - 2015年12月21日 スポーツ報知
  4. ^ “山瀬功治選手 契約満了のお知らせ” (プレスリリース), 京都サンガF.C., (2016年12月1日), http://www.sanga-fc.jp/news/detail/35130/ 2016年12月1日閲覧。 
  5. ^ ご報告 - 2016年11月30日 山瀬功治オフィシャルブログ
  6. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2009年5月5日号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]